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第五章 施術

  ミカエラを説得に行ったつもりが逆に励まされて帰ってきた一平は強硬手段に出ることにした。

 ミカエラが施術を受けに来ないと言うなら、こちらからパールを連れて行けばよいのだ。

 共に右宮に出向くことにパールに異論があろうはずもない。ただ、一平もパールも忙しく、共に行ける時間を捻出するのが難しかった。空いているのは夜ぐらいしか見つけられないのだ。

 夜にパールを連れ出すのは避けたいところだが、そうも言っていられない。乗り気のパールを抑えるのこそ難しい。オスカーに話をし、快諾を得た一平は、パールを伴って再び右宮のミカエラを訪れた。オスカーからの命令を胸に。



「これは…。まさか姫自ら訪ってくださるとは…」

 パールを引き会わせると、ミカエルは恐縮しながらも破顔した。

「おぬしも意外や頑固だな。そう簡単には考えを変えぬか」

 一平に対してはこう言った。

「他でもない尊師(せんせい)のお身体のことですから譲れません。副官としても、一弟子としても、ご案じ申し上げるのが筋かと心得ます」

 ミカエラは一平にとっては上司であり、恩師であり、先輩であり、かつ亡父の朋輩である。崇拝してやまぬ縁薄からぬ人に何かあってはならず、またその身に及ぶ危機を看過しては後々後悔の元となる。ここはどうしても、今大火のないうちになんとかしておきたかった。

 思い過ごし、取り越し苦労ならそれでよい。小心者と笑われてもかまわなかった。


「姫。あなたはもしかしたら大変な難物をご伴侶に選ばれたのかもしれませんぞ」

 面白そうにミカエラは言い、パールに微笑みかけた。

「私とてよくなりたくないわけではありません。そうお丈夫ではないのに人々に献身的に尽くされている姫にご負担をかけては申し訳ないと思えばこそ、ご辞退申し上げたのです。決して、姫の施術を拒絶したのではございません。おわかりくだされましょうや」

「もちろんですわ。ミカエラさま。一平ちゃんからご様子を聞いて私もそう思っておりました。でも、ミカエラさまはトリトニアにとっては大切なお身体。それをお守りすることで皆様のお役に立てるのならこんなに嬉しいことはありません。どうかこのパールにお身体を診させてくださいませね」

(おや…)


 パールの言を聞きながら、ミカエラは驚愕にも似た気持ちになる。幼い幼いと思っていた王女の変わりようを目の当たりにして、なるほど世間の噂も捨てたものではないなと思った。

 成人の式の際にお目にかかったきりだが、この成長ぶりはどうだろう。家族や一平の前ではこれほど畏まった物言いはしないのだろうが、外向きの顔を作れるということは大きな進歩であり、人の上に立つ素養が基盤として確立できたということである。これはますます、自分はお払い箱かな、と苦笑の境地になった。


「ありがたいことです。この際、徹底的にお願いしたいところですな」

 ミカエラがそのごつい顔を綻ばせて言うと、一平がとどめを刺すように口を開いた。

「初めから素直に受けると仰ればよろしいものを。尊師の方こそ頑固者ではありませぬか」

「おぬし、上官に向かってそれはないだろう」

「いいえ」一平はきっぱりと断じた。「陛下も呆れておいででした。首根っこを捕まえてでも悪いところを快癒させ、ついでに全身くまなく健康診断してやってこいと申しつかっています」

『大丈夫だと過信するのがあやつの欠点だ。そこを一番に治して欲しいものだな』とオスカーがこぼしていたのは胸に秘め、ミカエラがもうパールから逃れられないよう釘を刺した。


「はは…。おまけついでにリラクゼーションの方もお願いするかな⁉︎」 

 リラックスして気持ちよい眠りに就ける歌をも所望した。

「はい。喜んで」

 求められ、パールは優しく微笑んだ。

 その微笑みに、図らずも一平はどきっとする。

 自分に向けられたのではない。そのことでは複雑に思う。自分以外にもパールはこういう顔を見せるのだと知ることは、喜ばしい反面、悔しい気がする。


 ナシアスの言うように、この笑みにも多くの人間がころっと参ってしまっているのだろう。幸いにしてパールは一平以外の男性を恋愛対象として見ることができないようなので助かっているが、もし強引に迫られたら、彼女にそれを回避することができるだろうか。非力な上に心優しいパールは、相手を傷つけまいとして拒絶できないのではあるまいか。

