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第十二章 右宮

 守人としての仕事はその日から早速行われた。

 青の剣の守人、即ち右宮の主人でもある二人にしなければならないことは山ほどあった。

 前任のミカエラとソーダ姫より事前に引き継ぎを済ませてはいたが、まずは就任の挨拶から始まった。

 昨日の披露宴で一応のお披露目は終わったが、改めて挨拶に出向くべき所が何箇所かある。領主にも等しい役職であるので、領民たちも次々に伺候してくる。


 戦士としても優秀な偉丈夫の一平ではあったが、人の上に立ち纏めるという経験には些か日が浅い。親衛隊、討伐隊などの兵を率いて戦ったことはあっても、政治、外交面では先達に遅れをとっている。

 重要な役割はいやでも緊張するし、重責はひしひしと我が身を襲いくる。体格の有利も手伝って見た目は堂々としていたが、挨拶を受ける間中冷や汗を掻き通しだった。


 そんな彼を支えたのが意外や意外、パールであった。

 だいぶ大人びたとは言え、幼さの抜け切らないパールが、ここ二年間の教育が功を奏したのか立派な振る舞いをしている。元々生まれが高貴なだけに気品と気高さは兼ね備えていた。しかしそれは普段は表に現れない。特に一平の前では無邪気なだだっ子だと言い切ってもおかしくないような天衣無縫ぶりである。


 一平にしてもそういうパールをまるで知らないわけではないのだが、自分が緊張しているせいか、妙にパールが落ち着いて見えた。まるで二重人格者であるかのような変容ぶりに目を瞠る思いだった。

 パールの落ち着き払った態度は一平の精神にも影響を及ぼした。妻を誇らしく思うと共に、自分もまたそれに相応しくあらねばと、己の心を引き締め、鍛え直したのである。



 国王夫妻の元へも挨拶に行った。

「陛下。この度は私どものために盛大な式典と宴をお骨折りくださり、誠にありがとうございました。お陰様でめでたく最高の女性を得、心身ともに充実した日を迎えることができました。また、昨日より青の剣を預からせていただいています。命に換えましても妻と二人、この剣でトリトニアをお守りいたします。今後ともよろしくお導きいただきとう存じます」

 一平が口上を述べる傍らで、パールは控え目にじっと頭を垂れていた。

 見事な貞淑ぶりに国王夫妻も目を瞠った。いつまでも子どもだ子どもだと思っていたが、人の妻ともなると一晩でもこうも変わるものかと、オスカーなどは特に驚愕していた。


 国王は応える。

「ご丁寧な挨拶ありがたく承った。己の言葉を違えることのなきよう、心して精進なされよ。頼りにしておるぞ」

「はっ」

 王妃も言葉を発した。

「そなたには迷惑のかけ通しです。ここまでの道のりは私たちが考えるより遥かに苦労が多かったことでしょう。特に一平どのには。そなたのその強い意志が必ずやこのトリトニアを平和に導くものと信じていますよ」

「もったいないお言葉でございます」

「…パールを頼みますよ…」


 シルヴィアはまだ娘が心配だった。昨夜にしたって、きちんと妻としての務めを果たすことができたのだろうか。教えはしたが、何分疎すぎる娘だ。

「母上、大丈夫です。私はちゃんとお務めを果たせましてよ。ちょっと失敗しましたけれど、一平ちゃんはとてもお心の広い方です。そしてパールのことをとっても愛してくださっています」

 シルヴィアの心を汲み取ったかのように応えるパールの顔は晴れやかで、心底幸せそうであった。

 ああ、この人に娘を託したのは間違いではなかったのだと、シルヴィアは心の底からほっとした。


 が、嗜めることも忘れない。

「姫。人前で旦那様のことを一平ちゃんなどと言ってはいけません。それからご自分のことも、子どものようにパールなどと…」

「あ、いけない…」

 しまったと舌を出してしまい、今度は無言で母に睨まれた。

「王妃陛下。娘御はとても立派でした。堂々として。領民たちへの挨拶の時に自分がおろおろしないで済んだのは妻のおかげです。御母堂の前でつい気安さが出たのでしょう。お許しください」

