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桃太郎 3  作者: 芳田文之介
12/18

その十二

 


 ふう、にしても、なんと重たかったことやら――やがて、屋敷へと戻った彼女は、途方もなく、大きい桃を釜元に置くと、ようやく人心地つきます。

 一方、彼女の影を踏んで歩いてきた彼は、やれこの手拭いで汗をぬぐえだの、やれこの水を飲んで喉をうるおせだの、はたまた、ほれ団扇であおいでやるから涼をとれだの、いたれりつくせりのもてなしよう。

 むろん、これは、彼女ばかりに苦労をかけてしまったバツの悪さが、彼のこころのどこかにあったからにほかありません。

 それでも、まあ、あえて積極的にもてなすことでその、負の感情をすっかり払拭した彼は、桃に顎をしゃくって「で、これのことだが」と口を切り、「いったい、どうしょうっていうんだい」とつづけて彼女に尋ねるのでした。

「そうだねぇ……」

 訊かれた彼女は、さて、どうしたもんだろう、と首をかしげて、いまさら、口にするのもなんだし、というふうに、苦い笑みを浮かべます。

 さっき、桃の中に『何か』がいるのではないかという疑問を、いくらなんでも、それは、と首を横に振った彼女でした。

 それが、やけに重い桃を持ち帰っているうちに、だんだん、「ひょっとして」と思い直すようになり、やがて、「やっぱり、そうなんじゃないか」という、確信じみたものへと、こころ変わりしていったのです。

 なにしろ、桃の中で、『何か』が、ひっきりなしに動くのですから。

 それで彼女は、いくらなんでも、この桃は食べれないよね、と自分で自分にいい聞かせたのです。

 そのことを、彼女は彼に「あのね、おまえさん……」と、眉をひそめながらも、どこか嬉しそうに語るのでした。



「え! ほ、ほんとうかい」

 それを聞いた彼は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せます。

 それは当然でしょう。

 いくら途方もなく、大きい桃だからといって、その中に、『何か』が入っているとは、だれしもが想像だにしないことだからです。もちろん、彼の驚きようは、陽性のそれではありません。それより、陰性のそれです。そう、彼は、それを聞いて虫唾が走り、背筋が寒くなっているのです。

 彼女は一方で、泰然自若としたものです。それはそうでしょう。

 男勝りの彼女のことです。それゆえ、とりわけ肝が座っているのですから。

 それもさることながら、彼女は桃の中の『何か』に、妙な親近感を覚えはじめてすらいるのです。

 といって、では、なぜ、自分はいま、そういう心情に駆られているのか――ということについて、彼女は知る由もありません。

 ただ、それが、どういうものだかわからないながらも、彼女は、無意識のうちに、頬をゆるめて、慈しみのある眼差しで桃を眺めているのです。



 他方で、やっと、落ち着きを取り戻した彼も黙って、彼女をジッと見つめています。そうしながら、彼は、こう思っているのです。

 こいつ、妙にだらしなく頬をゆるめていやがるが、いったい、どういう了見だい、と。

 のみならず、ひょっとして、こいつ、中に、なにが入っているのかもう、見当がついてるんじゃねぇのか、とも。

 そこは、長年連れ添ってきた伉儷ならではの、成せる技なのでしょう。

 こうして、それぞれが自分の中に閉じてしまった空間に、ちょっとぎこちない沈黙が降ります。

 カア、カア、カア!!!

 だしぬけに、その沈黙を破って、屋敷のほど近くにある鎮守の杜から、カラスの鳴き声が!!

 おいおい、驚かすなよな……こころの中で彼は、悲鳴をあげます。

 さっきから、彼は不吉な予感がしてならないのです。それだけに、その悲鳴は、実に切実です。

 そんな彼をよそに、彼女は「ねぇ、おまえさん」と口を切って、淡々と、こうつづけます。

「これを割ってさぁ、中を、確認してみようよ」

 え! な、なんてぇことを――彼は狼狽します。

 彼はいま、不吉な予感を覚えているさなかなのです。そこに持ってきて、彼女の、このいい草。これでは、彼が、すっかり狼狽するのも当然です。

 ただ、困ったことがあります。そう、この彼女、一度こうと決めたら梃子でも動かない性分をしているのです。

 したがって、彼には選択の余地などは一切ないということです。

 やれやれ――ため息をついて、彼はおぼろげな眼差しで、桃をぼんやりと眺めます。それと同時に、彼は、こう思って、力なく首を振るのです。

 こりゃ、ふつうの包丁じゃとてもムリそうだな、と。だとしたら、鉈を、隣りん家に借りにいかなきゃならねぇな、とも。

 それはもう、とても大義そうに……。




「じゃ、割るぜ」 

 鉈を借りて屋敷に戻ってきた彼はそういって、それを振るおうとします。

「おまえさん、そっとだよ」

 ハラハラドキドキしながら、それを見守っている彼女は、彼に向かって、そう促します。

「ああ」

 うなずいた彼は、けだしその通りに、鉈を振るいます。

 それ! 

 すると、どうでしょう。驚天動地!!

 オギャー、オギャー。

 よもや、桃の中から、大きな泣き声が聞こえてくるではないですか!!!

 途方もなく、大きい桃の中にいた『何か』とは、なんと、赤ん坊だったのです。それも、男の子の。おまけに、丸々と太った、とびっきり元気そうな――。

 道理で、この桃は、やけに重いはずです。 

 なんと、まあ!!

 あら、まあ!!!  

 二人は、顔色を――彼は赤みがかった顔色を、彼女は青みがかった顔色を、それぞれ蒼白にしたり、にわかに紅色にしたりして、お互いの視線を絡ませます。

 ぷっ!

 思わず、二人は噴き出すのです。

 お互いの顔色の変化が、よほど可笑しかったとみえます。

 それによって、二人の気持ちもほぐれて、その場が、なんともいえずなごみました。

 それに合わせて、二人の口元も、ようやっと、ゆるみます。

「こ、こりゃ、おどろくなぁ、おまえ」

「ほ、ほんにねぇ、おまえさん」

 大きく目を見開いて、二人は絞り出すようにして、ことばを紡ぐのでした。

 すると、彼女はふと、彼から離れて桃に近寄ると、中から、赤ん坊をそっと取り上げます。

 それから彼女は、屈託のない笑みを浮かべて「よしよし、かわいい子だねぇ」とやさしくあやしその、やわらかな胸の中で、いとおしそうに抱きしめるのでした。



つづく



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