 ナシアスにはああ言ったが、実際目にしてみるのと想像してみるのとは、感情面で天と地ほどの開きがあった。



 部屋を移り、貝の寝台に横になったミカエラに、パールは早くも施術を始めている。痛みがあると訴えていた足にまず手を翳し、中の様子を透視している。直接触れることはしない。目も閉じ、肉眼ではなく心の目で患者の身体の異変を探り当てる。

 左足の付け根に歯型が放物線を描いている。

 一平の足にも同じような傷跡がある。南太平洋で鮫に食らいつかれた時のものだ。ミカエラのものはそれよりもやや大きい。シャチによるものだと本人は言っていたが、とっくの昔に快癒している。だが、時折痛みが走ると言うのだ。

 パールはほどもなくその原因を見つけた。歯型の奥の方にシャチの歯の欠片が残っているのだ。鮫の歯は噛み付いても抜けやすくできているというが、シャチの歯も似たようなものなのだろう。


 一平の場合、足の皮膚に残された抜歯はパールが一つ一つ丁寧に抜き取ってくれた。当時ろくな治療も受けられず、ほとんど自然治癒と言ってよかったミカエラは、手当て不十分ゆえに歯が埋まっているのを見過ごされていたのだと思われた。

 これまで何の異常もなかったのは僥倖と言うべきだ。幸いにも生活に支障のない部位に潜り込んでいたらしい。年齢を重ねたからなのかどうか、その歯は現在ミカエラの足の神経を圧迫している。そのため、痛みが生じるのだ。

 パールはこれを取り除く。一心不乱に祈りを込めて、やや低めの声で読経のような歌を歌う。


 やがて、ミカエラの皮膚が少しずつ盛り上がる。

 シャチの歯と思しきものが少しずつ皮膚を食い破って顔を出す。

 一平もミカエラもまさかこんな光景に出会すとは思っていない。度肝を抜かれ、だが目はミカエラの太腿に釘付けだ。

「驚いたな…」

「まことに…」

 ミカエラに相槌を打ち、更に施術の様子を眺めていると、次にパールはミカエルの太腿の上に屈み込んだ。裂け目のできた皮膚から滲み出る血を己が舌で舐めとった。

 どきっとしたのはされたミカエラばかりではない。見ている一平の方こそ、その何十倍も心臓が跳ね上がった。


「ひ…姫…」

 柄にもなく、ミカエラは照れている。深い意味はなくとも、王女ともあろう者にさせていい行為ではない。そう考える以前に、妻でも恋人でもない女性がするのは異常事態だ。商売女ならともかく。

「…おやめくだされ。某が陛下に叱られまする」

「どうして?こうすると良くなるんだよ⁉︎一平ちゃんが鮫に噛まれた時もパールこうしてあげたの。その時はもっといっぱいあったけど」


 パールの言を聞いてミカエラは目を瞠き、思わず真っ赤になって立ち尽くす一平の顔を見上げた。

 狼狽しているのをミカエラに見られ、一平の頭にますます血が上る。当時一平は意識不明だったので実際の記憶はないが、回復後にパールから聞かされているので知らなかったわけではない。そういうことがあったと言うのは、言う人が言う人だけに疑う余地がなかった。むしろ想像を逞しくして、現実以上に胸をときめかせたものだ。


 他意のないパールと二人きりの時でさえそうだったのだから、第三者のいる前で暴露されてはもう身の置きどころがない。

 一平を面白そうに見遣り、ミカエラはニヤリと笑った。

「ずいぶんいい思いをしてたと見えるな、おい」

 役得だ、と言わんばかりである。

 顔が赤いのは自分でもわかる。否定しても無意味だ。

 結局返す言葉はなく、一平は俯くしかない。パールがこっちを向いていないのが唯一の救いだった。



 その後パールはミカエルの全身を診、どこにも異常のないことを二人に告げた。

「ミカエラさまはすこぶるご健康です。足ももう痛まないと思います。これから歌を歌うのでゆっくりお休み下さいな」

 それを機に一平も暇乞いを申し出た。

「ではオレはこれで。ひとまず下がらせていただきます。パールを連れ帰らなければなりませんから」

 患者に歌った歌で、施術者であるパールも眠ってしまうことがままあるからだ。近くにいて一緒に眠ってしまったら、そのまま右宮のミカエラの部屋に泊まることになってしまう。


