第八章 講義
「本当に、お決まりになってようございました。このフィシスも、心底ほっといたしましたわ」
「さぞや可愛らしいお嫁様になられることでしょうね」
「ええ、ええ、もちろんですとも。腕によりをかけて、三国一の花嫁に仕立てて差し上げなくては」
王宮の一室で衣装選びが行われていた。
結婚が本決まりになったため、いよいよ具体的に様々な準備が急がれる。なんといっても一国の王女の婚礼である。婚礼衣装も一種類ではなく何着か必要だったし、同時に行われる守人就任の儀式用にも違う衣装が必要になる。また、嫁入りに持参する衣服の方も、あまりに子どもっぽいものは処分して、少し新妻らしいものも用意しておきたかった。
王室の衣装担当の部署から責任者が来て、数え切れないほどの衣装を広げていた。婚礼衣装の方は大体候補が決まり、今は持参する服選びの最中だ。
「新居にお戻りになった時の分も考えないといけませんわね」
今までパールの着用していた衣装をいくつか眺め、フィシスがため息をついた。もう少し新妻らしい、平たく言えば色気のあるものの方が好ましいと思えたのである。
長時間にわたるこの衣装選びに付き合わされて、いい加減お尻がムズムズし始めたパールは、この話を聞いてまだまだかかりそうだと肩を落とした。何十着ものドレスを脱いだり着たりしているうちに、もうどれがいつ着るどういう衣装だったかわからなくなってきていた。
着せ替えを楽しんでいる方はいいかもしれないが、着せ替え人形にされている身では疲労も感じてくる。それでも大きなため息をついたり、露骨に嫌な顔をしたりしないで我慢しているのは、成長したことの表れだろう。心の中はともかく、顔には出していない。
「今選んだものではいけないの?」
それでちっとも構わないパールはさすがにしびれを切らして言ってみた。
「そうは参りませんわ。何しろ、初夜のお衣装ですから」
「ショヤ?」
聞き慣れない言葉にパールは聞き返す。
「ええ、初めての夜ですもの。旦那様もきっと楽しみにしておられるはず。期待を裏切っては申し訳が立ちません。下手をすると私どもの手落ちと叱られます」
衣装係のサリアが答えたが、パールの問いの答えにはなっていない。まさか結婚間近の王女がその言葉からして知らないで言っているとは思ってもみないのだ。
パールの不思議そうな表情を捉えてフィシスをはっとした。
この場を取り繕わなければと、慌てて身を乗り出した。
「まあ、もうこんな時間。…サリアどの、姫さまはもう充分お疲れです。残りは明日と言うことにして、今日はお開きにしましょう。まだ目を通していない分は暇を見て検討しておきますから。こちらで預からせていただきたいと存じますが」
「これは失礼いたしました。気がつきませんで…。どうぞフィシスどのの仰せの通りに。私はこれで失礼仕ります」
少々意外には思っただろうが、筋は通っている。すんなりとサリアは辞して行った。
他の女官たちに衣装の片付けを命じると、フィシスはパールに休むよう促して、パールの部屋の方へと付き添って行った。
だが、本当に横になるよう進めたいわけではない。フィシスの心に浮かんだ疑問を今のうちに確かめておかなければならなかったのだ。
「フィシス…」
パールは言った。
「どうして違うの?なぜ、今までと同じのではいけないの?」
(やはり…)
フィシスは面を引き締める。
「姫さま…。お話ししなければなりません。少しお時間をいただけますか?お疲れですか?」
疲れてはいたが、話ぐらいできると、パールは首を振った。
二人は差し向かいに貝のクッションに腰を下ろした。
何から話そうとフィシスは頭を捻る。
「姫さま。姫さまは五日後には一平どのの奥様となられます。その事はご承知ですね?」
もちろんだ。長い間待ち望んでいた時がやっとくる。
「結婚するということは、姫さまのお考えになっているようなことだけではありません。姫さまの知らない、とても大事なことがあるのです」
「…?…」
「結婚は子を成すための一手段でもあります。失礼ですが、姫さまはお子様の作り方をご存知でいらっしゃいますか?」
パールは首を横に振ってから答える。
「でも、一平ちゃんが、お嫁さんになったら赤ちゃんができるようにしてくれるって言ったわ」
では、やはり詳しいことは知らないのだ。修練所でもいろいろなことを勉強しているはずなのに。周りの学友たちも年頃だろうに、そういう方面の話を王女にはできないのだろうかと、フィシスは歯痒い。
「姫さまは毎日一平どのとキスをされていらっしゃいますが、もっと違うキスをされたことはおありですか?あるいは、頬や唇以外の所にされたことは?」
パールにはすぐ思い出せた。項や喉元などにされたことを思い出して頬が紅潮する。
パールの様子を見て、フィシスは返事を聞くまでもないと理解する。
「おいやでしたか?それとも、心地よかったですか?」
「気持ちよかった…」
消入りそうな声でパールは答えていた。
「それなら大丈夫です。旦那様の言う通りに従っていれば、何も心配ありません」
わけのわからない不安がパールの胸に生まれていた。大丈夫だとか心配ないとか言われるのが不思議だった。フィシスがそう言うまで、パールは一平の妻となることに何の心配もしていなかったのに。なぜフィシスはこんなことを言い始めたのだろう。
フィシスがパールの不安を払拭してやりたくて言ったことも、パールには全然伝わらない。
「ショヤって何?初めての夜に何を期待するの?」
「ご結婚後初めて迎える夜のことを初夜と呼び習わします。そこでは大抵の場合、ご夫婦は初めて契を交わすのです」
「ちぎり?」
「互いを労り、心身ともに愛し合うのです。女は男に抱かれます。俗には寝るとも申します」
「なんだ、そんなこと」
パールはほっとした。彼女は一平にしょっちゅう抱かれていたし、大洋を旅していた時はいつだって一緒に寝ていた。愛し合うなど、改めてするほどのことでもない。日常茶飯事だ。
そう思っているのが言わなくてもわかったのだろう。フィシスは言う。
「いいえ、そうではありません。お子を成すには、ただ一緒に添い寝して抱き締めてもらえばいいわけではないのです。男の方の赤ん坊の種が、女の方の赤ん坊の元と結びつかなければ不可能なのですよ」
(赤ちゃんの種?赤ちゃんの元?)
