第十八章 テトラーダ
大広間には他国の使者も大勢訪れていた。
ジーからはジーニアス王の第一王子キースが。彼はナシアスの従兄弟にあたる。会うのは初めてだが、ナシアスより為人は聞いている。よい機会だと、一平自ら挨拶に赴いて対面を果たした。
オクタリアからは先の守人披露目の会で祝いに来てくれたカメルーン宰相が、同盟国であるヘプタリアの外相ターニアと歓談していた。一平が驚いたことには、なんとこの二国の代表は双方共に女性であった。女性上位の国らしい。
ヘキサリアからはパーシバル王夫妻がお揃いでやってきていた。隣国ゆえ、テトラーダとは親交が篤いものと思われた。
同じく隣国であるペンタクスからも国王のエリエールが、レレスクはまだ国が落ち着いていないのか、第五王子のシャロムを寄こすに留まっていた。
遠方のモノリスからもガラリアからも、使者は遣わされていた。モノリスは国防長、ガラリアは魔術省長官と字面の物々しい面子が顔を揃えていた。モノリスは国防には力を入れている国だし、ガラリアの魔術省はその特異性によりポセイドニア中に名の知れ渡っている機関である。国使とされるからには国内でも屈指の力のある省庁なのだろう。一方の国防長というのも、内容的には一平の肩書きである青の剣の守人と変わらない。
肩書きはそれぞれあれど、重鎮がこの場に集まっていることに何ら変わりはなかった。
トリトニアは王女のパールティアが正式な国使だ。一平は言わば非公式に訪れてはいるが、知らぬ顔ばかりがいるわけではないので、トリトニアの青の剣の守人が夫婦でテトラーダをお祝いに訪れたというのもすぐに知れ渡る。
一平が出向かずとも次々と近づきになろうとやってくる者が後を絶たず、記憶に留めるだけでも一苦労だった。
パールは常にニコニコと淑やかな笑みを湛えて一平の傍らに寄り添っていたが、妊婦の身体に立ち詰めはよくない。パールの様子に疲れの色を見て取った一平は早めの暇乞いを申し出た。
とは言え、遠方よりの来賓である彼らはテトラーダの皇宮内に滞在することになっていた。もちろんエメロード姫の強い要望あってのことだ。
その他の客人たちもそれぞれの都合に合わせて宿泊する者もいれば、とんぼ返りで帰国する者もあった。
モノリスとガラリア、レレスクの三国は遠いのにも拘らず長の滞在を好まずに引き上げる口だ。国の事情もあろうが、北国の者たちは総じてせっかちな印象が強い。比べて南国の人々はのんびりとしておおらかだ。
ポセイドニアの最南端ペンタクスのエリエール陛下も気のいい呑気な感じさえ受ける好々爺であった。
広間を辞する前に、一平は機を捉えてエリエールに尋ねてみた。陛下はイルカのご親友をお持ちと窺っておりますが、と。
エリエールは嬉しそうに答えた。
「いやはや、よくご存知じゃな。内輪のことゆえ、知る者は少ないと思っておったが、トリトニアまで伝わっているのかね」
「いえ、実は…」
一平はパドのことを持ち出した。自分にも近しいイルカの友がいる。ペンタクスで別れたきりだが、旅の間とてもよくしてもらった。トリトニアに無事着けたのも彼のおかげだ。そしてそのイルカの姉上がエリエール陛下のご親友だと聞かされたのだと。
「なんと…。もしやそれは…パドのことかね?」
「ええ。やはりご存知なのですね」
「いやはや驚いた。そういえばわしも聞いたことがあるぞ。少し前まで旅の若者と一緒だったと。可愛い人魚を連れてトリトニアを目指している、勇敢でくそ真面目ないい奴だったとな。そうか。一平どののことであったのか。いやはや…」
しきりと頷きながら、エリエールは笑顔を振りまく。
「パドは元気ですか。姉上には会えたのでしょうか。具合が悪いと聞いて飛んでいったような調子でしたが」
「いやはや、左様でござったか。元気じゃよ。メールは―わしの友イルカの名じゃが―もう歳での。わしが若い頃より共に過ごしてきたのじゃから想像つこうがの。既に騎イルカを引退して余生を静かに送っておる。じきに迎えが来ようが、その頃にはわしもな…。いやはや全く、月日の経つのは早いものじゃて…。
そうそう、パド君の話じゃったな。メールを訪ねてきた時には彼女も体調を崩しておったが、弟君が凛々しく成長されているのを見て安心したのじゃろう、元気を取り戻してくれてな。しかもメールの孫のリンリンと一緒になることになって更に元気百倍よ。ひ孫の顔を見るまでは死ねぬと今も頑張っておるわ」
「え。お姉さんのお孫さんと?そんなに歳が離れてたんですか」
一番上の姉とは聞いていたが、一平には驚きだった。
「イルカはわしらより早く成長するからの。いやはや早いものじゃて」
(そうか。パドも念願叶って伴侶を見つけたか)
ほっと安心、胸を撫で下ろす一平だった。
彼らに提供された部屋へ案内されて一時ほど身体を休めたところへ訪問者があった。誰あろう、今日の主役エメロード姫その人であった。女官が何かもてなしのものを持ってきたのだろうと思って帳を開いた一平は思わず目を丸くした。
「エメロード姫…」
宴はまだたけなわ。主役であるエメロードが不在というのは外交上いただけない。だが、彼女は全く悪びれる風もなく言った。
「お休みのところごめんなさい。びっくりした?パールティアさまのお加減はどう?大広間にお姿が見えなかったのでたまらず来てしまったわ。大丈夫?」
「具合が悪いわけではないのです。少し疲れ気味の様子だったので、オレが早めに連れ出しました。パールはこの後のあなたとの逢引きを楽しみにしていましたから、大事をとって」
