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魔力ゼロの私が、魔法界で最も歴史ある超名門校へ

作者: 希羽

「マックス、待って~!」


 イギリスのロンドンで暮らす3歳の女の子エマ・ブラウン。今日は、両親の友人であるキャンベル夫妻のサマーハウスに招待され、オーストリアの中南部に位置するシュタイアーマルク地方に遊びに来ている。


 エマの父親トーマスと母親エミリーはキャンベル夫妻とサマーハウスのバルコニーでティータイムを楽しむ中、エマはキャンベル夫妻の愛犬であるボーダーコリーのマックスと庭で遊んでいる。


 庭と言っても、ここはとても自然豊かな土地で、家の目の前には大きな湖があり、周りには草原が広がっている。家の裏には山々の素晴らしい景色。ご近所さんが放し飼いしている牛もいる。


 マックスも、ここではリード無しで走り回ることができ、エマと楽しく遊んでいるようだ。


 しばらくすると、マックスが遠くを見つめて耳をピクピク動かし、そのまま急に走り去っていってしまった。


「――どこに行くの? まってよ〜!」


 マックスはとても賢い犬で、普段であれば飼い主の側から勝手に離れていくことはしない。追いかけっこの続きかなあと思いながら、エマはマックスの後を必死に追いかけていった。


 草原の中にポツンポツンと建つ家を通り過ぎ、山の方へと入っていった後、マックスはようやく立ち止まった。


「マックス……! お家の近くで遊ばなきゃいけないんだよ……!」


 息を切らせながらエマがマックスの方に話しかけると、目の前には自分より少し背の高い男の子が立っていた。


「何してるの? 一人?」

「……」


 エマが話しかけても、その少年はただ呆然と立ったままでいた。よく見ると、少年の服は汚れていて、その後もエマは話しかけたが返事は無い。


「あっちにお友達のお家があるから、一緒にいこ」


 エマは、少年の手を取り、マックスと一緒にサマーハウスの方へと戻って行くことにした。


 サマーハウスに戻ると、エマの両親とキャンベル夫妻が慌てた様子でエマ達の方へと駆け寄ってきた。


「エマ! 無事でよかった……!」


 エミリーは泣きそうになりながらエマへと話しかけ、エマがケガをしていないか体中をチェックした後、エマをギュッと抱きしめた。


 トーマスは、隣にいる少年を不思議そうに見つめた。


「エマ、この子は?」

「わかんない、たぶん迷子」

「ひどく汚れてるじゃないか。キャンベルさん、一旦この子を客室に連れて行ってもいいかな?」

「もちろん。自由に使ってくれ」


 エマの両親が少年を客室へと案内し、飲み物や、エマの大きめの服を少年に差し出した。


「とりあえず着替えるかい? シャワーを浴びてもいいよ。何か欲しいものがあれば言ってね」

「……ありがとうございます」


 トーマスが優しく話しかけると、少年はようやく口を開いた。


「名前は何て言うんだい?」

「……ルイです」

「ルイか。カッコいい名前だね。お父さんとお母さんは?」

「……いません。一人です」

「そうか、わかった。じゃあ、とりあえず今日はここでゆっくり休もうか」

「……はい、ありがとうございます」


 ルイと名乗る少年の身に何があったのだろうか。ルイがあまり話したくない様子だったので、トーマスは、今日はこれ以上何も聞かないことにした。


 エマは少し離れたところから、ただルイを見つめていた。ルイとの出会いが、彼女の人生を大きく変えるとは知らずに。


 ◇◇◇


「あれ? お母さんは?」

「ルイくんのお洋服を買いに駅の方まで出かけたよ。エマの服はやっぱり少し小さかったみたいでね」


 エマがまた外でマックスと遊んでいる間に、エミリーは出かけ、部屋にはトーマスとルイの二人だけになっていた。


 ルイは上着だけ着替え、紅茶を飲んでいるようだ。

幼いエマも、ルイには両親がいないということを聞き、ルイのことを心配して様子をみにきたのだ。


「ねえ、犬さん好き?」

「まあ」

「猫さんは?」

「エマ、ルイくんは今疲れてるみたいだから、ゆっくり休ませてあげてね」


 トーマスは、エマがルイに質問攻めしないよう声をかけたが、エマはそのままルイに話しかけた。


「お父さんとお母さん……帰るお家が無いなら、ロンドンのお家にいっしょに帰ろうよ」

「……え?」

「犬さんはいないけどね、猫さんはいるんだよ。猫さん、帰るお家が無くて家で引き取ったんだ。ルイくんもおいでよ」

「エマ、猫さんをお家に迎えるのとは全然違うんだよ」


 ルイは一瞬だけ驚いた表情をしたが、少し考え事をしているようだった。トーマスは、落ち着いたらルイのことを警察に相談するつもりでいたため、ルイを家に迎え入れるなんてことは考えてすらいなかった。ところが、エマの提案を聞き、ルイが自分から喋りだしたのだった。


「……一緒に行きたいです。ロンドンの家。両親も、帰る家も無いんです。お金ならあります。少しの間だけでも、ご迷惑でなければ」


 トーマスは驚いた。エマよりほんの少し年上ぐらいの男の子が、とても真剣に、礼儀正しく、一緒に住みたいと言ってきたのだ。養子として迎え入れるかどうかは別にして、しばらく家に泊めるぐらいは全く問題無いだろう。こんな小さな男の子が家族も家も無い、いや、きっとつい最近失ったのだ。


「わかった。じゃあ、明日一緒にロンドンのお家に帰ろうか。ロンドンに帰ったら、ルイくんのこと、もっと色々おしえてね。ゆっくりで大丈夫だから」

「ありがとうございます」


 どこか悲しそうな顔をしているルイと、彼を心配するトーマス。その横で、エマは嬉しそうにしていた。


「ロンドンに帰ったらいっぱい遊ぼうね!」


 兄弟の欲しかったエマにとって、ルイはすでに新しい家族だったのだ。


 こうして明日から、ルイとのロンドンでの生活が始まるのである。ルイが魔法使いであるとは、まだ知らずに。


 ◇◇◇


 ブラウン一家はロンドン南東部の町、グリニッジに住んでいる。グリニッジには広大な公園があり、教育環境が充実していて、さらには中心部へのアクセスも良いため、ファミリー層に人気のエリアだ。


 ルイを連れて、ブラウン一家はテムズ川沿いに位置する自宅マンションへと戻ってきた。


「自分の本当の家だと思ってね」


 心優しいエマの母親エミリーは、ルイの滞在を快く受け入れたのだった。そして、ルイにとっても、エマにとっても、新しい生活が始まったのである――。


 ルイがブラウン一家の自宅に住み始めて1週間が経過した頃、少しずつ彼のことがわかってきた。


 ルイは今年で6歳の少年。つい最近自宅が強盗に襲われ、家が全焼する中、一人で逃げてきたのだとか。親戚はいるものの、とても遠くに住んでいるらしい。


 ブラウン夫妻は、警察に相談するつもりでいたが、ルイが頑なに拒否したため、しばらくはこのまま一緒に暮らすことにした。ルイは、どうやらロンドンで通いたい学校もあるらしい。逃げてくる際に持っていたカードでお金もそれなりに下ろせるのだとか。ブラウン夫妻も、IT関係の仕事をしていて高所得世帯であるためお金には多少余裕がある。


 ブラウン夫妻の自宅マンションには余っている部屋もあったため、そこをルイの部屋とした。ルイの部屋は、エマの部屋の隣で、ルイが自宅に住み始めてから、エマは毎日ルイを遊びに誘った。


 エマの最近のブームはごっこ遊びで、お医者さんごっこ、お店屋さんごっこ、おままごと、電車ごっこなど、毎日違うごっこ遊びをしていた。遊びといっても、ルイは隣にいるだけで、ほとんどエマが一人で遊んでいたのだが、それでもエマは楽しかった。


「ねえ、今日もごっこ遊びにしようよ!」

「今日は何ごっこ?」

「うーん、魔法使いごっこ!」

「いいよ」

「やった! 杖持ってくるから待っててね」


 そう言って、エマはリビングに何かを取りに行った。


 ルイの部屋に戻ってきたエマは、「こっちがルイくんの杖ね」と言って何かを差し出した。そして、ルイは思わず笑い出した。渡されたものが、おもちゃの猫じゃらしだったからだ。


「これが杖? 猫がついてきてるし」

「あー! ルイくんが初めて笑ったー!」


 ルイが初めて笑ったのが嬉しかったのか、エマはごっこ遊びのことをすっかり忘れ、そのまま二人でブリティッシュショートヘアの愛猫ルナと遊び始めたのだった。リビングから横目で二人を見ていたブラウン夫妻も、ルイが笑って嬉しそうにしている――。


 しばらくして、ルイもロンドンで小学校に通い始めた。ルイは行きたかった学校に、自分で手続きをして編入したらしい。ルイは何でも自分でやる少年で、平日にルイが一番に帰宅した際は、家の家事までもほとんど済ませてくれる。ブラウン夫妻は大助かりだ。


 ある日のこと、今日もエマがルイの部屋を覗き込んで遊びに誘っている。


「ねえ、魔法使いごっこしようよー!」

「ルナと遊ぶの?」

「違うよ〜、呪文を唱えてモノを浮かせるの!」

「じゃあ呪文を勉強しないと」

「勉強〜?」


 そして、ルイは部屋の隅に置いてあったカバンの中から古びた外観の本を取り出し、エマに渡した。


「なにこれ?」

「魔法書。具体的には呪文書だ」

「すごーい! 本物みたい!」

「モノを浮かせる魔法はこのページかな」

「すごいすごい! 魔法の勉強ができるなんて夢みたい!」

「そんなに嬉しいなら、この本貸してあげるよ」

「いいの? ありがとう!」


 エマは嬉しそうにしながら、その場で魔法書を読み始めた。それからすぐに、エマは近くにいたルナの方を向いて呪文を唱えた。


「ライゼン!」


 エマは真剣な顔で呪文を唱えたが、ルナは床でゴロゴロと転がったままだった。そしてエマは笑顔になり、また魔法書を読み始めた。ごっこ遊びをしたかったエマは、心から楽しんでいるようだ。


「いつか杖もあげるよ」

「ありがとう! でも杖のおもちゃはね、先が尖ってて危ないってお母さんが言ってた」

「大きくなったら大丈夫だよ」

「そうだね!」


 こうしてエマは、毎日のように魔法書を読むようになった。


 ◇◇◇


 ルイとの出会いから8年の月日が流れ、エマは11歳の少女に成長していた。


 明るい性格がその外見に現れ、大きなヘーゼル色の瞳は好奇心に満ち溢れている。ロングの栗色の髪はややくせっ毛で、風に揺れるとふわりと跳ねる。


 ルイはと言うと、14歳になり、エマよりもずっと背が高く、どこから見ても均整の取れた体に成長していた。長いまつげに、瞳は深い碧色、濃い青色の髪は少しウェーブがかかっている。


 ルイはボーディングスクール――全寮制の学校――に通っているらしく、普段は家にいない。どうやら今日は帰ってくるらしく、ルイに会えるのを楽しみにしていたエマは、急いで学校から帰宅した。


