18話 スマホ型変声器
「……これは、現実だ。僕は、ひよりミラクル先生のオリキャラという被創造物になってしまっている。そう思うと歓喜するしかないんだけども……問題は、これが現実ということだ」
僕は、小さくなって細くなっている両手のひらを眺める。
「こんなことなら、手相とか――優花が好きだった話題にも、もうちょっと乗ってやるんだったなぁ……手のひら、手相が、前の体の手とどれだけ違うのかが分からないし……」
スマホのロックが指で解除できなかった時点で指紋は変わっていて、顔認証で弾かれた時点で顔も変わっている。
それは分かっているけども、オカルトであったとしても手相とかいう未来を暗示している不思議な模様くらいは一緒であってほしかった気がするから。
……分かっていても、高校入学直後から彼女を拒絶して引きこもった、僕自身が憎い。
「……けど、普通、分からないじゃんかよぉ……ある日突然、女の子になるだなんて……!」
――ばちんっ。
「み゛ぃっ」
耳には幼い女の子が絞り出すような声が届き、思わずでほっぺたを叩いたものの、たいした威力もなく、ほっぺと両手にじーんとした痛みだけが返ってくる。
「……いたいぃ……ふぇ、ぐすっ……」
あ、泣きたい気持ちがこみ上げてきた。
さすさすとほっぺたを撫でて痛みを……なんだこれ、予想外にすべすべでもちもちで柔らかいぞ!?
「ふぇ……もちもち……」
もちもち。
もちもちもちもち。
「もちもち……えへ、もちもち……えへへ……」
――頼みのパーカーも汚染され、いまや母さんか父さんがどっかの観光地で買ってきただけの――成人男性用の、1回だけ義理で着ただけでしまい込んでいた、フードの紐をちょっと引っ張らないと肩がずり落ちてくるオーバーサイズなおかげでふとももまで隠れるシャツ1枚でイスに座り、足が着かないからとあぐらをかいている女の子の体で、小さい慟哭から復帰。
……戻ろう。
僕の味方は、ネットだけだ。
人気がないからこそ優しい人たちに慰めてもらうんだ。
そう思ってすがる思いでSNSを見ると――
「ひゅっ」
お風呂っていう大事業から戻ったら……珍しく10を超えるコメントがついている。
「だ、大丈夫……炎上とかじゃない……ぐす……違うよねぇ……?」
すっごく悲しくなってきた僕は、片目だけ閉じてどうにか通知欄を開く。
「………………………………」
「……へあぁぁぁぁー……」
……大丈夫だった。
ほっとした僕は机に突っ伏すと同時に変な声を上げる。
この体……本当に子供なんだな。
気持ちがそのまま声になっちゃうんだ。
目を細めての流し読みで、とりあえずで炎上じゃなさそうなのだけ確認した文章を、今度はちゃんと読んでみる。
【え、でも、そもそもこはねさんは「自称」ただのヒキニートだし……ぶっちゃけTSして幼女になったりしても問題ないんじゃ……? ほら、前に配信で家事とかはしてるって言ってたし、唯一同居してる妹さんとも顔合わせないって言ってたし……顔は合わせないし仕事はしてないけど家族仲は良いみたいで、そっとしておいてくれてるし……これはもう、TSするために産まれてきた存在では? TSしても困るどころか1年くらいはバレようがないんじゃ……ほら、こはねさんの普段の生活リズム的にさ? 俺、こはねちゃんさんの一視聴者はいぶかしんだ】
僕のリプへのリプでは、さっきまでの会話がなぜか延々と予想外の方向へすっ飛んでいたらしい。
……こいつら……他人をTSさせる妄想が、そんなに好きなのか……!?
【もしかして:ただの家事手伝い】
【野郎ならただのニートでも、女の子ならとたんに家事手伝いになる不思議】
【ずるいよなぁ】
【ずるいとかじゃないだろ草】
【さっさと働けよ草】
【だが断る】
【byこはね】
【草】
【草】
【ハイな時期のこはねさんなら言いそう】
男だったら内心ではうなずくような、元同性たちの慟哭。
今はもううなずけないどころか、そっち側に戻りたくて……あ、泣きそう。
「くぴくぴ……!」
ふぅ。
お風呂上がりは効くなぁ、アルコール。
【そういや、ちょっと前にこはねちゃんさんが「ボイチェンすげぇ」って言ってたくらいに今のボイチェンはすごいし、やろうと思えば前の声に近いのすら出せて、ドア越しとかなら家族でも騙し切れるのでは……? ほら、某小学生名探偵みたいに あれ、今の技術じゃ普通のスペックのスマホがあれば普通にできるんじゃね? あとは小さくてもbluetoothスピーカーとかあればさ】
【草】
【そういやそうだったわ草】
【時代が追いついてたか】
【すげぇな現代】
【スマホとネットでだいたいなんとかなるもんな】
【完全に魔法の道具なんよ】
【良かったねこはねちゃん! いつでもTSできるよ!】
【だから早くTSロリになって自撮り上げようね】
【ひより「早く見たいです!!」】
【草】
【ほら、推しの絵師先生も言ってるぞ、こはねちゃん!】
【バ美肉志望の男子でもロリっ子でも大好物だよぐへへ】
【待て、本当に自撮り上げてもらう場合は事前に性別をだな……】
炎上どころか、みんなは配信コメントのまま冗談交じりの談義で楽しんでいた。
「……あはは。誰も信じないよな……そうだよな」
ああ、やっぱりここが、僕の居るべき場所。
友達が1人も居ないからこそ、僕はここに居るべきなんだ。
かたかたと、少し指が慣れてブラインドタッチが戻りつつある指で、適当な返事をする。
――今の僕は「風邪」だと言っている。
そして――この体になってから無意識に締め直したけども、僕のバイタルを定期的に送信するマップルウォッチも装着している。
昨夜はたまたま充電したまま寝ちゃって外していたけども、そういうのはかなり多い。
僕のものぐささを知っている優花なら、風邪でちょっと体調崩してサボっていても不審には思わないだろう。
だから毎日の儀式さえつつがなく――と感じるようにしておけば、もしかして、僕が僕じゃなくなったなんて知られずに済むんじゃ……?
