14話 おもらししておしまい!
「くちっ。…………………………あっ」
――その声を優花に聞かれまいと慌てて両手で鼻元を押さえたのと、お腹から思いっきりくしゃみが飛び出たのとで――決壊寸前のダムは、男のそれと比べると発泡スチロールでできた構造も同然で。
そんなところへ災害史上前例のない鉄砲水が突き刺さって――大爆破。
じわっ――ちょろちょろ。
「あ……あぁ……っ」
一度緩んだ門は、あっという間に中からこじ開けられる。
「で、出ちゃうっ……だめっ、戻ってっ」
無駄だと分かっているのに、口は懇願する。
けども現実は非情。
「や、やだぁ……っ」
ただでさえ場所が変わった上に構造が変わったからか、1回緩めちゃったらもう止めようとしてもどの筋肉をどう動かせば良いのか分からなくて。
健康診断の尿検査のあれとかは得意だったはずなのに、今の僕は両手で抑えるくらいしかできない。
「やだっ、出ないでぇ……っ」
股の――男だったら「座ってするときの残尿が気になるならここを押そう」とかいうライフハックで押していた、象徴と玉と尻の真ん中くらいの場所に相当する場所。
「ぼく、おとな……なのにぃっ……」
そこがにわかに熱さに包まれ、これまで数分か十数分か必死にせき止めていた筋肉を緩め――当然のように決壊した滝が、けれどもまだ必死の抵抗をしているために幾筋かの細い、観光地にはならなさそうな滝としてちょろちょろと両脚の太ももの内側を流れ始め。
「やっ……だめぇっ……漏らし、ちゃっ……やぁ……っ」
思わずでさっきまで押さえていた手でパーカー越しにぎゅっと抑えちゃって。
「……んぁっ」
勢いは一見緩んだように見えたけどもだんだんと抑えている手のひらが、そしてパーカーが濃く染まった周辺から同心円状に下腹部が、熱い液体に染まっていく。
「……あ……あああああぁ……」
そしてびちゃびちゃと足首から足の裏までを跳ねる水滴。
広がっていく、床の水面とパーカーの裾周辺。
「ぁ……」
――もう、だめだから、いいや。
そう諦めたら――映画館で我慢しきったあとみたいな快感がほとばしり、お腹の中の熱がお股から脚へと流れだしていく。
「――――――――…………」
「………………………………」
「………………………………」
「……は……あ……」
気がつけば僕は電気の点いてない天井を見上げていて、なんで見上げているのかって思ったら涙が出てたらしくって。
肩がぶるってお腹から震えて、びりびりって電流がお股から脳天までを突き抜けて。
「……ぁ……」
数秒、あるいは十数秒、または数十秒。
「あ……、あぁ…………」
がくがくと震えている脚に手のひら、だくだくと汗だくの足先から頭のてっぺんまで。
下から昇ってくる――幸いにして、酒飲みの習性としての本能からか目が覚めてからだけでペットボトルの水1本を呑みきったおかげか、それとも味覚を検証するために常備していた缶コーヒーの成分のおかげか。
どうやらこの美少女、いや、子供、それともロリっ子のおしっこは寝起きなのにそこまで臭くはなく、それよりもなぜか甘い香りを放ち続け。
「は、……あ、ぁ……」
ストレス性のはずの汗もまた、目が覚めてから特に何もしていないのに、まるで香水のような香りを放ち。
「……ん……はぁ……」
――ぺたり。
べちゃり。
あたたかい液体へ、おしりと太ももが浸かって、気持ちいい。
「んぅっ……」
じわっ。
自重を支えきれなくなった脚が、無意識の女の子座りへと移行し――お尻からパーカーの裾から、まだ熱と香りを放射し続ける液体を吸い始める。
「…………………………」
全身鏡の前には――真っ赤な顔をして涙を目尻に浮かべ、口は開き目はとろんとしていて、汗だくで髪も乱れて恍惚としている幼い女の子が座り込んでいる。
両手はパーカーのポケットを前から掴んだままで、そこまで温かい液体でぐっしょりと濡れていて。
その子の息は荒く、胸を上下させながらリズミカルに、口をぱくぱくと動かしながら呼吸だけをし。
きっと最低でも10歳は超えているだろう彼女が、トイレの失敗をしただけではしてはいけないはずの表情を浮かべ、開放感と体から脳を突き抜ける、じんじんとした謎の感覚でときどき無意識で体のあちこちの筋肉が痙攣している。
「ん……あ、んっ……」
ぴくり、ぴくり。
体が、僕の意識に逆らって痙攣する。
目の前が、ちかちかと光っている。
そのたびに「あっ」とか「んっ」とか、呆けた顔のままで本能的に声を発している。
ぴく、ぴく。
体じゅうが、勝手に動く。
……知らない。
こんな感覚、知らない。
まるで体中の虫さされを一気にかきむしったらこうなるんだろうっていう、「気持ちいい」っていう感覚そのもの。
