第二十一章 背反
テトラーダのラムス四世より得た点繋道と騎イルカを乗り継いで、一平はガラリア国内に到達していた。
パールが連れ去られたと思しきガラリア城は、トリトニアの国境からそう遠くない所にある。北国ゆえ、少しでも暖かい地域に居を構えるのは権力者でなくとも望むところだろう。
ここまでの道すがら、トリリトンとはエルシーで連絡を取り合ってきた。事態はかなり難しい状況にあった。確実なのは、王女が何者かに誘拐されたという事実だけで、それがガラリアのしたことであるか否かは明白ではないのだ。あくまで同行していたエメロードの証言を元にした推測に過ぎない。レレスクに攫われた時のような声明はどこからも発されていない。限りなく真実に近いとしても、憶測だけで軍を動かすのはあまりにも危険すぎ、非道の部類に入ることでもあった。
トリトニアにおける軍隊は警察の役割を担っていることから考えても、行方不明者の捜索程度のことしかできないのだ。隠密捜査と公開捜査のどちらを選択するかも大きな問題であった。
公けにすれば、ガラリアに面と向かって疑いの目を向けることになる。万が一関係がなかった場合、そのことが両国間のしこりになりかねない。それでなくともトリトニアとガラリアは、隣同士でありながらよい関係にあるとは言えない状態なのだ。
また、隠密に動くのなら一平の役割ではない。彼は今国の顔であり、トリトニアのトップにいる重要人物なのだ。代替わりしたばかりであり、注目の人でもある彼は隠密行動に向かないことこの上ない。
それでも、今一番迅速に対応することができるのは一平であった。己の裁量で十日かかるところを二日にまで縮めた行動力は賞賛するに値する。
ガラリアに近いトリーニの物見処にも連絡をつけ、指示を飛ばし、万が一のための布陣を敷いた。
そこまでの許可はオスカーから簡単に下りた。
が、肝腎のガラリアへの乗り込みには待ったがかけられる。
道中、一平はしつこいくらい何度もオスカーに進言した。娘婿からの再三の申し入れにうんと言えないオスカーにも辛いものがあったが、それを思いやる余裕は今の一平にはなかった。父親としてのオスカーの愛情すら疑わしく思えたほどだ。
点繋道と騎イルカを利用してとは言え、日に夜を継いでほとんど飲まず食わず眠らずである。訓練は積んでおり、一日二日はどうと言うこともないが、少しずつでも疲労は確実に溜まり、判断力は鈍ってくる。心配のあまり胃痛すら起きる。物事を先に進めることができないイライラを解消する術がない。
ガラリア城を前にして、一平の緊張の糸は切れた。
単独行動を憂え、止める者は誰もいない。
急を聞いて駆けつけているはずのナシアスを待たずして、一平はガラリア城突入を決めた。
彼には確信があった。
パールはここにいる。
ガラリア城を前にして湧いてきた引きつけられる思い…。パールの匂いがするわけでも、彼女のオーラが見えるわけでもなかったが、彼の中の何かが告げていた。直感と言うものだろうか。自分に背中を押され、彼は足を踏み出した。
(陛下。ご命令に背き申し訳ありません。処罰は如何ようにもお受けします。このことで守人を解任されることになろうとも、今は譲れない。オレはパールを守るためだけにここにいる。海に、トリトニアに…。そしてあいつのそばに)
パールがどんな目に遭っているか、考えれば考えるほどじっとしてはいられない。手の届く位置にいるのに。
オレの肩書きが障害になると言うなら今すぐ全て捨てよう。オレはひとりの男として、パールを愛する一個の人間として、あいつを取り戻しに行く。それだけが今のオレの真実だ。オレはそうしたい。トリトン神よ、オレは間違っているか?己の立場を弁えず、役割を果たそうとせず、これは勝手極まりない行動か?