「……うん。優花は約束通り、僕に何かあったときしかドアを開けてこない。なら、ボイチェンで僕の声を……」
コメント欄の――気がつけば僕がTSした前提の大喜利と化した流れにときどきツッコミを入れつつも、僕は、少し前に楽しんでみてもだえたほどに優秀な、今どきのボイチェン――それらを片っ端から試していく。
「優花。優花。……優花。心配かけて悪かった、なんとか声が出るように……よし」
そのうちで、ひとつ。
「優花――ん、これだ」
――僕の配信の、再生するたびに身もだえするダサい男の声が響く配信と比べながら、今の声帯をマイクへ吹き込む作業をいくつも繰り返し……ほんの1、2時間で、ようやく昨日までの、男だったときの声を再現できてほっとする。
うん、今の技術ってすごいよな。
ロリヴォイスが一般男性ヴォイスに早変わり。
ほんの少しの元の声と今の声だけで、ここまでできるんだから。
風邪だって伝えてあるから多少声が違っても違和感はないだろうし、なにより話してる本人だから声のクセとかは同じはずだし。
とはいえ、精度を高めるにはもっとサンプルを入れないといけないっぽいけども……とりあえずのアリバイ工作としては上出来だろう。
続けるのなら過去のアーカイブから僕自身の元の声を抽出して……うん。
む……雑音とかBGMを取り除くのとか、こんなに簡単にできるのか……いや、多少はノイズも入るけど。
「やばいな今の技術……ちょっと調べたら僕だってできるって理解できちゃう……ニートの穀潰しでも悪いことできちゃう……」
ここまですごいと、ちょっと怖いけどね。
ほら、やろうと思えば偽物をいくらでも作り出せるんだし。
でも――まさかロリ寄りの女の子の声が特徴のない成人一般男性のそれになるだなんて、誰も想像もしまい。
よって、これは完全犯罪となるんだ。
「これで、ドア越しならバレないはず……だけど」
数着ぶんの服という布で吸い取った、僕の新しい女の子の体から吐き出された水分の山を、ちらりと眺める。
数時間後に起きた優花が学校へ出たタイミングで、急ぎ洗濯機へ放り込むべき洗濯物。
汚いとかそんなこと言ってる場合じゃないし、眠くなっても寝てる場合じゃない。
完全犯罪のためには眠気程度はクリアしないとなんだ。
けども――いずれ。
いずれ、バレるだろう。
一つ屋根の下、十数年一緒の家族だ。
何かのきっかけで、僕が僕じゃない、って。
けども。
「そ、そのうち戻るかもしれないし……うん、そうだよ、起きたら突然女の子なったんだから、起きたら男に戻ってるのも……うん」
とりあえずは1年くらい、このままで。
僕は、そう納得することにした。
納得、したかったんだ。
◇
「……良かった。流行の、たちの悪い風邪ではなかったようで」
「『うん、心配かけてごめん。置いてもらった風邪薬飲んで寝たら、少し良くなったよ。この通り、声も……違和感はあるけど、出るようになって』」
「ええ、少しかすれてはいますけど安心しました。ですが、油断は禁物です。家事は良いですから――」
『用意してくれたお粥とかはちゃんと食べるし、栄養ドリンクも飲んでしっかり寝てる。熱が高くなったら絶対に言うし、マップルウォッチも着けて寝るよ』
そうやりとりをし――安心した声で廊下を後にして玄関へ、学校へと向かう声。
――どうやら僕は、最難関のはずの会話を、科学の力という力技で突破できてしまったらしい。
「……ぷはっ。世の中、意外と何とかなるもんだなぁ……」
安心した僕は、安心して1杯をあおった。
「新規こわい……けど、できたら最下部↓の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】とか応援コメント、まだの人はブックマーク登録してぇ……」