7話 TSなんて起きるはずがない――そう思った夜
「こはね」。
昨日までは「こはねさん」とか呼ばれてたのに、なぜか今日になって急に「こはねちゃん」とか呼ばれるようになって複雑になってきた名前。
どうせ今どきはみんながみんなVTuberで自分と全然違う姿になっているんだ、せめて名前だけは聞き覚えがあるものにしたい。
あと、どうせ全然違うのだと忘れそうだし。
そういう理由で名前の「直羽」から「小」さい「羽」――「こはね」。
あと、
「地味なゲームで地味なプレイスタイルで男の地声と来たらさ、せめて画面だけでも華やかじゃないとって思うのが男じゃん? PCゲーで、そのゲームとコラボしたアニメのMODとか入れたくなるのが男じゃん? だからこれはTSとかじゃなく、かわいいが正義だから。本当にそれだけだから。VRなChatでも、やっぱどうせなら美少女アバターにしたいってのも。男なら分かるでしょ? ほら、うちの国限定らしいけど、あそこでのアバター割合は6割から8割が美少女とか摩訶不思議な現象が起きてるって言うし。つまりは種族的な特性なんだよ。無機物ですら片っ端から美少女にする文化の末裔を舐めるな」
【草】
【分かる】
【かわいいは正義】
【アニメとゲームで「萌え」っていう言葉が意識されなくなるくらい浸透した末路】
【あー、「萌え」とかもう聞かないもんなぁ】
【そうか……もう当たり前になってるのか】
【完全にサブカルの一部になったな】
【廃れたわけじゃなく、もう土台になったか】
【ああいう絵柄は最初は少女漫画……女子向けのだったはずなのにどうしてこうなった】
【俺は別に気にしないけどなぁ、そういうの】
【ひよりママに描いてもらえて良かったね、こはねちゃん】
コメント欄は――たぶん、僕より年上の人が多い。
だからだろう、こんなニートだけどニートの中では若造の僕をよしよししてくれるんだ。
「うん。ひより先生は去年より前からずっと、推しの絵師さんだからね。ニートしてすさんでた僕の心をTLに流れてきたほんわかイラストで癒やしてくれた天使だからさ」
ひより先生は学生さんらしい。
というか高校生だと――SNSで、自分で言っていた。
そもそもとしてアカウントの雰囲気も、どう見てもそうだしな。
……覚えてないことにしてるけど、確か女子だって普通に自分から呟いてた。
でもそこに僕が「そういうの言うと危ないし、自撮りから身バレも危険ですし、何よりDMの嵐だからやめた方が良いですよ」って伝えて速攻消してたからセーフ。
それで僕のことも巻き添えでブロックとかされないで本当に良かった。
まぁイラストとか書き込みとかどう見ても女の子って分かるけど……たとえ男だと分かっていても、本人が女の子っぽい言動をするなら全力で騙されるのがネットのマナーってもの。
だから明言しない限り、変なのはそこまで湧いてきてないはずだ。
ゆえに、男と明言して男ボイスでしゃべってるから大丈夫……なのになんで今日はこんなことになってるんだろうね?
「けど、みんなもそろそろ寝た方がいいと思う。うん、思います。僕みたいに明日がないならともかく、みんなはあるでしょ? 明日が。起きるべき明日がさ」
【草】
【あいかわらずストレートで草】
【んじゃ俺もそろそろ寝るか】
【ランクマ終わっちゃったしな】
【このあと別ゲーとかやるの?】
「いや、僕もそろそろ。ランクマッチだったからお酒呑めなかったし、これからゆっくり呑んで寝るよ」
【えぇ……】
【まだ足りないの!?】
【呑めなかった(結構呑んでる】
【肝臓だけには気をつけてもろて】
「大丈夫。健康診断は半年に1回行かされてるから。強制的に……行くたびに人がたくさん居すぎて吐きそうになるし、胃液だけ吐いたことあるけど。検査中に。でも問題ない範囲キープできてるから」
【草】
【吐いたのか……】
【まぁちゃんと管理してるなら】
【人見知りが重症だなぁ】
【妹ちゃんナイスぅ】
【けど数値に表れにくいのもあるから気をつけてね】
【膵臓とか怖いからな】
【ほどほどになー】
【こはねちゃん、お酒好きだし強いもんねぇ】
【まぁ20代じゃ大丈夫だろ たまに休肝日作ってるし】
【飲み始めも20過ぎてからみたいだし、妹ちゃんに食事は管理されてるしな】
【何かあったら言えよー】
【おやすー】
【おやすみ】
【今日はTS僕っ子こはねちゃんを夢見て寝ます】
【草】
「それで悪夢見たら怒るからな。吐くぞ」
【草】
【草】
【だから音声テロ予告はやめい】
【おやすみー】
最後の書き込みから1人、1人と消えていく同接。
「今夜もありがとう。また明日……っていうか今日の夜に」
そして僕はひと呼吸置いて配信停止ボタンを押し、配信ソフトの画面とブラウザの配信画面の表示を、いつものように指さし確認。
「よし、ちゃんと配信終わってるな。……ふぅ」