「それはどこにあるの?」
「それぞれの身体の中にです。男の方にしかないものを通して女の方の入り口に送られます」
男にしかないものが何なのかくらいはパールにもわかった。
(でも、女の入り口って?そんなものどこにあるの?)
「成人しなければ赤ちゃんを産めないのはなぜだかわかりますか?」
「?」
「成人して初めて、その入り口ができるからなのですよ」
(成人して初めてできる?)
バールが幼魚の時にはなかったもの。成人してから得たもの。それは足と臍と乳首だ。乳首は赤ちゃんに乳をやるために必要だとわかる。では臍か?まさか、足?
「足の付け根に、それはあります。排泄するための割れ目の間に」
パールは思う。そんなことできるのかしら。ちゃんと見たことはないけど、キンタのを見る限り、あるのがわからないような小さな入り口に入るような大きさとは思えない。まして一平は身体自体がキンタよりでかい。
(それにどうやって?とても不自然な体勢になりはしないかしら?ぴったり身体をくっつけて抱き合わなければならないんじゃ?)
―そうか―と、パールは腑に落ちた。
「だから、抱かれる、と言うのね?」
口に出した言葉に脈絡はないが、何とかわかってくれたようである。
「でも…それじゃあ…痛いんじゃない?」
とても不安になった。成人への変態の時の裂けるような痛みを思い出した。
フィシスは優しく言い聞かせる。
「それは…、無理矢理されれば痛いに決まっています。でもご安心下さい。一平どのは、姫さまが苦しいことなどなさりたいはずがありません。そういう方だと、フィシスは信じておりますよ」
パールもそれはその通りだと思う。
「少しでもおいやだったら、素直にそう申し上げればよろしいのです。ちゃんと考えてくださいます。ずっとずっと、姫さまおひとりを思い続けて、浮いた噂ひとつなかった一平どのですもの。どんなに姫さまとひとつになれることを待ち望んでおられることでしょう。それを台無しにする一平どのではありませんわ」
(待ち望んでいる?一平ちゃんが?)
「一平ちゃんは…そうしたいの?」
「普通、男はそうですわ。女もですけれど…。姫さまだって、一平どのにキスされれば嬉しいでしょう?抱き締められればドキドキしますでしょう?」
―ドキドキ―
それはパールにとってのキーワードだった。
一平は言っていた。ドキドキするとあることをしたくなる。そしてそれをすると好きな女に赤ちゃんができると。彼はずっと前から知っていたのだ。
ドキドキするのは、男だけじゃないんだ。パールもドキドキしても、ちっともおかしくないんだと、かつての疑問に答えを見出した。
でも、そうだとすると…。自分もしたくなるのだろうか?
