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第十四章 巫女姫

 守人の披露宴は情報収集の場でもあった。

 お披露目会とは言え、各国の主立った者たちが一同に会することは滅多にないことである。正式な挨拶とはまた別なところで、人々は旧交を温め、噂話に花を咲かせ、世界の動向を掴もうと探りを入れていた。

 トリトニアにしてもそれは予期していたことで、公務で手一杯の王や守人たちに代わり、将校や事務官、白の守人の配下である学者たちも、それぞれの立場で情報網を張り巡らせていた。

 正式に設けられた謁見が一区切りすると、人々は宴の場に散っていく。地上で言う立食パーティーのようなものだ。

 一平とパールの二人も共にフロアに降りて談笑していたが、ナシアスにジーの国防軍の知り合いを紹介され、更に話が国防のことに及ぶとパールに出番はなかった。丁寧にその場を辞し一旦父や母の元へ戻ろうと踵を返した。



「パールティア姫」

 不意に呼ばれて振り向くと、美しい姫が立っていた。足元まで届く長い褐色の髪をいくつかの房に分け、所々を美しい飾り紐で結んで宝玉を刺している。異国のドレスを纏い、優雅な仕草でエメラルドグリーンの目をこちらに向けていた。

(テトラーダの…)

 知らぬ顔ではない。先刻挨拶を交わし、祝いの口上に礼を述べたばかりだ。

「エメロード姫…」  

 年頃も立場も似通った他国の姫のことは、パールにも印象深く心に残っていた。

「覚えていて下さいましたのね。光栄ですわ。少しお話しさせていただいても構いませんかしら」

 エメロードの申し出にパールもすぐに答える。

「ええ、もちろんですわ。私も姫とお近づきになりたいと考えておりました」

「あら…」形のよい眉を弓なりに動かし、エメロードは言葉を継いだ。「奇遇ですわね。私もよ。パールディアさまとは同い年ですし、境遇も似たり寄ったり。きっといいお友達になれると思いますわ」

「まあ…」同い年と聞いてパールは目を丸くする。「エメロードさまも御年十五歳でいらっしゃいますの?とてもきれいで大人びていらして羨ましいですわ。私など未だに子どもっぽくて、よく人から幼いとか赤ちゃんのようだとか言われますのよ。世間では童女姫と呼ばれていると聞いておりますわ」


 数奇な運命に見舞われたパールのことを、人々はいろいろな呼び名で言い表すようになっていた。『童女姫』『トリトニアの真珠』『トリリトンの天使』などとも称されている。中でも『童女姫』は、子どもっぽいことを気にしている本人にとってはあまり嬉しくない表現だった。パールの表情から哀惜と諦めの気持ちを垣間見、エメロードは言った。

「私の国ではむしろ『癒しの姫』の方が通り名となっていましてよ。子どもっぽいと言うのは、姫のお可愛らしい面を大袈裟に表現しているのでしょう?汚れのない純真なお心がそのまま雰囲気に現れていると思いますわ。かの勇者さまもそういうところがお気に召したのではないかしら。羨ましいのは私の方ですわ」

「羨ましい?私が?」


 思ってもみないことを言われてパールは聞き返した。確かに自分は今幸福の絶頂にいるが、自分が人から羨まれる存在になるなど想像したこともない。

「ええ。実は私はね、勇者伝説の大ファンでしたの。勇者の伝説はトリトニアだけのものではありませんのよ、ジーにもありますの。私もいつかはこんな勇者に巡り会いたい、愛し愛されておそばに置かせていただきたいと、そればかりを念じておりました。そんな勇者と呼ばれる方に、姫は見初められて、あまつさえご夫婦の契りを交わされたのです。できることなら私が成り代わりたい…。そんなふうに考えておりましたの」



「まあ…」

 ではこの人も一平のことを好きなのだ。あのエスメラルダのように、『勇者』と結婚したいと思っているのだ。

 そう感じ取ったパールは知らず気落ちした表情になっていた。

 エメロードがくすりと笑った。興味深げにパールの様子を覗き込み、宥めるように微笑んだ。

「安心して。あなたのご主人を盗ろうなんて思ってないから」

「え…」

「そりゃあ。確かに一平さまは想像していたよりも格段に素敵な方でしたけれど、私にはとても…恐れ多いというか、分不相応というか…似つかわしくないと思うのですわ。お二人のオーラの色がやはり格別で、私などが勝手な欲のためにいじくってはいけない気がしましたの。それに…むしろ私は一平さまよりパールティアさま、あなたの方にこそ、心を惹かれる心持ちがしましたわ」