「ただいまー! ルイ帰ってるー?」


 エマがリビングを開けると、そこにはルイが立っていた。


「ルイ、おかえり! また身長伸びたんじゃない? モデルでもやればいいのに!」

「俺は商品じゃない」

「もお! 褒めてるのに!」


 実際、ルイは街中でモデルにスカウトされたことがある。エマとルイがロンドン中心部のオックスフォード・ストリートで買い物をしていた際に声をかけられたのだ。


 エマがダイニングテーブルの方を見ると、そこには何やら真剣な顔でこちらを見つめている両親がイスに座っていた。エマの母親エミリーは、「エマ、ちょっといい?」と、何やら話があるようで、エマも一緒にダイニングテーブルの席についた。


「どうしたの?」


 エマが質問をしても、両親は黙ったままだった。そして、「俺から話そう」と言い、ルイはポケットから一通の封筒を取り出し、エマに渡した。


 エマが封筒を開けると、そこには一通の手紙と、白くて丸い天然石のようなネックレスが入っていた。手紙には、エマを魔法学校へ推薦する内容が記されていた。


 エマは、それを読むなり、ルイの方を疑うような目で見つめた。


「なにこれ?」

「アルカナ魔法学校への推薦状のコピーだ。原本はもう提出しておいた」

「ええ!?」

「心配ない。実際に入学試験を受けるかどうかはエマ次第だ。ただ、推薦状があればほぼ間違いなく合格する」

「いやいやいや、話についていけないんだけど?」

「ルイくんは魔法が使えるのよ」

「お母さんまで何言ってるの!?」

「数年前、家に帰ったら、家中の物が宙に浮いててね、ルイくんいつも魔法で家中を片付けたり料理してくれてたみたいなの」


 エマは一度大きく深呼吸をしてから、ルイに問いかけた。


「つまり、ルイは魔法使いで、私を魔法学校に誘ってくれてるってことだよね」

「そうだ」

「でも魔法なんて私使えないし、卒業後はどうなるの?」


 エマはロンドンの小学校に通う、勉強もスポーツも得意な優秀な生徒だ。私立中学校への受験も考えている。


「魔法学校を出て、そのまま魔法の世界で活躍する者もいれば、人間界に溶け込んで暮らす者もいる。そのあたりのことは心配しなくていい。大事なのは、エマが何を学びたいかだ」

「もしかして、ずっと貸してくれてた魔法書は――」

「本物だ」

「でも、呪文を唱えても何も起きなかったし」

「当たり前だ。魔力も無ければ、杖もない」

(魔法が使いないのに魔法学校行って私何するの!?)


 すると、ルイはポケットから何かを取り出した――魔法の杖だ。


「ライゼン」


 ルイがそう唱えると、エマの目の前に置いてあったネックレスが宙へと浮かび、頭の上をくぐってエマの首へとぶら下がった。そして、先ほどまで白色だったネックレスの石は強く輝き、黒色へと変色した。


「黒か」

「え、何!?」


 エマが呆気にとられている横で、ルイは淡々と話し続けた。


「そのネックレスを身につければ人間も魔法を使えるようになる。石が魔力の源だ。初めは魔力が少ないが、鍛錬で増やすことができる。石の色は身につけている者の色そのもの。つまり、色によって才能や素質のある魔法がわかる。鍛えることで色が変わることもあるが、黒は、簡単に言えばジェネラリストだ――」

「何の魔法にも素質が無いってことじゃ……」


 エマの父親トーマスも、ルイの正体をエミリーから聞いていたため、特に驚いた様子は無い。トーマスは、「エマ、どうしたい?」と問いかけた。


 エマはまだ状況を理解しきれていない様子であったが、すぐにその目は変わり、決意の固い表情をした。ネックレスをにぎりしめ、少し震える声で答えた。


「……私、行きたい。魔法学校に」


 両親の顔には少し驚きの表情が浮かんだが、すぐに微笑みへと変わった。そして、エマはネックレスを見つめながら、これから始まる魔法の世界への旅に胸を高鳴らせていた。


 ◇◇◇


「それで、入学試験っていつ何をするの?」

「試験は半年後。筆記試験、実技試験、それから面接がある。ただ、エマの場合は推薦状があるから面接は免除だ」

「じゃあ半年間、筆記と実技の対策を頑張らなきゃ」

「対策しなくても入学はできる。それに、筆記はおそらく大丈夫だ。エマにはこれまで読んできた魔法書の知識がある」

「何もしなかったら入学後に落ちこぼれちゃうじゃない!」

「わかった。じゃあ明日から主に実技を鍛えるぞ。学校がない日は教えてやるよ」

「本当? ありがとう!」


 こうして、エマはルイの指導のもと、アルカナ魔法学校への入学試験の準備を始めることとなった――。


 エマがアルカナ魔法学校への入学を決意した翌日、ルイは朝からアンティークな小さい木箱を持ってエマの部屋へとやってきた。


「ルイ、おはよう! 何その木箱? 魔法道具入れ?」

「まあそんな感じだ。とりあえずこの箱に入れ」


 そう言って、ルイは木箱を床の上に置き、蓋を開け、木箱の中に手を入れた。すると、ルイはそのまま木箱の中に吸い取られるかのように入って行った。


 部屋に一人取り残されたエマは唖然としていたが、ルイと同じように木箱に手を入れ、中へと入って行った。


 エマが叫びながら到着した先は、数多くの魔法書や魔法道具が並べられたとても広い部屋だった。魔法書を読んだり魔法道具を試せそうなテーブルとイスや、呪文を練習できそうなスペースまである。


「何ここ! すごい! これ全部ルイの?」

「ああ。エマに貸していた魔法書は全部ここから持ってきた。魔法道具についての本は渡してなかったから勉強不足だろ? ここで実際にあるモノを使ってみるといい。それと、大前提として、人間界で魔法を使うのにもルールがある。エマはまだ人間界で魔法を使うべぎじゃない。ただ、この空間なら禁呪以外は好きに魔法を使って大丈夫だ。異空間だからな」

「あんな小さな箱の中にこんな広い部屋があるなんて信じられない! ルイ、ありがとう!」


 エマが部屋の中を見渡していると、ルイは自分のポケットの中から杖を取り出し、エマに差し出した。


「いつか杖もあげるって約束したからな」

「魔法の杖!」

「これは魔法使いの子供が魔法の練習をする時に使う初心者用の杖だ。エマに合った杖は、魔力がもう少し強くなってきてから、魔法界で探しに行こう」

「初心者用でも嬉しい、ありがとう!」


 エマは約束のことは覚えていなかったが、それよりも早く魔法を使ってみたい気持ちでいっぱいだった。


「浮遊魔法を練習してみるか? 基礎的だが上達すれば応用も効く」

「そうだね、あのペンを狙ってみようかな」

「まずは軽いものからだな」


 エマはテーブルの上に置いてあった羽根ペンの方に杖を向け、呪文を唱えた。


「ライゼン!」


 すると、羽根ペンが少しずつ上に傾き始め、徐々に宙へと浮いていった。しかしながら、ペンはすぐにテーブルの上へと落ちてしまった。


「魔力コントロールがまだまだだな。ペンを宙に浮かせて自由にコントロールできるようになれば基礎として十分だ」

「難しいね……でも頑張ってみる!」


 初めての魔法は上手くいかず少し落ち込んだ表情を見せたエマであったが、その後も練習を続けた。


 一時間ほど練習をしたところで、羽根ペンをかなり浮かせることができるようになった。


「魔力を消費しすぎだな。少し休憩しよう」

「無駄に魔力を使ってるってことだよね? 確かに疲れてきた……」


 そう言って、エマは羽根ペンの置いてあるテーブルのイスに座ると、ルイは奥の方にある棚に向けて杖を振った。


 すると、奥の方からガチャガチャと音がした後、コップが二つテーブルの方へと飛んできた。エマが、コップの中を覗き込むと紅茶が入っていた。


「本当に魔法で家事やってたんだね」

「浮遊魔法の応用で家事はほとんどできるからな」

「便利すぎる……あ、そういえば、筆記試験はどんな問題がでるの?」


 ルイは、今度はエマの目の前の空間に円を描くように杖を振った。そして、エマの目の前に、たくさんの文字が浮かび始めた。


「これが去年の筆記試験の問題の一部だ」

「これ……魔法書で読んだことがある内容が多いかも」

「ああ、だから問題無い。心配するな」

「ありがとう、ルイ」


 こうして魔法学校入学に向けた特訓の日々が、本格的にスタートしたのだった――。


 ◇◇◇


「アクア・スクートゥム!」


 エマが呪文を唱えると、杖の先から水の壁が現れ、揺れながらも確固たる形を保っていた。今日もエマは水の盾を操る練習をしている。すると、そこにルイがやってきた。


「随分と魔力のコントロールができるようになってきたな」

「もう半年も練習してるからね!」

「じゃあ、そろそろ行くぞ」

「うん!」


 そう、今日はエマが初めてアルカナ魔法学校へ行く日。試験はいよいよ明日だ。ルイが学校まで案内してくれることになっているが、どうやらまずはロンドンのセント・パンクラス駅に向かうらしい。ロンドンの主要ターミナルの一つで、国際列車ユーロスターの起終点でもある。


 エマの父親トーマスに車で送ってもらい、セント・パンクラス駅に到着した。


「エマ、お父さんもお母さんも応援してるから。楽しんでおいで」

「楽しめるかなあ……でもありがとう!」


 そう言って、ルイと一緒に駅の中へと向かっていった。中に入ると、駅はいつもと同じように観光客と通勤者で混雑していた。中央には大きなロングケース・クロック――縦に長い機械式の大型置時計――が置いてある。


(あんなところに時計なんかあったっけ……)


 「ここだ」とルイが言い、到着したのはその時計の目の前だった。ルイが手を触れると、時計の針がものすごいスピードでぐるぐると回り、時針と分針が12時の方向を指して止まった。次の瞬間、時計の扉がカチリと音を立てて開き、地下へと続く秘密の階段が現れた。


「すごい! こんな隠し扉があったなんて!」


 エマが驚いていると、通行人が時計をすり抜けるように通り過ぎて行った。


「これは魔力のあるものにしか見えないし、触ることもできない。さあ、いくぞ」


 階段を降りていくルイの後ろを、期待に胸を膨らませながらエマもついて行った。


 階段を下りていくと、徐々に笑い声や風の音、動物のような泣き声などが聞こえてきた。最後の一段を下りた瞬間、エマは目の前に広がった光景を見て、思わず足を止めた。


 そこには巨大な地下空間が広がっていたのだ。天井はまるで無限のように続いていて、空には星空のようにきらめく光が無数に浮かんでいる。いくつもの列車が並び、線路は空の方へ続いている。宙に浮く蒸気機関車が、ゆっくりとプラットフォームに停車し、車両から降りてくる人々はローブをひらめかせながら談笑している。


「これがアストラル・ターミナルだ。人間界にある世界中の主要な駅とつながっている」


 エマが周りを見渡すと、駅構内にはたくさんのショップが並んでいた。小さな魔法書店では、店主の周りにいくつもの本が浮かんでいる。魔法薬のお店からは何やらカラフルな蒸気が溢れ出ている。店の前には、見たこともない生物を連れて何かを購入している人が立っていた。


