2節 迎撃準備−Re ④
神域入りより、六日後。
「「「!」」」
ある気配を感じた皆は動きを止める。シミュレーターを停止させて敵を消し、或いは模擬戦を中断して地上に降下。決戦の地を再現したこの場を離れ、マリナが拠点としていた神殿を目指す。
そして、その姿が顕になると、皆は装備を外し、彼向けて駆け寄った。
「エイジ!」
「来てくれたんだな」
マリナに連れられたエイジは、少しやつれた様子をしている。
「どうしたんだい⁉︎ 結構疲れているみたいだけど……」
「そりゃ、な。各方面への指示出しに、催眠の維持。ほとんど休めていないんだ」
それを聞くや否や、ダッキがクッションソファーを取り出し、シルヴァはハーブティを淹れ出した。
「悪いな……」
腰を沈め、程よい温度の茶を飲む。そんな彼の後ろにレイエルピナが回り込むと、首周りを優しく解し始めた。気づけばアロマも焚かれている。そして、目の毒にも思えるような真っ白な光景は、その光度を少し落とすよう調整されていた。
「特訓の調子はどうだ、順調か?」
「おう、おかげさまでな」
「最初の一週間のうちに、魔族化と装備の調整をしました。それには少し手間取ったけど、それ以降は特に問題なく進められていて、バッチリ強くなれてますよ! 今の私たちを見たら、きっと驚くはずです」
「それはよかった。この戦いは、君達がどれほど強くなれるかにかかってるからな……」
自信満々といった様子で、対面に座ったテミスが話しかけるが、それに対するエイジの反応は良くなかった。疲れているのだとは分かるけれど、それでも少し寂しい。
「魔王国の方はどうなの?」
「概ね計画通りだ。行動開始から既に十四日目、全軍が訓練と編隊を終え、防衛線に集結している。物資の輸送もほとんど完了しているはずだ。水神は前日には目覚めた、明日明後日には接敵するだろう」
その話ぶりは淡々としていて、いつも自分たちの前で見せるような明るさがない。疲れているようなら、寧ろ甘えてくるような人だったはずだ。そんな違和感が、少しずつ明瞭になってきていた。
「疲れがひどいようなら、寝ていてもいいのよ」
「それには及ばない。昨日からさっきまでずっと眠っていたからな」
「そう……」
きっとそれは気絶というものではないだろうか。面々は訝しんだ。そしてそんな様子だというのなら、もう少し足止めできなかったのか聞くのは酷なことだろう。
「「「「…………」」」」
そこで会話が止まった。皆は彼との間に距離を感じ、甘えられない。一方のエイジは、遠慮がちな彼女らを気にする素振りもなく、椅子に深く座り込んで目を閉じてしまった。
「ねえ、エイジ」
「……なんだ」
「ワタシ達、避けられてる?」
そんな時、モルガンが核心に踏み込んだ。
「そんなつもりはないが……」
「それ、なのよ。いつもなら、疲れている時でもワタシ達の前では明るく振る舞おうとしていたし、今のも必死に否定していたはず。さっきの話し方もよそよそしかった」
モルガンは彼の前まで移動し、目線を合わせて包み込むように手を握る。
「何かあったの? ワタシが悪いなら変えるから……!」
捨てないで、と懇願するような泣く寸前の表情だった。シルヴァやレイエルピナ、他の皆もその後ろから、同じような訴えかける目を向ける。
そんなみんなから目線を切り、俯いたエイジは__
「だって、君は……オレの知っているモルガンじゃないだろう……!」
握られた手を引いた。力は入っておらず、彼女の手は簡単に振り解かれる。
「オレにとってのモルガンは、史上最悪の兵器の発射ボタンを押さされたとしてもオレを責めず、水神を倒して帰ってくるのを待ったまま、九頭龍に殺されたんだ‼︎ オレが守りたかったのは、救いたかったのは! お前じゃない……!」
そう吐き捨てて、目の前の他人を睨みつける。突き放された彼女は、絶望の表情をしていた。
他の皆も、理解した。彼の孤独感、本来ならば彼だけが抱え込んだであろう闇を。だが__
「無礼られたものだ。私たちがその程度で諦めるだなどとは__」
カムイがモルガンに代わって、その手を握り込んだ。指を絡めて、力強く。
「なら、なぜ君は私たちを救おうとしているんだ。私達の存在が、この温もりが、虚妄だとでも?」
その反対の手も、テミスが握り、目を真っ直ぐ見つめて語りかける。
「エイジにとってはそうかもしれませんが、私たちにとっては違います。私の知っているあなたと、今目の前にいるあなたは変わらない。……体は同じだが中身は違う、とでも言いたげですね。同じですよ。今ここにいるあなたは、あの会議の時から、悲劇的な結末を経て、戻ってきた。連続しているんです。だから、何かが決定的にズレてしまっているわけじゃない」
彼が悲観的になるのは、よくあること。だけれど、彼女たちはその都度真剣に慰め励まし癒してきた。今回だって、それが少し深刻なだけ。いつも通りにやるだけだ。
「そうなのだとしたら……私たちは知っているんですよ。こんなことではどうしようもないほどに、あなたから愛されているということを。もちろん、私たちも何があろうと愛しています」