だが、手遅れになってからでは遅いのだ。命はひとつしかない。あいつの心は薄いガラスに包まれた綿菓子のようなものだ。脆く、儚い。少しの傷が致命傷になる。
(オレはあいつのようには他者を癒せない。だから、傷つけられる前に救い出したい)
そう思い、実行するのは間違っているのだろうか。
いや、それでもいい。
このことで、世界中の非難を浴びることになっても、バールを救えさえすればそれで。オレはそのために生きているのだから。
借りてきた二頭の騎イルカに待っているように言い含め、一平はガラリア城に向かって歩を踏み出した。
と、振りきった最初のひと掻きをぐっと後ろに引っ張る者がいる。
なんだ、と振り向くと、そこには息を切らした友の姿があった。
「ナシアス…」
呆然とする一平に、親友は半分歪めた顔で項垂れた姿勢のまま斜めに彼を見上げていた。
「待てよ…全く…おまえは…」
「ずいぶん、早かったんだな…」
むしろ冷静に、淡々と一平は言った。
間に合うとは思っていなかった。一平は出発したくてうずうずしていたのだ。
「点繋道を所有しているのはテトラーダやトリトニアだけじゃないんだぜ…はあっ…」
激しく息を切らせながらナシアスは言った。
トリトニア所有のものに加え、ジー所有の点繋道をうまく繋ぎ合わせたのだと、一平は合点した。ジー出身のナシアスだからこそできる芸当だった。
詳しい説明には及ばず、ナシアスは本題に入る。
「ひとりで乗り込む気かよ⁉︎今から⁉︎」
「ああ」
「ふざけんな!陛下からは、止められてるはずだろう!」
一平が単独で乗り込むかもしれないという予想をオスカーは既に立てていた。だからこそ、急ぎナシアスを送った。トリトニアの点繋道を迷わず伝授して。何としても一平を止めろとの命令を下した。
「もう陛下にはオレの意向は伝えてある。守人としてではなく、一介の戦士として、オレは行く」
「待てったら。落ち着いてよく考えろ。いくらおまえがただの戦士だと言ったところで、それが通用すると思うのか?超有名人のおまえが。ガラリアには顔も知れてるんだぞ」
「出身を偽るつもりはない。堂々と名乗って中に入れてもらう。疾しいところがないのなら拒否はしないはずだ。胸に一物あればあったで下手に断ることはできない。いずれにしろ城内には入れる。入ってしまえば、あとはどうにでもなるさ」
「ばか!それこそあっちの思うツボじゃないか。お縄にしてくださいと言っているようなものだ。監禁でもされたらどうするつもりだ⁉︎」
「その方がパールの近くに行ける」
「アホ‼︎」
心配のあまり…いや、嫉妬のあまりか⁉︎一平は冷静な判断ができていないとナシアスは思う。口頭での説得では効果が上がらないと見て、ナシアスは手荒な手段に訴えた。
一平のみぞおちに向かって徒手空拳を繰り出したのだ。
一発で昏倒させる自信はあった。とりあえず足止めをさせ、気がつく頃には頭に上った血も少しは冷めるだろう。話はそれからすればいい。
そのつもりだったが、そうは問屋が下ろさなかった。ナシアスが思っていた以上に一平は冷静だった。怒ってはいたが、地の底から湧き上がるような静かな怒りだった。勘や判断力は損なわれていず、ナシアスが何をするつもりかを咄嗟に見切って、拳を躱してみせた。
逆にその手を捻り上げ、ナシアスに悲鳴を上げさせる。
「いててててて…。待て…やめろって…。あ痛…」
「仕掛けてきたのはどっちだ」
一平には一向に力を緩める気配がない。冗談に濁して帳消しにしようとおちゃらけているナシアスとは対照的に、目つきは真剣そのものだ。赤子の手を捻っているような余裕さえ感じられる。
「悪かった。強硬手段に出たことは謝るよ。だから離してくれ。口頭で話をしよう」
「オレの邪魔をするのなら、話すことはない」
あくまで冷たい一平の物言いにナシアスは少し意思を阻喪した。
「おまえ…もう少し…オレを頼みにしてくれてもいいんじゃないか?」
