第七章 試験と試儀
試験第一種、口頭試問。
夢に見た通りだった。
但し人数は十人ほどであり、その後候補者全員によるディスカッションがあった。
テーマは「隣接する諸外国と、それ以外の国に対する警護のあり方について」
一平は同じ隣接国でも同盟国と言われるジーと北端に接するガラリアやレレスクとは自ずと対し方が違う、というようなことにポイントをおいて力説した。最愛の人をガラリアやレレスクに拉致された経験があるからか、一平の弁には妙に説得力があった。
試験第二種、武術トーナメント。
中剣の勝ち抜き戦である。
大方の予想通り、これは一平とユリアンの一騎打ちとなった。
接戦の末、僅差で一平が勝利を治めたが、どの候補者も実力は伯仲していて、自分が勝つことよりもトリトニア軍の今後を頼もしく思う気持ちの方を強く感じてしまった。それだけ、剣を扱うことに関して一平が精通しているという証でもあった。
試験第三種、精神力判定。
精神のテストで心理攻撃が行われたのには驚いた。
まさかこうまで早く―一平にとっては、だが―守人の試験が行われることになろうとは思っていなかったから、試験の内容を細かく調べて対策を練る、などということまで手が回らなかった。知力、武力、精神力を計るという知識しかなかったのは迂闊に過ぎた。
夢に見たようなことが実際に行われたのは不思議としか言いようがない。海人は地上人と違って、精神、意思の力で実に様々なことができるということを、この何年かでかなりわかったつもりだったが、それでもまだこうして驚かされてしまう。
幻を見せるというのは精神感応―テレパシー―の為せる技なのだろうが、心が痛いという心持ちを故意に引き起こせる能力など、ざらに存在していては大変なことになってしまう。ごく一部の者に限られた力らしいのだと後で知り、胸を撫で下ろすことになるのだが、この時はとてもそんな余裕はありはしなかった。
生まれてからこれまでにあったことが次々と眼前に浮かび上がってくる。人が死ぬ間際に見ると言う一生分の景色が走り抜けていったかのようだった。
速度は走馬灯のように早いと言うのに、心の痛みはわざと増大させたかのように強く、しかもゆっくりじんわりと激しく突き刺さってくるのだった。
いい思い出は根こそぎどこかへ持っていかれてしまったかのように、辛い、苦しい思い出ばかりが強調される。
よく覚えていないほど昔の母の死。己が他人と違うことへの漠然とした不安。それを秘密にしなければならないという自戒は子どもの一平には少々重過ぎる荷物であった。それを支えてくれた父は、突然死ぬことで彼に寄る辺なさと大きな疑問を残していった。地上いては決して満たされぬであろう心の飢えと渇きを彼にもたらした。
解決の手立てを見出したものの、そこへ至る道は半端ではなく長かった。たかが三年。されど三年。密度の濃い流浪の日々は、一平に数々の苦難や苦境を強いた。苦しいことばかりではなかったが、試験は意図的に幸せな経験を割愛する。
何度も命を落としそうになり、痛みや悩みと戦った。自分の心を抑えるのに精力を費やしたことも数え切れない。
目的地に辿り着き、三年間の目標を達成したが故に新たに突き落とされた絶望の淵。自身で転がり落ちた無明の闇。欲しいと切望しているものを自ら手放そうという辛い決心をしたあの夜。そしてパールを自分のものにしたいという心の底の欲望を暴露し、一平を窮地に追い詰める女性の出現。
一平の言動を監視し、心の基盤を根底から覆そうと揺さぶりかけるニーナ。挙句の果ては我が身を賭してパールを救い、一平の心に一生消えない負い目を刻みつけて死んだ。
