第二十二章 ガラリア城
「トリトニアの青の剣の守人一平を名乗る者が面会を申し込んできておりますが」
ガラリア城の奥深く、城の主の元へ、その宰相が伺いを立てていた。
「何?トリトニアの守人が?」
「はい。突然で申し訳ないが、大至急陛下にお目にかかりたいと申しております」
「ずいぶんと早いではないか」
まるで一平がやってくるのを見越していたかのような口振りである。
「御意。どんなに急いでもテトラーダからは五日はかかりましょうものを」
「証拠は何も残さなんだろうな?」
「それはもう。テトラーダの姫には目撃されましたが、実行犯は下級魔道士です。よもや面は割れていないはず。また、我らの仕業と気がついても証拠がなければ糾弾もできません。三人には身を隠す意味も含めて新たな指令を出してあります。とうに国内にはおりませんゆえ」
「まあ、来たら来たで料理のしようもあるしな…よかろう。会おう」
「よろしいので?」
「まあよい。一応奴らを控えさせておけ」
「承知いたしました」
ガラリア城内は薄暗かった。
海の中の深度はトリトニアとそう変わらないはずだが、妙に小昏く感じられた。
そもそも海の底まで届く光の量は地上の光の比ではない。それでも光を増幅して明るく感じられるのが海人たちの体質であり、波覚という感覚も備えて視力を補っている。
通常、その力をフルに発揮して日々過ごしているはずなのに暗く感じるのは、建物の造りや装飾物のせいだ。トリトニアは必要以上に手を入れないが、ガラリアはそれ以上に頓着しないらしい。壁面も天井も床も、やたらゴツゴツざらざらとして荒削りのままだ。
逆に、南太平洋のムラーラでは磨き抜かれた岩材が光を放っていた。カラフルな生き物が多いのと相まって、華やかで賑やかな国だった。それがなおさら明るさを感じさせたものだ。
ガラリア城のざらざらの壁はごく小さな影を至るところに作り、明度の低い世界を作り出していた。装飾品はないわけではないが、ゴテゴテとしていない代わりに奇妙奇天烈な形のものが多かった。おそらく信仰されているガラ神とやらを象ったものなのだろう。地上で言うなら悪魔や死神を思い起こさせるような奇妙な姿形のものが等間隔に配されている。このことは呪いのしるしであったが、一平には与り知らぬことであった。
通された部屋には多くの人間はいなかった。
案内の従者が二人、重々しい仕草で何か呪文を唱え、岩の扉を開けると、正面に黒塗りの椅子―いや、岩自体が黒い溶岩でできたものだ―に腰掛けた男の姿があった。このガラリアの国主、ガラティスである。年頃はミカエラとそう変わらないはずだが、それよりはずっと老けて見える。お世辞にも中肉中背とは言えないでっぷりとした肢体が妙に脂ぎってつやつやと、そして赤く見えるのが不似合いだった。
その傍らには二人の男が控えている。向かって左にいるのが宰相のタボステで、右にいるのが魔術省長官のドメスである。室内に入ってすぐの両脇に一人ずつの衛兵がいる。それきりだ。
一平は深く一礼した。
正面から声がかかる。
「近うこれへ」
一平は進み出、跪いた。
「お初にお目にかかります。トリトニアで青の剣の守人を拝命しております一平と申します。ガラリア王にはご機嫌うるわしく、ご健勝のご様子、何よりです」
一平が型通り丁寧に名乗るのをガラティスは興味深そうに聞いていた。
「いやいや、遠路はるばるようこそお越しになられた。お噂は窺っておりますぞ。潮の噂はもちろん、うちの長官からも」
長官というのはテトラーダに来ていた例の魔術省長官のことだろう。ガラティスの左隣に見覚えのある顔が立っている。
「なるほど、噂通りのご多聞に違わぬ体格に女がのぼせ上がりそうな容貌。よい男ぶりじゃ」
「恐れ入ります。予告もなしの突然の訪問にもかかわらず、快く受け入れてくださいましたこと、感謝に堪えません。このような時刻にお訪ねしたのにも拘らず拝謁をお許しいただき、恐悦至極にございます。当方にとりましては火急の要件なれば、敢えてご無礼を申し出ました。お許しを」
