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第一章 道のり

トリトニアの伝説 第七部 守人讃歌 を連載します。


これまでのあらすじ

海人と地上人との混血児一平は海人の園ポセイドニア十国のひとつトリトニアの王女パールと添い遂げるため、国の三大柱のひとつ、青の剣の守人になるべく修業に励んでいた。


一平が急速に出世を続ける一方で、癒しの力を発現したパールもその効力を高め、人々に施術を求められるようになっていた。


そんな中、パールの帰還の報を聞いてパールの「影」の少女ニーナが帰国する。

パールのことを密かに想い続けていたニーナは、パールの幸せのために、その伴侶となろうとしている一平のことを厳しく非難したり鍛えたりしようとする。


そんなニーナにちょっかいを出すのは武道会で出会ったナシアスという若者だ。

一平と意気投合したナシアスは、年季が明けたら一平の助力になりたいと言って一旦ジーへと帰国した。


そして二人の遠征中、パールは隣国レレスクに攫われ、トリトニアとレレスクは交戦状態になる。

ニーナの働きによりパールは無事戻ったが、ニーナは帰らぬ人となり、王女奪還軍の総大将に任ぜられていた一平の心は大きな負債を抱えることになった。


詳しくは、第一部 洞窟の子守歌

     第二部 放浪人の行進曲

     第三部 ムラーラの恋歌

     第四部 アトランティック協奏曲

     第五部 トリトニア交響曲

     第六部 王宮円舞曲

をご覧ください。


 一平は修練所の課程を終了した。

 レレスクより王女を奪還する時に、彼は既に少将の階級を与えられていた。将軍となった者をいつまでも子飼いにしておくほどトリトニアの青科は傲慢ではない。そしてパールの奪還後には、その功績ゆえに中将にまで任ぜられている。青の剣の守人候補生として、押しも押されもせぬ地位と実力を身に付けていた。


 思いもかけぬかの戦により、一足跳びに守人候補生の資格を得られたことは幸運だったが、出来事そのものは一平にとっては重大事件であり、二度と起こってほしくない最悪の事態であった。

 一足遅ければパールはロトー王に純潔を奪われていただろうし、パールのみならず一平にとっても今や身近で大切な存在となっていたニーナの尊い命を、永遠に失うに至ったのだから。

 レレスク城を攻め落とすに際しても、投入したトリトニア軍の兵士千名のうち二十二名の死者、五十四名の重軽症者を出している。

 チラコッタに襲われた人々が医師派遣団の尽力により回復し、村が復興の兆しを見せているのが唯一の朗報だ。


 あわやと言うところで受難を免れた愛娘の行く末を危惧し、オスカー王は一平に対してひとつの提案を申し出た。

 ―おぬしたちがそう望むのなら、すぐにも結婚を許そう―

 相思相愛の一平とパールの結婚に待ったをかけていたのは当のオスカーであった。一平の器量に惚れ込んで、次代の青の剣の守人にと見込み、娘との結婚を餌に彼をトリトニアに引き止めた。そのくせ守人になれるまでは娘をやるわけにはいかないと、若い男にとっては辛い状況を一平に課したのである。

 オスカーの要望を自分の希望と結び付け、一大決心をして自らの精進に努め、ここまで来るのに一平は二年近くかかっている。それでもこれは異例の早さなのだ。

 

 ここへ来て急にオスカーが掌を返したのは、偏に娘の身を案じたからだった。

 見た目も実質も幼い娘が、再びその身を強奪されて不幸の憂き目を見ることのないように。よもやあってはならないが、もしもの時を懸念して、まずは好きな男と幸せな蜜月の時を過ごさせてやりたいと思ったからであった。

 これを聞いた一平は意外な申し出に目を丸くして驚いたが、やがて目を伏せると丁重に断った。

「なぜだ?一平どの?パールはおぬしの妻となれることを心待ちにしている。おぬしとて、同じ気持ちではないのか?いや、むしろ娘よりは、遥かにそう望む気持ちは強いはず…」


 オスカーの言う通りだ。

 だからこそ、一平は嫌だったのだ。 

 彼はパールを愛している。今度のことで否が応にもその思いは強まった。抱き締め、キスをするだけでは物足りない。あいつとひとつになりたいと、心から願っている。だが、そう思い、それを実行するだけではだめなのだと、彼は思っていた。

 ニーナは教えてくれた。

 自分勝手なまでに高潔な、与えるだけの無償の愛を。

 自分にはニーナのようになることはできないし、そうあろうとも思わないが、今の状態のパールを己がものとして、それで果たしてパールは幸せなのだろうか?


