第十六話
春がきて、夏になり、秋がすぎ、やがて、冬がくる、そしてまた、春がきて――そうやって、幾つもの春夏秋冬が桃太郎一家の前を、光陰矢のごとく通りすぎていきました。
すると、桃太郎は「あの子は力も強くてこころ延えも優しい、実にいい青年じゃ」と島民こぞってほめそやす、そんな若者に成長したのです。
とはいえ、彼も当初は、はたして、この鬼ヶ島で幸せに暮らしていけるだろうか、もっぱらそれが案じられていたものです。
とりわけ、島の長老たちは「悪ガキどもに、イジメられなきゃよいがのう」と、大変気をもんでもいました。けれどそれも、どうやら、杞憂に終わってくれたみたいです。
ただし、けっして十全だったわけではありません。不条理なことはなかった、といえば嘘になります。
これは、桃太郎がこの島の住人からすれば異分子だったからにほかありません。
異分子を排除して、統一的な一体感をつくりたい――この鬼ヶ島のような閉じられた村社会においては、おうおうにして見られるけしきです。
それもさることながら、ただでさえゆかりのある者同士でも醜い争い事をしがちなのです。まして、この島にゆかりのない桃太郎においてはなおさらでしょう。
それもあって、島の住人から不条理のうちに疎んじられ、彼は時に、イジメにあうことすらあったのです。
もちろん、そのたびに、母親である彼女が「あたしにまかせておけばだいじょうぶだからね、桃太郎」と助け舟を出そうとしてくれました。
けれど桃太郎は、その都度、こういって、自力で切り抜けてきたものです。
「母ちゃん、心配しなくていいよ。おら、なんとかひとりで切り抜けてみせるから」
涙ぐましい、このことばを聞くたびに、両親は、その頬を熱く濡らしていたものです。
母親に似て、桃太郎は村一番の腕っぷしの強さいを誇る若者でした。のみならず、彼は実に聡明で、ふてぶてしいほどに冷静な若者へと成長を遂げていたのです。
「おまえさんの懸念も杞憂におわってくれてよかったねぇ」
彼女は、さも嬉しそうに微笑んで、ふと彼から目を離すと、もの思いにでもふけるようにしながら、遠くに眼差しを向けるのです。
「ああ、おいらも安堵しているよ」
感慨深そうに、彼もうなずくと、目を伏せて、畳の目にぼんやりとした眼差しを向けました。
過去を振り返れば、内心、バツが悪い彼でした。
なにしろ、彼女が子を授からないのは、てっきり自分に非があるものだと信じて、こころがけづられる夜をつづけていたのですから。
そればかりではありません。
ひょっとして、おいらじゃなく、あいつに非があるんじゃ――そのように勘ぐってしまう、彼には、そんな邪な夜もあったのです。
あのころのおいらは、どうしょうもない夫だったよなぁ――自戒交じりに、彼はなさけなさそうな息をつくのでした。
一方で、彼女にも、内心、バツが悪くなるような過去があったのです。
というのも、彼女は彼女で、こう思ってきたからです。
とうとう、身ごもらなかったねぇ……ということは、やっぱり、あたしに非があるんだよ、と強く唇を噛みしめて。
こうして、お互いが、それぞれの世界に沈んで、もの思いにふけっています。
しばらくの間、屋敷は、妙な静寂に包まれます。
きょうは、晩秋とはいいながら、もの静かに晴れた日でした。風がそよげば、はるか天空に騒ぐ松籟が、ここ地よく耳に留まるほどに。
その蒼天から、屋敷のほど近くにある雑木林に、うららかな陽の光が、きらきらときらめいて、降り注いでいます。
さきほどから、その木の上で羽を休めて、しきりにさえずっている鳥がいます。
大方、これは、櫟の枝の梢で日向ぼっこをきめ込んでいる、セキレイのさえずりだと思われます。
屋敷の立て切った障子にも、そのうららかな陽の光がさして、彼が眺めている畳の目の上で、平安な影がかすかながら揺れています。
「にしても、あれだなぁ」
静寂を破るようにして、彼が口を開き、ことばを、こう継ぐのです。
「桃太郎が気立ての優しい子に育ってくれたことが、なによりじゃないか」
それを聞いた彼女も「ああ、そうだねぇ」と相槌を打って、頬をほころばせます。
なにを措いてもさしあたり、それがうれしくてたまらない、そんな二人のようでした。
かくも、桃太郎の家は、いたわりあって、笑いあって、実に、楽しい家庭だったのです。
ただ、残念ながら、この平安な時は、それほど長くはつづきません。
なぜなら、ある日突然、風雲急を告げる知らせが、島の長老たちの耳にもたらされたからです――。
つづく