「はてさて。一体何をそのようにお急ぎになっておられるのかな。聞けば、そこもともテトラーダのお客人のひとりだったとか。どのような魔法を使ってここまで飛んでこられたのか。驚きましたぞ」
「生憎と魔法や魔術は嗜みませんが、煎じ詰めれば方法は色々とあるものです」
「して、その用件とは?お聞かせ願えましょうな?」
「ぜひとも。…しかしその前に聞いていただきたいことがございます。某は確かにトリトン神とオスカー陛下より守人の任を賜っておりますが、本日はトリトニアの守人として伺ったわけではございません。一個人として、お願いとご相談にあがりました。そのことお含みおきの上で聞いていただきたく、お願い申し上げます」
「トリトニアの守人ではないと?」
「はい。この行動、オスカー陛下に許可を得たものではありません。現在ある身分を偽っての訪問は却って失礼に当たります故肩書きを申し述べましたが、其は今現在トリトニア軍の総長として動いてはおりません。あくまで一個人、プライベートの範囲内での言動でございます」
「ふむ。…かような時刻の前触れなき訪問、そういうこともあろうかの」
「ご理解していただき恐縮です」
「逆に言えば、身分を利用しての面会。このガラティスを謀ったと言うことにもなろうが。なんと申し開く?」
「返す言葉もございません。その通りとしか」
「ふむ。言い訳はせぬか。その潔さに免じて咎めぬが。して?」
「はい。某が何を申し上げようとわが陛下とトリトニアは関与しないところにございます。そのこととくとご承知おきください」
「あいわかった。話されい」
「は……」
―戦が始まる―
その思いが全身の筋肉を緊張させる。
国同士の戦いではない。一平の命を賭けた自分の戦いだ。
「実は…」意を決し、一平は口を開いた。「陛下もご存知の通り、某は二日前までテトラーダに滞在しておりました。エメロード皇女の誕生祝いの会に出席させていただいておりましたのです。…と申しましても、某は勅使である妻の付き添いであり、護衛でございましたので、守人としては非公式の訪問でした」
「それは存ぜぬことであったな。トリトニアからは青の剣の守人夫妻が参加していたと専らの噂」
「いちいち説明するのもあまり意味のないことですので、こちらも必要以上には触れませんでした。隠すつもりはございませんでしたが、妻も元々あまり丈夫ではない上、現在縁あって子を宿しております。どうしても無理は効かぬ身体、外交の矢面に立つにも限りがあります。その辺を某が補っておりましたので強ち間違いではないのではないかと」
「ふむ…」
「テトローダでは、懇意にしていただいている姫に大変よくしていただき、その日も特別なお計らいの下、朝早くからピピアナリウム神殿を参拝しておりました。今から二日前のことでございます。
妻は生まれてくる子の幸せを願い、とても喜んで神殿の中に入って行きました。エメロード皇女と連れ立って。
ところが、男子禁制のはずのピピアナリウムに男が三人入り込み、我が妻を拉致したのでございます。エメロード皇女の証言からそれは確かです。皇女自身も賊に襲われ、当初は正気を保つのがやっとと言う有様でした」
「それは…さぞや肝を潰したことであろうな」
「それはもう…」
平然と素知らぬ体を装っているのが却ってわざとらしかった。一国の王女が攫われたのは一大事。他国のこととは言え、客人の手前もっと驚いてもいい。
「こんな所に来ていてよいのかね?奥方を探さねば…」
「御意。そのために参りました」
―言ってしまった。ついに―
ガラリアが怪しいと言っているようなものだ。
「聞き捨てならぬな。テトラーダ国内を探すのが、まずすべきことではないのか」
案の定、ガラティスは不愉快を面に顕わした。
「賊は既にテトラーダにはおりません」
「なぜわかる?そのように早くくまなく探せるものか?」
