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金魚すくい

作者: Pity

 僕が住むこの地域に、こんなにも人がいたのかと思うほど賑わった神社の中。蝉の声と人の声がまざって、心が騒ぐのがわかる。今日は夏祭りだ。

 精一杯オシャレをした中学生の男女のグループやお面をねだる子供を連れた家族、茶髪を適当にくくって浴衣を着た派手な女たち。僕は次々とすれ違う。

 かくいう僕は、人込みが好きじゃない。まして田舎の夏祭りなんか数年ぶりだ。だけどあんまりに彼女が行きたいと言うから仕方なく希望を叶えてあげたのだ。

 けして、彼女の浴衣姿が見たいとか、そういうんではない。

「ね、あんず飴食べよう?」

 すでにヨーヨーを持ってご機嫌な彼女。指を絡めるのではなく、小指とか中指だけをちょっとつかむ、彼女の手のつなぎ方が好きだ。

「僕はいいや、買ってきなよ」

 彼女は待っててと言って、店のほうへ歩いて行った。手持ち無沙汰な僕はきょろきょろと周りを見渡した。

『金魚すくい一回三百円』

 そんな文字を見つけた。

 懐かしい気持ちの反面、こんなにも安い値段で売られてしまう金魚たちを憂えた。

 子供のころは、射的よりも型抜きよりも金魚すくいが好きだった。なぜか得意で、十匹くらい持って帰るのが当たり前だった。

 だけど金魚たちは一週間ほどですぐ死んでしまった。あのときの切なさといったらなかった。そして父親の「お祭りの金魚はすぐ死ぬんだよ」という言葉も、悲しかった。

 五百円玉を握り締めていたあのころとは違い、三百円とはとても軽いものに思えた。命とは、そんなに軽いものなのか、とも思った。

「おじさん、一回やらせて」

 僕はお店の人に三百円をわたして、ポイをもらった。両脇にいる小学生に押されながらも、しゃがんで金魚たちを眺める。気持ちよさそうに泳いでいるのを見るていると、なるほど大人になってもわくわくするものだなと思う。

 たくさん取る気はなかったので、二匹だけ捕まえて袋に入れてもらった。


「もう、どこに行ったのかと思った!」

 立ち上がると彼女がすぐ後ろに立っていた。

買ってきたあんず飴はもうなくなってしまいそうだった。

「ごめん。子供のころを思い出して、やりたくなって」

「そっか。あ、二匹。一匹じゃ、かわいそうだもんね」

 そう言って彼女は目を細めた。彼女はヨーヨー、僕は金魚。なんだか結局お祭りを楽しんでいる自分がいて、可笑しかった。


 家に帰るとすぐ、バケツに水を入れ、その中に金魚の入った袋を入れる。袋の水とバケツの水の温度を同じにするとよい、とよく金魚を持ち帰る僕に父が教えてくれた。一時間ほどしてからバケツに金魚を放す。悠々と泳ぐ姿を見て一安心。

『金魚、長生きするといいね。今度見に行くよ』

 つい先ほど別れた彼女からのメールだ。

 明日には、水槽やらエサやらを買わなければ……。思わぬ予定ができたけれど、新しい同居人――人ではないけれど――に僕は嬉しくなった。

 本当に長生きしてほしいな。

 いつもの寝苦しい夜でも、早々に僕は眠ってしまった。


 泣いている女の子。ひどく懐かしい。だけど悲しい。寂しい。泣き止んでほしい。どうしたらいい、どうしたらいいんだ。次の瞬間、変わる場面。祭囃子がやけに聞こえる。僕は、大人たちの間を抜けて、走っている。だけど気持ちだけが早って、うまく前に進めない。いそがなきゃ、いそがなきゃ、いそがなきゃ。会いに行かなくっちゃいけないんだ。


 ゆっくりと意識が現実に戻るのを感じる。夢から離れるのが名残惜しいほど懐かしい映像だった。夢を見ていた。懐かしい夢を。

 小学二年生のころ、好きな女の子がいた。よく泣いていたから、からかっていたのを覚えている。その子は金魚すくいがとても苦手で、いつも一匹だけお店の人にもらっていた。

「一匹だけじゃ、かわいそう」

 そう言って、彼女はめそめそ泣いていた。

「お前がヘタだからだろ」

 そう言って僕はたくさん入った袋を見せびらかしていた。


「転校するの」

 彼女がそう言ったのはたしか、夏休みが終わる少し前。「転校?」

「うん……。お母さん、サイコンするから」

 僕はまだ再婚という言葉の意味なんて知らなかった。彼女は泣き虫な癖に、僕に無理に微笑んで言った。

「元気でね」

 その夜、僕は走っていた。いつもお祭りをやっている神社へ走っていた。その日も、蝉の鳴き声や人の声や太鼓の音がひどくうるさかったのを覚えている。

なけなしのお小遣いで三百円を払い、金魚をすくった。お店の人から袋を受け取ると、まだ人の間をくぐって走った。人とぶつかっても謝りもせずに走った。サンダルがすべって、何度も転びそうになった。気持ちだけが逸った。あんなにからかっていたのに、彼女が一人で泣いていると思ったら、いてもたってもいられなかった。

彼女の家の前に着くと、息も整えずにインターホンを押して、自分の名前と彼女の名前を伝える。

家から出てきた彼女は、やっぱり少し悲しそうな顔をしていた。そのことがやけに気になった。なんだか、イライラした。笑ってほしかった。

「これ」

 さっきもらった金魚をそのまま彼女に渡した。

「金魚だ……」

「お前が、一匹じゃかわいそうだって言うから」

 袋の中で金魚が二匹、泳ぐ。

「これで、転校しても寂しくないだろ」

「うん……、アリガト」

 そう言って彼女は本当に笑った。


 あのとき渡した金魚は長生きしたのだろうか。この二匹みたいに悠々と泳ぎ、彼女をわくわくさせられたのだろうか。

 彼女はあの二匹をたくさん愛してくれたのだろう。たった三百円の命でも、彼女を、僕を、確かにつないでくれたのだから。


 ふと、僕は携帯をとって慣れた番号に電話をかける。朝っぱらにも関わらず、相手は昨日と同じ元気な声を聞かせてくれる。

「一緒に金魚鉢を買いに行かない?」

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