71話 新しい朝
「うみゅう……」
目が覚めてきたら、幸せな感触に包まれていた。
あたたかくてふわふわして柔らかくて良い匂いが、僕の顔を包んでいて――ちょっとだけしっとりしていて居心地の良い感触に。
「くぁぁ……」
「 」
目を開けると、まだ夜――じゃなく、少し離すと目の前には優花のパジャマ……の、胸元。
そういえば優花、制服とか着ているときと裸とでは――もう見ちゃったから諦めてるし、今は男のブツがないから物理的に興奮できないし、そもそも肉親にはそんな気持ちはこれっぽっちも抱かないからきっとセーフだ――胸の大きさが、サイズが、インパクトが、圧力が……かなり違っている。
普段から洗わされてきた、彼女のブラジャー。
うん、知ってた。
年々大きくなっていく、それを。
だって、僕が毎日洗って干して畳んでいたんだから。
女の子らしく白にピンクとか淡い色のかわいい――じゃないじゃない、僕は男だ男――ともかく女性専用の下着は、意外と硬いんだ。
なんでも金属とか固い素材が入って形を整えるとかなんとかだそうで、つまりはパッドで盛らない限りは柔らかいお餅がパックに収容されるってことで。
だから干すときもちゃんと上の部分のワイヤーが入ってるとこを洗濯ばさみで挟んで吊さないと、形が崩れちゃうんだとか。
こういうのは女のきょうだいが居てこその知識だね。
彼女さんが居れば――やめておこう、下手をすると僕は一生できるはずがない末路なんだから。
「ふぁぁぁ……ゆうかぁ……おはよぉ……くぁぁぁぁ……」
あくびが長い。
10秒くらいはしてたと思う。
「くぁぁぁぁぁ……んみゅ」
「 」
でも、寝るときはシャツに柔らかいのがついてるだけのやつ――キャミソールとかナイトブラとかいう柔らかいのを何種類か着回しているのもまた知っていて、昨日のお風呂でもまた着けるところまで見ることになったから、つまりは僕に押しつけられてた柔らかいのは純正に準じた大きさと柔らかさってことだ。
やっぱり優花も、胸が擦れると痛いんだね。
僕と同じだね。
僕と同じく、めんどくさいからって普通のシャツを着るだけだと先っぽが擦れてじんじんじくじくするのかどうかは聞いてないけども、あれだけ大きいんだ、きっとばいんばいんするし、それはもう痒くて仕方がなくなるだろう。
お胸が大きいって大変だね。
僕のは小さくて良かったよ。
こんなに小さくて、僕は幸福だ。
そりゃあ見る方としては大きい方が良いけども、着けてる方としては小さいほうが何かと都合が良いんだ。
それに、先っぽって、ひどいときはつまんでぎゅーっとつねらないとなかなか収まらないんだよね。
田舎に行ったときに刺してくる虫たちくらいにしつこいんだ。
僕も女の子になって知ったよ。
女の子って大変だね。
「ゆうかー? ゆうかぁー?」
ぽふ、ぽふ。
すやすやな妹を軽くたたいてみるけども、起きる気配はない。
「 」
「ねてる……くぁぁ……」
今日も今日とて抱き枕にされての目覚め。
――あれから何日かが経った。
それから毎日、優花の寝る時間に合わせて僕も寝させられている。
眠れないときはお酒を飲んでも良いしタブレットで本とか映画で好きにしてても良いってことになって、だから気持ちよく飲んでからちゃんとトイレに行かされて、それからごろごろしてから寝ているんだ。
最近はたまたま起床時間が午前と、比較的真人間に近い生活サイクルになっていたおかげで問題なく――アルコールのせいで途中覚醒してトイレに行ったり呑み直したりはする。
けども、夜からは優花が僕のベッドで寝る生活になっている以上、パソコンの光とかで起こすのは忍びなく、だからもっかい眠くなったら優花に潜り込んで抱きしめ直させてから寝直している。
――これが、先生から提案された「睡眠を改善して生活リズムだけでも昼型に戻し、かつ、不安定な時期のフラッシュバックとかを防ぐ」生活。
どうしても眠れないときは床に座ってタブレットで本を読んだりするしかないから、体には良い生活なんだろう。
優花には迷惑をかけちゃっているけども……うん。
この数日、優花に包まれながら寝ているから――悪夢は、見ていない。
「んしょ、んしょ……」
「 」
優花も学校を休んでいるからか、それともやっぱり僕が夜中に起きてもぞもぞするので目が覚めちゃうからか、平均で10時間以上寝ることになる幼女――少女な僕と同じくらいお寝坊さんだ。
しかも、毎朝先に起きるのは大抵、僕だ。
けども、
「……ゆうか……白目剥いて寝るようになったんだね……」