エメロードの『二人だけでお話ししましょう』という言葉を『逢引き』と揶揄したにも拘らず、一平の口調には皮肉気なところや嫌味っぽいところは微塵も感じられなかった。エメロードも瞳にいたずらっぽい笑みを浮かべながら答えた。
「それは私も同じよ。嬉しいわ。…で?パールはまだお休み中?」
急に砕けた調子になり、エメロードは一平の身幅を邪魔そうに避けて室内を覗き込む。
この一種強引だが悪気のない奔放な気質がテトラーダという国を如実に表している。一平はそう思って溜飲を下した。身体をずらし、エメロードを中に招じ入れて静かにパールの床へ向かう。
「パール…」
用意された大きな寝台には幕が掛けられていた。それを掻き分け、一平はパールの耳元に囁きかける。
「起きられるか?エメロード姫がお越しになったぞ」
それまで安らかに夢の国で遊んでいたと思われるパールがパチっと目を開けた。普段と同じく目の前に一平の端正な顔があってパールは安心する。
「一平ちゃん…」
まだ少しまどろんでいる。一平はいつものキスをしてやる。
「おはよう。エメロード姫がおまえを心配して来てくれた。どうする?」
「エメロードさま?…もちろん行くわ。すぐ起きます!」
がば、と起き上がり、寝台を降りる。一平が部屋着の上から羽織るガウンを掛けてやる。
「ありがとう。一平ちゃん」
いつもそうしているのだろう。ごく自然に紡ぎ出される穏やかで優しいやりとりに、二人の愛情の深さ、広さが垣間見られる。
そしてそばへやってきたパールに、エメロードは微笑みながら声をかけた。
「本当に羨ましいわ。仲睦まじくて。いい旦那様ね。パールのことを心から大切に思っていらっしゃる」
(あ…)
二人の姿を脳裏に刻んでいたら、ふと新たな光景が見えた。同じように横になっているパールを覗き込む一平の姿が。場所はここではない。屋外、しかもどうやら水の中ではない。そして彼は微笑んでいない。心配気に、悲しそうに、そして辛いのを必死に堪えているように見える。抱き抱えたパールが小さな声で歌を歌っている。声は聞こえないがなぜかそうとわかる。パールは一平に対し癒しの歌を歌っているのだ。
だが悲しい。優しさに溢れてはいるがとても悲しい気がする。まるで…。
そこまで考えてエメロードはそんなばかな、と首を一振りする。
(不吉なことを考えてしまったわ。そんなことあるはずがないのに。いやだわ、私。こんな、おめでたい時に)
「エメロードさま。どうかなさったの?」
一瞬だが態度の曇ったエメロードをパールが気遣う。
(いけない…)
口にしてはいけない。こういうことは。思い過ごしだったとしても。
「…見てられないわ、全く。人目も憚らず。一平さまって意外や周りの目を気にしない人だったのね」
「いや、オレは…」
パールに軽いキスをするのはあまりに日常的すぎることだったのでかなり麻痺していたかもしれない。幕の中なので見えまいと思ってのことだったが、丸見えだったのだと気づいて真っ赤になった。
「赤くなるくらいなら気をつければいいのに…。まあいいわ。人前でするのが初めてじゃないことぐらい私も知っていてよ」
かの結婚式の時、衆人の目の前で誓いの口づけをした。青の剣に二人が結ばれていることを宣言し、登録した。
「ねえ、本当に大丈夫なの?お疲れなら明日に延ばしても一向に構わないのよ、私は」
エメロードはパールに再度確認する。
「日に一度は横になるようにって婆さまから言われているの。今日は昼間休めなかったから…。でももう大丈夫。エメロードさまとお話しできなければ欲求不満で気が狂ってしまうわ」
嬉しいことを、とエメロードは微笑う。
「じゃあ行きましょう。そのままでよくってよ。色々と支度をしてあるの。楽しみましょうね。一平さま、奥さまをお借りします。責任を持ってお預かりしますわ。何か異常があればすぐにお知らせに上がりますから」
「…お願いします。オレはもう一度大広間に行ってみます。いろいろな話を聞いておきたいので」
エメロードの部屋には護衛も付けられている。パールが心配でついてきたが、この機会に他国と友好を深めておいたほうがよいと、守人としての観点からそう決めた。
「だが。姫は戻られなくてよろしいのですか?まだお開きには時間があるでしょう?」
「あらいやだ。いくら跳ねっ返りの私でも公務を疎かにはしないわ。一応のお勤めはもう果たしましたから。お父様にもちゃんとお断りしてきましたもの」
皇女の誕生祝いとは言っても表面上のことだけであり、内実は各国間の情報交換と親交の進展の場であった。だから各国から主立った長とも言える人々がこうして集まってくるのだ。エメロードはいわば重鎮を集めるための餌に過ぎなかった。事実、開催国のテトラーダは、明日にはそれぞれの国と会談を持つことになっている。
オクタリアの宰相とは貿易品の調整を行う予定だったし、ヘキサリアの国王にはエメロード姫の花婿候補を物色してきてもらうことになっていた。
エメロードとパールが懇意になって友好を深めてくれれば、もっとトリトニアと近づきになれる。それはそれでテトラーダにとっても益のあることなので、国王のラムス四世は黙認、というか推奨しているのだ。明日も一日滞在を許され、テトラーダを案内してもらったり会食をしたりして、翌朝トリトニアへ帰る手はずになっていた。
パールがエメロードの部屋へ誘われて行った後、一平も努めてて世界の情報収集に励んだ。




