其の六
春のうららかな陽の光。
折からそのやわらかな光が、茫洋たる海原に降り注いでいます。
あふれるほどにその光を浴びた水平線の彼方にたゆたう水面が、ことさらまばゆく目に入ります。
頭上一面に広がる、抜けるような空の青さ。それが、視界のはてで海の青さと重なり、いったいどこまでつづいているのかわかりません。
澄み渡った空の下には、的皪として、明るい陽の光を受けた白い砂浜が光っています。
そこを、一匹の黒い蟹が、頑是なく、トコトコと歩いています。
岸辺に寄せては返す波。
潮騒が耳にここちよくふれます。
あくまでも長閑な、白い砂浜の昼下がり――。
そんな中、濃い影がひとつ、白い砂浜の上にひょっこりと現れました。
よく見れば、女です。察するところ、三十がらみでしょうか。
この彼女、女子のわりには、男子みたいながっしりとした体躯をしています。
たぶんからだは、健全なのでしょう。ただ、こころが……ちょっと気がかりです。
というのも、明るい陽の光を受けたこの砂浜は、えもいわれぬ陽気なのです。それが、この彼女ときたら、こうした雰囲気には全然そぐわない、ひどく曇った表情をしているのです。
もしかして、何か悩みごとでもあるのでしょうか。
もっとも、この了見は、あながち的外れではないようです。
なぜなら、伏し目がちに肩を落として、どこかおぼつかない足取りで歩いている姿が、彼女のその胸のうちを如実に物語っているからです。
しばらくの間、彼女は足元に視線を落としながら、白い砂浜をぼんやりと歩いていました。
海から風が吹いてきます。その風が運んでくる潮の香りが、鼻腔をやさしくくすぐります。
それが呼び水になったとみえて、ふと彼女は首を挙げ、眼差しを、水面へと投げました。
とたん、彼女は眉をひそめて、急に、歩みをとめます。よほど、水面に反射する光が、まばゆかったかったようで。
それでも、まあ、それも目を瞬いているう漸く慣れてきます。
なので彼女は、ふたたび、動き出そうとします。けれどすぐに、その動きは挫折します。代わりに、彼女は、けげんそうな表情で、わずかに首をかしげます。
あれは、なに?
そんな感じで、彼女は首をかしげたのです。
ひょっとして、水面に『何か』浮かんでいたーーということでしょうか?
ありゃ、なんだろうねぇ?
やっぱり、そのようです。つぶやいた彼女は、陽射しを遮るように掌を額に水平にあてて、そうして、背伸びして、それからまた、目を皿にして、その正体を探ろうと躍起になります。
が、いかんせん、その『何か』までは、かなり距離があるのです。したがって、その正体は判然としません。
だったら――意を決したように、彼女は毅然とつぶやきます。
ところで、彼女は性来男勝りの性分をしております。おまけに、ひときわ好奇心が旺盛でもあります。
そういう性質なだけに、ひとたび好奇心に火がつきますともう、居ても立っても居られません。
そこで彼女は、つぶやいたあとに、よし、と強くうなずくと岸辺に向かって、脱兎の如く、駆け出したのでした。さっきまでのおぼつかない足取りが、まるで噓のように。
つづく