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桃太郎 3  作者: 芳田文之介
8/18

其のハ


 波打ち際にたゆたう、途方もなく、大きい桃――。

 それを目にした彼女は、すっかりうろたえて、白い砂浜の上に、思わず尻もちをついてしまいます。

 しかもそれと同時に、彼女は、あらぬ妄想にとらわれてもいるのです。

 では、いったい、どのような妄想に、彼女はとらわれているというのでしょう。

 それは、とりもなおさず、はたして、これは、自分が知っている、あの桃だろうか――という、なんとも奇妙な妄想でした。

 それはそうです。なにしろ、ついぞ見たことのない、途方もなく、大きい寸法をした桃なのですから。

 もっとも、彼女が、そうしたあらぬ妄想にとらわれてしまうのも、ムリからぬことなのです。

 なぜなら、人間の想像力は自分の生きている世界に忠実に立脚しているものだからです。

 いったい、どういうことでしょう――。

 たとえば、ここで、林檎を想像したとしましょう。

 たぶん頭をよぎるのは、赤くて丸い、手のひらの上に乗るくらいの大きさをした果物――そういった、自分がかねて、認識している色や形、あるいは、大きさなどになるでしょう。

 逆にいえば、自分がかねて、認識したものしか、その表象は、頭の中に思い浮かばないということです。

 それからすれば、いま、彼女が目にしている色と形は、色が桃色で、形は丸いという、自分がかねて、認識していたものとぴったり重なり合います。

 けれども――大きさが全然いけないのです。

 なにしろ、彼女がかねて、認識しているのは、こうです。

 それは、手のひらの上に乗るくらいの大きさ――つまりは、林檎と同様の寸法をしたものです。

 そこへいくと、この桃の大きさといったら、どうでしょう。

 彼女がかねて、認識しているのと比べると、提灯に釣鐘、月とスッポン、金魚にメダカ、というふうに、圧倒的な差があるのです。

 だとしたら、うなずけるではないですか。

 彼女が、この桃を見て、すっかりうろたえて、白い砂浜の上で、思わず尻もちをついたとしても。

 まして、はたして、これは? というふうに、あらぬ妄想にとらわれてしまったとしても、です――。



 かといって、彼女は、そんじょそこらの女子とは持って生まれた性分が、どだいちがうのです。

 いったい、彼女は男勝りを地でいく性分ですし、好奇心も、とりわけ旺盛と来ています。

 それで彼女を見ると、もう自分の中で生じた気の乱れなどはほとんど瞬間的に処理してしまったようです。 

 そればかりではありません。

 とりわけ旺盛な好奇心が、にわかに巣食った恐怖心を、あっさりとねじ伏せてしまったようでもあります。

 それは、彼女の面持ちを窺えば一目瞭然。

 そう、さっきまでとは別人の、あっけらかんとした表情を――まるで憑物が落ちたような、そんな表情を白い砂浜の上で尻もちをつきながら、彼女は披露しているのですから。

 そんなふうに、清々しい表情をした彼女は、肩でひとつ息をつくと、いままで、締りのない格好で尻もちついていたのとは打って変わり、白い砂浜の上に、悠然と立ち上がります。