 おまえも謝れと一平の目が言っている。パールは平伏して言った。

「以後肝に銘じて努力いたします。ご指導ありがとうございました」

 優しく細められた目の奥で、満足そうな瞳が微笑んで返した。



 右宮の中のことを覚えるのも大きな仕事のひとつだった。

 言ってみれば右宮全体もひとつの城である。その城の主が城内のことを何も知らないのではお話にならない。

 将校として既に一年を経ている一平にとって、右宮の中はまるで知らない所ではなかったが、右宮の責任者として心得ておかなければならないことも少なくなかった。書物のないこの世界では、一つ一つを目と耳で確かめなければならない。右宮の構造の見取り図なども各部署の仕事のマニュアルなどもありはしないのだ。


 一平とパールは連れ立って右宮内をくまなく見て回った。案内役にはミカエラが着任していた時より引き続き侍従長を務めることになったブルッフが当たった。

 ブルッフは三十三歳になったばかりで、控えめだが芯の強い実力派、ミカエラの腹心の部下でもあった。

 前任のミカエラはと言えば、強戦士と呼ばれるだけあってトリトニアには珍しい筋骨逞しい大男であった。陸で育った一平よりも多少肉付きがよいというのは普通に考えればあり得そうもない。


 が、ミカエラは努力の人だった。ごく幼い頃両親を目の前で惨殺された彼は、生き残るために自分に必要なのは身を守る力だということを信念として日々精進してきた。

 東に優れた剣士がいれば、行ってその手解きを請い、西に力自慢の(つわもの)がいると聞けば馳せ参じて弟子入りを願う。そんなことの繰り返しの結果、ミカエラの身体は強靭に、技倆を伴ったものに作られていった。正しく、トリトニアを守るために生まれてきたような男だったと言う。

 

 ブルッフはそのミカエラの竹馬の友である。

 頭脳明晰な彼はいわゆるトリニアでのエリートであった。順調に出世コースを進み、右宮の事務官として勤めていた時に諸国遍歴から戻ったミカエラと再会し、ミカエラの守人就任と共に侍従長の地位に就いた。

 ミカエラの強い要望のせいもあったが、ほとんどは本人の実力によるところが大きい。ミカエラ在職中は実にその手足となり頭脳となって守人を補佐し続けた大人物だ。


 そのブルッフが引き続き侍従長を務めてくれている。ミカエラと互角に戦えるという一平に一条の光を見たというのが残留の任を受けた理由である。誰よりもミカエラの近くにいて、その人格(ひと)能力(ちから)とを知っているブルッフにとって、旧友以上の戦士はいなかった。当然その後釜を務められるような器の者もいないと思っていた。

 一平の登場で、ブルッフの常識の膜は破られた。この男なら任せられる。一平なら立派にミカエラの偉業を継いでくれる。そう思った。

 日本風に言うなら一回りも年下の青年を主人と呼ぶに際し、色眼鏡をかけるような男ではなかった。力さえあればそれは吝かではない。自分は自分が持てる最大の力を主に対し提供すればよいのだ。そういう頭の柔軟な男だった。



 式典の翌日は挨拶回りに忙殺され、右宮の中をゆっくり案内してもらえたのはその翌日になってからだった。一平はある程度知ってはいたが、パールは初めてだ。

 右宮の広さは主宮には及ばなかったが、その三分の二くらいはある。公式の場として使われる部分がほとんどで、主とはいえ一平たちが自由気儘に振る舞える場所は他の国民たちとそう変わらない量だった。武人の長の城であるので、武器庫や食料庫などの備えを賄う部分もかなりのウェイトを占めている。

 とは言え、武器とは主に剣の類であり、大砲や戦車などの大型武器はないので地上のそれとは規模が違う。食料も一歩外へ出れば巷に溢れている。保存食の概念は基本的にはない。

