107話 走れペトラ
「ハッ!ハッ!ハッ!」
ペトラは走った。力の限り走った。
呼吸が苦しく、足も痛む。それでもペトラは走り続けた。決して足を止めなかった。
なぜ走り続けるか?それは命の危機にあるからだ。
今、走ることを止めれば、ペトラは間違いなく死ぬからだ。
何故、死ぬのか?答えは背後にあった。
ペトラは荒く息を吐きながら、チラリと背後を確認した。
「キョああああアアアアアアアAAAAAAA!!」
ペトラの後方約10メートル。
そこに奇声を上げながら彼を追う死神がいた。
死神の名は愛原 香。本業勇者である。
彼女は目を血走らせ、奇声を上げながら、ペトラを追いかけていた。何故か満面の笑みで。
満面の笑みだが、その香の瞳は完全に猟犬のそれであった。獲物は絶対に逃さんとばかりに血走った目で睨み付け、疾風のように駆けている。その彼女の左手には何故かサーモンが握られ、それをブンブンと激しく振り回していた。
完全に殺る気であった。鮭で。
「ヒャアアアアアア?!」
ペトラは情けない声で叫んだ。
だが、誰がそれを攻められようか?
誰だって、笑顔でサーモンをブン回しながら、殺意丸出しで追っかけてくる女に出会ったら、同じように叫び逃げるであろう。
そんなサーモン女こと香が叫ぶ。
「キャハハハ!この豚野郎が!!よくぞ!よくも!私の前に、面を出してくれたねぇぇぇぇ!!会いたかったわよペトラァァ!この私を裏切りやがって!ご褒美に、その全身の生皮剥いで、足先からミリ単位で刻んで鮭の餌にしてあげるわぁぁぁ!!」
「ヒイイイイイ?!」
ペトラは更に足に力を込めて走った。追い付かれれば鮭の餌になるのだから当然だ。鮭押しが凄い。
そんな必死に逃げるペトラの肩にはアベッカ人形が乗っており、香に向かって手を振っていた。
「わぁー。カオリよカオリ。相変わらず元気そうね。ちょっと止まって。ちゃんと挨拶したいから」
「止まったら俺の最後だよぉぉ!アベッカ愛してる!!」
なんとも他人事のようにマイペースなアベッカにペトラが叫ぶ。
そもそも、今の状態になる止めを刺したのはアベッカであった。広場でカオリに見つかり、何とか誤魔化そうとするペトラの横から………。
『あら、カオリよ。見て見てペトラ。カオリよ』
と、盛大にネタバレしてくれたのだ。
おかげで、ペトラは力の限り逃げることとなった。分かりきっていたことだが、これで任務もおじゃんである。
そんな逃げるペトラを追うのは香だけではなかった。
香の背後には、彼女を追従するようにザッドハークやハンナにゴルデ・ジャンク達一行といった見知ったメンバーの他、新規加入した村長にイシヅカ達といったメンバーもいる。更には、途中で合流したゴアやミロク、果ては召喚された魔物のアンデッド達までもが、ペトラを追いかけていた。端から見てそれは、百鬼夜行も真っ青な光景であった。
「ヒャヒャヒャ!追え追え!地の果てまで追い詰めろ野郎共ぉぉぉ!」
「「「「オォォォォォォ!!」」」」
ザッドハークを筆頭としたアンデッド共が雄叫びを上げる。殺る気満々だ。
ついでに、ゴルデ達は暴走する香を止めるために一緒にいるのだが、端から見れば完全に百鬼夜行の一員となっていた。本人からすれば不本意だろうが。
「なんなんだよ、そいつらは?!ザッドハークやゴアはともかく、そのアンデッドとゴブリンはなんなんだよぉぉぉ!?おかしいだろ!?アベッカ愛してるぅぅぅ?!」
ペトラは泣いた。泣いても仕方がない。
こんな魑魅魍魎共に追われたら、誰だって泣く。
涙を流しながら逃げるペトラの頭を、肩に乗ったアベッカがよしよしと撫でた。
『泣かないの。きっといいことがあるわ』
「誰のせいでぇぇぇ!アベッカ愛してる!」
敢えて『お前のせいで』などと言わないのは、ペトラならではの予防線だった。
下手に変なことを言えば、追跡者が一人増えるだけである。それもヤンデレサイコパスな。
ペトラが走りながら叫んでいると、背後で動きがあった。カオリが収納空間から何かを取り出したのだ。それは笛だった。
カオリはその笛を咥え、一息に吹いた。
『ピィィィーーー!!』
辺りに甲高い笛の音が木霊した。
「な、何だ?」
ペトラが笛の音に驚いていると、周囲からドドドと轟音が鳴り響いた。
何事かと辺りを見れば、そこかしこから謎のマークが入った黒い覆面を被った人々が押し寄せてきていた。
「「「ジェラシィィィィィィィ!!」」」
「な、なんだぁぁぁぁぁぁぁ?!なんだ、その集団はぁぁぁ?!アベッカ愛してる!」
彼らは香配下の不持者開放戦線のメンバーである。
そう、先ほどの笛は彼らを召集するものだったのだ。