 一平にはそうは思えなかった。

 彼女はまだ何も知らない。

 お医師のザザは一平に『おぬしが教えてやればよい』と言ったが、一平にそんなことができるわけもなく、パールの幼稚さに手を焼き、悩みながらも、何の手立ても講じることなく現在に至っている。相手が期待をしていればともかく、何の心構えもない初心な娘を自分の算段で至福の境地に導くことなど、一平には可能とは思えなかった。

 今彼女を娶るのは時期尚早だ。

 それに、いかに守人候補生としての資格を得たとは言え、青の剣の守人になれると決まったわけではない。パールを得るための手段としてこれまでの道程があったわけだが、パールと一緒になれたからもういいと、今更放り出せるものでもなかった。今や一平にとって守人となることは、パールを守るための方策でもあった。


 目標のひとつを温情によって達成させられて、自分の気持ちが緩まないという保証はどこにもない。守人となってパールとこの国を守ること以外に、ここで生きる術を、一平は持っていなかった。

 崇高なる彼の目標は、パールを妻にできるという励みがあってこそ達成することができるのだと、一平は考えるようになっていた。パールを自分のものにしてしまえば、きっと自分はそのことにのめり込んでしまう。片手落ちにはしたくなかった。

 完璧な形、最高な形で結婚という佳き日を迎えたかった。

 ―初心を貫徹したい―

 一平はオスカーにそう答えた。


 オスカーはなるほどと思った。

 殊勝な心掛けだと感心したが、口に出してはこう言った。

「おぬしも融通の利かぬ男だな。それでは生きてゆくのが辛かろうに」

 一度決めたことを違えることこそ一平にとっては心の重荷なのである。

「申し訳ありません…」

 仕方がない。自分にはこういう生き方しかできないのだ。

 せっかくの王の好意を足蹴にすることを申し訳なく思った。

「これは存外であったな。パールの耳に入れなくてよかったよ」

 少しでも耳にしていたら、その気になって大騒ぎしたろう。パールに理解できない理由で断れば、彼女の落胆は相当なものだっただろうし、それがわかっている以上、反故にすることもできずに流されてしまっていたかもしれない。

「すみません…」

「謝ることはないさ。そういうおぬしだからこそ、私は選んだのだ。今回は私の方が気弱になっていたと認めざるを得んな」

「そのようなことは…」

 王に反省を促すつもりなどなかった。一平は恐縮して頭を下げた。



 帰国後のパールは外出の自由を奪われていた。

 外出といっても、それまでパールは自由気ままにあちこち出歩いていたわけではない。王宮と修練所との往復と各所へのお医師の派遣に参加していた程度だ。いろいろなことに興味はあったが、丈夫さを増したとは言え、体力の微弱なパールには日々課せられたことをこなすのが精一杯で、人を訪ねたり遊びに出たりする時間などありはしなかった。余分な時間があれば一平と共に過ごすことに使ったし、でなければ休息するよう主張する母やフィシスの言に従っていた。

 たとえ『外出禁止』という事態になっても、一平と会う自由さえあれば、パールは甘んじて辛抱することができただろう。先だってレレスクで軟禁されたことに比べれば天国である。


 制限されたのは城外への出入りであった。修練所へ行く際には誰かが護衛としてついて行く。それまで一人で通学ができることに喜びを感じていたパールには残念でならない。一平こそその護衛役をしてやりたかったが、彼は既に修錬所の課程を終了してしまった。取り敢えずはこの先通う必要性がなくなり、代わりにトリトニア軍の武将としての仕事がどんと降り懸かってくる。時間さえ合えば一緒に通っていたというのに…。


 医師派遣団の活動に加わることの成否も問われていた。

 無論パールの力は必要だ。トリトニアの人々にとっても。

 今まではパールが行きたいと言えば、また向こうから来て欲しいと請われれば、大抵の場合何の問題もなく出掛けられた。身体の具合を考慮して、信頼のおけるお医師を配備して。