「…!…」
一平の手の力が緩む。すかさずそれを振り払い、ナシアスは一平に面と向かった。
「オレはおまえの右腕になるためにトリトニアに来たんだぜ⁉︎いつだって… ひとりで行っちまいやがって…イチチ」
「……」
「レレスクの時だってそうだよ。オレを呼んでくれればすぐ駆けつけたのに。オレの所在はわかってだろうが」
「あの時は…おまえはまだトリトニア軍に属していなかった」
パールが攫われたと聞いたのは、一平とてトリトニアの僻地であり、現地に駆け付けることだけで精一杯だった。しかもナシアスの想い人のニーナが後からやってくるとは想定外のことで、戦地で死に別れる羽目になるとは予想だにしなかった。
ナシアスの恋を実らせるどころか、死別を防げず死に目にも会わせてやれなかったことを、一平は深く悔いている。その思いがあればこそ、言葉は自然と沈みがちになる。
「軍なんて関係ない。オレはおまえの親友なんだと思ってたが、そうじゃなかったのかってことだ」
似たようなことを以前言われたことがある。その時は『親友』と言う言葉に舞い上がって狼狽えまくった一平だったが、今は違った。彼はナシアスの言葉尻を捉えて揚げ足をとった。
「そうだ、軍なんか関係ない。オレはパールの夫として妻の身を守る義務がある。それを果たしたいだけだ。わかってくれ、ナシアス」
ガラリアの仕業なのだ。それはわかっている。十中八九間違いはないが、証拠がない。万が一ガラリアが犯人でなかった場合、トリトニアはポセイドニア中から非難を浴びることになるだろう。それをどこまで重く見ているのだろう、この男は。
一平の心の内を探りながらも、ナシアスは半分以上思っている。こいつの力になってやりたい。残りのすべての責任を引き受けて、こいつを行かせてやりたいと。
そして言った。
「オレが行ってきてやるよ。だからおまえはここで…」
「それはだめだ」
「なぜ?」
返答のあまりの速さにナシアスは畳み掛けて尋ねた。
「…それはだめだ。それでは同じだ。この前と」
この前―
レレスクとの戦のことを言っているのか。
あの時、一平の代わりにニーナが行くと言ってくれた。諜報活動をし、城内に忍び込んでパールの身代わりとなってくれた。結果、パールは無傷で帰れたが、影の少女の命は失われた。
何があっても自分が救い出すと、一平はオスカーに伝えたのだ。覚悟に一分の迷いもなかったが、成し遂げたのは自分ではなくニーナだった。ニーナの功績なのに、異例の特進など、公けには一平の手柄になってしまっている。それも心苦しく一平には辛い。
今ナシアスに行ってもらうのはそれと同じことだ。また同じことの繰り返しになる。
それは嫌だ。今度こそは自分がパールを助けたい。見栄や沽券に拘っていると謗られようとも。彼はパールを守るためだけに守人になった。
「おまえにニーナの二の舞をさせるわけにはいかない。オレはもう誰一人として大事な人を失いたくない」
一平の口から『ニーナ』の名が出てナシアスは怯む。
彼がニーナの死に大きな負い目を感じていることは察していた。この話題になると一平のテンションが大きく下がるからだ。いくらこちらが気にするなと励ましても、所詮生き方や考え方が正反対と言っていいほど異なるナシアスの受け止め方は真面目すぎる一平には実感してもらえない。彼自ら口にするのは余程のことなのだ。
恋敵でありながら、ニーナは一平にとっても大事な人だった。一平の心の内を誰よりもよくわかって共感できる人だったのだ。そして一平の方もニーナの気持ちや考えが手にとるようにわかってしまう。だが翻弄されるのは常に一平の方であり、一平はいつもニーナの手綱で捌かれていた。
「一平」ナシアスは言う。「おまえ、やっぱり、ニーナに少しは気があったろう?」
「戯けたことを…」