「遺憾ながら。全ての状況を照らし合わせ、犯人はここガラリアに潜伏していると結論いたしました」
「何故以て?説明してもらおう」
こうまで単刀直入に切り出されるとは思っていなかったガラティスは、僅かな怒りを滲ませた声でしかつめらしく訊いた。
「完璧なる証拠はございません。残念ながら。しかし、状況は全てここガラリアを示しております。
ひとつには賊の人相風体です。明らかに南国テトラーダのものではありませんでした。北方に多い鷲鼻、濃い髪の色で、その髪型も服装も特徴的なものでした。魔術を嗜む者の一般的な黒の法衣に没薬の匂い。法衣にはガラリア魔術省の徽章が留められていたとか。それらから、某がガラリアに妻の行方を求めるのは見当違いなことでしょうか」
「確かに。魔術は我がガラリアの専売特許だが、法衣や徽章など、不法な手段で手に入れることができないわけではない。ましてや髪の色だの髪型だのは誰にでも真似できることだ。他の国の輩がガラリアに罪を擦り付けようとしているとは考えなかったのかね?」
「髪の色が誰にでも変えられると言うのは存じ上げませんでしたが、某には心当たりがございました」
一般的に目の色や肌の色などを変えることはできない。海の中では染色も難しく、地上のような整形技術も発達していない。他人を装うのはかなり難しく、影武者を作るのはひどく手間と時間がかかる。パールの影のニーナとて、目と髪の色以外はほとんど似通ったところがなかった。どうやらガラリアでは髪の色を変え術が日常的に行われているようだ。となると、顔や体格も変えることができるのかもしれない。
その割には隠れてするべきことを本来の姿で行ったと言うのは頷けないが。その他の国にはそもそもそうした手段がない。やはりガラリアの仕業と見るのが妥当だろう。
『心当たり』なるものを、今ここで持ち出すべきかどうか、一平は迷った。
が、先延ばしにしていても始まらない。向こうはあくまでしらを切り通すつもりらしい。突きつける証拠がない現在、パールのところへ行く道筋はあまりにも狭き門である。
―虎穴に入らずんば虎児を得ず―
ポセイドニアでの諺を思い出し、一平は口を開いた。
「賊は妻ひとりを狙っておりました。同行していたエメロード皇女のことは、目撃されているのに捨て置きましたゆえ、おそらく指令は妻を連れ帰ることのみに限られていたのでしょう」
「パールティア王女は先だっても攫われたと聞く。またレレスクではないのかね?または同じように癒しの力を必要とするどこぞの国か…。幸いわが国は魔術で病を治せる故、必要ないが。その点から言えば一番怪しくないのがわがガラリアであろう。
どうしてもと言い張るのなら、国内を探す許可くらいは与えようか。中には訳のわからんことを考える奴もいないではなし。おかしな輩は捕まえてもらえばこちらも助かるしな」
「いえら陛下」一平は応えた。「某が捜索を許可されたいのはこの王城です」
沈黙が流れた。
重い沈黙が―
「今一度言ってもらおうか。よおく熟考した上でな」
有無をも言わさぬ口調がガラティスの口から紡ぎ出された。
一平は『王城を捜索したい』と言ったのだ。
城を管理し全ての責任を担っているのはガラリア王その人である。面と向かって王に責任を問うたのだ。この王城の中に犯人がいると。それを突き止める許可をくれ、あるいは潔白を証明して見せろと、道を求め、義を糺している。単純に言うなら王を非難しているのだ。管理不行き届き、あるいは王そのものの素行不良を問い詰めている。
二度とは言わさぬ、との思いを込め、ガラティスは一平を睨みつけていた。前言撤回すればよし、さもなくば他国の重鎮とは言え処遇は保証しない。言外にそう匂わせている。
が、そんなことで怯むような一平ではなかった。
「王城内に犯人はいる。オレにはわかっている」
彼は断じた。
「……」
一平が次に何を言うのか、探るような視線を飛ばしてくるが、王は一言もない。
今までの遜った口調ががらりと一変し、相手の下には立たない姿勢が顔を出している。そのことに脅威と幾分かの畏怖を感じていた。
