62話 女医さんは優しかった
「――こほん、失礼しました……徹夜明けなので変なことを。お気になさらず」
「はぁ……」
なんだか先生が、ちらっと変な雰囲気だったけども……気のせい?
気のせいだな、僕がきっと自意識過剰なせいだ。
この先生も言ってたじゃんか、僕はそうなんだって。
「妹さんも含め――こはねさんさえよろしければ、ご両親とも面会をさせていただき――あなたを、サポートします。投薬治療を望まれていないようですし、それをご自分で抑えられるのも理解していますので、主にカウンセリングと……『今の肉体』の状態を定期的に検診。あと、戸籍や公的な身分なども――ご要望があれば、すぐにでも」
「……本当ですか?」
「はい。こはねさんご自身の希望通りに」
戸籍。
家族との、繋がり。
「医者は――患者の望みを、可能な範囲で最大限に叶えるのが本望です。その伝手がありますので――ひとこと、言ってくだされば」
それが否定される見た目だったからこそ、今日までずっと不安だった、それ。
「……僕は」
こわい。
とても、怖い。
手に汗がにじむ。
「はっ……はっ……」
息が荒くなる。
「……兄さん」
「ま……まって、ゆうか」
――そうして先生と僕の間に割り込もうとしてきた優花を、声だけで制する。
「逃げても良い」――そう、僕は彼または彼女へ――僕自身へ、言った。
「ふー……」
そのことは、今でも変わらない。
けども。
「……僕は、ずっと逃げ続けてきました。みんなを投げ出して、みんなに守られて」
「それがあなたにとって最善の行動だったと……私は、思います。ご家族も――妹さんも、きっと」
――ああ。
僕の周りの人は――いつも、優しすぎるんだ。
そうだ、いい歳して引きこもりニートしても怒らないし追い出さないくらいに、僕を見てくれているんだ。
――――――――だから。
動悸は激しい――けども、僕は、目を開く。
「僕は――家族と。これまでの家族で、居られるんですか」
僕は、尋ねる。
ずっとずっと逃げて守られてきたんだ――なら。
ちょっとだってやる気になったのなら――後で後悔しようとも。
「身元不明な存在でも――僕の家族と」
「……それを望まれるのでしたら。大丈夫、その程度でしたら『伝手』へ電話をすれば――今にでもすれば、ほんの数十分でこはねさんは『綾瀬直羽』さんそのままで居られます。先ほどの通り、前例はありますので」
「……兄さんが……っ」
――そうだ。
聞かなかったことにしていただけで、僕は優花と両親を、泣かせてきたんだ。
「年齢と性別も――ある程度でしたら公的な情報も改ざ――」
「?」
「……こほん……言い間違えました。申請して、生活に支障のないものにできます。今すぐに決めなくても構いませんから、一度、ご家族で――」
――僕は、人の好意に甘えたくない。
そう、思っていた。
でも、今は――すぐそばで泣いている優花/妹の姿を、見たら。
「まだ全部は決められませんけど……ひとつだけ。家族とは……離れたく、ありません。僕は、引きこもりニートをしていたとしても……家族さえ良いのなら、僕のままで居たいです。両親の子供で、妹の兄で居たいです。なので、ひとまずは直羽のままで居られるように……して、もらえますか?」
優花は――お風呂ですっぱだかにさせられたのは僕を介護するためだからしょうがない――僕を、こんな僕を、今でも「兄」として扱ってくれている。
それが彼女の望みなのかは分からない。
けども、高校生にもなった妹を泣かせたんだ。
兄として、できることがあるのなら。
「……あと、カウンセリングとか……受けてみようかなって、思います。ニートなのはあいかわらずとしても、せめて。ずっと、待ってもらえた分くらいは」
さっき、僕の部屋を空けてくれたときみたいに――今も、声を押し殺して泣いている妹のためにも。
「……家族と顔を合わせて、話せる……日常的に、できるようには……なりたいんです。僕は、みんなの家族だから僕で居られたんです。だから……お願いします」