一平の反応がいつもと違う。こういうことを言われて軽く返せるような世慣れたところは彼には備わっていなかった。真実にしろ、事実無根にしろ、真っ赤になって狼狽える純情ぶりは、いつもナシアスを楽しませてくれたものだ。
「『大事な人』って言ったぞ、今」
「オレにとっては、おまえもニーナも同じ『大事な人』だ」
「いやいや、さっきの『大事な人』には妖しいニュアンスがだな…」
「無駄口が多すぎるぞ、ナシアス」
これだ。ナシアスの軽口をシャットアウトするようなこの口振り。いつもの一平ではない。切羽詰まっている。気持ちに余裕がない。身体が緊張に支配されている。ナシアスは親友が俄然気の毒になった。
「行けよ」
「え?」
変化球を予測して構えていたのに直球が来て、一平は面食らう。
「後のことはオレが引き受けてやる。おまえは安心して姫の救出に専念しろ」
「ナシアス…」
行かせてくれと懇願していた方が拍子向けするほど唐突だった。おそらくナシアスはオスカーからの密命を担っている。口では言わないが、一平を止めるのが至上命令だったのだろう。それを反故にするつもりなのか、この男は。
間に合わず任を果たせなかったと言うのと、自ら背反に加担したと言うのとは雲泥の差がある。一平は前者を装い見逃してくれと言うつもりだったが、どうやらナシアスは進んで後者を選んでくれたらしい。
「イルカさん達よ、オレヘの伝言はもう忘れてくれていいぜ。不要になったからな」
この場合、駆けつけているはずのナシアスに対し、予定外の行動を取る一平は何らかの伝達手段を残しているに違いなかった。一平が二頭のイルカを残して飛び出すのを目にした時、ナシアスは瞬時に一平がイルカたちに伝言を残したのだと悟っていたのだ。
「トリーニの布陣をもう少し進めて国境で待つ。それでいいな?」
「やってくれるか」
「当然よ。姫を取り戻したら連絡が欲しいが…。エルシーは連れて行けないだろうな」
「連れて行きたいのは山々だが、軍のものだからな。置いていこうと思う」
「一昼夜で片をつけられるか?」
「すぐにもとって返すつもりだが」
いくらなんでもそれは無理だろう。囚われることが前提と言ってもいいくらいなのだ。
「あまり早いと却ってまずい。おまえが入城したのに帰ってこないと心配するだけの時間がいる。それを口実に後から乗り込むのだからな」
「ガラリアをこのままにする気はないと?」
「一度ならず二度までも他国の姫に手を出しておいて無罪放免はないだろう」
正論である。一平の気持ち的にも事と次第によっては首級を上げずにはおかない成り行きになるかもしれない。
「明日の夕刻六時を以て軍による糾弾を始める。それまでは何とか持ちこたえろ」
間違っても命を落としたりするな。拷問にかけられることや投獄されることも充分考えられる。パールがどうにかなっていたとしても、悲観して早まったことをしてくれるな。そういう意味だ。
「わかった。極力おまえのことも考えるようにする」
微かな笑みを瞳に上せ、一平は言った。
「身勝手ですまない。だが、おまえをはじめ、軍の皆が頼りになればこそ、オレは動くことができるんだ。後を頼む」
「死地に赴くようなことを言うなよ。勝手に死んだりしたら承知しないからな」
「無論だ」
一平は真摯に頷いた。
「ちゃんと姫と赤んぼを連れて帰ってこい」
「命に替えても」
「だから、死ぬなって」
一平の瞳がさらに綻ぶ。こういう際であっても、いや、こういう時だからこそ、緊張をほぐすようなことを言ってくれる。ナシアスがいてくれてよかったとつくづく感じ入った。
「おまえのくそ真面目な顔も悪くないが、やはり笑っている時の方が魅力的だな。オレは好きだぜ」
「またそういうことを…」
口説くのは女性だけにしてほしいと思いつつ、一平はナシアスの瞳の色を見る。真剣さは少しも損われていない。
彼は言った。
「行ってくる」
一平の出撃の合図にナシアスは笑顔で応えた。
「幸運を祈る」