パールにはまだわからない。
でも、多分そうなのだろう。修錬所の女の子たちが言っていたではないか。
一平さまのキスってどんな感じ?もう何度も求められたんでしょう?結婚するまで許してあげないの?などなど…。
やっと彼女たちの匂わせていた意味をパールは理解した。
フィシスの言うことはわかった。自分は一平のする通りにしていればよいのだということも心に留めた。でも、なんとなくぴんとこなかった。
疲れた身体には難しすぎる講義だった。
その日も夕食後の団欒に一平はパールの元を訪れた。
昼間は衣装合わせで大変だったと聞いている。パールがいつもよりもぼんやりしていることが多いので、疲れているのだろうと一平は慮った。
フィシスの話の後少し横になったので、疲れは取れているはずだった。
しかし、頭の中の疲れは取れていない。思い出そうと思わなくても、幾度となくフィシスの言ったことが思い出される。当然の結果として一平を変に意識し、よそよそしくなる。
パールの様子がおかしいのを一平が気づかないわけがない。
(疲れているのかな?それとも…)
マリッジブルーではないだろうな⁉︎と思ってぎくりとした。
結婚を間近に控えた者が陥ると言う症候群のことを一平は地上でもここでも耳にしている。結婚によってがらりと今までの生活が変わってしまうこと、日本に於いては姓も変わり、仕事にも影響することで、わけもなく不安に駆られ、鬱状態になってしまうらしい。
あの天衣無縫なパールに限ってそんなことがあるはずはないのだが、恋愛に関しては自分に自信が持てぬ一平にとっては、自分に問題があるのではないかと冷や汗が出る。
「結婚するって…忙しいな…」
一平は言った。女性ほどではないが、男性の方にもそれなりの支度がある。一介の戦士に過ぎなかった一平には私物などはほとんどなかったのに、守人になることで一気に所有しなければならないものが増える。式の翌日からすぐ仕事があるため引き継ぎもしなくてはならない。この量がまた並大抵の量でない。体力のあるのが救いだった。
「こんなに大変だと思わなかったよ…」
「ん…」
パールは生返事だ。
「疲れているんなら…休めばいい。オレも帰るから」
パールを思いやって一平は申し出るが、帰ると言われて一平を帰すパールではない。
「大丈夫だよ。まだここにいてよ。来たばっかりじゃない」
反応はいつものものだが、目に輝きがない。
「やっぱり寝ろ。きれいな花嫁さんになれないと困るからな」
寝不足は美容の敵と言うわけだ。一平は半ば強引に部屋を引き払おうとした。
「待ってよ、一平ちゃん」
呼ばれて振り返るとパールが抱きついてくる。
「おやすみなさいしてない…」
パールが毎日の約束を忘れるわけがないのだ。
一平は静かに口づけて言った。
「おやすみ…」
「おやすみなさい」
これでは物足りない。まだ触れていたい。微笑むパールから目を離すことができない。
(もう少し…望んではだめか⁉︎せめてあと少し…おまえの唇をオレのものにしていたい…)
一平の目の色が切なそうな色に変わっていくのにパールは気がついた。
(…一平ちゃん…)
ドキンッ‼︎
パールの心臓が激しく脈打った。
と思ったら、パールは一平にひしと抱き締められていた。
(一平ちゃん…)
鼓動が早い。パールの耳は一平の胸に押し付けられていたが、いつもなら聞こえる彼の心臓の音がパールの耳に届いてこない。それよりも自分の心臓の音の方が大きいのだ。
一平はパールの唇に触れたかった。でも、もう一度触れてしまったら、きっとそれ以上のことをしてしまう。パールの唇を開かせて忍び込んでしまう。それはまだだめだ。できない。
一平はその欲望をパールを抱き締める力の方へと押しやった。けれど唇は言うことを利かない。髪に触れていることでどうにか思い止まった。
パールが苦しい中から息を継ぐ。微かな吐息が誘惑となって一平の視床下部を刺激する。一平はたまらずそばにあったパールの耳に触れた。耳朶を唇で挟み、甘く噛む。
一平の口から漏れた息がパールの耳をくすぐった。パールの首筋から全身に衝撃が走った。ぞくっと震えて、しかも快い。
「ん…」
声にならない声は強引に一平を誘惑する。我慢などできない。 愛しい娘が腕の中で身を任せているのに、なぜ堪えなければならない⁉︎
一平は、顎でパールの唇を探った。パールの方も求めてくる。出会った唇を押し包み、忍び込んだ。戸惑っているパールの舌がそこにある。一平は伸ばして捕まえようとする。パールが驚いて逃げるのをまた捕まえる。
パールの頬を涙が伝う。悲しいわけではない。嬉し涙とも違う。なぜだか溢れてきた。
一平がフィシスの言うように自分を求めていることが痛いほど感じ取れた。一平が愛しい。彼にうまく答えることができない自分の子どもっぽさが苛立たしい。
一平がパールの涙に気づいた。
(なぜ泣く?嫌だったのか?結婚するからといって、図々しかったか?)
「ごめん…」
思わず一平は謝っていた。口づけて、抱き締めて、泣かせたのだ。同じ行為でしか宥めることを知らぬ一平には、パールを泣き止ませることは不可能だと思えて、彼は逃げ出した。
(フィシスの言う通り…)
行かないで!と叫びたいのに叫べない。
一平の思いに応えるには、パールの方から求めればいいのだ。そんな簡単なことがなぜ今になってできないのだろうと、パールは不思議に思った。
こんなに胸がドキドキしているのに。こんなに身体中が一平を呼んでいるのに、なぜ、今になって…。
胸を締め付けられるような切なさを、パールは初めて味わっていた。