「え…」


 他人が一平よりも自分の方に興味関心を持ってくれるというのも、これまたパールには思ってもみないことだった。晴れて妻となった今でも、一平はパールにとって絶対的に憧れの存在であり、全てにおいて崇高なる高みにいるのである。たくさんあったコンプレックスの素も、なりを潜めたとは言え決してなくなることはなく、時折思い出したように浮き上がってきてはパールを苦しめているのだから。

「パールなんて、何もできないのに…」

 褒められているという慣れない状態に動揺し、素のままの言葉遣いをしてしまったパールだった。だがそれを却ってエメロードは嬉しいと感じていた。

「姫のその控えめな純真さに心を打たれるのですわ、皆。私もそう。姫がおそばについていればきっとあの方も大丈夫。どんな困難も乗り越えて、凛々しく国を守ってくださると信じられる気がしますの。そういうオーラを発しておられます。一平さまとパールティアさま、あなたのお二人は」

「オーラ⁉︎」 

 

 オーラのことを知らないわけではない。パールはまさしくそのオーラが見える数少ない人間のひとりなのだから。

「エメロードさまもオーラがお見えになるのか?」

 パールの問いにエメロードは片目を瞑って人差し指を唇に当てた。

「内緒よ。パールティアさまだから申し上げたのよ。ああ不思議。こういうこともあなたの前だとすんなり言えてしまうわ」

 何が不思議なのか、どうして内緒なのか。煙に巻かれるパールにおかしさを堪えきれず、エメロードはまた笑った。

「あのね。お願いよ。誰にも言わないでね。ご主人にもだめ。お父様でさえ知らないんですもの」

 エメロードは、まさに『どうして?』と問うている顔のパールに耳打ちした。

「だってこんなことが知れたら巫女にされてしまうわ。皇家の能力者は貴重なのよ。未来を見る力がある可能性が高いんですって。でもそうなったらのんびり皇女なんてやってられない。神殿に入って巫女修行よ。一生結婚できなくなってしまうんだわ。私はそんなのは嫌。愛する人の子どもも産めないなんて、海人としてあるまじきことだと思わない?」



 テトラーダにはそういう風習があるのだった。

 不本意ながら、パールはまだトリトニア内のことを学習するのに手一杯で、他国の情勢にはあまり詳しくない。旅の途中テトラーダを通ることもなかった。

 テトラーダの能力者―オーラを見ることのできる者をそう呼ぶ―は、発見されると巫女となり、官の登用や予知で政治に関与するシステムなのだ。特に皇家の者には強い能力を有する者が高い確率で輩出されるため期待が集まる。しかし、巫女となった者は能力を高めるために純潔を守ることを必要とされる。生涯結婚することは叶わぬのだ。


 幼い頃から勇者に憧れ、相思相愛となることを夢見ていたエメロードにとっては受け入れ難いことだったのだろう。自分にオーラが見えることに気がついたのが物心つかないうちではなく、ある程度の自己を確立した十歳以降だったのが幸いした。父にも母にも、お付きの乳母(めのと)にも直隠しにし、エメロードはここまで来ていた。テトラーダにとって幸いであったかどうかには甚だ疑問が残るが。


 加えて志も高く、結婚相手についても散々取り沙汰されていたが、本人がなかなかうんと言わないので一国の王女ながら十五になった今でも婚約すら整っていないのだ。パールでさえ十分行き遅れのきらいがあったというのに。

「私はそんなの真平御免。あなたのように愛し愛されてお嫁に行くの」

 テトラーダの姫というからには縁談も山のようにあるはずだ。よりどりみどりではないかと思えたが、やはり自分に当て嵌めても承服できそうにないとパールも思う。



「エメロードさまは、お慕いする方がいらっしゃるの?」

「それなのよ」

 パールの問いにエメロードはため息まじりに答えた。

「誰かいい人でもいればねえ…。こんなに苦労しなくてもいいと思うのだけれど。なかなかこれぞと思う方は…。ちょっといい感触だと思っても、私が皇女と知ると掌を返すし、言い寄ってくるのは冴えなかったり華がなかったりで、なかなか相思相愛というわけにはいかないわ。本当に、パールティア姫はお幸せね」