今まで全世界――の中のごく一部のニッチな人たちに繋がっていた空間が、僕が引きこもる狭い部屋に復帰する。
ああ、安心する。
たとえるならスマホを機内モードにしたくらいに。
――配信者とは、事故って炎上する生態を持つ。
たとえば配信中にうっかり個人情報漏洩で身バレ。
たとえば配信中に立ち絵ソフトの不具合で顔バレ。
たとえば配信後の切り忘れで聞かれちゃいけない音声が入って他人に迷惑を掛ける――などなど。
「ま、僕みたいなのが炎上とかするはずないけどさ。バレて困る見た目なんてしてないし。優花みたいなかわいい女の子とかじゃないんだからさ」
僕は、あり得ないことを妄想して――その妄想を、お酒で流し込んだ。
◇
活動数年にして登録者200人ほど。
同接はたまに10人行くこともある。
深夜帯は流れ着く人が居るからか、今日の中盤はなぜか同接50人とか行ってたけど、どうせ数日後にははんな忘れているから変化はないだろう。
今日のは何かの間違いだ。
うん、吐き気も収まってきた。
そもそも深夜帯は切り忘れとか寝落ちが多いし、実際にはやっぱり普段の数人だろうし。
そんな木っ端すぎる存在がやらしたって、誰も注目なんてしない。
だから気楽に続けられる。
人に目をつけられる声やトークをしていないって理解してるからこそ、安心していられるんだ。
僕自身が大切にしているものなんてなにひとつ――アバターだけは大切だけど――ないから、いざとなったら簡単に捨てて「転生」――新しい名前で別人としてしれっと活動とかもできる。
特徴がないからこそ、できること。
特徴がないって、良いよね。
大ひより先生製作のアバターはもったいないけども……普通に手元の画面で僕専用のかわいいイラストとして表示しておけば良いだけだしな。
Vtuberの立ち絵ソフト使えば「まるで生きてるみたいに」呼吸とまばたきモーションで動く「こはね」をいつでも見ていられるし。
「……んくっ」
特段に声が良いわけでもなく、顔を出しているわけでもなく――ましてやイケメンでもイケボでもなく、何について詳しいわけでもなく、何が得意でもなく。
ごく普通の、どこにでも居る男で、トークがうまいわけでも話題がぽんぽんと浮かぶわけでもなく、テンションが高いわけでも一芸や専門知識があるわけでもない。
かろうじて慣れた相手にはそこそこしゃべれる――小学校低学年並みの知能に、アルコールで知性を落とせば小学校低学年男子並みにはしゃべれるだけ。
そして対面だと10歳以上の存在相手にはコミュ障を盛大に発揮し、出会い頭に吐くという先制攻撃も可能な、雑魚。
ただ、それだけ。
つまり僕は10歳の男子と代わらないんだ。
いや、年齢を重ねている分それ未満なんだ。
当たり前だ、こちとら大学中退引きこもりニートだぞ。
世間の最底辺だぞ。
話題なんかそうそうないし、テンションなんて上げることもない。
上げようとすればアルコールで頭をふやかすしかない。
そもそもきっかけがきっかけだ、僕はこの配信を声を出してコミュニケーションをする練習として使ってるだけなんだ。
あくまで妹――優花に頼まれたから。
僕の健康を心配して、懇願されたから。
だから。
「………………………………」
イスに寄りかかったまま、僕の手がさまよう。
こつん。
手が触れる――空き瓶。
こつん。
次の――空き瓶。
とん。
ああ、そろそろ空き瓶も空き缶もまとめないとな……と、開けてないのあったあった。
僕は未開封の角瓶を引き上げ、もどかしく封を外し、最寄りのコップへ――とくとくとく。
「ごく……ぷはっ。ストレートは効くなぁ」
空っぽの胃袋に直接流れ込んだウィスキーが、僕の脳と体を痺れさせていく。
まぁ1口だけだけどね。
いくら僕でもアルコール度数40とかをストレートでガバ飲みするのはやばいって分かってるから、それに水を足して割ってっと。
ニートだからこそ、健康には……ある程度は気を遣わないとね。
「………………………………」
配信終了画面――そこには、総コメント数が珍しく数百になったものの普段は100に届かない、弱小過ぎる配信者としての残酷な数字が表示されている。
人気なんて気にはしていない――というのは、嘘ではあるけど本当だ。
そもそもとしてVTuber業界の視聴者は男性で、つまりは女性――しかも若いほどに有利な世界。
そんな足切りで、まず男性VTuberというだけで――何か特別なものがない限り、9割方はそっぽを向く。
単純に性別でそうなるんなら、諦めもつくというもの。
聞けば、VTuberではなく配信者として顔出しをすれば――どんな男でもリアルの顔だと少しは親近感を覚えてくれる人が増えるらしいし、物好きな女性も来てくれるらしいけども、それは僕自身に抵抗があるから最初から却下。
自信がないから引きこもりニートなんてやっているんだ、僕の顔を見知らぬ他人から罵倒されてみろ、今後一生金輪際外に出られるはずがないだろう?
