第二章 剣の誓い
レレスクとの戦があった翌月、それまで主宮の侍従が交替で勤めていた王女の護衛を新たに官として設けることになった。任官者が決まったので集まるようにとの知らせを受け、一平は国王の謁見室に足を向けた。
途中でフィシスに付き添われたパールと合流し、謁見室の帳を掻き分けた一平の目に入ったのは、思いもかけぬ人物の姿だった。
背が高く手足の長いその人は、今はまだトリトニアにはいるはずのない男であった。アンバーの瞳にいたずらっぽい笑みを浮かべ、それでもとりすました顔で姿勢よく立っている。いつもと印象が違うように思えるのは、着用しているのがトリトニア風の丈の短い服であるからだ。一平の着ている軍服に似ているが、それよりは柔らかく、共にいて堅苦しさがないほどに砕けたデザインであった。
―よう―
普段なら一平の顔を見てそう発せられる男の唇からは、言葉どころか感嘆詞ひとつ出ては来ない。
他人の空似かと思うくらい、男の態度は一平には腑に落ちないものだった。
「来たな」
代わりに口を開いたのはオスカーだった。
同じくぽかんと新参者を見上げるパールの背中を、侍女のフィシスが押し出した。娘の出産も無事終わり、ニーナの他界で空席になっていた王女付きの侍女の職を元通りに果たしてくれている。
すでに室内には国王夫妻の他に、侍従に付き添われたキンタ王子と、青、及び白の守人夫妻が居並んでいた。
「パール、こちらへ」
王に呼ばれてパールは進み出る。一平はフィシスと共に、居並ぶ人々の列の間へと下がった。
王はシルヴィアを伴ってパールの傍らに立ち、娘の肩に手を置いた。
「本日ただいまよりおまえの護衛を受け負ってもらう護衛官のナシアスだ。任期は取り敢えず一年だが、延長も可能、本人の申請による辞職も可だ」
働き次第で続けることができ、また主人であるパールが残ってほしいと思っても、本人の希望による辞任を止めることはできないということだ。自分の人柄や行動により、護衛官の方から愛想を尽かされることもあり得るのだと、パールは察した。
護衛官に任ぜられた男は言った。
「陛下には私のお願いを聞き入れていただき、大変ありがたく思っております。ご紹介に与りましたナシアスです。先程まではジーのナシアスと名乗っておりましたが、現在よりはただのナシアスとお呼びください。私の力の及ぶ限り、万全を期してお守り致しますのでよろしくお見知りおきを。姫君」
今まで『お姫さん』と語られていた口が『姫君』と動くのを不思議な面持ちで聞き、跪いて礼をする男にパールは応えた。
右手の甲を差し出し臣下の口づけを促す。
この手をとったらあいつはどういう反応をするのだろう、と頬が緩むのを覚えながら、ナシアスは促されたことを実行に移した。横目で一平の反応を見たかったが辛うじて我慢した。視線だけは痛いほどこの背に突き刺さってくるのだから推して知るべしなのだ。
王女の手から顔を上げたナシアスにパールが言う。
「不束者の王女ですが、よろしくお願い致します。ナシアスさまがこの任を引き受けて下さるなど思いもよらぬぬことでした。大変嬉しゅうございます。何分考えが足りませんのでいろいろご面倒掛けるかもしれませんが、どうぞ呆れてジーに帰ったりなさらないでくださいませね」
あどけない姿から気品溢れる言葉が紡ぎ出され、ナシアスは目を瞠る。ふた月ほど前の初対面の挨拶も、丁寧ではあったが未熟さの方が目立ち、王族の女性特有の貴婦人らしさは感じられなかった。だが今のパールはまるで別人だ。この部屋に姿を見せた時から五分も経たないが印象が激変した。
彼らから少し離れた所で一平も思う。パールは成長したのだ。一番身近な『影』である『親友』のニーナを失って。それまでも自分の未熟さや至らなさにジレンマを抱いてはいたが、一国の王女たる身には許されることではないのだと反省するようになっていた。
とは言え、好き好んでとろくさくしているわけではない。それも見方を変えれば長所のひとつなのだから本人にはどうしようもなく、また周りの人間もそうそう変わって欲しいとは思っていないのも事実である。
しかし、自分のせいでニーナが命を落としたという認識は誰が否定しても消える事はなく、『影』という存在を産んだ『王女』という身分が疎ましく思えるのも確かだった。