――夜中に見るときは普通に寝てるのに、朝はなんで毎回白目なんだろ……ちょっと怖いよ、優花。
口も開いてるし、なんならぴくぴく動いてる錯覚がしてくるよ。
………………………………。
……ちょっとだけ、1口だけ……徳利1本分だけ……だっけ、怖いもん。
◇
「ふふっ。学校での2限までお寝坊な生活は、すごくぜいたくですね」
「優花が悪い子になっちゃってる……」
「たまには良いんです。そもそも学校も、もうこの時期には受験対策の授業と模試しかありませんし」
「優等生だったはずなのに、悪い子になっちゃった……」
「内申点も充分ですから休んでも平気ですよ?」
朝食。
昨日ぶりで数日連続――そして数年ぶりの、一緒の朝。
「……本当にそれだけで良いんですか?」
「うん、あんまりごはんよそっちゃうとお昼食べられなくなっちゃうし、すっごく眠くなるし、胃がもたれるし……もたれると吐きやすいし……」
あれから買ってもらったお茶碗――かわいいのはともかくとして、子供用のお茶碗に半分のごはん。
それは、前の僕なら2口で食べきる量だろう。
「体が小さいし、動かしてもいないから必要なご飯が少ないんだ」
「検査で問題がなかったので、兄さんが食べたい量でも良いとは思いますけど……」
「優花は普通の学生さん、最近は僕のせいで休んでるけども、普段は運動量もあるし勉強もしてる。そしてなにより成長期なんだ……もっと食べた方が良いくらいだよ」
僕のお茶碗と自身のそれとを比較して気まずそうにしている彼女へ、言う。
「でも、私、太ってますし……」
「いや、心配なくらい痩せてない……? もっと食べなよ……? 僕が言えた立場じゃないけど……」
「……そう、でしょうか……」
気まずい話題ではあるけども、答えないわけにはいかない話題だ。
女子とは、過去現在未来永劫に美を追究する宿命を負う。
それが、たとえ繁殖相手の男には全く気にならないことでさえも。
「……兄さんにとって、私は痩せていますか? 裸は魅力的ですか? バストサイズ――おっぱいの大きさと……先の見た目に、腰――おしりの大きさとふとももの……」
「すっごく痩せてるけど魅力的だと思う。……あと、そういうのは兄に言わないでね……気まずいからね……父さんに言ったら卒倒するよ、それ……」
「父さんのことはどうでも良いんです」
「やめたげて……かわいそうだから……」
女子という生物にとって、ダイエットってのは宿命づけられたものらしい。
ぜい肉が一切ないレベルで締まってる体――見ちゃったんだからしょうがない――は、まるでグラビアアイドルのごとくにお胸とくびれとおしりのバランスが良かった。
3年生とあって部活とかに熱心なわけじゃないのに、ここまで締まってるのはすごいよね。
それに対して僕は幼児体型のちんちくりん。
男のときと比べても、すーすーする股以外は違和感がないくらいにはね。
本当に小学校時代の僕自身と――股と胸と顔と髪を見なければ思えるくらいなんだ。
そのおかげですぐに馴染んだともいえるし、ちょっとがっかりだったともいえる。
なにしろ、一生に一度のTSだからね。
……戻るとは思うけどさ。
「それにしても……やはり母さんも父さんもダメでしたか」
「うん……2人には悪いことしちゃったね……」
もぐもぐと食べながら、優花に手を引かれて両親と対面したときのことを思い出す。
「2人とも、しばらくはこれまで通りに顔を合わせないようにしてくれると……」
「それしかないかぁ」
――数年ぶりの両親は、ちょっと老けていた。
たぶん、僕が迷惑をかけ通しだったからだと思う。
若く見られるのが自慢だった母さんは顔のシワと手の甲のシミができてて、父さんは白髪が目立っていた。
だけど。
――優しすぎる2人はそんな僕を許してくれて、こんな僕になっても「僕」だって認めてくれた。
――「息子」だって、信じてくれた。
泣きながら、信じてくれた。
けども、
「2人と離れて話すあいだは我慢できたんだけどなぁ……」
「母さんがハグをしてしまいましたからね……」
せっかく迎え入れてくれた2人の前で――僕は、夕飯を盛大にリバース。
えずくのが止まらなくって苦しくて泣いちゃって、上からも下からもさらに漏らして優花に抱きしめられてあやされて、優花に抱えられて物理的に離されるしかなかったから。
それも、よりにもよって母さんのハグで致命的だったところに、おずおずと近づいてきた父さんで我慢ができず……ハグされる寸前でやらかすとかいう、実にかわいそうなことをしたんだ。
あと……うん。
父さんは……臭かった。
父さん……変な男用の香水?は止めよう……?