間違ってもこれまでの同級生たちがたまたま見つけちゃって、「うわこいつ綾瀬かよ、あの影みたいなやつ」とか言われたら……うぇっぷ。
「こくこくこくこく……ふぅ……」
よし、アルコールが胃液に勝った。
で、次にはこういうVtuberの配信ってのはゲーム実況が人気で、これについては僕もやっているものの……僕が配信するのは有名タイトルでも人気タイトルでもなく、僕が好きなゲームだけ。
みんなが観たい流行りものでもなんでもなく、ただただ僕が好きなだけのもの。
独りよがりだね。
しかもチョイスは僕の学生時代――主に高校生の出だしで失敗してから現実逃避してた先に好きだったタイトルとかで、とっくに旬は過ぎている――つまりは「懐かしいけど別に見なくて良いや」ってのか「配信者自体の少ない貴重な過疎ゲーだから見なきゃ」ってなるかのどっちかだ。
そのおかげで居着いている視聴者たちみたいに、ごく一部の濃いファンは来てくれるものの、そこから数十、数百と数字を伸ばせる見込みはない。
だけどVTuberとしての立ち絵はかわいいからか、たまに初見の人がふらっと入ってきたりはする。
もっとも――今日も数時間前に来た、「なんだ男かよ」って僕の地声を聞いて捨て台詞を吐かれるのがオチだけども。
本当に気にしてないから良いけどさ。
ま、大多数はただつけっぱでゲーム画面見てるだけだろうしさ、ミュートにしたりして。
「ボイチェン……いや、いいや……今さらだし」
今どきは技術がすごいらしく、ほぼリアルタイム、かつ違和感も少ないボイスチェンジャーを使えば――「綾咲こはね」のイメージに合ったボイスにはなれるだろう。
――実は、こっそり試したことはある。
そしてパソコンから1秒未満でかわいい声が聞こえてきてしまい、危うく自己同一性が崩壊して己に恋をしそうになったら、即座にアンインストールした。
あれは、危険だ。
あれは存在してはいけない技術だ。
コミュ障引きこもり無駄飯食らいダメニートにナルシストまで加わったらもう末期だもんな。
それにほら、VRなChatの世界とか大惨事だって聞くだろう?
僕も実際に美少女アバターで美少女ボイスでログインしたら、たぶんやられてた自信がある。
美少女なガワに入ってミラー――鏡越しに自分を見ただけでどきっとしたんだから。
まぁそれはともかく、それ以外の理由としては、
「女の子目当ての客層はなぁ……」
VTuber、配信者とは客商売。
「美少女のVTuber配信はオンラインキャバクラ」とはよく言われたもので、つまり男心をくすぐるような接待をしないといけないものらしい。
僕にはそんなのは無理だ。
男に媚びるのも、媚びないまでも愛想良くするのも。
かといって女性相手にホストみたいなお姫様扱いをするのも、また無理だ。
そんな神経を使うようなことを毎日何時間できるようなら、僕はとっくにまともな仕事で継続的に働いている。
コミュ障とはコミュ障だからこそコミュ障なんだ。
さらに生来の無口な男と来れば、ネカマをして接待もしてってのが続くわけもないんだ。
たまにあるハイテンションな日にお酒が入っていればあるいは……エイプリルフール企画でようやくって程度だ。
かといってトークもゲームスキルも、最低限のゲームのチョイスも、それらを向上させて楽しませようという心遣いもない。
この状態は、当然なんだ。
「……はぁ」
配信を終えたモニターには、僕の動きをトレースするアバターがため息をつく。
……僕だって、自分の声がイケボか――あるいは「この子」が出しそうな声だったなら、1日中でも自然にしゃべりたくなるだろうに。
「……いやいや落ち着こう、今日だってみんなが変なテンションになってたじゃないか……ボイチェンなんか使った日にはガチ恋勢とか現れかねない……男から好かれるとか、うぇぇ……お、お酒ぇ……」
TSなんてものは――少なくともある朝起きたらなぜか美少女になっていたとかいうのは、フィクションの産物だ。
魔法なんてものが存在しないこのリアルの世界において、あるはずがない。
忘れよう、視聴者たちが妙に盛り上がっていた「TS僕っ子こはねちゃん」像のことなんか。
だって――そんなことは、起きるはずがないんだから。
「新規こわい……けど、できたら最下部↓の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】とか応援コメント、まだの人はブックマーク登録してぇ……」