それに僕は、お腹から深い荒い息をして耐えることしかできなかった。
「…………………………」
「…………………………」
――昨日まで、腐っても高卒の資格まではある成人男性で、腐っても家族からは「ダメダメだけど、まだ一応は優花の兄」として配慮されていた「兄」で。
『それは、心の風邪だから。重い、風邪――だから、ゆっくり療養して。それで、ちょっと元気になったら教えてね』って、家族から見放されずになんとか生きていた存在で。
存在。
プライド。
そういうものが、この瞬間に――「完全に喪失した」んだって、自覚して。
「……ふぇ……」
――――――ぷつん。
兄。
男。
大人。
そういう――どんなに辛いときでも僕を押しとどめていて、逆にそのせいで辛くもなったりするプライドっていうものが、消し飛んだ感覚。
「……ふぇぇぇぇん……」
僕は、もうだめなんだ。
そう思ったら、さっきまでとは違う涙が止まらなくなって。
――「いい大人が泣くものじゃない」。
――「男のくせに泣くな」。
――「直羽はお兄ちゃんなんだから」。
そういう、僕を僕たらしめていたプライドが――泣き声と一緒に、どこかへ飛んでいく。
「えぇぇぇぇん……ふぐぅ……えぇぇぇぇーん……」
服越しでも排泄物に染まった手のことも気になんてしていられずに――両手で目を覆い、まるで優花の子供のときみたいな――けれども、最後の一線として声を抑えながら、数秒、それとも数分、あるいは数十分の間、泣きじゃくった。
――男でも成人でも、「綾瀬直羽」でもなくなった――喪失感のせいで。
◇
「ふぐっ……うぇ……」
僕は、腐っても男だ。
大切な相棒が腐り落ちても、心はまだ男で居たい。
だから、なんとか立ち直った。
女の子みたいに、子供みたいに盛大に泣きじゃくったけども、立ち直ったんだ。
……その理由が、泣き疲れたからというのは見なかったことにして。
あれから足下が冷たくなるまで泣きじゃくっていたし、それからもしばらく――今度はやらかして濡れたパーカーを脱いですっぽんぽんになるかどうかの葛藤で気がつけば1時間が過ぎてたけども、立ち直ったんだ。
「ぐすっ……ぐすっ……」
おもらしと泣くのが止まらないのは……体の反射だ。
ネット上のデータを参考にしても、やっぱり小学校高学年と言わざるをえない体格の、つまりは幼い女の子な肉体がもたらすものだ。
決して僕のせいではない。
むしろ、かなりがんばったはずだ。
そう、言い聞かせて――いまだにすんすんと泣いてはいるけども、気持ちの上ではそこそこに立ち直った僕は、ネットに向き合っている。
「すん……ひん……」
かたかたかた。
「すんっ……」
………………………………。
【今夜の配信は休みます】
ぴこん。
全世界に公開される――が、実際には繋がっている十数人のリスナーへだけ届く、僕の言葉。
これを見る彼らの頭で再生されるだろう、まだ昨日までの僕の声で――特徴なんてないからこそ「普通の男の声だな」と評される――生まれ持った声帯自体はしょうがなくても、最低限の滑舌と聞きやすさだけは改善していると思い込みたかった声で――話しかける。
「……もう、なくなっちゃったけど……うぇえ……」
あ、そう思ったらまた悲しくなってきちゃった……。
だめだ、この肉体、見た目通りの年齢のせいで勝手に鳴き声もとい泣き声を発する。
「やだぁ……うぇ、ぐすっ……」
ぐしぐしとシャツの袖を引っ張って涙を拭ってるあいだに、なぜか僕なんかの配信を見てくれている、顔も知らない彼らからの返事がぶら下がってくる。
【りょ】
【月二十何日配信のこはねちゃんがか、おつー】
【昨日ブロンズトップ取ったもんなぁ、お疲れ】
【盛り上がったせいか結構呑んでたもんなぁ、疲れてるときに酒は良くないぞ】
【ねぇねぇTSした感想は? 感想は?】
「ひっ!?」
がたっ。
思わず体が縮み上がった拍子に吹っ飛ばしたマウスが、かたかたかたと床に転がる。
「……うぇ、ひん……ぐす……」
……ただでさえ泣きやんだらまた泣きだしてくるとかいうサイクルから逃れられないのに、そきコメントで――僕はまた泣いた。
泣きながら、僕自身のメンタルとこの肉体の弱さに絶望しながら。
あと、なぜかとことん「TS」を連呼してくる――ほぼ確実に小中学生で、覚えたての概念をきゃっきゃと楽しく使ってるだけだろう視聴者のことを、恐ろしく感じながら。
「新規こわい……けど、できたら最下部↓の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】とか応援コメント、まだの人はブックマーク登録してぇ……」