「すごい……まるで魔法みたい!」

「魔法だ。いくぞ」

「え? どこに行くの?」


 ルイは人混みを避けるように、ターミナルの壁の方へと進んで行った。壁の一角の古びた扉に着くと、「入るぞ」と言ってエマの手を取り、部屋の中へと入って行った。


「アルカナ魔法学校へはここから行く」

「え?」


 部屋の中には、ソファーやローテーブルが置かれ、小さな金属製のランプが柔らかい光を放っていた。中央の奥には大きな暖炉があり、内側には炎ではなく僅かに渦巻く光が見える。壁際にはクローゼットがあり、ローブや帽子が丁寧に掛けられている。


「列車には乗らないの?」

「俺はこの部屋を利用する権利を持っている。俺がいない時はアルカナ魔法学校行きの列車で移動してくれ」

「権利? ここからどうやって移動するの?」

「フェリスパウダーを使う。まずはローブを着るぞ」


 そう言って、ルイはクローゼットにかかっていたローブをエマに渡し、ルイも自分のローブを着用した。エマのローブは全身黒なのに対し、ルイのローブは胸元に紋章のようなものがあり、肩から背中にかけて美しいフードが垂れ下がっている。フードの裏地は、青と銀の絹で彩られており、光の加減で上品な輝きを放っているようだ。


「フェリスパウダーって確かワープ用の魔法道具だっけ……」

「そうだ。そこの暖炉からワープする」

「そのパウダーってすごい希少なんじゃ……」

「まあな」


 エマとルイは二人で暖炉に立ち、ルイは小さな袋の中に入っているパウダーを手に取った。そして、自分とエマの頭にかかるように、パウダーを上へと投げた。パウダーが宙に舞うと、細かな粒が輝きながら渦を描き、二人を包み込んだ。


 フェリスパウダーによって、エマの視界は虹色に染まった。そして次の瞬間、足元が地面に触れる感触を取り戻した――そこは、アルカナ魔法学校への入り口だった。


 「ここが……アルカナ魔法学校?」


 エマの目の前には、とても大きな鉄柵の門があり、その向こう側には荘厳なゴシック建築の城のような建物がいくつも立っていた。大理石の階段が門の方まで続き、その両脇には並木道が広がり、鮮やかな緑と白い花が風に揺れている。


 階段を降りて並木道を抜けると、そこには広大な街が広がっていた。石畳の通りが縦横に伸び、両脇にはさまざまな建物が立ち並んでいる。魔法書専門の書店や魔法薬の調合器具を売る店、さらには奇妙な生き物が動き回る店もある。通りの角には、小さなカフェが店先に丸いテーブルと椅子を並べ、そこにはローブを着た学生たちの姿が見えた。


「アルカナ魔法学校は、街全体が学びと生活の場なんだ。このエリアだけで必要なものはすべて揃うようになっている」


 エマが空を見上げると、上空に浮かぶ建物がいくつもあり、一番上には荘厳な佇まいを見せる巨大な建物がまるで天空の王冠のように輝いていた。


「訪問者が泊まれる宿がある。今日はそこでゆっくり休むと良い」


 そう言って、ルイは宿の方まで案内してくれた。


(ん……? 気のせいかな?)


 宿の前までたどり着くと、エマは何やら視線を感じたが、周りには通行人がいるだけだった。


「俺は用があるから、一度寮の方に戻る。学校の地図を渡しておくから、もし出かけるならこれを持っていけ」

「ありがとう」


 ルイがその場を去った後、エマは宿の中に入っていった。目の前には受付があり、男性が座って本を読んでいた。


「すみません、今日ここで泊まりたいんですが」

「予約の方かな? ソルヴィールを出して」


 ソルヴィールはルイからもらったネックレスのことだ。ソルヴィールはこの世界での身分証としてや、お金のやりとりにも使えるらしい。


 エマがソルヴィールを男性の方に差し出すと、彼は石の上に手をかざした。すると、石が優しい光を放って輝き始めた。


「うん、エマ・ブラウンさんね。二階に上がってすぐ正面の部屋を使っていいよ」

「ありがとうございます」


 エマは早速二階に上がり、部屋の中へと入った。


(学校の中を色々と見て回りたいけど……明日は試験だし、今日はここでルイからもらった地図を見るだけにしようかな)


 エマが部屋の中を軽く見渡すと、部屋は広々としていて、落ち着いた木の香りが漂っている。古いけれど手入れの行き届いた木製の家具が並び、窓からは街の風景が見えた。ローブ姿の学生たちや、空中をふわふわと移動する乗り物が見え、魔法の世界での生活が目の前に広がっていることを感じた。


 ベッドの横に腰を下ろし、ルイから渡された地図を広げる。地図は魔法によって自動的に動き、街全体の建物や通りが立体的に浮かび上がっていた。アルカナ魔法学校は本当に一つの街のようで、教室や研究施設だけでなく、図書館や、競技場のようなエリアまである。地図の上部には、天空に浮かぶ建物の描写もあり、一番上の建物には「アーク・カレッジ」と書かれていた。


 地図を眺めながら、エマの胸には不安と興奮が入り混じった感情が広がっていく。


(この場所で本当にやっていけるのかな。でも、今は考えても仕方ないよね。明日の試験に集中しなきゃ)


 エマは地図を折りたたみ、ベッドの横に置いた。そして窓を閉め、ルイや両親の言葉を思い出して深呼吸をした。


「明日はきっと大丈夫」


 そう自分に言い聞かせると、エマはそのままベッドに潜り込み、瞼を閉じた。外からは街の賑やかな音が聞こえてきたが、少しずつ遠ざかるように感じながら、エマは深い眠りに落ちていった。


 ◇◇◇


 翌朝、エマは早朝に目を覚まし、試験会場へ行く準備を始めた。


 ルイからもらったアンティークな木箱、これはインフィナイトの箱と言って、小さな箱だが中には無限に物を収納できる異次元空間が隠されている。特定の人が中に入ることもできるが、外から欲しいものを取り出すこともできる。


 エマがインフィナイトの箱を開け、「入学試験の服と、杖とペン」と言うと、箱の中から白いブラウスや黒いスカート、ルイからもらった初心者用の魔法の杖と、羽根ペンが飛び出してきた。


「よしっ」


 ローブを着て準備を済ませたエマは、昨晩何度も見返した地図を確認しながら試験会場に向かった。


 試験会場に到着すると、そこには重厚な木製のドアがあった。ドアを押して中に入ると、広々とした会場が広がっていた。高い天井には魔法で浮かぶランプが並び、室内を柔らかく照らしている。


「席は自由です。どこでも構いませんので着席してください」


 エマは試験官に言われた通り、空いている席を見つけ着席した。


「15分後に試験を開始します。最初は筆記試験。制限時間は3時間です。終わった人から順に次の試験会場へと移動してもらいますので、終わった人は解答用紙を持って私のところにまで来てください」


 その後、受験生が揃い、「では、試験開始!」と試験官からの合図があった。こうして、ついに魔法学校への入学試験がスタートした。


 試験開始の合図が響くと、目の前の用紙が自動的に動き、問題が現れ始めた。


(うん、大丈夫。魔法書で読んだことがある)


 エマは落ち着いて筆記試験の問題を解き始めた。


 筆記試験の問題を解き終えたエマは、試験官に言われた通り、解答用紙を持って試験官のところにまで渡しに行った。


「君、どうしたんだい?」

「えっと、解き終えたので、解答用紙です」

「は?」


 周囲を見回すと、まだほとんどの受験生が必死に問題を解いている。試験官はエマの解答用紙をちらりと確認し、少しだけ驚きの表情を浮かべたが、すぐに無表情に戻った。


「それでは次の試験会場へ進んでください。そこの廊下をまっすぐ進むと左手に『実技試験会場』と書かれたドアがあります」


 エマは、試験官の指示通りに次の試験会場へと向かった。


 実技試験会場に到着し、ドアを開けると、そこは筆記試験会場とはまるで異なる空間だった。広大なホールの中央に円形の競技場のようなエリアがあり、試験官らしき女性が杖を片手に待っていた。


「早いわね。実技試験会場へようこそ」

「はじめまして、エマ・ブラウンです。よろしくお願いします」

「早速ですが試験を始めます。試験内容はシンプルです。あなたの好きな魔法を何でも良いので一つ披露してください。もし攻撃魔法であれば私が防御を、防御魔法であれば私が攻撃します」

「わかりました」

「では、こちらへ」


 エマは、試験官の立っている競技場エリアへ向かった。


(好きな魔法……どうしよう……攻撃魔法も防御魔法も魔力が少なすぎて話にならない)


 競技場エリアに立ったエマは、少し迷った末に、呪文を唱えようとした。しかし、すぐに唱えるのをやめ、杖をおろした。


「すみません。この後、他の受験生たちもこの部屋に集まるのであれば、私の順番を少し後に回していただけないでしょうか?」

「かまいませんよ」

「ありがとうございます」


 しばらくして、筆記試験を終えた他の受験生たちが続々と実技試験会場へと入ってきた。


 実技試験に挑戦する受験生たちは、光を使った攻撃魔法を披露する人もいれば、植物を使った防御魔法を披露する人、幻術魔法で幻影を作っている人もいた。


「次、エマ・ブラウンさん、準備がよろしければこちらへ」

「はい!」


 エマは中央の競技場エリアに立った。会場に集まった他の受験者たちや試験官の視線が一斉にエマに集まる。緊張で手が震えそうになるが、エマは深呼吸をして自分に言い聞かせた。


(大丈夫。私はできる)


 エマは杖を握り締め、静かに目を閉じる。


「……インシェンス・フルーラ」


 エマの口から紡がれた呪文と同時に、彼女の足元に小さな炎が灯る。その炎は赤く燃え上がることなく、柔らかく揺れる光となり、徐々に広がっていった。


 炎は花びらのような形に変わり、次々と咲き始める。最初は小さな花がひとつ、そしてそれが広がり、一面の花畑を作り出していく。


「なんて美しい……!」


 試験官は思わず声を漏らした。他の受験生たちも息を呑む。炎の花畑は、温かな輝きと共に、周囲の空気までも浄化しているかのようだった。


 しかし、それだけでは終わらなかった。エマが杖を軽く振ると、花びらの一部が風に舞うように空中に舞い上がり、やがて受験生の一人の腕に触れた。その瞬間、彼の腕にあった浅い傷がゆっくりと癒えていく。


「回復魔法……炎で回復を?」


 周囲の受験生たちは驚きの声をあげた。普通、炎の魔法は破壊の象徴とされている。それを、これほどまでに柔らかく、美しい形で回復に使う者は前例がなかった。


 エマは杖を下ろし、深呼吸をして炎の花畑を消し去った。


「これが……私の魔法です」


 会場はしばし静寂に包まれた後、大きな拍手に包まれた。


「素晴らしい。単なる回復魔法ではなく、炎と融合することで、見るものを魅了し心身ともに回復させる魔法ですね」


 エマは少し照れくさそうに微笑んだが、内心では自分の力を証明できたという達成感に満たされていた――。


 実技試験を終えたエマは、面接が免除されているため、そのまま宿の部屋へと戻っていった。宿の部屋でベッドに飛び込み横になっていると、ルイが現れ、「どうだった?」と尋ねる。