「ガラリア王ガラティス。オレのこの判断が間違っていたとしたら、おまえにこの首をやろう。だがオレは確信している。パールはここにいる。おまえが攫わせた。
なぜだ?あいつに一体何の用がある?」
無言を返すガラティスに一平は続けた。
「おまえは二年前にもパールに手を出した。調べはついている。今まで訴訟を起こさなかったのは、我が陛下の分別と温情あってのことだ。オレ一人ならば、とっくの昔におまえの首級を挙げていた」
それだけの殺意を抱いたことがあるのだと、ガラティスに告げたわけである。
「だが、わからぬ。なぜだ?おまえも言っていたな。ガラリアには癒しの力など必要ないと。ならばパールの何を狙う?それとも単なる人質か?トリトニアに対する。それならば声明を出せ。正式に陛下に言ってこい。戦だろうが取り引きだろうが受けて立ってやる」
それならば国としても対応のしようがある。だが現状のままではだめだ。だから彼はひとりでここに来た。
「再三言うがパールは妊娠している。トリトニアにとっても大切な子を宿している。大事な身体なのだ。手荒に扱ってもらっては困る」
断固とした態度を崩さず申し入れる一平にガラティスはようやく口を開いた。
「手荒になどせぬさ。これ以上ないほど優しくして差し上げた」
その様を思い出すかのように、にやけた笑みがガラティスの面に上った。
一平の柳眉が立つ。
ガラティスの言ったことが頭の中をぐるぐる回る。にやけた笑みから何が行われたのかが想像できる。ガンガン唸りを上げる頭を無理矢理押さえつけながら、一平は声を絞り出す。
「…認めたな。…パールはどこにいる?」
知らぬ存ぜぬの態度をやめて開き直ったガラティスはむしろ嬉しそうだった。妻を寝取られた男を愚弄する楽しみを見出したかのように。居住まいを崩す余裕さえ見せてガラティスは言った。
「二年前にはてんでお子様で抱く気も起こらんかったが、さすが人妻ともなれば違うものよの。わが愛妾どもに比べれば貧弱だがそれなりに形がよく色白で美しい。そしてよくよく優しい娘じゃ。わしが恋焦がれていたと申すと無碍にできないのだな。激しくは拒絶してこないのだよ。まあ、わしの技術が素晴らしいせいもあろうが…」
戯言を言い出したガラティスを一平はただ黙って睨め付けていた。姫の勘所がどこでどうするとどう反応しただのとえげつない話に及ぶあたって、一平は耳を塞いだ。
(パール…)
やはりここにいたのだ。こいつに攫われたのだ。
そして、いいようにされた…。
(すまん。パール…。オレは間に合わなかったのか?どうしている?大丈夫か?どこにいる?オレはすぐ近くまで来ているぞ…)
心の内でいくら呼びかけても反応のあるはずもなかった。
「いやいや…こんなことはご夫君にお教えするまでもなかったな。それよりも先にすべきことがあった」
「何?」
思わず問い返すと同時に、一平は左右をとられていた。
入り口の際に控えていた衛兵がいつの間にか彼の両脇で二の腕を抱え込んでいる。
(しまった…)
これと言って、ガラティスが何か命じた形跡はない。初めからそのつもりだったのだと、一平は悟った。
「剣をお預かりしますぞ。一平どの」
ドメス長官が改める。何やら手に印を結びながらそばへ来た。
携行していたのは大剣だ。いつものように背に佩いていた。背に帯びた剣が中剣でないのを見極めると、慎重に剣帯から剣を引き抜いた。
「…重うござりますな。これを終始平然と身に付けておられるとは、さすがトリトニアで武の頂点に立つお方」
そんなことを囁き、何やら呪文を呟いて持ち去った。どうやら軽く感じるようにする術があるらしい。
「大剣か。青の剣ではないのだな」
手元へ来た剣を見下ろし、ガラティスも言う。
「おぬしは青の剣の守人ではなかったのか。なぜ青の剣を所持したいない?」
「答える必要はない。オレはまだおまえからの返事をもらっていないからな」