それでも今のパールにその状況を打破する力はなく、生まれた時から身に備わっていた身分を受け入れつつ、与えられた義務を精一杯誠実に全うするより他に道はないのだった。少しでも、せめて対外的な場においてだけでも立派に務めを果たそうとの健気な決心が、パールを王女然たらしめていた。
その他にも、一平には意外に思ったことがあった。
パールはこの護衛官の話にはあまり乗り気ではなかったのだ。自分にはどうやら必要らしいことはわかってはいたが、終始そばにいてもらう人物だ。護衛をしてもらうからには武道に秀でていなければならない。基本的にどんな人であっても分け隔てをしない性質を持ち合わせているパールではあったが、いかにも猛者然とした怖い人が見張りにつくのはさすがに緊張するだろうし、自分のために多くの時間を費やさせるのは申し訳ないと思う気持ちも強い。一番そばにいてほしい一平に任に就いてほしいくらいだが、物理的に無理があることははっきりしていたし、これ以上の負担を彼にかけたくはなかったので、口には出してもいない。
だが、乗り気でないのは察せられた。気鬱の一因にもなっていた。
なのに、護衛官が任官された途端にパールは嬉しそうだ。
建前ではない。心からこの護衛官を歓迎しているように見える。
パールの発した言葉を聞いて、一平はそれがなぜなのかわかった気がした。
パールは護衛官が決まったことが嬉しいのではなく、任ぜられた護衛官がナシアスであったことが嬉しいのだと。
他でもない、自分のためではなく、一平のために。
今でも自分を異邦人だと断じてやまない一平の唯一の親友がトリトニアに舞い戻ってきてくれたことが、単純に喜ばしいのだった。
ナシアスが言う。
「オレの故郷は今日からトリトニアになりました。そのご心配は無用です、姫」
「本当に?ナシアスさまのお父さまは?お母さまもお許しになったの?ジーニアス陛下も?」
「はい。その他でもないジーニアス陛下のご下命でもありますから」
「ご下命?」
何やら含むところのあるナシアスの物言いであった。
何のことかと尋ねようとするパールを制するようにオスカーが割って入った。
「ここだけの話だがな、パール。いや、皆も聞いてくれ。ここにいる者だけに知らせておこう」
オスカーは居並ぶ人々をそば近くへ集め、徐に口を開いた。
「よいな?ナシアスどの」
ナシアスが静かに頷くのを見届けてから、オスカーは皆に向き直った。
「はじめに言っておくが、これから話すことは他言無用だ。守れる自信のない者は、今すぐこの部屋を出て行くように」
びびったわけでもなく、立ち去ろうとする者はいなかった。
「では話そう」
幾分勿体ぶった様子でオスカーは言った。
「皆も知っての通り、このナシアスどのは前の武道会の折にパールを不意の刃の切先から救ってくれた恩人でもある。それについては私もシルヴィアもどのように感謝の意を表したらよいかわからないくらいありがたいことだと思っている。
ナシアスどのが優れた武将であることは、件の武道会での活躍からもよくわかろう。そういう素質と、他でもないパールの求婚者である一平どのと信頼関係にあることを重要視して、私は彼を此度の護衛官に選定した。他にもこちらで予め選抜しておいた候補者は何人かいたが、自ら申し出のあったのはナシアスどのひとりであった。強い意志の力を私は感じた。
ナシアスどのは本気で我らトリトニアに与したいと思っておられた。母国のジーではなく、トリトニアに骨を埋めたいのだと、我が赤の剣にかけて誓ってくれた」
「おお…」
どよめきが湧き起こる。
「それともうひとつ大事なことがある。ナシアスどのは生ける友好条約だ」
「友好条約?」
「陛下。一体どこの国と新たに条約を結ばれたのですか?」
ミカエラが尋ねた。
「新たに結んだわけではない。もう先からある国だ。ガラリアやレレスクなど、わが国に対し不穏な動きをし始めた国もいることだ。この先の守りを強固にするためにも、今現在あるよい関係を一層強いものとして結びつけておくべきだと考えた。
折りよくジーの方からも似たような申し入れがあったのは奇遇ではあるが、なるべくしてなったとも言える。些か僭越ではあるが、基盤のしっかりした我がトリトニアが危機に見舞われたという情報は、隣国であるジーにとっても放っておくべからざる状況なのだ。トリトニアに何かあれば、余波はジーにも及ぶだろうからな」