「分からない。でも、やれることは全部やったよ」


 ルイは微笑みながら答えた。「それで十分だ。まあ合格は決まってるしな」


 エマはその言葉に少しだけ勇気をもらい、窓の外に浮かぶ天空の建物を見上げた。


「ここから、本当に新しい冒険が始まるんだね」


 ◇◇◇


 実技試験から数日後、エマはロンドンの自宅に戻っていた。


 エマが早朝に目を覚ますと、窓の外から小さな白い鳥が飛んできた。


「なに……?」


 鳥は窓をつつきながら、何かをくわえているようだった。エマが急いで窓を開けると、鳥はふわりと部屋の中に入り、机の上に手紙を置くと、そのまま消えるように姿を消した。


「魔法の手紙……!」


 震える手で封を切ると、中から上質な羊皮紙が出てきた。その表面に手書きのような美しい文字が浮かび上がり、そこには試験に合格したことが記されていた。


 エマは手紙を読み終えると、胸の中にじわじわと感情が湧き上がるのを感じた。


「合格した……!」


 その日の夕方、エマはルイとロンドンの自宅で再会した。


「エマ、届いたか?」

「うん! 見て、合格したよ!」


 エマは手紙を見せながら嬉しそうに笑う。


「エマの所属はルミナス・カレッジか……エマの魔法にぴったりだな」

「ねえ、カレッジってどんなところ?」


 エマが興味津々に聞くと、ルイは少し考え込みながら答えた。


「アルカナ魔法学校には30個のカレッジがある。それぞれが異なる伝統と専門性を持っているんだ。ルミナス・カレッジは、創造性と独自性を重んじるカレッジで、特に炎や光の魔法に秀でた学生が多いんだ」

「炎と光の魔法に……自分でも得意だと思ってたから、すごく嬉しい! ねえ、ルイのカレッジは?」

「俺は別のカレッジだ。アルカナ魔法学校では知り合いがいれば、自分の所属していないカレッジにも出入りができるから、いつか俺のカレッジにも招待するよ」

「じゃあ、いつかルイのカレッジにも行けるんだね!」


 エマはそう言って、少し照れくさい笑顔を浮かべた。


「……別か。これからは、自分の力で頑張らなきゃな」


 エマはしばらく黙った後、決意を新たにした。その手紙をしっかりと握りしめながら、心の中で誓いを立てる。


 ◇◇◇


 翌年の9月、エマはついにアルカナ魔法学校への旅立ちの日を迎えた。


 ロンドンのアストラル・ターミナルで列車に乗るため、朝早くから準備を整える。お気に入りのカーディガンを羽織り、ルイから合格祝でもらった銀の髪飾りをつけた。それは繊細な花のデザインで、光に当たると柔らかく輝き、エマのお守りのように感じられた。


 アルカナ魔法学校から送られてきた列車のチケットがカバンに入っているのを確認し、両親にセント・パンクラス駅まで車で送ってもらった。


「気をつけてね、エマ」


 両親に見送られ、エマは心を落ち着けながらターミナルへと向かった。ルイは学校の寮に滞在しており、今日は初めて一人で人間界から魔法界へ移動しなければならない。


 以前ルイに案内された通りターミナルに着くと、『アルカナ魔法学校行き』と書かれた列車があった。


「これが魔法界への列車……!」


 エマが見惚れていると、近くの案内人がチケットを確認してくれた。


「こちらの車両へどうぞ。安全な旅を」


 エマは感謝の言葉を述べ、車両の中へと入って行った。豪華な内装の座席に腰を下ろすと、まもなく列車が動き出した。窓の外にはロンドンの風景が広がり、それが次第に不思議な霧に包まれていく。


 しばらくすると、エマのすぐ近くの席に同い年くらいの女の子が座った。彼女は淡い金髪を肩下まで伸ばし、青いリボンで軽く結んでいた。笑顔でエマに話しかけてくる。


「ねえ、もしかして、アルカナ魔法学校の新入生?」


 突然声をかけられ、エマは少し驚きながらも微笑んで頷いた。


「うん、そうだよ」

「私も! ルミナス・カレッジに所属予定よ……あなたは?」

「えっ、私もルミナス・カレッジ!」


 その瞬間、二人の間にあった緊張が解け、一気に話が弾み始めた。女の子の名前はソフィア・ラヴィン。先祖代々光の魔法を得意とする魔法使いで、幼い頃から光の魔法に親しんでいたという。


「エマは、何の魔法が得意なの?」

「私はまだ練習中で……。最近、少しずつ炎の魔法が上手くなってきたところ」

「そうなんだ! きっと一緒にいろんなことを学べるね」


 ソフィアの明るい性格に引き込まれ、エマは旅の不安を忘れ始めていた――。


 「ねえ、そういえば知ってる? 今年の新入生に人間が混じってるんだって!」


 ソフィアが突然そんな話を持ち出した。


「え? そうなんだ」


 エマは平静を装いながらも心臓が跳ねるのを感じた。自分のことを指しているのではないかと一瞬不安になったが、ソフィアは続けた。


「ええ。私の兄もアルカナ魔法学校の学生なんだけど、教授が言ってたらしいわ」

「人間の学生って、やっぱり珍しいの?」


 エマが尋ねると、ソフィアは目を丸くして答えた。


「あたりまえじゃない! アルカナ魔法学校は、魔法界で最も歴史のある名門校。魔法界で数々の著名人を輩出してきた学校よ? 人間の学生なんて、おそらく初めてじゃないかしら」

「そうなんだ……」


 エマは気づかれないように視線を逸らした。自分が人間であることを知られるのは時間の問題かもしれないと感じたが、同時に、ソフィアがそのことに興味津々で話している様子に、少し安心した。敵意や偏見を持っているようではなかったからだ。


 エマが列車の窓から外を見ていると、外の景色が再び霧に包まれ始めた。その揺らめく白い世界を眺めていると、エマはふと歴史書に記されていた一節を思い出した。


(約800年前、古代魔法を駆使して人間界を支配したとされる「カルディア一族」。彼らは、魔法使いが人間の上に立つべきだと主張し、世界を戦火に包んだ。そして、その暴走を止めたのがファルディオン家……)


 エマは静かに息を吸い込み、列車の音に耳を傾けた。


(私がここで何を成し遂げられるのか、まだ分からない。でも、きっと――)


 窓の外に広がる光景は霧の向こうで徐々に明るくなり、アルカナ魔法学校のシルエットが姿を現し始めた。


 列車のスピードが徐々に落ちていくのを感じながら、エマは窓の外を見つめた。遠くに、アルカナ魔法学校が霧の中から姿を現していた。その瞬間、胸が高鳴り、同時に緊張感が押し寄せてきた。


「見て! アルカナ魔法学校よ!」


 ソフィアが窓を指さし、目を輝かせる。エマもその方向に目を向けた。広大な敷地の中に点在する建物のひとつひとつが、魔法界の最も歴史ある名門校にふさわしい荘厳さを持っていた。古びた石造りの建物が、霧の中でさらに神秘的に浮かび上がっている。


 エマは感動のあまり、言葉を失った。


「私のお兄さんが言うには、一番上に浮いている建物が『アーク・カレッジ』って呼ばれていて、アルカナ魔法学校の象徴なんだって。特別な試験に合格した優秀な学生3名と、学長を含む教授5名だけがあのカレッジに所属しているらしいわ」


 ソフィアが嬉しそうに説明する。


 列車がついに駅に停まり、乗客たちが次々と降りていく。エマとソフィアも荷物を抱えながら列車を降りると、広場に新入生の案内係が待っていた。


「新入生の皆さんは、こちらへどうぞ!」


 案内係の声に従い、エマとソフィアは他の新入生たちと一緒に列を作った。緊張の面持ちで歩きながらも、エマは少しずつ期待感が胸の奥で膨らむのを感じていた。


 やがて、エマたちはルミナス・カレッジの場所に案内される。目の前にそびえ立つのは、壮麗な建物。数百年もの時を経た石壁には、緑の蔦が絡みついており、その歴史と格式を感じさせる。大きな門をくぐると、広場が広がり、緑の芝生の中に高くそびえる塔と、美しい回廊が整然と並んでいた。


「すごい……」


 思わず声が漏れる。隣にいるソフィアも、その美しさに目を奪われている様子だった。周囲では、たくさんの新入生が集まり、広場を歩いている。壁に刻まれた文字や装飾は、まるで何世代にもわたる伝統を語りかけてくるようだった。


 「一度見たら忘れられない、まさに魔法界の心臓みたいな場所だわ」ソフィアが続けると、エマはその言葉に静かに頷いた。


 その先に見える壮大な建物の中には、未来の魔法使いが学び、成長する場所が広がっている。エマもまた、この場所でどんな経験をするのだろうかと考えながら、一歩一歩踏みしめて歩みを進めていった。


 ◇◇◇


「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。私はイザベル・ヴァレンティ。ルミナス・カレッジで精霊魔法を研究しています」


 ルミナス・カレッジの教授が講堂の中央に立ち、静かな空気が教室を包み込む。その空気はまるで時が止まったかのように感じられ、全ての目が教授に注がれていた。


「今日は皆さんに、魔法精霊を授ける儀式を行います」


 教授の低く響く声が、広い教室の中に静かに響いた。


 教授が手を広げ、集中的に魔力を放つ準備を整えると、教室の空気がひときわ重くなった。エマは目を閉じ、呼吸を深くする。


「ヴィラニウム」


 教授がその呪文を唱えると、教室の空間が揺らぎ、まるで風が舞い散るような、目に見えない力が広がった。次の瞬間、教室のあちこちに小さな光が現れ、それぞれの学生の前に浮かび上がる。


 「見て!」ソフィアが興奮した声を上げ、エマもその方向に目を向けた。目の前に、透き通った羽を持つ小さな精霊が浮かんでいるのが見える。ソフィアの肩には、明るい青色の精霊が軽やかに飛んでいる。


 エマも自分の前を見つめた。そこには、柔らかな光を放ちながら、犬型の魔法精霊が浮かんでいるのが見えた。優しい目をした小さな犬の姿だ。エマが手を伸ばすと、その精霊は嬉しそうにしっぽを振りながら、ふわりと近づいてきた。


「これが、あなたたちに授けられる魔法精霊です。この精霊たちは、あなたたちの力となり、道を照らしてくれるでしょう。彼らと共に、魔法を学び、成長しなさい」


 エマはその言葉を胸に刻みながら、自分の精霊を見つめた。その精霊は、まるでエマの心を感じ取ったかのように、優しく彼女の手に足をかけてきた。温かい感覚が伝わり、エマは思わず微笑んだ。


 ◇◇◇


 ヴィラニウムの儀式が終わり、魔法精霊を授かった新入生たちは寮へと案内された。


 エマが寮の自分の部屋に足を踏み入れると、目の前には高い天井に大きな窓が広がり、優雅で静かな空間が広がっていた。テーブルの上には新入生向けの教科書やルミナス・カレッジの紋章の入った新しいローブが置かれている。