「そのような状態で、よく大口を叩けるものだ」
嘯く一平にガラティスは舌打ちして唇を歪めた。
「パールはどこにいる?」
「ここにいると断言したのはそちらであろう。どこなりと探すがよかろうさ。探せるものならな」
ガラティスは言い捨て、顎をしゃくった。
ガラティスの無言の指示に二人の衛兵が動いた。一平の両脇をしっかりと掴み直し、方向転換を促す。
二人の衛兵は一平よりも小柄だったが、こつを心得ている。大して力は入れていないように見えるのに、上半身の自由は効かなかった。といっても、一平には抵抗する気はあまりなかった。ここで暴れてもあまり意味はない。閉じ込められるのが早いか遅いかの違いだ。衛兵たちはさして労苦もなく客人を虜囚とすることができたのである。
「大事なお客人だ。粗相のないようしっかり見張れよ」
どこまで言葉通りの意味なのか。取り敢えずすぐ殺されるようなことにはならなさそうだ。これで必要な時間が稼げると、ある意味予定通りの成り行きに勝算を見出した一平だった。
「こちらの部屋をご自由にお使いください」
衛兵に示された部屋は牢獄ではなかった。
ガラリア城に足を踏み入れた時から感じていた、小昏い、何か得体の知れないものが棲みついているような雰囲気は相変わらず感じられたが、一応は調度も整って整頓され、何不自由なく過ごせそうな様を呈していた。
「御用があればお声をお掛けください。こちらの室内であれば、すぐに聞き取って参上することができますので」
どういう仕組みか知らないが、盗聴装置か監視カメラのようなものが仕掛けられているのだろう。いつ何をどう企もうとあちらには筒抜けと言うわけだ。
一平は室内をぐるりと見回して造りを頭に収めると、部屋の中央にある寝台にどかりと横になった。ジタバタしても始まらない。収穫はあった。パールがここにいることがはっきりし、ナシアスらが踏み込む口実が正当化された。これでオスカーの許可も下り、ガラリアを堂々と叩くことができる。
二日の強行軍で身体は結構疲れている。今後のために、ここらで少し休養を取っておいた方が得策でもあった。ただひとつ、パールの境遇が気掛かりではあったが…。
ガラティスはにやけきっていた。優越感と哀れみめいたものをも、その面に上らせていた。危惧していたことが行われてしまったことはほぼ確実だ。ガラティスほどの体格でなくとも、襲われればパールには為す術がない。それほどに彼女は脆弱であった。
(パール…)
どうしているだろう?
この上なく優しくしてやったとガラティスはほざいていたが、無理矢理の暴行には他ならず、身体だけでなく心までも傷つけられてしまっているのに相違ない。
(なぜそんな真似ができるんだ…)
どんなに欲しても、準備のできていないパールに手を出すことができなかった一平には、ガラティスの精神が理解できない。しかもおそらくガラティスはパールのことを恋愛対象としては見ていない。下手をすると女性としてどころか人間としても扱っていないかもしれなかった。ただ、自分の欲望を満足させるためだけの道具。虫けらにも劣る。
泣き叫んで嫌がるパールの声が聞こえるような気がした。与えられる苦痛に歯を食いしばって耐え、啜り泣く姿を想像して、一平は思わず起き上がる。額からも首筋からも、背中も腋も掌からも、冷たい汗が滲み出して肌を伝った。
目頭を拳に叩きつける。噛み締める唇から血が滲み出していたが、痛みは感じなかった。
(くそっ…)
一平にとっては一番起こってほしくない事態であった。強姦されたからといって、パールへの愛情が薄れると言うことはなかったが、いや、むしろ余計に労り、守ってやりたいと言う思いを強めたが、悔しさは拭えない。自分の元から奪われた苦しみ、そして後悔が募る。しかもレレスクの時とは違い、自分はすぐそばにいたのだ。状況を信頼できるものと判断したのは間違いだった。明らかに自分のミスだ。迂闊だったとの思いは免れず、不覚をとったと己を責め続けている。
