92話 こわかった
「……すぅ……すぅ……」
「ええと、如月先生……これは……?」
「お姉さんがお迎えに来たら、すぐに寝てしまいましたね……」
「な、なにこのかわいいいきもの……あ、最推しだった……」
診察室――その空間に現れた優花を見たとたんにすがりついたこはねは、秒で胸元へ飛び込み……そのまま眠りに落ちた。
つい数分前まではベッドの上に立ち、両腕を上げて背伸びすることで低身長をかさ増ししてみせたり、威嚇の声を上げたりしていたこはねが……優花が来たとたんに警戒心を喪失して抱きつき、最も無防備になるはずの睡眠を始めた。
その姿は……大小の差はあれども、この場に居る3人の乙女の本能を疼かせるもの。
だが本能を隠蔽するのを得意とする女医は、あくまで澄ました顔のままで言う。
「こちらの月見さん――コメント欄で拒否反応が出ないのは確認済みです――と、引き合わせたのですが……出会い頭のインパクトで興奮してしまいまして。ちょうどひよりさんのときと逆のパターンですね」
「つい最推しを前にして、思わず大声を……ごめんなさい……」
「先生が私に連絡してこなかったということは、錯乱したりはしなかったんですよね。それなら構いません」
「御姉様……!」
「最推し」を怯えさせてしまったことへ、密かに自分の首で納得してもらおうと画策していたみなみは――こはねを両手で抱く優花を前に声がうわずり、こはねをビビらせた「ゾンビ」へと変貌する。
「っ!」
「うへへ……御姉様……!」
血気迫る表情といい、声といい、なによりも――少し前のこはね、あるいは直羽だった頃の彼と同じように昼夜逆転生活で数年間に渡り日光をまともに浴びず、今も徹夜状態で目の下の隈が真っ白な肌と決めるコントラストが強烈な彼女。
……なによりも、普段から梳いていないせいでぼさぼさ――しかもセルフカットのために、見えない場所の髪がえらいことになっている――姿と合わせたなら、小動物の心臓しか持たないこはねでなくとも恐怖を抱いても、おかしくはないだろう。
だぼだぼのパーカーも――もちろんこはねの真似だろう――腕を広げると、威圧感の出る面積となる。
みなみの見た目と興奮している状態の声は――こはねをギャン泣きさせ、優花でさえたじろがせるものだった。
「え、ええと……こはねさんと話してくださり、ありがとうございます……」
――それを受け止めながらも、優花はなんとか表情を崩さずに話しかける。
今の優花の胸元には、愛する兄がちいさくてかわいくてかよわいものになった存在が、すやすやと寝ているのだ。
自分に安心を感じ、自分の顔を見たとたんにすがりついてきて寝入った庇護物が存在するのだ。
母親とは、いざとなれば我が子のために天敵とすら戦う生き物。
今の優花は――そんな、母親の本能で稼働していた。
「私のこともある程度は信用……いえ、安心してもらえたらしく、お姉さんの次に安心できる存在として認識してもらえているかと。この診察室という、何度か訪れて慣れてきた閉鎖空間も、多少は……こうして1人ずつでも、直接コミュニケーションの取れる人を増やせたら、ですね」
「先生……」
「月見さんの件も、今後のことを考えたなら良い刺激になったかと。画面と文字越しでもある程度の顔見知りの人を――介護班から、まずは女性、続いては男子学生から少しずつ慣らしていけば。場所も、診察室と待合室――そのうちに、最寄りの喫茶店など、少しずつ広げていけたら良いですね」
「先生……!」
――この場での救いは、如月だけ。
まるで女神のような神々しさに、優花の目元がうるみかける。
「べへ、べへ……」
謎の声を発するみなみを意識しないようにうなずくも――女医の白衣、その胸から腹あたりが何かしらの液体で汚れているのを発見する優花。
これは――優花が何回と経験した、幼女と化した兄の涙と鼻水と唾液だ!