「ここが私の部屋……!」


 エマは目を輝かせながら周囲を見渡した。その瞬間、背後でかすかな「シュッ」という音が響いた。


 振り返ると、ルイがそこに立っていた。まるで空間そのものが切り裂かれ、彼が現れたかのようだった。周囲に一瞬だけ淡い光の残像が漂い、それもすぐに消えていった。


「ルイ!?」


 驚きのあまり、エマは目を丸くした。


 「魔法精霊をもらったようだな」ルイは口元に微笑を浮かべながら言った。


「いよいよ明日は入学式か」

「うん! 可愛いでしょ? ヴィラちゃんって呼ぼうと思ってるの! ルイにも魔法精霊がついてるの?」

「ヴィラちゃん……? ああ。だが、普段はクリスタルにしてポケットに入れている」

「そうだったんだ……」


 エマは新たな発見に驚きつつ、精霊をちらりと見つめた。


「それより杖を買いに行くぞ」

「杖? 杖ならルイにもらったやつがあるよ」

「いつまでも子供用の杖じゃダメだ。エマの魔法に合った、新しい杖が必要だ」

「今の杖、気に入ってるのに……」

「いいから行くぞ」


 ルイが杖を振ると、エマは一瞬だけ目の前が真っ白になり、次の瞬間、アルカナ魔法学校内で魔法の杖を販売する店の前に立っていた。


「ルイは魔法道具無しで瞬間移動できるの!?」

「ああ。魔力をかなり消費する高度な魔法だが、いつかエマにもできるようになるさ」


 店の中に入ると、店の壁から天井にかけて数得きれない程の杖が並べられていた。


 エマは目を見開きながら、その数々の魔法の杖が並べられた店内を見渡した。杖の種類は無数で、素材も形状もそれぞれ異なっている。木製のもの、金属製のもの、さらには魔法の結晶が埋め込まれた杖まで、どれも一つ一つが特別な輝きを放っているようだった。


「すごい……こんなにたくさんの杖があるんだ……でも、どうやって選べばいいの?」

「精霊を使うといい。自分の精霊に向かって魔力を込めるんだ」

「こうかな?」


 エマは精霊に両手をかざし、魔力を込めて「ヴィラちゃん、杖を探して」と伝えた。


 エマが精霊に向かって魔力を込めると、彼女の手のひらがほんのりと温かくなるのを感じた。エマの精霊もその瞬間、軽やかに跳ねて、エマの手に触れるように動いた。エマは目を閉じ、心を落ち着けて、精霊と一体化するような感覚を覚えた。


 すると、エマの精霊がゆっくりと動き出し、店の中を歩き始めた。エマはその後ろを追うように歩いていく。精霊が立ち止まると、そこには細く美しい木の杖が一本、静かに置かれていた。


 「これかな?」エマがその杖に手を伸ばすと、精霊がその杖の周りをぐるりと回り、ぴたりと座り込んだ。まるでそれが正しい杖だと言っているようだった。


 「見つけたか。さすがだ」ルイは微笑みながら近づいてきた。


 エマは杖を手に取ると、手のひらに温かさが広がり、杖全体が軽く震えるような感覚を感じた。杖の先端には青い結晶が埋め込まれており、その中に小さな光が煌めいている。


 「これ……すごくぴったり!」エマは驚きと喜びの入り混じった声で言った。「こんなに感覚が合うなんて!」


「この杖ならもっと難しい魔法も扱えるようになる」


 ルイがそう言うと、エマは杖をしっかりと握りしめた。その瞬間、精霊もエマの周りをくるくると回り始め、まるで喜びを分かち合うようにその尾を振っていた。


「ありがとう、ルイ!」エマは目を輝かせながら答えた。


 店を出ると、「そうだ、精霊の使い方を教えておこう」とルイが話を切り出した。


「精霊は様々な使い方ができる。例えば新しい魔法を覚える際、コントロールのコツを自然と教えてくれるだろう。あとは、精霊をクリスタルにすれば、電話のような役割もしてくれる。俺に用がある時は、魔法で手紙を書くか、クリスタルを通じて呼んでくれ」

「そんな使い方もあるんだ……わかった、教えてくれてありがとう!」


 「俺は授業があるから、またな」そう言ってルイは瞬間移動でその場から消えていった。


 「本当に不思議な世界だな……でも、これからの生活がもっと楽しみになってきた!」エマは新しい杖を握りしめ、寮への帰り道を歩き始めた。彼女の足元では、ヴィラちゃんが軽快に駆け回っていた。


 ◇◇◇


 入学式当日の朝、エマはルミナス・カレッジの鐘の音で目を覚ました。


 新入生たちはローブをまとい、それぞれのカレッジから列を成して中央広場へ向かう。そこには、天空に浮かぶ大講堂「セレスティアム」が、輝くような光を放ちながら待ち構えていた。


 広場は新入生たちで溢れかえっていた。エマはルミナス・カレッジの列に並びながら、自分のローブの裾を軽く整えていた。周りでは、同じ新入生たちが興奮と緊張を抱えた様子で小声で話し合っている。


「人間の新入生ってのはどいつだ? 俺が絶対追い出してやる。このアルカナ魔法学校に人間がいるなんて信じられない」


 その言葉はエマのすぐ後ろから聞こえてきた。彼女は思わず身を縮めた。


 「おい、静かにしろよ!」もう一人の声が、先ほどの発言を抑えるように鋭く言い放った。


 エマはその声に振り返ると、背後には他のカレッジのローブを着た二人の少年が立っていた。一人は挑発的な表情を浮かべ、もう一人はその隣で冷静な顔つきで相手を制止していた。


 「なんだよ、ただの事実を言っただけだろ?」挑発的な少年が不満げに言い返す。


 「君のその言葉が誰かを傷つけることもあると、まだ分からないのか?」冷静な方の少年は一歩前に出て、厳しい目で相手を睨みつけた。


 広場のざわめきが一瞬止まり、周囲の学生たちの視線が彼に集まった。その少年は深紅の髪に鋭い金の瞳を持つ美しい容貌の持ち主で、気高いオーラを放っていた。瞬く間に噂が広がる。


「ファルディオン家のカイ様だ……!」

「本物だ……!」


 エマはその名前を聞いて驚いた。カイ・ファルディオン――古代から続く名門の末裔であり、魔法界では既に伝説的な存在だと言われている人物だった。


「魔法界で何が正しいかを決めるのは、生まれや血筋じゃない」


 カイは挑発的な少年に冷静な口調で続けた。


「ここは努力と才能を育てる場だ。もしその意味が理解できないのなら、今すぐ出ていけ」


 挑発的な少年は唇を噛み、無言で視線をそらした。広場には再びざわつきが戻ったが、そこにはカイの毅然とした言葉の余韻が漂っていた。


 カイは一瞬だけエマに視線を向け、柔らかな笑みを浮かべた。


 やがて全カレッジの代表者である教授たちが現れ、それぞれの新入生を天空の大講堂「セレスティアム」へと導いた。空中階段がゆっくりと現れ、学生たちはその輝く道を一歩ずつ進んでいく。


 エマはソフィアと肩を並べながら、その荘厳な階段を上っていった。足元には雲が漂い、遠く下には広場が見える。「こんな場所があるなんて……」とエマは思わずつぶやいた。


 セレスティアムの中は、まるで星空の中にいるような幻想的な空間だった。壁には輝く文字が浮かび上がり、天井には夜空が広がっている。新入生たちはカレッジごとに席についた。


 そして、壇上に立つ老魔法使いが、穏やかな声で挨拶を始めた。


「新入生諸君、よくぞこのアルカナ魔法学校へたどり着いた。我らは、古代より続く魔法の伝統を守りつつ、新しい未来を築く者たちを歓迎する」


 式が終わると、新入生たちは再び天空の階段を下り、それぞれのカレッジへ戻った。エマは、胸の高鳴りを感じながら寮への道を歩き始めた。


 ◇◇◇


 セレスティアムでの式を終え、エマやソフィアは、他の新入生たちと一緒にルミナス・カレッジのコモンルーム――カレッジ内の共有ラウンジ――に戻った。コモンルームは高い天井と暖かな照明が特徴で、壁一面には歴代の卒業生の肖像画が並び、中央には大きな暖炉がゆらめく炎を灯している。柔らかなソファが配置された部屋には、どこか安心感が漂っていた。


「いやー、すごかったな、あのセレスティアムの空間!」

「あの星空みたいな天井、どうやって作ってるんだろう?」


 周囲の学生たちは興奮気味に話している。


 エマもソフィアと一緒に暖炉の近くのソファに腰を下ろし、ようやく一息ついた。


 「でもさ、カイ・ファルディオン、本当にカッコよかったよね!」隣に座っていた同級生が声を上げた。


 「うん、あの堂々とした感じ、さすがファルディオン家だよね!」別の同級生が同意するように頷く。


 「確かに。あんなに冷静で毅然とした態度、普通の学生じゃ真似できないよ」とソフィアも感心した様子で言った。


 エマは、カイの毅然とした姿と一瞬自分に向けられた笑顔を思い出し、胸が少しざわつくのを感じた。


「確かに、彼はすごい人なんだな……」


 すると、別の話題が浮上した。「そういえば、噂だけど、今年は推薦で入学した新入生がいるらしいよ」


 「推薦?」エマが聞き返すと、隣の少女が得意げに説明を始めた。


「そう! アルカナ魔法学校には、推薦合格って制度があるの。でも誰かを学校に推薦できるのは、アーク・カレッジの人だけなんだよ」


 「アーク・カレッジって……あの一番高いところにある建物の?」ソフィアが驚いたように尋ねる。


「そう。アーク・カレッジの教授か学生に推薦状を書いてもらえれば確実に合格って聞いたよ。でもアーク・カレッジの人が推薦状を書くなんて滅多に無いから、もし本当なら余程優秀な魔法使いなんだと思う」


 その言葉を聞いて、エマの頭にある人物が浮かんだ。ルイ。


(推薦合格って私のことだし、ルイってアーク・カレッジ所属だったの……!?)


