表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桃太郎 3  作者: 芳田文之介
9/18

其の九



 ところで、彼女の顔は、いっぷう変わった色をしています。

 というのも、思いなしか青みがかった色をしているのです。

 どうしてでしょう?

 あ、ひょっとして、あれじゃない。

 こんな抜けるような空の青さの、その下にいるから、それでじゃない?

 いえ、ちがいます。

 あ、だったら、あれだ。

 途方もなく、大きい、この妙な桃についてあれこれ考えているうちに、しだいに、気分が悪くなって――それでじゃない? だって、さっき、それにちなんだこといってたもの。

 い、いえ、それもちがいます。

 実は彼女、もとより、そういう色の顔をしているのです。ま、そういうと、身も蓋もない話になっちゃいますが……。

 それはそうと、さっきから、気になる人物が目にとまってしょうがないのです。

 土手の上です。そこから、波打ち際にたたずんでいる彼女のことをしきりに窺っている、そんなあやしげな人物がいるのです。まるでストーカーのような……。

 男です。彼女と同じ三十がらみとおぼしき。

 では、なぜ、その人物は、彼女のことをストーカーまがいに窺っているのか?

 という疑問が、当然、湧いてきます。

 もし、彼がほんとうにストーカーだとしたら、話はまた、ややこしくなってしまいます。

 いつになったら、桃太郎は登場するんだい、って感じで……。

 


 たしかに、それは、大いに気になるところではあります。

 ありますが、実はまだ、ほかにも気になることがあるのです。

 それというのも、彼女同様に、この人物の顔の色も、いっぷう変わっているのです。

 彼女とちがって、彼の顔は、赤みがかった色をしています。

 どうしてでしょう?

 あ、これは、あれじゃない。

 くだんのおじいさん同様に、真っ昼間から酒を煽って、ほんのりと赤ら顔になってしまった、それでじゃない?

 いえ、ちがいます。

 え、あ、そう……あ、だったら、あれだ。

 日焼けしたんだ。それにちがいない。ほら、だって、抜けるような空の青さから、お天道様の陽の光が燦々と降り注いでいるもの。だから、ね。

 い、いえ、それもちがいます。

 これもまた、身も蓋もない話になっちゃいますが、もとよりこの人物の顔も、そういう色なのです。

 赤い顔の男と青い顔の女――実をいうと、この二人、なにを隠そう、夫婦だったのです。



 夫である彼は、昼食を済ませると、土手の上を、ぶらり、逍遥しょうようしていました。

 しばらく歩いていると、波打ち際にだれかいるぞ、ということにふと、気づいたのです。

 土手の上から眺めていると、その人物はだれかと対峙でもするかのように、腰をかがめて、波打ち際にたたずんでいるのです。

 ちょうど、そう、『何か』とにらめっこしている、そういう感じで。それも、わりと長い間。

 なんだか気になるので、彼は、その人物をまじまじと見つめました。やがて、そこでふと、気づいたのです。

 ありゃ、うちの山の神じゃねぇか、と。

 そう気づいた彼は、けれど、身じろぎもせず、そこに、ジッとたたずんでいる彼女を目にしているうちに、素朴な疑問が湧いてきたのです。

 にしても、あいつはあそこで身じろぎもせず、いったい、なにをしてるんだ、と。

 そんなふうに、彼が疑問に思ったとしても、なんら不思議はありません。

 なんといっても、この彼女、とりわけ短気な性分をしているのですから。したがって、いつまでも、ひとつ処に身じろぎもせずたたずんでいるなどは、きわめて稀なこと。

 もしもこれが、市場いちばかなんかだったら、話は別です。それが、たとえば肉屋や魚屋、あるいは、八百屋などの前だったら――。

 そこで、一心不乱に、彼女が品定めをしているのは極あたりまえの風景でして、別段、めずらしくもなんともないのです。

 それも、うんざりするくらい長い間、食い入るように見つめているものですから、周りの者はたまったもんじゃありません。



 でもあそこは、ただの波打ち際じゃないか。

 ふにおちないという表情をして、彼は思います。

 あいつが品定めをしたいものなぞなにもないはず。おかしい。これはおかしいぞ、としきりに首をひねって。

 そうこうしているうちに、彼は、ひょっとして、と別の想像さえしてしまうのです。

 めったにないことをしてたら、この抜けるような空の青さから、にわかに篠突く雨が降ってきちゃったりして、というふうに。

 それが、さも可笑しかったとみえて、彼は、その空を見上げて「あはは」と笑うのでした。

 がしかしすぐに彼は、幼子がいやいやするように、強く、首を横に振ります。

 またしても、別の想像がふと、頭をよぎったからです。

 事実は小説より奇なり、っていうからな。むしろ、なにが起こるかわからないのが、現実の世界だ――こうして、もうひとつ別の想像をした彼は、こういうつぶやきの名残を土手の上に置いて、脱兎のごとく、そこを駆け下りるのでした。

「おいら、濡れ鼠だけにや、なりたくねぇ」

 


 土手を駆け下りた彼は、やがて、彼女のほど近くまでくると、そこで、いったん、立ち止まります。

 そこで、乱れた呼吸を整え、それから、抜き足差し足忍び足で、そっと彼女に近寄ると、その背後に立ったのです。

 その上で、彼女の肩を――男勝りのいかつい肩を、わりと強く、ピシャ! と叩きました。

 もしこのとき、こうして、彼に肩を叩かれなければ、彼女は、白い砂浜の明るい静けさの中で、独り、いつまでも波打ち際にたたずんでいたことでしょう。

 彼女はそれほど、非常に、興味深く、この桃をしげしげと見つめていたのです。

 けれども現実は、ゆくりなく、背後からそっと忍び足で、彼女と桃の間に入ってきました。

 これには、さしもの男勝り誇る彼女も一瞬にして毒気を抜かれ、ほとんど、飛び上がったのです。

 不自然な沈黙が降りてきます。

 ただ、その静けさのおかげで、潮騒が、いっそう、耳にここちよくふれます。

 相も変わらず、白い砂浜の上を、一匹の、いえ、二匹の黒い蟹が、トコトコと歩いています。

 もちろん、海から風が吹いてきます。

 あくまでも長閑な昼下がり。

 その波打ち際。

 そんな中、すっかりうろたえた彼女は、ひどく冴えない顔つきで、呆然と、白い砂浜の上に立ち尽くしていたのでした。



つづく



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