生き抜くために手にかけた数多の海獣や妖物の亡霊よりも、ニーナの御霊の方が一平には恐ろしい。
それら数々の攻撃を、被験者はたったひとりで撥ね返さなければならない。助けてくれるものとてない、ただひとりの空間で。
感応者は容赦がなかった。被験者者の経歴をある程度知ってはいても、その中の何が本人にとって苦しいことなのか判断するのは不可能なのに違いない。精神の波動の違いを捉え、そこを刺激して増長させることで被験者に苦痛を与えることができるのだ。どの程度苦しんでいるのかは傍目にはわからない。だから余計に手加減することができない。
たった一人の戦いの中で、頼みとなるものは己ひとり。武術も体術も知略さえも何の役にも立ちはしない。ただ己の心を鋼のように強くし、異を唱えるものを撥ね除ける。心を柔軟にし、己の非や弱さを認め、全てを受け入れるしかない。だが受け入れるだけではだめだ。人には器というものがある。器に入りきれないものを取捨選択し、切り捨てることができなければ。
それら心の作業を、この短い試験の間に一平は何百回となく繰り返した。その度心は悲鳴を上げた。
だが、目指す目標がある者は強い。やり遂げたいと思う心は何者にも代え難いほどその人を強くする。守りたいもの、愛するものがあればなおのこと。
試験の間一平を支えたのはパールへの思いだった。一平がパールのことを思い出しかけると、感応者は意地悪くその気持ちを遠ざけてしまう。
それでも繰り返し、パールの面影は一平の心の中で浮き沈みし、終いには世にも美しい姿で結実した。
そのパールを前にトリトン神が選択を迫る。
―神の怒りを鎮めるために、おまえとパールティアのどちらかが犠牲にならねばならぬとしたらどちらを選ぶ?―
(決まっている。パールを犠牲になどさせるものか)
一平にとっては愚問であった。かのムラーラの地で、とうの昔に一平はパールのため、自分の命を捨てていた。
―では、パールティアの家族三人の命とパールティアの純潔とではどちらが大事だ?自分のために愛する家族が死んだとなれば、パールティアはさぞ悲しむことだろうな―
(家族三人?陛下ご夫妻とキンタのことか⁉︎どちらもオレには大切なもの、比べることなどできるものか)
―それでも、選ばねばならないとしたら?―
(どちらも、守ってみせる。陛下たちの命の火も、パールの純粋無垢な笑顔も消させはしない)
―強い意思だな。
では、最後の質問だ。
青の剣の守人になれたとしてだ。おまえの守るべきものは格段に増える。パールティアやその家族ばかりではない。トリトニアの民三十万の命を守らなければならないのだ。その民が未曾有の危機に晒されたとする。おまえの大事なパールティアを見捨てなければその危機は回避されず、三十万の民全てが死に絶える。その状況におまえはどう対処する。三十万の命とパールティアひとりの命のどちらを選ぶのだ?―
トリトン神は意地が悪い。
そう思いながらも、一平は答えた。答えはひとつしかなかった。
消去法だ。
パールを死なせるわけにはいかない。死なせたくない。あの微笑みがこの世から消えてなくなることなど考えられない。
(パールだ。オレはパールを選ぶ。)
もうひとりの自分が言う。冷静になれと。今のおまえはただの禅問答をしているわけじゃない。他でもない、その三十万の民の命を守る役職に就くための試験に臨んでいるのだぞ。肝腎要のトリトニアの民を蔑ろにするような返答をしてどうする?そんな答えを出す者が青の剣の守人に相応しいわけがないではないか!