 「あれ? エマ、何か知ってるの?」ソフィアが首をかしげる。


 「いや、なんでもないの」エマは笑顔でごまかしたが、心の中はざわついていた。


「アーク・カレッジか〜。卒業までに一度はカレッジの中を見てみたいよね」


 学生たちの呟きはいつしか憧れ話へと変わり、次々に夢や期待が語られていく。


 けれど、エマはそれを聞きながらも、自分が聞いた情報の重大さに胸の鼓動が速くなるのを感じていた。


 ◇◇◇


 翌朝、エマはソフィアと一緒に、アルカナ魔法学校の最初の授業へ向かっていた。学内には、色とりどりのローブを身にまとった学生たちが行き交ってる。


 エマたち一年生が魔法生物学の授業を受けるのは、アルカナ魔法学校の南東に広がる学内の林だった。古びた石畳の小道を進むと、林の奥で教授が待っていた。背の高い教授は白い髭を撫でながら、厳かな声で授業を始めた。


「今日は野生の魔法生物を手懐ける基礎を学びます。対象となるのはクローキャットと呼ばれる生物。見た目は猫に近いが、怒らせるとその姿を数倍に膨らませ、脅威となる。慎重に扱うように」


 周囲を見渡すと、数匹の黒い猫のような生物が近くに集まっていた。金色の瞳がぎらりと光り、学生たちを警戒するように見つめている。エマはその鋭い視線に少しだけ怯えたが、好奇心がそれを上回った。


 「クローキャットを手懐けるための呪文はこれです」教授がゆっくりとした口調で呪文を唱えた。「『カレンディア・セリス』。言葉だけでなく、心を落ち着け、相手を受け入れる意志が重要です」


 学生たちは一人ずつ順番にクローキャットに近づき、呪文を試みた。しかし、ほとんどの猫は不満げに低く唸り、距離を取った。


 次の番はカイだった。彼は冷静に猫に向かい、堂々と呪文を唱えた。猫は一瞬身を強ばらせたが、やがて警戒を解き、カイの足元にすり寄った。


 「さすがカイ様!」周囲の学生たちが感嘆の声を上げる。


 そして、エマの番が来た。エマはクローキャットに目を合わせながら、そっとしゃがみ込んだ。教授の教えた呪文を唱えようとしたが、なぜか言葉が出てこない。代わりに、エマは自然と手を伸ばした。


「大丈夫、怖がらなくていいの」


 エマの優しい声と柔らかな微笑みが猫に伝わったのか、クローキャットは驚いたようにエマをじっと見つめた。


 次の瞬間、猫はふっと目を細め、エマの手に頬をすり寄せた。


「呪文無し……!?」


 周囲の学生たちは驚きの声を上げた。


 授業の終わり際、教授は学生たちを大きな建物に案内した。そこは魔法生物の飼育施設であり、さまざまな魔法生物が安全に管理されていた。学生たちは歓声を上げながら中を見て回る。


 施設の奥には、飼育員らしき年老いた男性が立っていた。ぼろぼろの帽子をかぶり、どこか飄々とした雰囲気を漂わせている。


「そのクローキャット、魔法を使わずに手懐けたのかい?」


 おじいさんはエマに微笑みかけながら近づいてきた。


 突然、全身が炎で覆われた鳥のような生物が、おじいさんの帽子に飛び乗った。帽子が勢いよく燃え始める。


「も、燃えてます!」


 エマが慌てて声を上げた。


「おお、いかんいかん」


 おじいさんは落ち着いた様子で杖を取り出し、帽子に向けた。炎は瞬く間に消え、帽子は元通りになった。鳥は喜んだように鳴き、おじいさんの頭の上をくるくると飛び回った。


 「この子はワシのペットなんじゃが、どうにも火遊びが好きでねえ」おじいさんは苦笑した。


「それにしても、君には不思議な才能があるようだね」


 おじいさんの言葉に、エマは照れくさそうに笑ったが、どこか不思議な温かさを感じた。


 ◇◇◇


 新しい学校生活が始まって数日が経過した頃、エマは膝の上でクローキャットを撫でながらルミナス・カレッジのコモンルームで寛いでいた。


「エマ、そのクローキャットすごい懐いてるけど、魔法をかけてないんだろ?」


 彼の名はフィン・ハーパー。フレンドリーで、誰とでもすぐに打ち解ける明るい性格だ。


「うん、魔法は好きだし、懐いてくれるのは嬉しいけど、魔法で無理やり仲良くなるのはちょっと違う気がして……」

「お前面白いやつだな! でも気をつけろよ?」

「ありがとう、でも大丈夫だと思う」

「ちがうちがう」

「え? どういうこと?」


 フィンはいつもの軽い笑みを浮かべながら、周りに聞こえないように声を潜めた。


「最近、学内に人間がいることに反発してるやつらが、人間を探して他の学生を襲ってるって噂だぜ? 魔法を使わずに何かしてたら、人間って疑われるかもしれないからな。まあ、エマなら襲われても大丈夫だろうけど!」


 「気をつけろよ〜」と言ってフィンはその場を去っていった。エマは彼の言葉に不安を覚えながらも、クローキャットを撫でる手を止めなかった。


 エマは、クローキャットを連れて自分の部屋に戻り、授業の予習をすることにした。クローキャットがベッドの上で丸くなり、犬型の魔法精霊ヴィラは、本を読むエマの周りをふわふわと駆け回っている。


 そこに突然ルイが現れた。


「学校生活は順調か?」

「ルイ! うん、頑張ってるよ! あ、紹介するね。ベッドの上にいるのがクローキャットのクロちゃん!」

「……ペットを飼うのは良いが、ちゃんと魔法はかけたのか?」

「かけてないけど大丈夫みたい」


 エマがそう答えると、ルイのポケットの中が輝き出し、中から猫型の魔法精霊が出てきた。ルイの精霊は、エマの精霊と一緒になってエマの周りを駆け回りだした。


「ルイの魔法精霊、猫ちゃんみたい! かわいい〜! あ、それよりルイ! 私ももう12歳のレディなんだから、部屋に来る時はノックしてよね!」

「レディ? そんなことより話がある」


 ルイの表情が急に真剣になる。


「最近エマのことが学内で噂になっているようだ。『学内に人間がいる』と。特に心配してないが、もし何かあればヴィラちゃんを使ってすぐに俺を呼べ」

「そうみたいだね……気をつけるよ。ありがとう」


 その時、廊下の方から「エマー! いるのー? 入るわよ〜」と言って、同級生のソフィアが現れた。


「あら? お邪魔だったかしら? またあとでくるわ」


 ソフィアはちらりとルイを見たが、何も言わずに立ち去った。その瞬間、エマの胸に微かな緊張が走る。


「ソフィアに聞かれたかな……?」

「友達なら聞かれても大丈夫だろう。ただ、油断するな」


 エマは頷きながら、胸の内に言葉にならない不安を抱えていた。


 ◇◇◇


「どうして教えてくれないのよ! アーク・カレッジのルイ様と知り合いだって! 知り合いどころじゃないわ、部屋にいたんだもの!」


 ルミナス・カレッジのダイニングホールで夕食を食べながら、エマはソフィアから質問攻めにあっていた。


「ルイは……幼馴染で……」


 エマは苦笑いを浮かべながら曖昧に答える。どうやらルイは、最年少で特別試験に合格してアーク・カレッジに所属したことで学内でも有名人らしい。


(初めてアルカナ魔法学校に来た時、やたら視線を感じたと思ったけど……今思えば、あれはルイが一緒にいたせいだったのかもしれない……)


「そんなの、もっと早く言ってくれればよかったのに!」


 ソフィアはパンをちぎりながらエマを睨む。


「いや、特に言う必要もなかったし……」

「何言ってるの! あのルイ様よ? アーク・カレッジのルイ様と幼馴染なんて、普通の学生ならそれだけで一目置かれるのに!」


 エマは返す言葉が見つからず、曖昧に笑ってごまかした。その時だった――。


「みんなー!」


 突然、ルミナス・カレッジの上級生がダイニングホールへ飛び込んできた。声には緊迫感があり、ホール中の注目を集める。


「レガリア・カレッジの三年生が、人間と疑われて襲われたらしいぞ! 新入生以外も気をつけろ!」


 その瞬間、ホールがざわつき始めた。


「新入生以外にも人間がいるの?」

「怖い……次は誰が襲われるのかしら」

「魔法の世界に人間なんて来るから、こんなことになるんだよ」


 周囲から聞こえてくる声に、エマは小さく身を縮める。


「学内でこんなに人が襲われるなんて……怖いわねえ」


 隣のソフィアが震える声で呟く。しかし、エマは何も言えなかった。


(私のせいだ……)


 手の中のスプーンがひんやりと冷たく感じられた。エマはそっと視線を下げ、心に広がる重苦しい感覚を押し込めようとした。


「ちょっと疲れたから、部屋に戻るね」そう言って、エマはダイニングホールを後にした。


 エマは、ルミナス・カレッジのすぐ近くに広がる庭園へと向かった。切りそろえられた芝生の緑が鮮やかに広がり、その向こうには木々が並ぶ小道が続いている。


「私がここに来なければ、こんなことにはならなかったのに……」


 エマの目には、学校の庭園が妙に遠い世界のように映った。


 木々の間から、不意に影が揺れた。エマは立ち止まり、じっと暗闇を見つめる。


「誰……?」


 小道の先から、長いローブをひらめかせながらレガリア・カレッジのカイ・ファルディオンが現れた。月明かりが彼の顔を照らし、その表情は冷たいがどこか好奇心に満ちている。


「君、人間だよね?」


 その言葉は、冷たい風のようにエマの心を揺らした。


「君、人間だよね? 入学式の日に、広場で見かけた時から気づいてたよ」


 その言葉に、エマは一瞬固まったが、カイには敵意を感じられなかった。


「そっか……あの日、私が人間だとわかってたんだね」


 エマは冷静になろうと努め、少し肩の力を抜いた。


「君が人間だからって、何も悪くはない。君には、この学校にいる資格がある」

「でも、私がここに来たことで、皆に迷惑をかけてるんじゃないかって思って……」


 エマは小さく呟きながら、目を伏せた。


「それは違うよ。君はただ、ここで学んでいるだけ。君が自分を責める理由なんて無い」


 エマはしばらく黙っていたが、カイの言葉に少しだけ心が軽くなったような気がした。しかし、心の奥には依然として不安が残っている。


「約800年前、ファルディオン家は魔法使いによる人間界の支配を止めたが、それは結果として魔法界と人間界の分断を生んだ。君が差別的な発言を受けるのは、僕たちファルディオン家の責任でもある。もし君が襲われそうになったら……」


 カイは静かに言った。「必ず守ってみせる。君には、もう何も心配させない」


 そう言って、カイはそのままエマに微笑みかけ、ゆっくりと足を踏み出した。


「今度僕のカレッジにも招待するよ。それじゃあ、またね」


 カイは軽く手を振ってから、夜の静けさの中に消えていった。エマはその後ろ姿を見送ると、心の中に少し温かい感覚が残り、少しだけ笑みを浮かべた。


 ◇◇◇


 数日後、エマはカイからレガリア・カレッジの晩餐会に招待された。


 レガリア・カレッジの晩餐会は、アルカナ魔法学校の中でも特に格式の高いイベントだと聞いていた。その上、レガリア・カレッジには貴族系の魔法使いが多く、エマにとっては少し敷居が高く感じられる場所でもあった。


 「レガリア・カレッジの晩餐会、楽しみだな!」と、フィンが嬉しそうに言った。彼の目は輝いていて、エマの緊張を少し和らげてくれた。


 「うん、でも、ちょっと緊張するな……」と、エマは少し照れくさそうに答える。ソフィアはエマの手を取り、しっかりと握りしめた。


 「緊張する必要なんてないわよ、エマ。カイがあなたを招待してくれたんだから、堂々としていればいいのよ」と、ソフィアは励ますように言った。


 晩餐会の当日、エマはソフィアとフィンと一緒にレガリア・カレッジに向かった。大きな扉が開くと、そこには荘厳なダイニングホールが広がっていた。天井が高く、煌びやかなシャンデリアが柔らかい光を放ち、テーブルには色とりどりの料理が整然と並んでいる。長いテーブルが何列も並び、魔法使いたちがゆったりと座っている姿が見える。


