其の十四
「桃から生まれた子。だから、おまえさん、名前は、桃太郎――っていうのはどうだろうねぇ」
赤ん坊に甲斐甲斐しく服を着せながら、彼女は、うん、それがいいよ、とひとり合点して、ねぇ、そうしようよ、と彼に強く持ちかけます。
え、う、うん……。
持ちかけられた彼は、自分の中に沈み込むような目つきをして、おざなりに応えます。それは当然です。彼はいま、どうすれば、この子が幸せに暮らしていけるだろうか。それについて、思案しているさなかなのですから。
一方で、おや、とけげんそうな顔をした彼女は「どうしたんだよ、おまえさん」といぶかって、こうつづけます。
「むずかしい顔しちゃってさ。せっかく、この子を授かったっていうのに、なんだか嬉しくないっていう顔してるじゃないか」
「う、うん……」
「なんだよ、歯切れが悪いねぇ。ひょっとして、この子をうちの子にするのがいやなのかい?」
「え、い、いや……そういうわけじゃ」
「じゃ、どういうわけなのよ。男のくせにうじうじしちゃってーーはっきりしなさいよ、はっきり。もうじれったいたら、ありゃしないわ」
「わ、わかったよ。わかったから、頭ごなしにそうがみがみいうなよな。いま、はっきりさせるよ」
やむなく、彼は真情を吐露しようとします。
「あのな、こんなこというと、怒るかもしれないけれどさ……」
「怒るわよ」
彼のことばをいやおうなしに遮って、彼女はいいます。
「怒ると思いながら話すなんて、そのこと自体に怒るわよ」
これじゃ、いってもいわなくても、こえぇじゃないかよーー舌を打ちたいような気持ちを押さえ、彼はことばを吐き出します。
「じゃ、話さないよ」
「な、なによ、それ。もっと怒るわよ、そんなこといったら。とにかく、いいから、はっきりしなさいよ」
ムッとして、やけに眉毛をつり上げた彼女の顔は、さながら般若のようです。
目にした彼は思わず、おぞけを震います。
なにしろ、かねて彼は彼女の逆鱗に触れて、散々な目に合ってきたのですから。
「わ、わかったよ」
渋々ながら、うなずいた彼は「あのな、なにがいいたいかというとな……」と前置きして、この子を自分たちの手で育てあげるかどうか、その是非について、滔々と、彼女に語るのでした。
語っているうちに、ふと彼は、彼女の目に涙がたまっていることに気づきます。
そりゃ、そうだよな、とため息交じりに、彼はうべなうのです。
やむを得ずとはいえ、彼女が喜んでいたというのに容赦なく水を差してしまったのですから。
それがわかっているだけに、彼はやるせなくて仕方ないのです。
ほんとうは、そうだな、そうしよう、と二つ返事でうなずいてやりたかったのです。そうすれば、どんなに彼女が喜ぶか。それぐらいのことがわからない、そんな彼ではないのです。
かといって、おいそれとはうなづけないしな――彼の考えは、幾度となく同じ道を彷徨った挙句、どうしても、そこに戻ってしまうのです。
そうやって、彼は、しばらくの間、同じ道を彷徨っていました。
すると、だしぬけに、彼女の顔が歪みました。
とうとう、泣き出すのか?
そう彼は思うと、それを余儀なくさせていることに、憐憫の情を催します。
がしかし次の瞬間、彼女は二ッと口を横に開くと天を仰いで「あはは」と笑い出したのです。
「な、なにが、そんなに可笑しいんだ」
てっきり、泣き出すと思っていたのが、存外、あっけらかんと笑い出すではないですか。
意表を突かれた彼は心中穏やかでいられず、つい、乱暴な口調で問いただしていたのです。
問われた彼女は「おまえさんが心配するのはよくわかるよ」としんみり口を開くと、にわかに力こぶを作って「でも、ほら、これを見てよ」と、それを自慢げに彼に見せて、ことばを、こう継ぐのでした。
「おまえさんがいうように、もしもこの子がイジメに合うようなことがあったら、あたしのこの力こぶが黙っちゃいないのさ。人間の子がどうだとかつべこべいわれたって、おんなじことさ。なんにせよ、あたしがこの子を村一番の腕っぷしの強い男の子に育てあげて見せるんだ。だからね、この子は――この桃太郎はね、きょうから、うちの子だよ。いいね、おまえさん」
つづく