8話 男だった僕の最後の夜
人は、目的がないと生きる意味を失うという。
だからこそ――自己満足の配信でしかないとしても、こうして何かを続けているっていうのは毎日のモチベーションになる。
たとえそれが生産性皆無で意味も無く、世間に対して何の利益になっていないことであったとしても。
こちとら昼夜が周期的に逆転する引きこもりなんだ、配信スケジュールとか定期的なランクマッチとかアップデートとか、なぜか僕のところに来てくれる視聴者たちとか――そういう、無駄でしかないはずだけど、それでも僕がこの世界に存在している理由っぽいのがあるってのは嬉しいんだ。
そんなことを思いながら適当に動画をおすすめされるがままに観続けて――再度に手が地面をさまよい、あと1杯だけと、アルコールを求める。
けども――こつっ……とん。
「……あっ、もったいない……」
――とくとくとく。
次を注ごうとして倒しちゃった酒瓶から、床に広がっていく貴重な貴重な、お酒。
無駄になったアルコールの、つんとした匂いが鼻を突き抜ける。
「……あ、今日、燃えるゴミの日か」
その液体が染みこんでいった先の、ゴミ箱からあふれかえったティッシュ――いかがわしい用途ではなく、日常で使う範囲で溜まったもの――を片づけつつ。
僕は、お酒を飲みながらだらだらといつの間にか30分くらいが過ぎていた深夜の自室で、数時間後のゴミ出しを思い出した。
あと――クーラーガンガンで忘れていたけど今はすっかり夏で、つまりはまだ深夜なのに少しだけ光がこぼれるカーテンの隙間を、見るともなく眺めて。
◇
「……ふぅ」
数時間後。
ぎりぎり長袖――なにしろ冷房の効いた室内でしか棲息しない引きこもりだ、冷風対策の長袖一択しかないんだ――でも耐えられる気温な早朝、かつまだ人通りもない明け方。
アルコールで恐怖を取り払った僕は、家の中からかき集めたゴミを詰め込んだ袋を置き、ネットをかぶせる。
「……すぅっ」
夏の朝の匂い。
まだ真人間な心を持っていた時代から好きだった匂いを吸い込みつつ、ジャージ姿になった僕は歩き出す。
できるだけ猫背になって、できるだけ人に気づかれないように。
え?
引きこもりニートなのに外に出て手良いのかって?
僕は軽度だから、人が居なければ外には出られるんだ。
決して引きこもりニート詐欺をしているわけではない。
引きこもりニートの癖に外を歩いて発狂しないかって?
大丈夫、この時間帯に遭遇するのはせいぜいがお年寄りか犬の散歩だけ。
彼らは僕の敵ではない。
気がつかないフリをし、気がつかれてしまったのなら適当に会釈するだけで済む相手なら、僕は怖く感じないんだ。
――筋肉は、使わないと衰える。
それは声帯の筋肉と同じで、いくら健康な成人男性であっても年単位で歩かなければやがては歩くことすらできなくなるという。
そんなことは無いと思うんだけど、優花がしつこく言うもんだからしぶしぶそう思い込むことにしている。
だからこその、最低限の運動としての散歩。
……僕が引きこもりニートをして良い条件として提示された、絶対条件という名のノルマでもある。
その交換条件が生活費の支給なんだから、やるしかない。
逆に言えば1日1回の散歩とゴミ捨てとかだけで月数万が支給されるんだ、ますますにやるしかない。
まぁ帰り道にコンビニに寄れるから悪くはないし、短くとも外に出るだけでまだ正気でいられているのは感謝しているけども。
あ、最近のコンビニって良いよね。
無人レジとか最高――お酒頼むときは店員さんがすっ飛んでくるから気持ち悪くなるけども。
◇
――こんこんっ。
それから1、2時間――部屋の外から、いつものノック音。
「兄さん、おはようございます」
「うん、おはよう」
――「万が一に備えて、僕は、部屋の鍵はしない」。
――「代わりに家族からは、絶対にドアを開けない」。
その条件は、今朝も満たされている。
とはいえ閉めたドア越しでは大声を出す必要があり、僕の声帯が死滅する。
だから、毎朝の――挨拶の時間にだけほんの少しだけ開けてあるドアから、妹の声が届く。
「今日からは試験期間なので、帰りは早いです」
「うん」
「朝食の準備とゴミ出し、ありがとうございます」
「うん」
声帯を労るために、ドアの横のベッドに腰掛けて返事をする。
ふわりと漂ってくる、妹の――優花の匂い。
