15話 TSという非現実と現実
「ぐすっ……ずびっ……」
僕は、泣きに泣いた。
「ちーんっ……うぇぇ……」
疲れているから省エネモードで、すんすんと泣いた。
「うぅ……ゆうかぁ……」
おかげでさすがにもう声はほとんど出ない。
涙も枯れている……あ、普通に出てきた。
「こわい……うぇ……」
ダメだ、完全にこの肉体が怯えちゃってるものだから、僕の薄弱すぎる意思ごときでは泣きやむことなんてできそうにない。
「わぁぁん……すん……」
おそるおそるで投げ捨てちゃってたマウスを戻した僕は、しばらく机に突っ伏してしくしくとすすり泣いた。
なんかもうわけが分からないくらいに悲しくって怖くって、とにかくぐすぐす涙が出た。
だって仕方ないじゃん、この体、女の子で子供なんだもん。
僕自身が泣きたいわけじゃないもん、そうだもん。
「………………………」
……かた、かた、かた、かた。
指の長さ、手の大きさ、腕の長さ――座高の問題で打ち間違えばかりなキーボードと苦戦しながら、僕にしては珍しくリプ欄の視聴者たちとレスバってのをする。
スマホ?
指が震えて操作できないけど?
あと指汗がひどすぎて誤タップばっかりで役に立たなかったけど?
【お前らのせいでTSしちゃったんだけど? この件、どうしてくれるのか】
ぴこん。
がんばって、昨日してたみたいな軽口を――テンションがすごく上がってるときじゃないとできないそれを、演じてみる。
【え? マジ?】
【草】
【もしかして:二日酔い】
【あー】
【草】
【そういうことか】
【ノリツッコミな冗談とか珍しい】
【もしかして:迎え酒とかしてテンション深夜のまま】
【草】
【お酒って普通に寝ただけじゃ完全には消えないからねぇ】
……よし。
みんなの納得したコメントを見ていたら、ちょっとだけ手の震えが止まってきたし、しゃくり上げるのも収まってきた。
――普通の人は、見知らぬ他人がTSしたとかいう言葉を、そのまま受け取りはしない。
だって、「現実にはあり得ない」から。
そうだ、この状況はあり得ないんだ。
【こはねちゃんダメでしょ! 美少女ロリが飲酒してからの二日酔いとか言っちゃ!!】
【え? 何の話?】
【昨日の配信、いかにこはねちゃんさんをTSロリにさせるかって話題で盛り上がったのよ】
【草】
【マジで? 見ときゃ良かった】
【アーカイブ見ろ ロリっ子こはねちゃんがかわいいぞ】
かたかた。
【ロリとは言っていないが?】
昨日のテンションのまま――昨日までの僕のまま。
そう思わせるように、レスバをしていく。
【ロリでは?】
【ひより先生の絵柄的にロリでしかないが】
【そもそも妹ちゃんの妹ちゃん設定だし】
【だっておっぱいないもん】
【草】
かたかたかたかた。
【妹の妹とかいう屈辱的な存在だとは誰も言ってないが?? 妹は存在するし僕は引きこもりダメニート兄ではあるが、僅差で妹より肉体年齢だけで勝っているはずだが??? あとそれは胸が慎み深い女性に対する冒涜だが??】
【草】
【草】
【なるほど把握】
【こはねさんがリプと戦ってるの珍しいけど、二日酔いで迎え酒はNGよ?】
【なるほど、こはねさんは慎ましいお胸が好みと】
【年に1回あるかどうかのテンションで草】
よし、やはり誰も不審には思っていない。
「……えへっ。………………………ふぐぅ……ぐすっ」
僕は、しばらく――たまたま暇な時間帯だったのか、妙にレスの早い視聴者たちと戯れて思わず笑い。
――そのかわいさで、漏らしたり泣いたりしてたし、なんならまた目尻がじんわりとしたのを思い出して数分かけてむせび泣いた。
メンタルが、わずかなプラスから思い切りのマイナスへと急降下。
……僕は僕、男、成人、25、ニート、引きこもり……あれ、プライドの要素、みじんもない気が?