普段、彼ら彼女らは一般市民として暮らしているが、いざ召集があればこのように覆面を被り、どこからともなく参上するのである。
尚、水面下では続々とメンバーが集まっており、団員数は香でも把握しきれいないという。悲しみを背負う者が多すぎる。
そんな押し寄せる謎の集団にペトラが驚いていると、集団の先陣を駆ける明らかに只者じゃない二人が、高らかに声を張り上げた。
「お呼びとあり、馳せ参じましたじゃ!」
「何なりとと御下命下さい!総統閣下!!」
不持者開放戦線の幹部であるモサシとドンブルダーであった。決して暇じゃない立場の二人だが、香の呼び出しとあらば、いざ鎌倉である。働け。
香はモサシ達が来たのを確認すると、素早く指示を出した。
「奴、リア充、殺れ」
「「お任せを!!」」
「「「「ジェラシィィィィィィィ!!」」」」
その言葉だけで団員達の怒りのボルテージはマックスとなった。誰もが妬みと怒りのと殺意にまみれた視線でペトラを睨んでいた。
そして、仕事中に来たのだろう。彼らの手には、桑やら麺棒やら普段は仕事で使う道具が、武器の代わりに握られていた。完全に殺る気である。働け。
こうして、追跡者が倍以上に増えた。
「うわ……うわあああああああ?!」
ペトラは更に足に力を込め、力の限り走り出した。既に限界は越えていたが、そんなことは言っていられない。走らなきゃ死ぬのだ。
故にペトラは走り続けた。
逃げ切れると信じて。
◇◇◇◇◇
ペトラは思った。
逃げれると考えていた自分が馬鹿だったと。
ペトラは現在、磔にされていた。
黄金の渡鳥亭という店のど真ん中で、店内にも関わらず立てられた十字架にだ。
結局、あの後、投げ縄やら弓やら魔法やらサーモンやらを飛ばされ、動けなくなったところを敢えなく捕縛されたのだ。
ペトラが磔にされた十字架の周囲では謎の覆面集団が槍を片手に謎のダンスを踊っていた。どこぞの少数民族の儀式のような有り様だ。
少し離れた場所ではゴルデ達が何とも言えぬ表情でこちらの様子を伺い、更に奥の物陰からは店長と従業員が絶望した表情で覆面集団を見ていた。なんで店内に入れたのだろうか?
そんなカオスな雰囲気の店内の中、一人の女がペトラの前へと進み出た。無論、香である。
香は磔にされたペトラを見上げ、ニンマリと笑った。
「お久しぶりねぇ。本名ペトラくん?会えてとっても嬉しいわ」
「カ、カ、カ、カ、カオリ………さん?アベッカ愛してる………」
舌舐めずりしながら見上げてくるカオリに、ペトラは青ざめた表情で震え上がった。それでもアベッカへの愛の囁きが出るあたり徹底して調教されてるのが伺える。
そんな震えるペトラを香は愉快そうな顔で見ているが、その目は一切笑っていなかった。
「いや~本当に会えて嬉しいのよ、裏切り者のペトラくん。いや、もともと敵からのスパイだったようだから裏切りではないか。うっかりだよ、ハッハッハッ」
「えっと、その、あの………アベッカ愛してる」
笑う香にますます恐怖を煽られたペトラは周囲を見回して助けを求めた。だが、誰もがギラついた殺意満々の目で睨んでくるばかりだ。
ゴルデ達は睨んでいないが目を逸らしてくるし、唯一の味方のはずのアベッカは何故か香の横に並んでいた。いや、お前はこっち側だろ?!
「そんなにオドオドするなよ?ここは笑うところだよ?ほら、笑えよ」
「あの、はい………ハッハッハッ!アベッカ愛してる」
「何をヘラヘラ笑ってやがんだこのド腐れ野郎が!?頭カチ割ったろうか?!あ"?」
「ヒッ?!」
理不尽ここに極まれりである。
笑えと言って笑ったペトラを、香が般若の如き形相となって怒鳴り付けた。
「い、いや……カ、カオリさんが笑えって………アベッカ愛してる………」
「笑ってと言ったから笑うのか?ハッ!なら、死ねと言ったら死ぬのか?流石に犬だけあって、命令に忠実だわねぇ!」
「ひっ?!あ、あの……アベッカ愛してる……」
「なぁぁにぃぃが『アベッカ愛してる』だ?人様を騙して情報を流すドブネズミ以下の癖して、愛の言葉など囁けるなど余裕をるのぉ?大した根性しとる!その根性がどこまで通じるか、我が試してやる!!」
香は振り替えると、団員達へと号令をかけた。
「薪をくべよ!火を付けよ!宴の始まりだ!」
「「「ジェラシィィィィィィィ!!」」」
団員達が十字架の下に薪をくべ、松明を取り出した。
それを見て、流石に看過できなかったのだろう。
香の保護者達と、店の従業員達が香を止めるべく走り出した。
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