 「わぁ……すごい……」と、フィンは目を丸くして感嘆の声を漏らす。


 普段の食事とはまったく違う雰囲気に、エマも一層緊張感を覚えた。レガリア・カレッジの学生たちが纏う豪華なローブや装飾、品のある振る舞いに、エマは少し圧倒されていた。


 カイがすでに席に着いており、彼はエマたちを見つけると手を振って微笑んだ。「エマ、ソフィア、フィン、ようこそ」と言って、彼の隣の席に案内してくれた。


 エマは少しだけ安心し、ソフィアとフィンとともにカイの隣に着席した。目の前には、色とりどりの前菜が並び、中央には大きな肉料理が置かれている。シルバーの食器が美しく輝き、ワインのグラスがきらきらと光を反射していた。周囲の学生たちは、静かに食事を楽しみながらも、会話の内容やマナーに気を配り、どこか品位を感じさせる。


 その後、魔法界の伝統に従って、食事が進んでいった。前菜に続き、スープが運ばれ、次にメインディッシュが並んだ。食事の合間、エマは周りの魔法使いたちと会話を交わしたり、時折カイの隣で軽く話をしたりしていた。


 ソフィアは、レガリア・カレッジの学生たちと楽しそうに話しており、フィンは周囲の雰囲気に圧倒されながらも興奮気味に料理を楽しんでいた。


 「エマ、緊張してる?」と、カイが穏やかに声をかけた。


 「うん、ちょっと……でも、カイがいてくれるから大丈夫」と、エマは少し微笑みながら答えた。


 「それなら良かった」と、カイは温かく言った。


 晩餐会が進む中、突然、レガリア・カレッジの長老的な存在の教授が立ち上がり、食事の合間に一声かける。「皆さん、本日の晩餐会を祝して、乾杯を捧げましょう」


 グラスが一斉に上がり、シャンパンが光を反射してキラキラと輝いた。


 「乾杯!」という声に続いて、全員がグラスを掲げて乾杯した。すると、カイはエマに向かって微笑み、軽く囁いた。


「君がここにいること、皆にとっても特別なことだよ」


 その言葉に、エマは少し驚いたが、カイの温かな眼差しに気づき、胸が高鳴った。彼の言葉は、何よりも心強く感じた。


 ◇◇◇


 晩餐会が終わり、エマはソフィアとフィンと一緒にルミナス・カレッジへ戻ろうとしていた。しかし、ふと気づくとソフィアの姿が見当たらない。


「フィン、ソフィアがどこに行ったか知らない?」


 エマは少し心配そうに尋ねた。


「さっきまで一緒にいたはずだけど……レガリア・カレッジの中をもっと見たいって言ってたし、案内してもらってるのかもしれないね」


 フィンは少し呑気な口調で答える。


「でも、勝手にどこかに行くタイプじゃないと思うんだけど……」


 エマの胸に不安が広がる。それでも、これ以上遅くなるわけにもいかず、フィンと二人で先にルミナス・カレッジへ戻ることにした。


 帰り道、二人が石畳の小道を歩いていると、暗がりに何かが倒れているのが見えた。


「……誰かいる?」


 フィンが警戒心を込めた声で言う。


 エマが近づくと、その人影がソフィアだと気づき、青ざめた。


「ソフィア!? どうしたの!?」


 彼女の頬に触れると冷たく、意識がない。エマは震える手でソフィアの肩を揺さぶったが反応はない。


「急いで医務室へ連れて行こう!」


 フィンの力強い声に促され、二人はソフィアを抱きかかえながら魔法学校の医務室へ急いだ。


 医務室では、温かい光が柔らかく灯る部屋の中で、ソフィアがベッドに横たわっていた。しばらくして、ようやく彼女のまぶたがゆっくりと開いた。


「ソフィア!」


 エマは思わず彼女の手を握りしめた。


「エマ、フィン……ありがとう。私……何があったんだろう……」


 ソフィアは困惑した表情を浮かべていた。


「何か覚えてる?」


 フィンが優しく尋ねる。


 ソフィアは少しの間、記憶を探るように目を閉じた。そしてぽつりと呟く。


「誰かに……『お前が人間か?』って聞かれたの。それから、襲われたみたいで……」


 その言葉を聞いた瞬間、エマの胸が締めつけられるような思いに駆られた。


「ソフィア、ごめん!」


 エマは突然、涙をこぼしながら叫んだ。


「え? エマ、何を言ってるの?」


 ソフィアは驚いた顔で彼女を見つめる。


「私のせいでソフィアまで襲われるなんて……私なの。アルカナ魔法学校の人間って……」


 その言葉に、部屋の空気が一瞬静まり返った。フィンも何も言えず、エマを見つめている。ソフィアは驚いたように目を見開き、しかしすぐに優しい表情に変わった。


「エマ……あなたのせいじゃないわ」


 ソフィアはそっと手を伸ばし、エマの手を握り返した。


「でも、私がここにいるせいで……!」


 エマは涙をこぼしながらうつむいた。


「違う。エマ、聞いて。犯人は許せないけど、それはあなたの責任じゃないわ。それに、エマがここにいることがどれだけ素晴らしいことか、私は知ってる。だから、自分を責めるのはやめて」


 ソフィアの声は力強く、優しさが込められていた。


 エマはその言葉に、少しずつ心がほぐれるのを感じた。泣き顔のまま顔を上げると、ソフィアの微笑みが視界に広がった。


「ありがとう、ソフィア……」

「それに、何があってもあたしはエマの味方だからね。フィンだって、そうでしょ?」

「もちろんだ!」


 フィンが笑顔で答えた。


 エマはその瞬間、かけがえのない友達の存在の重みを強く感じた。


 ◇◇◇


  ソフィアが襲われてから数日が経った。エマは彼女の回復を見守りながら、自分の中で覚悟を固めていた。


 もしまた人間に関する話題が出たら、その時は隠さないで話す。それがエマの決意だった。


 ある日の昼休み、ルミナス・カレッジの庭園でエマとソフィア、フィンが話していたとき、隣のテーブルで聞き覚えのある言葉が耳に飛び込んできた。


「最近、人間がアルカナに紛れ込んでるって噂、聞いた?」

「聞いた聞いた。どうしてそんな奴がここにいるんだろうね。魔法使いの学校なのに」


 エマは息を飲んだ。フィンが不安そうに彼女を見つめ、ソフィアはぎゅっとエマの手を握った。


「……私のことだよ」


 エマは、隣のテーブルに向かって話し始めた。


「私が、その人間です」


 突然の告白に、隣のテーブルに座っていた学生たちは目を丸くした。


「え……本当なの?」

「なんでそんなことを隠してたんだ?」


「隠してたわけじゃない。怖かったの……受け入れてもらえないかもしれないって。でも、もう嘘をつきたくないの」


 エマの真剣な表情に、隣の学生たちは戸惑いながらも、反発するような態度は見せなかった。その代わり、彼らは何も言わずに立ち去っていった。


 その日を境に、「ルミナス・カレッジに人間がいる」という噂が徐々に広まっていった。カレッジ内の学生たちはエマを見る目が少しずつ変わり始め、好奇心や疑念の視線が彼女に注がれるようになった。


 数日後、ルミナス・カレッジのダイニングホールでエマは同級生から声をかけられた。


「エマ、君が人間って本当なの?」

「……そうだよ。私は人間。でも、魔法を学びたくてここに来た」


 エマの告白はまたしても周囲の学生たちの注目を集めた。彼らの中には、「すごいじゃないか!」と驚きながらも応援する声を上げる者もいれば、距離を取る者もいた。


 ◇◇◇


 ある日の夜、エマはアルカナ魔法学校内の図書館での勉強を終え、ルミナス・カレッジへと向かって歩いていた。


 薄暗い道を進む中、月明かりの下にひとりの影が浮かび上がる。フードを深く被った学生が、エマの行く手を塞いでいた。


 レガリア・カレッジの紋章がついたローブを身にまとっている。


「……誰?」


 エマが問いかけると、謎の学生は無言のまま杖を向けた。


「イグナイト!」


 杖の先から放たれた赤い閃光が、燃え盛る炎となってエマに向かって飛んでくる。


「きゃっ!」


 エマはとっさに身をひねり、近くの木陰に身を隠した。肌に感じる熱気が、危険な状況を物語っていた。


「何をするの……!」


 しかし、返事はなく、謎の学生は再び杖を構えた。容赦のない攻撃が続き、エマは必死に身を伏せる。


(どうしてこんなことを……誰か……ルイ、助けて……!)


 心の中でそう叫んだ瞬間、エマが髪に留めている髪飾りが淡い金色の光を放ち始めた。その光は次第に強まり、エマの周囲に広がっていく。


「……何?」


 光はエマを包み込むように輝き、次の瞬間、見えないシールドとなってエマを守った。謎の学生が放った炎が、目に見えない壁に衝突し、弾け飛んだ。


 その時、静寂を裂くようにだれかの声が響いた。


「エマ! 大丈夫か!?」


 カイが駆けつけ、杖を振り上げる。強烈な風が巻き起こり、謎の学生は後方に吹き飛ばされた。フードが外れ、その顔が露わになる。


「あ……あの子……」


 エマは驚きの声を漏らした。


「入学式の日に……人間の悪口を言ってた子……」


 エマはその場にへたり込みそうになる。だが、次の瞬間、カイが彼女のそばに駆け寄り、そっと肩を抱いた。


 エマが呆気にとられていると、すぐそばにいたクローキャットのクロが突然何十倍ものサイズに膨れ上がった。黒い毛並みが逆立ち、深く低い唸り声を上げて威嚇している。


 魔法精霊のヴィラも普段の優しい様子とは一変し、鋭い眼差しでこちらを見ている。


「クロ、ヴィラ、どうしたの? もう大丈夫だから落ち着いて!」


 エマが声をかけた瞬間、足元でかすかな音がし、シュッと影が現れた。そこにはルイが立っていた。だが、彼の雰囲気はいつもとはまるで違っていた。鋭い目つきと漲る魔力が空気を重くし、杖をエマに向けている。


「エマ、そこから動くな」


 低く冷たい声に、エマは目を見開く。


「ルイ! あのね、ルイがくれた髪飾りのおかげで――」


 話しかけようとしたその時、カイが自分に杖を向けていることに気がついた。


「え……カイ?」


 エマの声が震えた。


「そこで気絶している学生を操っていたのはお前だな、カイ・ファルディオン」


 ルイの声は怒りに満ちていた。紫色の魔力が彼の体から漏れ出し、周囲にゆらめいている。


「そうだ。でも、だれも傷つけていない。それにエマを傷つけるつもりもない。ただ……君が僕に情報をくれれば、それでいい」


 ルイの眉が一瞬動いたが、すぐにその表情は厳しいものに戻った。


「だれも傷つけていない? エマは、自分のせいで関係ないやつらが襲われたと思い、苦しんでいた。お前はいったい何がしたい?」


 カイはほんの少しだけ俯いた後、意を決したようにルイを見据えた。


「僕は……『レクス・ソルヴィール』を探している」


 その言葉に、ルイの表情がわずかに揺れた。


「レクス・ソルヴィール……?」

「そうだ。この学校のどこかに必ずある。だれかが隠し持っているか、あるいはどこかで保管されているはずだ。アーク・カレッジの魔法使いなら、何か知っているに違いない!」