 だが今回のことでお医師を付けるだけでは不十分だという話になった。

 仮にも王女であるのだから、今までも護衛を付けるべきだったと言うのである。


 確かにキルアでは大勢の医師がパールと寝食を共にしていたのに、いざ敵が現れてパールを攫う段になると、彼らは何の役にも立たなかった。

 パールに偉大なる癒しの力があることが明白な以上、今後もレレスクと同じような考えを抱くものが現れるだろうことは自明の理であった。考え得る謀略があれば、未然に防ぐ手立てを講じることも必要だ。

 パールの派遣は極力控え、どうしてもという場合にのみ、護衛を付けて参加させる。それ以外は王宮の方に患者の方から出向いてもらう、という方針が決定した。

 


「あーあ、つまんないの」

 パールがひとりごちた。

 とは言え、すぐそばには一平がいる。パールにとって一平と一緒にいられるというのに『つまらない』ことがあろうはずがない。今現在の状況に不満があるのだということはすぐにわかる。

 付き合い始めて間もない不安定な間柄の男女であれば、そのような発言には不安を煽られるところだが、今の一平は自分とパールとの繋がりに関して微塵の疑いも抱いてはいない。パールが自分のことをどこの誰より信じ、慕ってくれていることは明白なる事実だったし、例えそうでないとしても、自分がパールを守りたい、愛するのをやめることはできないというのは確固たる信念であった。

 出会ってからの五年間の間に十年にも匹敵するほどの濃密な時間を二人は共有してきたのである。そしてその自信が今の一平を輝かせていた。


 彼は言った。

「どうした?」

「行っちゃいけないんだって、パール」

「どこに?」

「施術にさ。たくさん要請が来てるのに、重症で切羽詰まった人、それも王宮まで来れる人だけにしなさいって、パパが」

「ああ…」

 その事は一平の耳にも入っていた。パールのことで重要なこと―些細な事でも―を、必要と思われれば、王は一平にその旨を伝えることを欠かさない。オスカーは一平に対して絶対の信頼を置いており、娘の今後を任せようと決めている男に惜しみなく情報を流す。他でもない娘の身を守るために。当事者のパールよりも先に一平が知っていること、パールは知らないが一平は知っている、ということは決して少なくない。


 一平はむしろその件に関しては賛成であった。過保護と言われようが取り越し苦労と笑われようが、パールが転ばないようにその先に杖を配することは一平には必要と思われた。

 医学に携わるくらだから賢くないわけではないし、物覚えもよいのだが、いかんせんパールは純粋すぎる。人を疑うということを知らない。頭から信じすぎる。悪意をも善意の目で見てしまう。

 極めて騙されやすく、護身術も弁えていないひ弱でか弱い少女ひとり攫うのは実にわけない話なのだ。四六時中そばにいて見張っているわけにもいかないので、一平にしてみれば願ってもない決定だ。


 だが、当のパールはそうは思わない。放浪の旅の成果か思いもかけず丈夫になり、今までできなかったことが可能になったのに、また元の状態に逆行しているようなのが悲しかった。病に苦しむ人々の役に立てることは、パールにとって画期的な進歩であり、そのことで自分に自信がついてきたところなのだから。


「苦しいのはみんな同じなのに…」

 自分の具合が悪いわけでもないのに出向けない辛さはパールの小さな胸を罪悪感で苦しめた。

「ねえ、だめかなあ⁉︎」

「え?」 

 衝突にパールが訊く。

「駆け落ち」

「駆け落ち⁉︎」 

 いわば重大なる提案を簡単に持ち出されたわけだが、一平は軽く躱した。

「ばか。そんな必要がどこにある?そういうのは結婚を親に反対されている人たちがするもんだ」

「だって…」


 一平にはわかっていた。なぜパールが『駆け落ち』をしたがるのか。

 パールは自分が王女であることが嫌なのだ。いや、時々だが、嫌になることがあるのだ。父や母は大好きだが、父が王であり、母が王妃であることもパールにとっては当たり前なのだが、その二人の子どもであるというだけで未熟な己が王女となり、その存在がともすれば二人を窮地に陥れるという現実が。