◇
「すんっ……心はまだ男だもん……」
――戯れもそこそこに、僕は、今となってはデスクトップパソコンなんて希少種になりつつある世の中で自作PC――といってもパーツの相性を調べてくっつけるだけだけども――な高性能機器で、調べさせてみる。
最近になって、気がついたら部分的にはすでに僕たち人間を超えるシンギュラリティーってのを迎えたらしいAIさんへ、【今朝起きたら幼い女の子にTSしてしまっていたんですけど、どうしたらいいんでしょう。今後の生活とか人間関係とか法律的なこととか】――と。
彼らは僕たち人類よりも優れているらしい。
ならば、きっと適切で的確な助言を――
【それは大変ですね。まさか、朝起きたらTS――性転換していて、しかも「成人男性幼い女の子に」というのは、夢だったのか、それとも異世界的な何かが起きたのか。現実的にはありえませんが、物語の始まりとしてはなかなか面白いです。もしこの状況を元にして何か書きたいのであれば、設定を一緒に作っていくこともできますよ:たとえば―】
「使えない……! お前はいつもそうだ、答えられないことをそれっぽく返してくるなぁ……紛らわしいじゃないかぁ……!」
思わずマウスをベッドに放り投げたくなる気持ちを抑える。
……ふん、たかがニートの何千何万倍と電力を食い散らかすだけの人工知能が、僕の現状を理解できるはずがなかったんだ。
ニートっていうお荷物は、燃費っていうただの1点だけで、あとは分からないことを「分からないです」って言えるだけ、まだまだ人工知能に優っているんだ。
とりあえずで最近は楽をさせてもらっている人工的な、優秀だけどまだまだ未熟な――学校の宿題とかレポート程度なら楽勝でも、ネットに多く上がっていない情報に関してはまだまだぽんこつらしい存在――AIを投げ捨て、素直にリアルタイム検索を駆使した。
『TS』『性転換』『魔法』――いずれもぽんこつが示す創作物か、あるいは妄想か、そしてまさかの僕のつぶやきへのツリーの内容しかヒットしない。
まぁそうだとは思ってたけどさ。
「……つまり、少なくとも何か起きたら即書き込むこの世界で、まだこうなった人は居ない――か」
普段通りに背もたれへ体重を預けるも、普段通りの「ぎぃ」という音はイスの背もたれからは響かない。
「……わっ!?」
リクライニングしようとしてできなかった僕は、思わずでイスから振り落とされそうになって慌てた。
「ふぅ、危ない……体重、たぶん半分くらいになってるんだろうなぁ、見た目的に……はぁ……」
僕は、僕の新しい肉体から放出された液体を吸い込んだせいでとどめを刺された、臭くて着られなくなった服たちや脱ぎ捨てられたパーカーを見やり、ため息をひとつ。
……幼稚園以来、もはや20年ぶりくらいにお漏らしをした事実は、確定している。
さすがにやらかしたことを無かったことにするほど、僕は厚かましくはないんだ。
あのあと泣きながら、とりあえずで服たちに水分を吸わせ、床はアルコールで消毒して――泣いてたら肘が当たって高濃度のお酒をこぼして。
それがまた父さんの知人からのおみやげってことで普段飲んでる価格帯のじゃなかったからもったいなくってまた泣いちゃったともいうけども、とにかく汚れは拭き取って。
まだやらかしてから1時間未満、かつ、なんとか顔が見られないように換気したから異臭はしないものの、ちゃんと何回か拭かないと唯一の聖域が臭くなるだろう予測と、優花が出かけてから洗わなきゃいけなくなったうずたかく積み上がっている洗濯物に、ため息をふたつ。
僕は――女の子になっているんだ。
それも、外に出ようものなら先ず間違いなくトラブルを引き起こすだろうレベルの、美少女に。
そういや、優花も言ってたもんな。
「容姿に優れていると――特に女は苦労することも多いんです」ってさ。
「……僕は、僕ですらなくなっちゃったんだな」
そう呟いて鏡を見てみる。
――そこには、実に悲しげな、けれどもやはり顔というのは大事で、つまりは憂いを帯びた美少女としか表現できない姿が映っていただけだった。
「………………………………」
僕は「彼女」を――しばし、見つめる。
その、目を――「対人恐怖症」のせいで、少なくとも数回会わないとできないはずの、視線を合わせて。
「……人見知り、発動してない……うっぷ」
その美少女は、口元を抑えてえずく。
胃液が上がるし、人々の嘲笑が聞こえる気がする。
「……じゃない、あくまで軽いだけだ……家族未満で、子供のころからの知り合い以上くらい……。あ、でもそれって、やっぱこの体、顔のこと……結構慣れた人程度には、僕だって認識してる……?」
首をひねるも、答えは出てこない。
鏡の向こうで難しそうな顔をしているかわいい顔が返ってくるだけだ。
かわいいのに、見つめていると吐き気を催す。
僕はとんでもなく不幸な気持ちになった。
「……あ」
違う、そうじゃない。
僕の、VTuberとしてのアバター。
動作も軽いし、いちいち消すのがめんどくさいからってつけっぱにしていて、だからいつもパソコンの画面の隅っこに映ったままだった姿――つまりは「鏡」。
「鏡」越しに1年近く馴染んでいたから、それで「ちょっと慣れた」判定なんだ。
しかもそれが、ひより大宇宙先生の絵柄だから癒やされているんだ。
「……良かった。これが完全な赤の他人判定で、僕自身を鏡で見るたびに過呼吸と吐き気と動悸起こしてたら、引きこもっての日常生活すら地獄になるしな……引きこもった上、鏡とかまで見ないようになると本当にマズいからって、優花も言ってたし……」
はぁ、とため息をつく。
――鏡の向こうの、いや、「この肉体がしているだろう表情」も――ひより先生プレゼンツな、大層にかわいい代物だった。
「かわ――うっぷ。よ、酔い止め飲もう……」
――ただし、見つめていると胃液が上がってくるけども。
さすがに下から大放出して大惨事になった直後に上からも大放出してもっと大惨事になるのは回避したい僕は、なめくじみたいに這って引き出しを漁った。
ああ。
今の僕は――なんて儚い存在なんだ。
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