「君のことだ。大方、守れなかった方の私達に申し訳ない、とでも思っているんじゃないか? じゃあ、訊くが……私たちが、今際の際に君を恨んだり、失望していたと思うか? その私たちが今この光景を見ていたとして、それに恨みを抱くように見えるか? そして__こういうことをする私たちは、君の中の私たちとは違うのか?」
水神を救う、だなどと宣っていたが、その前に彼自身が救いを必要としていた。自分達は愛されていた彼女たちと間違いなく同じ存在で、ならば愛していた人が乗り越えて幸せになることを責めるはずがないと訴えかけて。彼の闇を祓い、絶望から引き上げる。
手を差し伸べられた彼はというと。その目からは泪が溢れ、嗚咽を漏らしていた。
「オレは……君たちを守れなかったんだ……! 本当に、そんな男が許されていいのか……⁉︎」
「まだ、アンタは折れてない。わたし達を代わりだと思ってしまったとしても、それ以上に多くのものを救おうと抗っている。そんな奴のこと、逆にどうやって見限ればいいのか教えて欲しいくらいよ」
「何度失敗しようとも、貴方が貴方である限り、私達はずっとお側にいますから」
俯き噎び泣く彼に寄り添い、二人がその背を撫でていた。
「……マリナさん、もう言ってしまってよろしいですの?」
「うん、この展開が見たかっただけだから」
「アラ、悪趣味……とは言い切れませんわね。必要性はともかく、乗り越えることに意味はありますもの」
もう限界に近いダッキがマリナに許可をとる。これ以上、彼が自分達のことで苦悩しているのは見るに堪えなかった。
「ダーリン〜」
「……なに」
「実は、わたくし達も記憶があるんですのよ」
ポカン、とした表情をする。気持ちも落ち着いてきたと思った時にこの仕打ち、涙も引っ込んでしまった。
「え?」
「マリナ様から、間際までの記憶をいただきました。ですので、同じく精神が時を超えてきたと思っていただいて構いませんわ」
ダッキは二人を押しのけて、真正面に陣取る。
「貴方様だけに、その苦しみを背負わせるだなんて嫌ですもの。同じ立場を持つものとして、支えさせてくださいまし」
「あっ、それ言うだけで解決でした⁉︎」
「……いや、それだけじゃなくてよかったと思うぞ。多分……」
どうやら熱くなって、最良の回答は頭からすっぽ抜けていたらしい。けれど、それはそれで味気ないので、これで良かったのだろう。
一方。
「モルガンさん……大丈夫、ですか?」
「え、ええ……もう平気よ。真正面から言われて、ショックを受けただけ……」
そんなことを言いながらも、まだ泣きべそを書いている。彼から突き放されたのは、誤解に近いようなものだったとはいえど、その事実は変わらないので、すごく傷ついているし滅茶苦茶悲しい。
「す、すまない……」
「んっ!」
エイジは立ち上がって、モルガンに謝る。すると、彼女は両手を広げた。
「慰めて」
「ごめんよ……愛している」
「ん……」
強く抱きしめられると、彼女も優しく抱き返し。その耳元で囁いた。
「ワタシ、強くなったから。今度こそ、最後までアナタと一緒に戦うわ。……あ、最後っていうのは死ぬまでって意味の最期じゃなくて、水神を助けてあげるまでの話だからね⁉︎」
「そうです……! 私達も、今度こそは、なにがなんでも生き残りますから!」
ユインシアも、側で気合を入れていた。
その周囲には。
「……ねえ」
「アタシらにも出番欲しかったんだが!」
「仕方ないじゃない、人数多いんだから」
「早い者勝ちです。今回は運がなかったですね」
「じゃあ、その分目一杯甘えさせてもらおうかな」
数が多い故の弊害で、割を喰った者達がいた。位置取りと初期行動が命運を握るのだ。
「私でも、同じことは言ってあげられたわ。ええ、そのはず……」
「あら、負け惜しみ? 一言も話せなかったくせに」
「仕方ねぇ。この分は戦闘で活躍して取り返してやらぁ!」
「ふ、今の私達の実力は横並びです。頭一つ抜けた活躍は難しいですよ」
「ま、まあまあ落ち着いて。こんなこと僕らが争ったって不毛じゃないか」
先程のシリアスな雰囲気はどこへやら。漫才じみた張り合いを繰り広げている。温度差で風邪をひきそうだ。
「あ〜、その……今まで構ってやれなくて、悪かった」
「そうですね、二ヶ月ぶりくらいです」
「だから、まぁ……今からその分、取り返そうか」
「ホント⁉︎」
彼の提案で目の色が変わる。先程まで彼を憂いていた瞳は、喜色を顕にし。それを超えると、飢えた獣のような眼光を放つようになる。
「色々、溜まってるだろ……ストレスとか、寂しさとか」
「それ以外にも、な」
「うん、今までずっと戦い通しだったからね。休憩、させてもらうよ」
「あはは……お手柔らかに」
エイジはまだ少しだけ戸惑っているようだったが、いつもと変わらぬノリに当てられて、笑顔が戻り始める。新たにマリナを含めた十二人は、世界の滅びを目前としながらも、そんなことはさしたる事態ではないとばかりに和やかに語らい、熱く睦み合っていた。