「そうなのかな…」

「え?」

 思ったことをそのまま口にする。幼い頃の癖はまだパールの中に残っていた。

「あ…ごめんなさい。…あのね。パールは本当に一平ちゃんが好きなんだけど、今でもまだ時々信じられなくなる時があるの。どうして一平ちゃんがパールなんかをお嫁さんにしてくれたのかなって。これはただの同情なんじゃないかって…」

 しんみりと、かなり本気で悩んでいる風なのを、エメロードは未熟な後輩の後押しをするような目で見た。


「…ばかね…」

「え?」

 今度はパールの方が驚く番だった。

「かわいい人…」

「……」

「そんなあなただから、一平さまはパールティア姫を好きになったのよ。私も、ますますあなたが好きになったわ」

「……」

「考えてもごらんなさい。聞くところによるとあの方はずっと地上で暮らしていらしたのでしょう?あなたと出会うまでは。そしてそれまでの全てを擲って海へ出た。あなたを守るために。全く無知と言ってもいい世界へ」

「……」

「並大抵の決心でできることではないわ。二度と戻れないかもしれないのに」


 パールは思い出していた。一平がトリトニアへ帰ろうと言ってくれた時のことを。彼は育った家を捨て、育んでくれた家族に決別して、パールのために行動を起こしてくれたのだ。まだ幼かったパールには一平が断腸の思いでいることを察するまでには至らなかったが、自分のために申し訳ないという思いは抱いていた。 今ではわかる。彼がとてもたくさんのことを犠牲にしてくれたのだということが。

「あなたにプロポーズしたことだってそうよ。曲がりなりにもあなたは国王の一人娘。人は王女の身分を羨むけれど、実際は制約は多いし責任は重いし面倒臭いことばかりよね。のし上がってやろうという野心を持っていればともかく、一平さまはそういうタイプには見えないわ。それとも⁉︎」

  

 横目で問われてパールはきっぱりと首を振った。結果的に最高の地位にまで登り詰めたが、国や人心を掌握したいなどという野心を抱いていたのではないことは、そばにいたパールが一番よく知っている。

「それに、王女と結婚なんて尻込みする男がほとんどよ。私がよく知っているわ。そのあなたを得るために、あの方は厳しく困難な道を選ばれた。成し遂げてしまうところがすごいけれど、目指すだけでも大変なことよ。そうさせる何かがあなたの中にあったということなの。愛しいと思い、大切に思わなければできることではないわ」

「大切…」



 そうだ。確かに一平はパールにそう言ったことがある。

「あの方の愛を当のあなたが信じなくては、一平さまも報われなくてよ」

(そうなの?)

(本当に、一平ちゃんはパールのことを⁉︎)

「こんなパールでもいいのかしら?」

 思わず呟く。

「そんなあなただからいいのよ。私、少ぉしだけ、一平さまの気持ちがわかるような気がするわ」

「どういうことですの」

「だって…」エメロードは優しげにパールを見つめた。「こんなに可愛らしい、守ってあげたいと思える人を、私今まで見たことがありませんもの」

「でも…」可愛らしい、と言ってくれるのは嬉しいことだったが、パールにはもっと強い思いがあった。「パールは、守られるだけなのは嫌なの。パールのために一平ちゃんが危ない目に遭ったり大怪我をしたりするのは嫌。迷惑は掛けたくないの。一平ちゃんに何かあったらパールが治すの。だからいつだっておそばにいたい…」


「まあ…」

 エメロードは目を瞠いた。

「…わかりましたわ。…だからなのね」

「だから?…何?」

「一平さまがああまで特別な存在なのは、パールティア姫、あなたのお力添えがあるからこそなのだわ。あなたが彼を傑物にしたのだわ」

「?」

「あなたが彼に力を与えたのよ。平たく言えばそういうこと。あなたがいなければ彼は力を出し切れない。逆にあなたも彼がいなければ力を振るえない。あの世にも稀なる癒しの力は一平さまがいてこそ発揮される。そうなのだわ」

「エメロードさま⁉︎」


 神の啓示を受けたかのように恍惚として自分の考えに酔いしれるエメロードには近寄り難いものがあった。だがそれもほんの一瞬で、すぐに満足げな微笑みを返すエメロードからは、安心のオーラとでも言うべき穏やかな気が発されていた。

(この方は巫女になるべくお生まれになったのだわ)

 思いはしても言ってはいけない気がした。

(ビピア女神さまはパールを安心させるためにこの方をお遣わしになったのね。きっと。…ありがとうございます。ピピアさま。そしてエメロードさま…)

 二人の間に不思議な友情の絆が生まれ初めていた。


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