(それでも…それでもオレはパールを選ぶ。例え夢幻であっても、方便のための嘘であっても、パールを見捨てるような発言をすることはできない。それが唯一オレの真実だ。オレはパールなしでは…あいつがいなければ…オレの生きている意味はないに等しいのだから)
トリトン神はニヤリと笑った。
ニーナによく似た瞳がしてやったり、とほくそ笑んだように見え、ニーナによく似た唇が、それでこそパールが選んだ男だと、頷きかけたようにも見えた。
相反するイメージをひとつの顔に同時に浮かび上がらせたトリトン神は、一平にくるりと背を向けてある場所を差し示した。オパール色に光り輝くその場所がどういうところなのか、そこには何があるのか全く見て取ることはできない。光は次第に大きく明るくなり、そして唐突に、一平は現実に引き戻された。
薄暗い矩形の小部屋に彼は立っていた。そこは三つ目の試験が行われた小部屋であったが、試験官はいず、もぬけの殻だった。正面に黒く細長い穴がある。奈落へと通じていそうな闇の中心に、微かな光が点っていた。小さな光はちかちかと、一平を誘うように瞬きを繰り返す。その意味するところを察し、一平は足を踏み出した。
光について穴に入る。
暗闇に身体を投じると、それまで見えなかった出口と思しきアーチ型の光が目に飛び込んできた。彼はひたすらそこを目指して泳ぎ始めた。その行動を選択する根拠も理屈も持ち合わせていなかったが、なぜか導かれているという確信があった。
やがて辿り着いたアーチを抜けると静謐に包まれただだっ広い円形の間にまろび出た。
部屋の真ん中に噴水池のようなものがある。白く石化した珊瑚で囲まれた丸い池は、周囲の水とは性質を異にしているようで、青白い静かな湖面を水の中に描き出していた。
初めて見る神秘的な光景に目を奪われていると、池の中央が細かく泡立ち始め、中から細身の台が迫り上がってきた。括れと膨らみを何回も繰り返す燭台のような形をした台座の上に細長いものが突き立っている。
剣だ。中剣。精緻な彫り物が施されている。真っ青な鞘に収まった青の剣。
―抜け―
トリトン神と思しき声がした。
足を踏み出す。
池に足をつける。
冷たい。
ひんやりなどという生易しいものではない。氷水だ。海人の彼らには極海の海も耐えられぬものではないが、それよりももっと冷たい。と言うよりは痛い。
それでも、後戻りすることは禁忌と思われた。
ずい、と進む。
台座の足元は人が四人ぐらいは立てる広さがある。一平はそこに足をかけ、登った。
目の前に青の剣がそそり立っている。
どうしたものかと見上げると、剣は自ら降りてきた。まるで剣自体に生命があるかのように、一平の手の届く位置に柄を据えた。
覚えず一平は唾を飲み込んだ。ゴクリと喉が鳴る。剣を掴もうと伸ばした手が僅かに震える。脳裏を数々の噂が去来した。
―触っちゃいけないんだって―
―守人以外の人が触ると恐ろしいことが起こる―
―触った途端に、衝撃で意識を失ったそうだ―
―試儀に耐えられず、記憶障害を起こした者もいるとか―
―そもそも、守人に相応しくない奴は剣の元へも辿り着けないのさ―
(ではオレはまだ何とかなるということか?少なくとも青の剣は今オレの目の前にある)
だが、もしかしたら剣に拒否されて大事な記憶を失うかもしれないのだ。
一平にとって一番大事な記憶とは、パールを愛し、慕われたという事実であった。それをなくすようなことにでもなったら…。
一番避けたい事態を引き起こす可能性に一番近いところに、今自分はいるのだ。
一瞬の躊躇が一平を襲った。
だが、退くことはできない。後戻りはできない。
何のために今まで精進してきたのだ。
生涯で最大のチャンスを無にするなんて愚の骨頂だ。
だが…。
自分はあんな受け答えをしてしまった。やはり考えなし、向こう見ずで尊大な態度だっただろうか?
