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桃太郎 3  作者: 芳田文之介
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其の三


 にしても、口惜くやしいのう。

 ほんとうはのう、こういうのが理想だったんじゃ。

 いたわりあって、なぐさめあって、そんでもって、わらいあってたのしくすごすーーそういうのがじゃ。

 なのに、この現実の救いなさは、どうじゃ。人の生きる道ってもんは、ほんにややこしいもんじゃのう…。



 辛抱していれば、いずれ、そういう時がくる――そうおばあさんは信じてきたからこそ、いままでずっと、おじいさんの世話にこころを砕いてきたし、いつも、おじいさんの影を踏んで歩いてきたのです。

 その分、だから、よけいにしゃくにさわるのです。おじいさんの、この酔余の蛮行が、おばあさんには――。

 もしこのとき、目くじらを立てて「なして、かいがいしく尽くしてきたわしを足蹴にするんじゃ、このクソじじい」というふうに毒づけたのなら、どんなに溜飲が下がったことでしょう。

 しかしながら、なかなかそうならないのが人の生きる道のようです。いえ、それよりむしろ、現実は理想からほど遠いことのほうが多いようです。

 したがって、ここでも、おばあさんは黙って、ただ唇を嚙みしめていよう、そのようにつとめます。

 ため息交じりに、まだ辛抱がたらんっていうんですか、カミサマーーとこころのなかでそっとつぶやいて……。


     

 でもだからといって、もはや、ほどけてしまったのです。

 おじいさんに平手打ちにされたという、さっぱり合点がゆかぬ不条理な苦痛の体験――それが、こころに影を落として、おばあさんの感情の結び目は、ぷつん、と。

 覆水盆に返らず、とはいみじくもいったものです。

 いったん、ほどけてしまった結び目はもう、二度と元には戻らない――というのが、どうやら、道理のようです。

 このような不条理な苦痛を体験したとき、えてして人は、『思いがけない自分』と出会うことがあるらしいのです。

 もちろん、おばあさんも、その例外ではありません。

 では、このとき、おばあさんが出会った思いがけない自分とは――それは、とりもなおさず、これからは自分の気持ちに正直な自分でいよう、という、いままでおばあさんが出会ったことのない自分でした。なんだか、妙に腹の座った。

 するとその自分が、無意識のうちにわたしを突き動かそうとします。さながら、こころにたまったおりを爆発させようとして――。

 はたして、思わずおばあさんは「もう堪忍袋の緒が切れた!!」と、それこそ、なにかが爆発したような感じで叫んでいたのでした。

 それが呼び水になります。

 堰を切ったように、おばあさんの口から、胸のうちにたまっていたわだかまりが、どんどん、こぼれ落ちてくるのです。

「オメエのようなろくでなしとひとつ屋根の下でくらすのはもう、つかれた……オメエといっしょにいるくらいなら、いっそのこと、ひとり里にもどって、そこでのんびりくらしたほうがよっぽどましってもんじゃ。なんで、わしゃ、そうさせてもらう!」

 いったん、腹が座ったことで、一気に真情を吐露するおばあさん。

「やれやれ、せいせいしたわい」 

 つぶやいたおばあさんのしなびた顔が、にわかにすがすがしいそれに変わりました。

 するとおばあさんは、おじいさんに、「べぇ」とべっかんこうして、生き馬の目を抜くようにさっさと荷物をまとめ、とっとと屋敷を出ていったのでした。

 これが、二人が袂を分かった、そのいきさつです。



 もちろん、泡を食ったのはおじいさんです。

 いくらなんでも、里には帰らんじゃろう――そうタカをくくっていただけに、おじいさんはぐっと詰まって、目だけが躍起になって口は黙ってことばがありません。

 おばあさんが去っていった屋敷は、ねずみ色の空の下に濡れしょぼれてとぼんとつくばい、思いなしかうらさびれてしまった、ような気がします。

 おじいさんひとりが取り残された屋敷に、晩秋の凍みの冴えたすきま風が、遠慮なく、吹き抜けていきます。

 ハ、ハ、ハックション!!!

 う~、さぶぅ……。

 哀れ、その凍みの冴えたすきま風に身もこころも震えてしまう、そんなおじいさんです。

 もっとも、あれです。こうした愁嘆場が演じられるのはそれほど、稀有な話ではないのです。むしろ、巷では、よくある話のようで。

 明日は我が身――なんてことにならないように、みなさんも、これを他山の石となさってはいかが。


つづく



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