 従って右宮の食料庫は遠征の携行食の備蓄ではなく、籠城、もしくは災害時を想定したものであり、生きた魚を囲いの中に管理する生簀、養魚場であった。


 彼らの居室のすぐ隣には右宮の中心となる青の剣の祀られている聖廟がある。件の試儀が行われた場所である。冷水の池と台座は祭壇と呼ばれていた。

 聖廟は守人夫妻の私室と繋がっていて、試験の時に使われたアーチ型の入り口とは真反対の位置にある。アーチ型の方は守人交代時にしか開かないため、現在は固く閉じられている。従って青の剣を持ち出すには守人がその私室を通らなければ不可能な構造になっていた。


 剣を守る、と言っても、この宝剣は余人には容易に触れることのできないものである。その鞘であっても、守人以外の者が触れると触った本人に災いが降り懸かると言われている。

 だから常時守人が身に付けている必要はない。十中八九盗まれたりする可能性はない。平時はこの聖廟の祭壇に安置されている。

 一般の剣と違って特に手入れをする必要もない。まるで青の剣自体が生命と意思とを持っているかのように、鯖もせず、健康的な艶を放っている。


 いや、青の剣は生きている。一平はそう感じる。

 青の剣に限らず、赤の剣も白の剣もそうだ。この三本の宝剣の守人となった者は皆そう実感する。剣と主の身とは不思議な力で繋がっている。剣に何かあれば遠く離れていても守人は異変を感じ取る。剣の意思をはっきりと汲み取れる。剣の声は神の声。トリトン神からの呼び掛けを、守人は肌で感じることができるのだと言う。  

 連れ合いにしても同じことだ。トリトン神が認めた守人の連れ合いは婚姻と同時に守人と同じ力を持ち、守人の一部となる。夫婦で守れば力は倍加されるとも言われている。


 また、守人となった一平は、同時にトリトニア軍の最高指揮官であり、大将を務めることになる。不在になった中将の席は、早晩少将の誰か、あるいは全く違う誰かが着任することになるだろう。

 中将の二人を主な相談役として、これからのトリトニアを動かしていかなければならない。効果的、能率的な人事をも一平は司っていくことになる。人を使う立場になったのだ。まだ二十歳にもならないと言うのに。


 

 一平はつくづく思う。自分の人生の不思議さを。

 幼い頃には思いもしなかった。自分が海の底で、このような境遇に置かれることになろうとは。父のような漁師になると信じて疑わなかったあの小学生の頃には。パールと出会うまでは。

 犬首の海で人魚と出会い、その人魚を愛し、自分の妻として迎えるようになるなんて。

 だが、不思議と迷いはなかった。パールを守ることにも、トリトニアで生きていくことにも。


 パールが一平の生きる指標となって、既に五年が経った。

 人魚の少女を好きになるのはまだしも、その少女が海人の園の王女であり、さらに百年に一人とも二百年に一人とも言われる癒しの力を持ち、あろうことか一平の子を産みたいと願ってくれるなど、想像を絶する展開だ。

 だがそれよりも驚くべきは、自分が青の剣の守人に選ばれたことだ。

 その世代でたった一人しかなることのできない稀なる地位に、自分はどうして就任できたのだろう。信じられない気持ちはいまだに拭えない。そう望み、そうなろうと努力をしてきたわけではあるが、今にして思えばなんと無謀で身の程知らずな賭けであったことか。


 愛しい娘の愛を得て不動のものとするために選んだ守人への道を、本当に全うすることができるとは。

(父ちゃん…。見ていてくれてるかい?オレはやっとトリトニアの一員になれたよ。父ちゃんの…オレの故郷に辿り着いたよ)

 ―いつか必ず辿り着け、おまえの故郷へ―

 息を引き取る間際にそう言い残した父の声が蘇る。自分は父の無念―いや、希望か⁉︎―を、やっと果たし得たのだ

 


 

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