「母さん……はともかく、父さんが相当ショックだったようで……まるで『私が反抗期になった勢いで出ていって適当な男とくっついて子供ができたと報告されたような絶望感』だった、と」
「父さんにも悪いことをしたなぁ……あと、そのたとえはえぐい……」
運良く2人にぶっかけることはなかったけども、実の息子が娘になって、しかも対人恐怖が自分たちにも適用されちゃったっていう事実は――姉妹の父親になった父さんにクリティカルだったらしい。
あと、たぶん母さんは平気で、父さんで吐いたって思っちゃっただろうし。
……やっぱり女の人って強いなぁ……や、あるいは母親の強さかも。
「男親は娘に嫌われると心底落ち込むっていうもんなぁ……」
「兄さんのパニックは、そのかわいらしい見た目だと前よりも……受けるダメージが違いますから」
大の成人男性が泣きわめいていてもドン引きするだけだけども、小さな女の子が同じようにしていると心配でショックを受ける。
悲しいけども、これが現実だ。
僕だって同じような他人がそうしてたら同じ反応だっただろうし、しょうがない。
「ですが……兄さんは今後も兄さんとして生きていけます。2人も、応援してくれています。兄さんはこはねさんになっても、私の兄さんのままです」
「……うん」
……食べながら、家族の話をする。
こういう、少しこそばゆいけども幸せで、前はわずらわしく感じていた時間も――数年間、ほっぽり出していたんだ。
「ちなみに、先生から『女性として別の人生を生きたくなったら手続きもする』とのことです。この件は母さんたちとも」
「どんな伝手があるのか、ちょっと怖いくらいだけど……良い人だよね」
なんでも、僕の配信の視聴者だったらしい先生。
……あの人のほうが両親よりも安心できるあたり、本当に前から――配信経由でも、話したことがあるんだなって。
そりゃあ父さんも落ち込むよね……僕のことを知ってるからこそ『完全に初対面として認識してた』って理解できちゃうんだからさ……。
「あ、これは余談ですけど、必要なら先生が養子縁組で別の家庭の子供という戸籍に改竄できるようで」
「改竄とか表立って言わないでね……」
あの先生は優しいし安心できるし粗相をしても怒らない人だけど、ちょっと怖いところがあるね。
「そうしても私たちは家族のままですが、もし兄さんが『こはねさん』としてやり直したいときはとても有用です。もちろん、私たちの家族としてでも」
「まだ、全然分からないけどなぁ」
「あと、これは最近見たニュースですが、うちの地域でも結婚に準じる制度としてパートナー制度が導入されたそうです」
優花はときどき話が飛ぶ。
女子っていうのはこういうものなんだろうって思ってるから気にならないけども。
「パートナー制度……あー。同性の人たちでも夫婦――パートナーになれるっていう、あれだね」
「ですので、仮に先生の子供になったら……法的にこはねさんとしての兄さんと私が結婚することも可能です!」
「……あはは、確かに。先生がなんとかしてくれるんならそういうこともできそうだね」
「最近は女性同士で受精卵を作って子を設けることもできるそうです!」
「うん、女性同士で愛し合っている人たちにとって、嬉しいだろうね」
「兄さんは、ただでさえ魅力的なのに……かわいいです!」
「優花には負けるよ。世界で1番にかわいい女の子だ」
「 」
優花は意外とおちゃめさんだ。
顔を真っ赤にして――マジメな顔で冗談を言って和ませてくれるんだかち。
「新規こわい……けど、できたら最下部↓の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】とか応援コメント、まだの人はブックマーク登録してぇ……」