「つまり、お前の本当の目的はレクス・ソルヴィールで、人間探しはただの隠れ蓑だったというわけか。そして、その情報を得るために俺と親しいエマに近づいた……そういうことだな?」


 カイは躊躇なく頷いた。


「その通りだ! 入学前からエマが君と一緒にいるところを見た!」


 一瞬の沈黙の後、ルイの体からさらに強烈な魔力が放たれた。空気が震え、空間に細かなヒビが入る音が響く。


「どんな理由があろうとも、俺の家族を傷つけたやつは許さない」


 ルイが杖を振り上げ、放たれる魔法の気配にエマは息を呑んだ。だがその瞬間、空中に現れた影が二人の間に割り込んだ。


「フォ〜フォッフォッ。学校全体を破壊するつもりかね? ルイ・ブラウンくん」


 現れたのは、以前エマが魔法生物の飼育施設で出会った老人だった。その姿は場の空気を変え、エマもカイもルイも動きを止めた。


「話は聞いていたよ。君にはすまないことをしたね、カイ・ファルディオンくん」 

「魔法生物の飼育施設にいたおじいさん……?」


 エマが驚きの声を上げたその瞬間、カイが低くつぶやいた。


「学長……」

「学長!?」


 エマはさらに驚いて声を上げた。学長は静かに笑みをたたえながらエマを見つめた後、カイに視線を戻した。


「さて、少しばかり、歴史の授業を始めようかのう」


 緊張の中で学長の言葉が静かに響く。


「約800年前、古代魔法による人間界の支配を止めたファルディオン家。彼らは人間界から魔法に関する記憶を完全に消し去り、古代魔法を呼び起こすネックレス――『レクス・ソルヴィール』を代々守ってきた……とされておる。だが、それは作られた歴史に過ぎん」


 エマは驚いて学長を見つめる。


「実際に人間界を救い、レクス・ソルヴィールを守り続けてきたのは、ファルディオン家ではなくフェルマール家という一族じゃったのじゃ。フェルマール家の当主が、当時親しかったファルディオン家と協力し、事実とは異なる出来事を世に広めたのじゃ」


 「なぜそんな偽りを……?」エマは驚き呟いた。


「簡単なことではないが、危険な遺産であるレクス・ソルヴィールが絶対に見つからないよう動いたのじゃ」


 学長は静かに言葉を区切り、やや暗い表情で続けた。


「だが、約10年前、レクス・ソルヴィールを狙った闇の魔法使いたちが現れた。魔力の強い魔法使いを次々と襲い、どこからか得た情報をもとに、ファルディオン家が守っているという噂を疑い始めたのじゃ。さらに、偶然とは思えぬ不幸がフェルマール家を襲った。ある日、長年仕えていた者の裏切りにより、一族は壊滅してしまったのじゃ……」


 学長の声が一瞬詰まり、エマは息を呑んだ。


「フェルマール家の血を引く者たちが失われても、レクス・ソルヴィールは闇の手に渡ることはなかった。しかし、その存在を知る者は今やほとんどおらん。そして……レクス・ソルヴィールは現在、このアルカナ魔法学校に隠されておる」


 カイが驚愕の表情を浮かべた。


「学長、それは本当なんですか……?」

「本当じゃ。あの日以降、学校で厳重に管理しておる。じゃが、その魔力を完全に遮断するのは難しい。君の父君が微かに感じ取った魔力もその名残じゃろう。いずれ父君には、直接説明しようと思っておった」


 カイは拳を握り締め、歯を食いしばった。


「さて、ルイくん、エマくん……カイくんの行動は許されるものではないが、彼が動いた理由の一端はワシにある。学生たちを襲った罪として、彼には停学一週間と、魔力の一時的な封印を課す。これで納得してくれぬか?」


 ルイは少し間を置いて答えた。


「……魔力を封じるなら、それで良しとしましょう。ただし、次はありません」


 エマもそっと頷く。


 学長は目を細め、厳かに言葉を締めた。


「カイくん、君にはこれ以上の迷惑をかけぬと誓ってもらおう。その上で、家系の名誉を取り戻すためではなく、魔法そのものと向き合う心を取り戻してほしい」


 カイは小さく頷き、肩を落としたまま学長についていった。


  数日後、アルカナ魔法学校の広大な講堂に全学生と教授陣が集められた。荘厳な雰囲気が漂い、ステンドグラスから差し込む光が床を彩る中、全員が静かに学長の登場を待っていた。


 やがて、講堂の中央に設置された壇上へ学長が現れる。長いローブをまとい、杖を片手に携えたその姿は、普段の穏やかな印象とは異なり、圧倒的な威厳を放っていた。壇上に立つ学長の姿が、場の全ての視線を引きつける。学長は静かに周囲を見回し、厳かに口を開いた。


「諸君。この場に集まってもらったのは、学校内で起きていた一連の事件について、そしてその解決について報告するためじゃ」


 ざわめきが起きかけるが、学長が杖を軽く振ると、それだけで静寂が戻った。


「まず、何よりも大切なこと。アルカナ魔法学校に人間が存在しているという事実をここに認めよう」


 講堂内が一瞬息を呑むように静まり返り、次いで軽いざわめきが広がった。エマは椅子に座りながら体を固くする。その中でいくつかの声がはっきりと聞こえた。


「人間? どういうことだ?」

「まさか、この学校に本当に入れるわけないだろう……」


 そんな中、学長は視線をエマの方に向けた。


「彼女の名はエマ・ブラウン。ルミナス・カレッジの一年生じゃ。アルカナ魔法学校の1000年以上に渡る歴史の中で、初めての人間の学生。ただし、この学校に入学できるのは、我々が厳選し、魔法の世界に貢献できると判断した者のみじゃ。そして、ワシは信じておる。彼女が、我々魔法使いと人間との関係において新たな希望となる可能性を」


 エマは全身に視線を浴びているのを感じながら、小さく息を呑んだ。嬉しさよりも、不安と緊張が彼女を包み込む。


 学長は続けた。


「しかしながら、ある者たちはこの事実を受け入れられず、不幸な事件を引き起こした」


 学長の言葉に、学生たちの間で再びざわめきが広がる。


「これらの事件はすでに解決した。関係者は厳しく処分され、二度と同じようなことが起きぬよう、対策を強化することを約束する。そして、今こそ、我々が一つになるべき時じゃ」


 すると突然、壇上にルイも現れた。


「俺からも一つ話がある」


 ルイの登場により、再びざわめきが起きた。


「エマをアルカナ魔法学校へ推薦したのは俺です。そして、彼女がこの学校にふさわしい人間であることは、俺が保証する」


 会場が静まり返る中、ルイの強い声が響いた。学長が再び前に出て、会場を見渡す。


「諸君、ルイくんの言葉に耳を傾けてもらいたい。確かに彼女の存在は特異なものじゃ。じゃが、この変化を恐れることは、未来を閉ざすことに等しい。エマくんがこの学校に加わったことは、我々全員にとって試練であり、同時に大きな学びの機会でもある」


 エマは息を整え、視線を落としたまま自分の手を見つめる。「ここにいるべきなのだろうか」と胸の中で問いかけた瞬間、隣に座っていたフィンが軽く肩を叩いた。


「大丈夫だよ、エマ。みんながすぐに理解できるわけじゃない。でも、エマならきっと乗り越えられる」


 その言葉にエマはほんの少しだけ背筋を伸ばし、前を向いた。


 学長は締めくくるように言葉を続ける。


「彼女を拒絶する者がいるなら、ワシは断固としてそれを許さぬ。そして、彼女を守る者がいれば、彼女の成長を助ける者がいれば、ワシはその者を称賛する。アルカナ魔法学校の名は、分け隔てない学びの場として長く続いてきた。その伝統をこれからも守っていこうではないか」


 講堂全体が静寂に包まれた。次いで、一部の学生たちが拍手を始めると、それは次第に広がり、講堂全体が拍手の音で満たされた。


 エマはその場の拍手を聞きながら、フィンの言葉とルイの力強い声を思い出す。そして、胸の奥に静かだが確かな決意が芽生えているのを感じた。


「私も、この場所で自分の道を切り開いてみせる」


 学長が最後の言葉で締めくくる。


「これからが本当の始まりじゃ。新たな一歩を共に踏み出そうではないか!」


 その言葉に再び拍手が巻き起こり、講堂の雰囲気が明るくなった。


 ◇◇◇


 一連の事件からしばらくして、エマはアルカナ魔法学校の中でも一目置かれる存在となっていた。初めての人間の学生ということで注目を浴びつつも、その努力と明るい性格からルミナス・カレッジでは自然と人気者となり、学校生活を存分に楽しんでいた。


 そんなある日、エマがいつも通りカレッジのダイニングホールの扉を開けると、突然大きな破裂音が響いた。


「エマ、13歳の誕生日おめでとう!」

「おめでとう!」


 目の前には、ソフィアやフィンをはじめ、ルミナス・カレッジの学生たちが勢ぞろいしていた。壁には「HAPPY BIRTHDAY EMMA」と書かれた魔法のバナーが浮かび上がり、テーブルには色とりどりのケーキや料理が並べられている。


「えっ……!?」


 驚きで呆然とするエマに、ソフィアが笑顔で駆け寄る。


「誕生日おめでとう! エマ!」

「私、誕生日のこと、誰にも話してないのに……」

「ルイくんが教えてくれたんだよ。だって、誕生日を一人で過ごすなんて寂しいでしょ?」


 エマは思わず目頭が熱くなり、涙ぐみながら笑顔を浮かべた。


「嬉しい……! みんな、本当にありがとう!」


 フィンがテーブルから小さな箱を手に取り、エマに差し出す。


「これ、みんなで用意した誕生日プレゼント。開けてみて!」


 エマは丁寧に包装を剥がし、箱の中身を確認した。そこには、透明なガラス瓶が入っている。瓶の中にはきらきらと光る粉末が詰まっていた。


「これは……?」


 「シールドパウダーだよ」フィンが得意げに言った。


「ローブに振りかけると、魔法の盾みたいに頑丈になるんだ。エマがまた危ない目に遭ったら大変だからさ、これで少しでも守れるようにって!」


 エマはその言葉を聞いて、瓶を胸に抱きしめた。


「こんなに高価なものを……。本当に嬉しい。ありがとう!」


 ソフィアがエマの背中を優しく叩きながら笑う。


「エマは私たちの大切な友達だからね!」


 エマは仲間たちの温かさに包まれ、改めてこの学校で得た絆の大切さを感じた。賑やかな笑い声が響き渡る中、彼女の心には、新たな決意が生まれていた。


「私も、みんなのためにもっと強くなりたい。この学校で、もっと成長してみせる!」

本作は「エマと魔法使いのレオン 〜魔力を与えられた少女〜」の第一章です。続きは連載版の方でお楽しみください

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