「奥方さまにご報告申し上げて参ります。尊師にはまた明日伺候の折にお目にかかれますことを。

 本日はわがままを通させていただきありがとうございました。これで安心して眠れます。…あとの事は心配しなくていいぞ」

 パールにそう付け加え、一平はミカエラの部屋を後にした。



 しかしその時はまもなく訪れた。

 一平とパールがミカエラの元を訪れてから二週間後、大神官の元に唐突に託宣が下る。

「ええっ⁉︎」

 オスカーに呼び出された一平は思わず大声を上げた。

 不安材料は取り除いたつもりだった。あれ以来左足が痛むことがなくなったミカエラは元通り元気に執務をこなしている。

「そんなに驚くことはあるまい。いつかはその日がやってくるととうに心構えはできていたはずだろう」

「はい…。あ……いいえ…」

 へどもどする一平にオスカーは(どっちなんだ?)と、胡乱な目を向けた。


「何も心配には及びませんよ。きっと大丈夫ですとも。一平どのが守人に選ばれると確信している人がこれだけいるのですから」

 オスカーの傍らでシルヴィアも言い添える。国王夫妻を初めとして、その子どもたちもミカエラ夫妻も、一平を知る多くの人々がそう噂し合って久しい。ウート老だけは明言を避けているが、心の内では一平をおいてないと思っている。

「しかしながら王妃さま。決めるのはトリトン神です。いくら皆がそう望んでくれたとしても、聞き届けられるとは限りません」

 悪い方へと考える一平を宥めるかのようにシルヴィアは言う。

「トリトン神は決して皆の期待を裏切ったりしませんよ」

「期待…」


 そう、期待されているのだ。一平は。多くの人々から。

 朗報のはずの言葉を聞かされて素直に喜べないのはプレッシャーが大きいからだった。

 確かに一平の存在はこと青の剣の守人候補という点においては他を大きく圧していた。

 中将を務める一平は毎日練兵場に通い、部下たちの訓練の計画を立てたり実際に指導したりする立場にもある。部下の中には自分の歳を上回る者も少なくなく、むしろその方がぞ多いくらいだったが、彼らは喜んで彼を上官として迎え入れ、よく彼の言に従ってくれていた。


 若輩ゆえ威厳不足には苦慮しているが、若造が偉そうにふんぞり返っているのならともかく、ややもすれば初々しい少年のような笑顔を見せることもある指揮官は人生の先輩に可愛がられこそすれ、妬みや嫉みの対象となることはまずなかった。

 折々の訓練では自ら手本を見せ、部下の練習相手を買って出、あまつさえ自分の鍛錬も忘れない。気配りと親しみやすさと厳しさを合わせ持つ新しい上官に、熟練した壮年の兵士も若き新米兵士も惜しみない拍手とエールを送り、少しでも近づこうと己の精進に励むのが近頃のトリトニアの風潮であった。



 人望篤き若き指揮官の功績は多々あるが、その最たるものは先日のレレスクとの戦を勝利に導き、王女を無事奪還したことだろう。

 それ以前にも、まず行方不明だった王女を長旅の末にトリトニアに連れ帰ったこと。そして修練所でめきめき腕を上げ、驚異的な早さで出世中である。今年の武道会で三部門を制覇したことも一平の存在を世間に知らしめるに一役買った。その背景には数々の遠征による妖物退治の実績がある。妖物の大小、凶暴性の有無に拘らず、彼が加わるだけで効果は絶大なのだ。


 妖物退治に関しては一平の右に出るものはなく、ここへ来て初めて発現した自分の特技が地上の生活ではまるきり発揮できない類のものだったと知るのも不思議な気持ちだった。どんな妖物の弱点も、一平には大体予想できる。なおかつ外れたためしがない。誰に教わったわけでもないのに感じ取れるというのは天性のものなのだと言うことができるだろう。


 旅の途上は思ってもみなかったことだが、それがあったればこそ、経験の少ない身であの海を航海し抜くことができたのだ。顕現してはいなかったせよ。

 旅の途中で出会った怪物のことや、対した様々な敵のことも、いつの間にか人々の口に上るようになっていた。多少尾鰭がついて大袈裟な話になっていないこともなかったが、今現在の実力からしてみれば、本人以外は異論を挟む気は起こらないはずだ。おかげで彼は勇者の名をほしいままにしている。本人がそう望むと望まないとに拘らず。

 今や誰の目から見ても、一平は次代の青の剣の人に最も相応しい人物に成り上がっていた。

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