 相変わらず、頭上には空の青さが広がり、海から風が吹いています。

 立ち上がった彼女の頬を、その風が、気持ちよさげに撫でていきます。

 その空に、彼女は両手を思い切り突き上げ、それから、おもむろに腰をかがめると、改めて、妙な桃に顔を近づけ、キッとした表情で、それを、ジロリとねめつけました。

 傍目には、ちょうど、にらめっこしているような、そんな感じに見えていることでしょう。

 その姿勢で、ひとつ咳払をした彼女は、少し間をおいて、妙な桃に、こう語りかけたのです。

「それはそうと、おまえさんは、あたしが知ってる、あの桃なのかい? なんだか全然大きさがちがうんだけどけどねぇ……。

 ま、いっか。もしそうだとしたなら、おまえさんは、食べられるのかい? そしてなにより……食べたとしたなら、味はどうなの、うん⁈」

 そいって、彼女は、妙な桃を人差し指で、ツンと突っつきました。

 こうしてみると、おおよそ女子の興味は、そこに尽きるようです――。



 しかしながら、彼女に、その答え合わせは出きないのです。

 もちろん、桃が口を利いて「実は、こうこうで……」なんて教えてくれるはずもありません。だから、それもひとつの理由ではあります。

 ありますが、それとはまた別の理由も、ちゃんと、彼女にはあるのです。

 さて、いったい、どのような理由があるというのでしょう。

 というのも、実は彼女、こういったややこしいことを考えていると、こんな理由を口実に、途中で投げ出してしまうのが、オチなんです。

「こりゃ、ムリだ。だって、ややこしいこと考えてると頭がこんがらがっちゃって、なんとも悪い気分になるんだよ」

 もっとも、これは、あれです。なにも彼女に根気がないからではありません。それより、根気は人一倍あるのです。

 ただ、彼女は、ややこしいことを考えていると頭がこんがらがり、しだいに、頭痛がしてきて、おまけに、吐き気をもよおし、やがて、腹立たしくなって、しまいには、自己嫌悪にすら陥ってしまうのです。

 にしても、なぜ、そうなるのでしょうか。

 それというのも、実は彼女、悟性に、やや欠陥があって――つまり、思考の筋道に隘路があって、それで、ややこしいことを考えると、いつも突然、それが邪魔をして、思考に支障をきたしてしまうのです。つまり、持って生まれた能力に不備があるというわけです。

 といって、彼女は、非常に、負けず嫌いな性分をしてもいます。

 そういう彼女は「こんなことで、へこたれてる場合じゃないよ」と自分を鼓吹し、ふたたび、先に進もうと試みます。だが――。

 そうするたびに、自分の中に居座るなにかが邪魔をして、そのいく手をはばんでしまうのです。

 結局のところ、その堂々巡り。

 すると彼女は、そういう自分にがっかりして、そうした自分を嫌悪して、とうとうしまいには、そんな自分に、つい自嘲気味に、こう私語ささやいてしまうのです。

「まったく、あさましいったらありゃしないよ。もっと、どうにかならないのかねぇ……」

 だからといって、自分を責めてばかりいると、やっぱり、辛くなるので、時に、天を睨んで「カミサマの意地悪」となじってしまう、そんな夜が、彼女にはあるのでした。



 このように、彼女は、男勝りで、好奇心旺盛で、おまけに、負けず嫌いでもあります。

 それだけに、答えを導き出そうといそしむのはいといません。むしろ、積極的にいそしもうとさえします。

 がしかし――現実は努力が実を結ぶことは悲しいくらいに少なく、幸せな結末など望むのはまれです。いえ、かえって、望めないことのほうが多いかもしれません。

 いくら努力しても、ダメなのものは、しょせん、ダメ――だから、無駄な努力はおよし、ってことでしょうかねぇ、カミサマ。

 だとしたら、あなたは、やっぱり、意地悪です。

 ただ、あれなのです。これが腕相撲なら、彼女は人後に落ちません。男子にだって、おいそれと、負けやしないのです。

 だとすれば、人にはなにかしらの取り柄があるって、ことに、なります……あ、どうもすいません、カミサマ。前言撤回って、ことで――。

 ともあれ、このように、彼女は、とかく、答えを導き出せません。よしんば出せたとしても、せいぜい、なさけなそうなため息ばかり。

 それでも、まあ、彼女は男勝りの性分という天賦の才を持っています。そのおかげで、彼女は、可笑しいほど、立ち直りが早いのです。

 そういう彼女のことですから、現実の割り切れない感情はねじ伏せ、ま、いっか、と軽口たたき、もう頬をほころばせているのです。

 その上で、妙な桃に、さらに顔を近づけると、いたずらっぽい目をして、それを、ジッと見つめます。

 こうして、彼女は、波打ち際にたゆたう桃とにらめっこでもするかのように、暫時、長閑な昼下がりの白い砂浜の上で、やや腰をかがめてたたずんでいたのでした。



つづく



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