「あ、先生の白衣が……ご、ごめんなさい……クリーニング代とか」
「いえ、こはねさんから分泌された香しき液体は全て抽出して存分に――」
「えっ」
「――こほん、言い間違えました。白衣は毎日替えて業者へ出していますし、予備もありますので問題ないと言いたかったんです」
「そ、そうですか……」
とんでもないことを言いかけたのをなかったことにと、しれっと言い放つ如月。
兄が、すごく――本当にすごく世話になっている手前、妹は、如月の性癖についてはある程度目をつぶるしかなかった。
「いとおしい……かわいい……ご奉仕したい……」
一方のみなみは、ひたすらに優花の胸元ですよすよと寝ているこはねに夢中。
少なくとも、こはねを眺めさせておけばゾンビ系女子は安全のようだ。
「……あの、ええと……月見さん?」
「みなみとお呼びください御姉様!」
「あっはい……こはねさんが起きてしまいますので、もう少し静かに……」
1歩、2歩下がるも――しまった、診察室のドアが優花を阻む!
「月見さん――月見みなみさんも、何度か話せば落ち着くでしょう。もちろんこはねさんも」
「そう……ですね。ええ、こはねさんの話し相手……友達ができるのは」
「いと尊き御方のお友達ぃ゛ぃ……!」
「お友達」――その声に、ぼさぼさの髪をかきむしる、みなみ。
その姿は、どう見ても……。
「……せ、先生? この人、本当に大丈夫なんですか?」
ドアから移動しつつ、こはねの寝顔でみなみを釣りつつ如月に接近した優花は、ぼそぼそと懸念事項を伝える。
「ええ。対人コミュニケーションは『こはねさんと同じ』……と言えば。ですが、彼女の普段はシャイでおとなしいので、間違いなく無害です。できれば相方の、この子の外してしまう感情の振れ幅を抑えられるもう1人も居れば、こはねさんも寝てしまうほど疲れはしなかったのでしょうが……あいにく今日の彼女は、外せない用事とのことで」
「は、はぁ……」
――ひとまず、感染してから数日程度にしか見えないゾンビな彼女は……少なくとも、こはねの吐き気を催さなかった。
たとえ泣いたとしても、吐くほどまで行かないのなら問題はない。
優花は、自分より小さくなってしまった兄のかよわさにため息をつきながらも、ひとまず友人候補が増えたことに喜んだ。
◇
「ふみゅ……」
「あ、起きましたか?」
それから、数時間。
時刻はすっかり夕暮れ。
優花は、自分のベッドに寝かせていた兄が目覚めたのに気がつき、勉強イスごと後ろを向く。
「良かった、少し心配していたんです」
「ゆうかお姉ちゃん!」
「!?」
こはねは、優花を認めたとたんに――ベッドから飛び降りた!
普段なら絶対にしない、兄の俊敏すぎる動き。
「ど、どうしましたか? 具合が――」
「怖かったぁぁぁ」
「え……え?」
どんっ。
まるで体当たりするように――いや、小さいながらも小学生女子はある体重が、飛び降りた勢いそのままに――優花のみぞおちへ叩きつけられる!
だが、優花は動揺しない。
「そんなことよりも」兄がまた吐く危険性の方にしか頭にないためだ。
「に、兄さん……?」
「こはねのこと、捨てないでぇぇ」
優花のみぞおちにすがりついたまま泣きついている、こはね。
その姿に……さすがの彼女も、違和感を覚える。
「……に、兄さん?」
「こはね」
「えっ」
がばっと、勢いよく上げられた幼い顔。
それは、早速に湧いた涙がにじんでいたが――まるで、小さな子供が言い張るようで。
――その顔つきは、土台は全く同じはずなのに――なぜか、どうしてか。
優花にとっては「見知らぬ少女」のようで。
「ふたりのときは、こはね」
「え……」
「こはね」
「わ、分かりました……」
「こはねって呼ぶの」
「こ、こはねさん……?」
「………………………………」
「………………………………」
「……んー♪」
それに納得したらしく、ころっと笑顔になった――「普段の兄」ならまずあり得ない表情変化をしたこはねは、優花の下腹部にぐりぐりと頭を擦りつけたあとずるずると下がり、優花の膝枕を楽しむ方向になったようだ。
「なでなでしてー」
「……はいはい」
――それ自体は良い。
優花も嬉しい。
だが。
「………………………………」
「ふぁぁぁぁー……」
兄が、自分へ、全力で甘えてくる。
一瞬ならまだしも、起きてから数分が経っても。
普段ならいい加減に正気へ戻り、ぷいっと恥ずかしそうに出て行くはずの――「兄のはずの少女」が。
――ぞくり。
優花の背中は――彼女自身が理解していない何かを、恐怖として認識した。
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