パールを救い出す算段を考えなくてはいけないのに、くよくよと己を責め、悔しさに悶々としてしまう。時間を与えられた今、怒りと焦りだけで突き動かされていた時よりも、明らかに冷静さを欠いていた。想像だけが再現なく膨らむ。考えたくないのに思考がそちらへ向かってしまう。以前から快く思っていなかったガラティスと対面を果たしたことで、さらに憎しみの心は助長された。
あれこれ考えるうち、ふと一平は思い至る。それにしても、なぜ『パールに』そんなことをしたのだろうか。
後宮にたくさんの妾を従えているガラティスならば、女に不自由はしていないはず。よりどりみどりであり、不足なら国内で調達する術も整っていると聞く。
それにパールの評判は音に聞こえた美人と言う具合には広まっていない。あくまで癒しの力を備えたトリトニアの王女、幼稚な可愛らしい珊瑚色の髪の姫という意味の『癒しの姫』『童女姫』『珊瑚姫』などが通り名だ。色好みで有名なガラティスが興味を持つには力不足に思われる。
かといって、癒しの力を必要とされたようでもない。トリトニアに対する嫌がらせととるにはあまりに考えなしな行動だ。
ひょっとして、少し変わったタイプの女性を試したくなったのか?世の中にはロリータ趣味の男も少なくないと言う。他ならぬ一平もそのひとりなのではと疑いの目を向けられることもあるが、本人は至って真面目にパールひとりを一人前の女性として扱い、愛している。ロリータとの自覚は一平にはなく、ガラティスが変態プレイ目的でパールを手に入れたのかと思いついたのである。
だがそれもあまりに乱暴すぎる。ガラティスがそういう気を起こしたとしても、何もわざわざ他国の姫を攫ってまですることではない。ガラティスとて一応は一国一城の主だ。そこまで常識外れではないだろう。
ではなぜ?
何か、他に理由があるはずだ。それなりの理由が。
したことは許せないが、そこへ至る何かが必ずある。
一平の知らない何かが。
それを突き止めなくてはならない。
それを知らずにパールだけを取り戻しても、またいつか同じことが起こる。
パールの居場所とガラティスの狙いを突き止めること。
一平はこのふたつを自らの任務として記憶を辿り始めた。
ガラティスがパールに手を出したのは、これが二度目だ。
一度目は策を弄してパールを呼び寄せ、今回は他国までわざわざ攫いに来た。
そこまでする必要があるのか?
いや、必要があるからこそ、二度もパールはガラティスに捕まったのだ。
囮に使われたサクサ老人は本当に病人だったが、そこで因縁のあったシェリトリに出会ったのは偶然ではないだろう。
ペニーノ邸にガラリア王が来ていたと言うのも、いかにも怪しい話である。
一服盛られて罪を擦りつけられたのも、裸に剥かれて何やら調べられたのも、前もって計画されたことだったのに違いない。
パールは何と言ったのだったか…。
―パール酔っ払って、ガラリアの王様に噛み付いちゃったみたいなの―
(パールが人を噛む?ありえない話だ。)
―もう用はないって、追い返されたの―
(用?用ってなんだ?)
―パールのどこにも徴がないからいらないんだって―
(徴?徴だと?)
―徴生まれ出で、秘宝によりて、人々を遍く癒さんとす―
ザザの言葉が蘇った。
(まさか⁉︎…)
己の思いつきに一平は顎が外れるほど仰天し、目の前に暗雲の垂れ込めるのを感じていた。
(トリトニアの伝説 第七部 守人讃歌 完)
拙い作品を読んでいただきありがとうございました。
「守人讃歌」は、海洋ファンタジー「トリトニアの伝説」の第七部です。
一平くんもやっと思いを遂げることができました。
「お嫁さん」になったパールもめでたく懐妊し、幸せいっぱいの二人ですが、イチャイチャばかりもしていられない状況になってしまいました。
一平はどうやって苦境を乗り越えるのでしょうか。
第八部をお待ちください。
第八部は「天使の鎮魂歌」最終シーズンです。
少し外伝を挟もうと思っています。