「そこで盟友ジーニアス王は我らに友好の証を送ってこられたのだ。このナシアスというジーニアス陛下の甥御をな」
「なんと!」
「おお!」
人々の口から驚きの声が漏れる。
当のナシアスは注目の的にあってシニカルな笑みを浮かべている。
「ナシアスどのがジーニアス王の甥御とは!」
「そう言われれば、どことなく似ておられるような…口元などそっくりではないか?」
ざわめく人々を制し、オスカーが言う。
「おぬしらには知っていてもらわねばと話した。くれぐれも他言は無用だ」
多くを語らずとも弁えられるのが、この場に集められた人々の最低条件であり共通条件であった。おしなべて頷き交わす人々の中にあって、一番混乱の極みにあったのは一平だ。ショックの冷めやらぬ眼差しで遠慮がちに口を開く。
「あの…陛下…。それではナシアスは…トリトニアに人質として来たのですか?」
至極尤もな質問ではあった。状況は人質とそう変わらない。
「世間ではそうとも言うらしいが、これは内輪の話である。しかもナシアスどのは自ら望んでその役をジーニアス王に申請されたと聞く。
ジーニアス王にとってはかわいい甥。信頼のおける武人のナシアスどのの、物事の真実を見抜く目に未来を託されたのだ。 ナシアスどのの見るもの聞くものから、真を捉えてジーに報告するようにと。その一方で、同盟国トリトニアの力になれと。敢えて王籍を外し、ナシアスどのは我が国に属すことを選ばれた。我が国としてもあまり恥ずかしい真似をするわけはにはいかないぞ。ジーに筒抜けになるからな」
そう言って、オスカーははははは…と笑った。
(家や故国を捨ててまで…)
そうまでしてトリトニアに来てくれたのは自分のためなのだと一平にもわかっていた。もちろんナシアス自身の意思によるものだが、なりふり構わず請うたのは一平だ。パールの要請に即答を避けた様子。妙に自信に満ちて、王の前でも堂々としていた様子を思い出し、一平は、ああそうだったのかと溜飲を下した。
またしても、とても近しいと思った人の背景を察することができなかった。自分はまだまだだ。パールやナシアスにそこまでしてもらう価値が自分にあるのだろうかと不安になる。
オスカーは自分のことを実際以上に優れた人間と見てくれているようだが、いわばスパイとなり得るかもしれない人物に娘の警護をさせるような豪胆さは自分にはない。ウート老の博識には一生かかっても追いつけそうもない。そして目指す青の剣の守人を現在勤めているミカエラは、いつも圧倒的な強さと柔軟さを見せつけてくれる。
(未熟なのはオレの方だ…)
こんなことでは、青の剣の守人にはいつになってもなれはしまい。ということは、パールとの結婚にいつまでたっても漕ぎ着けないということだ。
そしてそこへ意識が行ってしまうことに、一平は自分でうんざりする。結局は己の究極の望みは色恋でしかないのかと、一人前の男として胸を張れない自分に嫌気が差した。
「ナシアスどのには軍籍に入ってもらう。所属は特務部親衛隊班だ」
特務部は王の直属である。一平の指揮系統には入ってこない。
にもかかわらずナシアスは解散後に一平に剣を捧げてきた。
「な…。よせよ、ナシアス」
一平の前に跪くと、自身の剣先を己の喉に当て、柄を差し出して静かに目を瞑った。
―私の命はあなたが握っています。必要なければどうぞ柄に力を入れて私の命を奪って下さい。でなければこの剣に口づけて柄を私にお返し下さい。さすれば私はあなたのためにこの命を使うことを誓います。どうぞお心のままに―
そういう意思表示だった。
「オレたちは友達だ。そうだろう?主従の関係になるなんてオレはごめんだぞ」
しかも主は一平、従がナシアスだ。身分的に言ったら全く逆の話ではないか。
「気に入らないのなら、そのまま柄を押せばいい」
「ナシアス‼︎」
そんなことができるはずがないではないかと一平は怒鳴った。
「オレはもう決めた。おまえに仕える。そのためにジーを出てきたんだ。今更無駄にしてくれるな」
「そんな勝手な言い分があるか!」
(ジーの国王の甥だなんて、おまえは一言も言わなかったじゃないか)