だが、譲れなかった。あの一点に関しては。
今更どうしようもないことだが、あれを覆しては自分はもう二度とパールの前に立てない。あの一途な眼差しに微笑みかけてもらう資格はなくなる。パールを守れないのなら守人になる意味は皆無なのだから。
―オレは、あいつのために生きる―
そう思ったら勇気が出た。
彼は左の手で、青の剣の鞘を掴み、右の手でその柄を掴んだ。
衝撃は何も起きなかった。
痛みも痺れも、熱さも冷たさも。
ただ暖かく穏やかな気が、掌を通して身体中に流れ込んできた。パールの癒しの歌を聴いている時の安らかな心持ちと相通ずるものがあった。ただ、青の剣の方がそれよりも少し清冽で潔い感じがする。癒しの力のじんわり感と比べると効き目が早い、というか重々しいいような…。底力を感じるのだ。
青の剣が自分の身体の一部となったかのような一体感が一平の全身を支配していた。
重さはほとんど感じない。青の剣が自分を受け入れてくれたという実感のみがある。あのオリハルコンの剣が『また会えたね』と言っているような、あの感覚に共通する何かが。
彼は友だったが青の剣は己だ。たった今から、己の一部となった。そういう気が、確かにする。
音もなく、一平は抜いた。青の剣を。
すらりとその刀身が露になる。
円やかな光がその刃全体を覆っていた。薄い赤や青や黄の色合いを疎らにきらめかせる白光。オパール色の光。
その光は一平にとってかなり馴染みの深い光になっていた。
パールが施術をする時に、オリハルコンの剣がその力を発揮する時に、そして、彼ら海人の防御網であるトリトンの壁が発生する時に現れる光。
―一平よ―
脳に直接声が響く。
―おぬしに預けよう。青の剣を。我が永遠のトリトニアを―
どこかで聞いた声だった。それもつい最近。
―忘れるな。愛する者を守りたいと思う心を。一番大事なものを放り出すような者には他の何をも守れない。守れるわけがない―
(あなたは…)
―一平よ。われに選ばれし、トリトンの子よ。われになりかわりトリトニアを守ってくれ―
(トリトン神⁉︎)
―己の信じる道を進め。愛する者と共に―
「試儀終了。宣旨は降りた」
別の声が室内に響く。壮年の落ち着いた男の声。
声の主を求めて振り返ると、神官の衣を身に付けた男が立っていた。
大神官のニウスであった。
そしてその周りに、いつの間にか何人もの人間が居並んでいる。オスカー王をはじめとする現守人の三人。トリトニアの神事を執り行う八人の神官たち。三つの試験と試儀が終了した証であった。
ニウスが続いて口を開く。
「第百七十三代目青の剣の守人はトリトニア軍の中将にして勇者一平と決定した。戦士一平、謹んでこれを受けるか?」
「はい」
「では守人一平。連れ合いとして望む女性がいるか?若しくは己一人で青の剣を守るか?」
「青の剣を共に守る伴侶として、この一平はオスカー陛下の一人娘パールティア王女をもらい受けたい」
試験と試儀の進行及び手順については事前にレクチャーされていた。青の剣に触れられたことに感動する暇もなく、次々と向けられる問いに、一平は思いの外冷静に対応していた。
ニウスは言う。
「しばし待て」
後ろに控える神官の一人に何事かを告げると、その神官は退出して行った。
パールを連れに行ったのだということはすぐにわかった。
守人の連れ合いになるべく青科の副科で修行を積んできた八人の女性たちは、別室でその資格を得るべく審査を受けていたはずだ。候補者の身を案じつつ。
合否の判定はもう出ているのだろうか。審査に合格していないと、その時点でもう望む二人で守人となることはできない。二人共に合格ラインに達していなければ、いくら愛し合っていても、トリトン神にお伺いを立てることすらできないのだ。
パールは真面目に一生懸命勉学に励んではいたが、先端恐怖症があるため苦手を克服できない科目があったので心配だ。パールがやってくるまでの時間がひどく長く感じられた。
それでも忍耐の時間は終わりを告げた。真っ白い神服に身を包んだパールが先程の神官に伴われて入室してきた。一平が守人に選ばれたことを聞いていないのか、聞いてはいてもこれから重要な試儀が行われると緊張しているのか、その面に笑みはなかった。
だが台座の麓で自分を待ち構える一平を認めると、パールは微かに微笑んだ。
迎えに行くことはできない。連れ合い候補も自身の足で青の剣の元まで行かなければならない。
冷水の池にパールが足を踏み入れる。その冷たさに怯み、痛さに顔を顰めながらも、パールは自力で進み続けた。
オパール色に輝く剣を手にしたまま、一平が左手を差し伸べる。
「おいで、パール」
至高の言葉が愛しい男性の口から紡ぎ出され、パールは勇気を振り絞った。その手を取り、引き上げられて、剣を持つもう一方の手に重ねた。
光が大きくなる。
二人を包み、優しく広がる。
人々の間からどよめきが起き、一同は知った。トリトン神が二人をお認めになったことを。