ちょっとだけ、勇気を出してみたい。
そう、思った。
◇
「あ、ちなみにですけど……こはねさん、いえ、直羽さんが」
「『こはね』で良いです。この姿では、そっちの方がしっくりくるので」
配信で慣れ切ってるからか、妙にしっくりくるんだよなぁ……綾瀬直羽ではない『綾咲こはね』が。
「分かりました……ではこはねさん」
「はい」
そのあとでいろいろ話し合って、でもやっぱり今日はこのまま帰って休んだ方が良いって言われて――優花から話を聞いたらしい両親が迎えに来てくれるのを待つあいだ、雑談をしていた先生が、ふと思いだしたように言う。
「こはねさん、大学は中退されて高校の卒業資格までしかないと言っていますよね?」
「? はい、そうですね」
優花が落ち着いてからいろいろ電話していたあとの、落ち着いた時間。
そこで聞けば、先生は、僕の顔がバレちゃったときも配信を観ていたらしい――お医者さんでも休憩時間くらいはあるんだとか、特に「こういう仕事」だからあるんだとか言ってたっけ――彼女が、なんだかこう、もにょっとした顔をしている。
「……その。検査待ちのあいだに照会してみましたが……」
「はぁ」
「――こはねさん。大学は『休学扱い』になっているようですよ……?」
「そうですか。………………………………」
?
………………………………。
「えっ」
なんでぇ……?
「え? で、でも、父は、兄の学費を、もう……と……」
優花も驚いた様子で、事実を述べている。
そうだよね……?
学費とか、僕が「辞めたから払わなくて良い」って言ったんだもんね……すでに顔を合わせられなかったから、文字越しでだけども。
「……どうやら、こはねさんの所属していましたゼミナールの教授が口利きをしてくれたらしく、特別枠でそのまま保留――『私的な留学』扱いだそうで。詳しいことは、直接尋ねてみなければ分かりませんが……とにかく、大学には在籍扱い。希望されるのならそちらへ事情を説明した上で」
「……兄が、大学へ戻れる……ん、ですか?」
――そんな、ことが。
なんで。
僕なんかのために、なんで。
迷惑しかかけなかったはずのゼミの先生が、どうして。
「……こはねさん。通っていた大学へ嫌な思い出があるのなら、無理をして通い直す必要はありません。高校卒業資格はあるのですから、受験勉強が苦でないのなら別の大学へ入り直すことも可能です。ですが、それとは別に」
先生が――もう、目を合わせられるようになった女の人が、ほほえむ。
「あなたは、そう動いてもらえるほどに評価されていたのかもしれませんよ。学科の違うところですので、成績のことはともかく……向上心、性格。こはねさん自身の、魅力で。あなたは――ご自分で思っているほどに、魅力でない人ではないようですよ?」
「………………………………」
……ああ。
今日は、本当に忙しいんだ。
忙しすぎて、笑ったら良いのか泣いたら良いのか、怒ったら良いのか悲しんだら良いのか――分からないんだ。
「そうです。兄は……話していると、こちらが安心すると言いますか」
「ええ、特に疲れ切った女性に効果てきめんなヒーリング効果を」
「分かりますか!?」
「私も1週間の修羅場のあと、ふと聞いた配信でその後も1週間ほど……」
感情に困っているあいだに、優花と先生がきゃっきゃと雑談に花を咲かせている。
……こうやって女性たちの間に入れないってのは、脳みそがまだ男だからなのか。
それともコミュニケーションが下手ってのは男女共通で、だからこの肉体にフィットする脳みそになってる今の僕も、脳みそが女の子だけどやっぱり会話が苦手なのか。
分からないけども、ともかく――
「くちっ」
……検査着って、すっごく寒いから何か着たいなぁ……。
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