 囚われの身となり、軍を出動させ、最愛の一平を悩ませ、あまつさえ大切な影を失った経緯が、パールがそのように考えるに至らせた。

 自分のような王女がいなければ両親に迷惑をかけることもない。一平を危険に巻き込むこともない。そして一平は自分と一緒になるために、トリトニアに来て以来大変な苦労をしている。勉学はもちろん武道にも励み、とても難関な地位を勝ち取る努力をしている。

 それもこれも皆、自分が王女であるせいなのだと。身分を捨て、王家から解放されれば、他国につけ狙われることも一平に苦労をかけることもない。施術だって自由にできる。だから駆け落ちでもして、トリトニア王家と関係ないところで二人で幸せになろうと、そういう思考回路なのだ。


「そんなに急いで結婚したいのか?」

 わかっていながら、一平はそう茶化した。

 パールは意外な質問に目を丸くし、それでもすぐに答えた。

「当たり前じゃん。パール早く一平ちゃんの赤ちゃん欲しい」

 そこへ話が行くのは非常に困るのだが、一平は内心の動揺を必死に抑えつつ言った。

「駆け落ちしたら王家との関係はなくなるんだぞ⁉︎」

 身分を捨てれば王位継承者を残す義務は消失するのだ。

「それでも欲しいもん。子孫は増やさなくちゃ」

「あのなあ…」


 そういう理由で赤ちゃんが欲しいと言われるのは興醒めである。

「パールね、もう名前考えてあるの」

「はあ⁉︎」

 なんと気の早い。

「でも内緒ね。生まれたら教えてあげる」

「オレの意見は?」

「え?一平ちゃんも考えてあるの?」

「いや、まだだけど…」

「じゃあいいじゃん。パールの方が先に考えついたんだから、もう考えなくていいよ」

 そういうものでもないだろう…と呆れつつも、反論する気にはなれなかった。どのみち一平には日本風の名前しか思いつけないのだろうし、郷に入れば郷に従えという諺もある。


 なんだかパールは嬉しそうだ。最前の『つまんないの』はどこへ行ったのやら。

「ね、だめかなあ。駆け落ちして、どこかで二人で赤ちゃん育てるの」

「パール」

 少し厳しい声を出して、一平はパールの提案を遮った。

 ちょっとだけ、いたずらを見つかった子どものような目をしてパールが見上げる。

「オレは陛下に約束した。必ずおまえを幸せにすると。守ってみせると。だからおまえをオレにくれと。身分すら持たないこのオレに、陛下は命より大事な愛娘のおまえをくれてやってもいいと仰せになったのだ。その代わり青の剣の守人になれという条件をオレは呑んだ。まだなれるかどうかはわからないが、その努力を放棄することはオレには禁忌だ。今逃げ出したら、おまえがオレのものになってもオレは後悔する。そうやって生きる他に、オレには未来を夢見る術がない。わかるか?」

「…うん…」

 

 こんこんと諭すように力説する一平に、パールはこくんと頷いた。

 理屈はわかる。多分それが正しいのだということもわかる。他でもない、一平がそう言うのだから。

「ごめんなさい…」

「謝ることはない。おまえの気持ちもわかる。オレを楽にしようとしてくれていることも。だが、それはオレには嬉しくない。オレは、おまえにはこのトリトニアで幸せになってほしい。何も失うことなく」

「……」

「長らく待たせることになるかもしれない。本当にすまない。だが、おまえがオレの唯一の心の支えだということだけは信じていてくれ。おまえがいなければオレは生きていても意味がないのだということを」


 黙って一平を見つめ返していたパールが眉を顰めた。

「変なこと言わないでよ、平ちゃん。縁起でもない」

「…そうか、そうだな。すまなかった」

 一平は細めた目をそのまま閉じてパールを抱き寄せた。

「一日も早く…おまえと結婚できるように頑張るから…」

(だから待っていてくれ。オレを見捨てないでくれ)

「うん、パールも…。パールも頑張る。一平ちゃんが恥ずかしくないように」

 健気に言うパールに一平も言った。

「オレは今でも何も恥ずかしくなんかないさ。パールは最高だ」

 そしていつものように優しく唇を啄んだ。



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