知っていたら、あんなことは言えなかっただろう。あの時、なぜあんな血迷ったことを口走ってしまったのか。ナシアスの人生を振り回すような言葉を吐いてしまったことを後悔した。
「オレはおまえの役に立ちたいんだ」
「気持ちは嬉しいが、何も剣を捧げなくたってできることだろう?」
「オレの身分ではそれは不可能だ。除籍となって初めてオレはおまえと同じ土俵に立てる。そして上を目指すべきはおまえだ。オレはその器ではない。オスカー陛下の目は正しいよ。おまえこそこのトリトニアの次代の要だ」
未だに自分を他国人と思っている一平にはナシアスの言葉は虚言と聞こえた。
そういう地位を目指していながら、確固たる自信は一平にはない。ひたすら精進するしかないただ人の自分を、なぜこうも大人物だと持ち上げ、信じ込めるのか。オスカーも、このナシアスも。
「オレはただの…」
「一介の戦士ではあるものか。少しは客観的に己の軌跡を顧みてみろ。特異な生まれ。お姫さんとの運命的な出会い。あれだけの距離を旅した後の五体満足での帰還。そしてたったの二年でここまで進んだ異例の出世。どれをとってみても、平凡な一市民の辿る道のりではないさ」
「……」
「聞くところによると、おまえはここ以外でも『勇者』と呼ばれたことがあるそうじゃないか。伝説の何とか言う剣をいとも簡単に抜いて使いこなしたとか」
ムラーラでの体験談は既にナシアスには聞かせていた。
そんなこともあった。なぜよりにもよって通りすがりで半人前でしかない自分が、と煩悶したものだ。
だが、拒絶するには一平は生真面目すぎた。パールを守るため、受け入れるしかなかった。トリトニアに来てからもそれは変わらない。一平のしてきたことは全てパールのため。すなわち彼の望みのため。無我夢中で目の前のことどもに全力を尽くしてきた結果がこれだ。人々にどんなに褒めちぎられようと、一平にとってはどの選択にも必然性があったことだ。御大層なことをしたとは思っていない。
「おまえなら、青の剣にも触れるさ、きっと」
「そうならいいんだが…」
「そしてそうなった時、オレはおまえの傍らにいたい。おまえの右腕としてな」
「だからなぜおまえの方がオレの後ろに回る⁉︎」
「そうしたいからだって言ってるだろ?」
堂々巡りだった。
「とにかくオレは見つけたんだ。自分の一生をかけて尽くしてもいい相手を」
一平にとってはそれはパールのことであった。主であるはずのオスカーのことを、申し訳ないが一平はそういうふうに思ったことはない。尊敬はしていたが。
「そういう情熱は女性に注げばいいだろうが」
関わった女性の数では、一平はナシアスの足元にも及ばないのだ。だが、数多の女性を知り尽くしているからこそ、女性に対する諦めのようなものをナシアスは抱いていた。女性相手では決して得られない、魂のぶつかり合うような刺激と満足感を、男性である一平から感じ得たのだ。
「女じゃだめなんだよ、こればっかりは」
「でもどうしてオレなんだ?」
再び口にしてしまった心の底からの疑問の声に、ナシアスは冷たく応じた。
「おまえ、人の話ちゃんと聞いてたか?」
理由は既に口にしている。
だが一平は引かなかった。
「納得できないから訊いている」
「いい加減にしろよ」
ナシアスがついに眉を顰める。
「オレはただの…いや、地上人の血が半分も流れている半端者なのに…」
「そういうことを、守人を目指し、恐れ多くも王女殿下に求婚した奴が言うのか?」
「……」
今更である。
「オレはおまえとお姫さんがくっつくのを応援してやろうって言ってるんだぞ」
「……」
「わかったら、さっさとその剣に口つけて返しな」
「ナシアス…」
甚だ情けない顔で、無理矢理手伝うナシアスの手を借りて、一平は彼の剣を返した。本来ならずっときびきびして神聖な雰囲気の漂う場面であったが、そこには申し訳なさでいっぱいの主とふんぞり返った臣下が互いの目を見交わしていた。
その様子を、パールは部屋の帳に張り付いてそっと見つめていた。
(よかった。ナシアスさまが来てくれて。一平ちゃん楽しそう…)
話の内容は途切れ途切れでよくわからないが、腹蔵なくじゃれ合っていることは窺い知れた。パールにはそれで充分だった。