高校生になって着けるようになった、控えめな香水の匂い。
「校則が厳しくて」と、困ったように言っていたのを思い出す。
「必要なものはありますか」
「特に……あ、卵がないかな」
「分かりました、帰りに買いますね」
ぽつり、ぽつり。
顔を合わせなくなって2年ほどだけど、ほぼ毎日交わす声。
――香りに制限があるとはいえ香水が許される程度には校則が緩いとか言ってたし、妹の優花は小学校のころから……いわゆるクラスの一群だ。
最後にちゃんと見た顔は、中学生の彼女のそれ。
今は高校生、それも3年だ――僕が苦手なタイプの女子たちのごとくに薄いお化粧とかして学校に行ってるんだろうし、きっと顔とか見た目が変わってるんだろう。
――僕が最後に優花を直接見たのは、まだ彼女が中学のときだったから。
ニートのくせに部屋の中ですっ転んで、その音で駆け込んできた優花に見られて運ばれたときは動揺しててまともに見てなかったし、覚えてなんていやしないし。
普通の兄として妹に接したのは、それが最後だったから。
きっと彼女の中の僕も、まだ高校生相当な年齢だろう。
「日課はしましたか?」
「したよ」
僕は、必要のない嘘はつかない。
それを知っているからか、特に証拠を求められることもない。
「分かりました。……では、また」
「うん、また」
ぱた、ぱた。
ゆっくりと離れていく足音。
――かちゃん。
ゆっくりと閉めたドアの音。
「……はぁ」
ごろりと横たわる。
時間軸がずれてはいるし月の半分は昼夜逆転だけども――今の時期は僕基準で夕方のお酒、そして晩ご飯に食後の散歩、軽い家事、そしてお風呂。
それらが全部終わってから――真面目な高校生をやっている妹の1日が、朝食から始まる。
――兄が妹に気を遣われて、家計と衣食住を管理されて、必要なものは家のカードで買わせてもらえる上に、月に1回小遣いをもらって。
情けない?
そう思うんなら、こんな生活はしていない。
そう思うんなら、こんな生活なんかできない。
プロのニートに、無駄なプライドはない。
プライドなんかあったら、ニートは失格だ。
そう思わざるを得ないから――「せめてこれだけはやって」と懇願されたタスクを、家事と僕自身の健康だけは、やっている。
「………………………………」
分かっている。
こんな生活、いつまでも続けられるはずがない。
世間的には、いい年した男が大学生の妹に世話をされているんだ。
優花だって、僕のことを他人に説明するたびにストレスを感じているだろう。
あるいはひとりっ子だと、さりげなく言っているかもしれない。
でも、それで良い。
「……ニートやってて申し訳ないと思うのは、こういうことだけだな」
仕方がないんだ。
僕は、外に出られない。
出る気力が浮かばない。
一時的にハイになっても――早くて数時間、長くて数ヶ月で、また引きこもりたくなる。
日の光と人の声と視線から、隠れたくなるんだ。
ただただじっとごろごろとしていたくなるんだ。
精神的な病気なのか、あるいはその気があるのか。
そういう検査とかはさせられたけども……特に何も言われなかったし、きっと特に理由のない労働放棄なんだろうな。
……こんなのは、良くない。
だから、優花が――就職したりして。
きっとよりどりみどりだろうから、20代のあいだに誰かと結婚する。
そんな話が出てきた段階で、僕は家を出よう。
優花が結婚するころには、僕は30半ば。
さすがにそんな年齢まで家に居たら親のすねの味にも飽きるだろうし、家賃と生活費のためっていう理由があれば働ける。
それが、僕みたいなタイプのニートだ。
下ろしたカーテンの隙間から夏の日差しが部屋を照らす。
――僕以外のみんなは、慌ただしい朝を、気持ちよく過ごしている。
でも、僕はこうしていい具合に引きこもりニートとしての体力と気力を使い果たし、あと1、2時間で眠る。
そして夕方に起きる。
その、繰り返し。
でも、僕には才能がある。
ニートをする才能だ。
余暇を自分なりに本気で楽しむという才能が。
「それも立派な才能だと思うけどなぁ」――コメント欄の誰かは、そう言ってくれてたけどね。
「新規こわい……けど、できたら最下部↓の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】とか応援コメント、まだの人はブックマーク登録してぇ……」