5 アンジェリアの不運
時は戻り、ベラとアンが初めて相まみえた中庭での、頬殴打事件まで遡る。ベラが去った後、アンことアンジェリア・ドレスラー=サンセットサファイアは全く知らない人に全く知らない内容で文句を言われた上に頬を打たれ、何が何だか分からず動けないでいた。
アンジェリアが白昼堂々暴力を振るわれたあの中庭には、アンジェリアたち以外にも生徒たちがいた。彼らは暴力を振るわれて呆然としているアンジェリアを見捨てたりはせず、急いで医師に連絡を入れにいく者、呆然としているアンジェリアに寄り添って大丈夫かと声をかける者に分かれていた。
まだ学院に入って数か月のアンジェリアには、知り合いも多くない。恐らく上の学年だっただろう生徒たちに付き添われて医務室へとアンジェリアは移動した。移動の途中で段々と腫れ始めた頬を見て、見知らぬ先輩方はアンジェリアを痛々しいものを見る目で見つめつつも、心配してくれた。
医務室で事情を聞かれたアンジェリアは、呆然としながらこう答えた。
「知らない令嬢から、急に頬を打たれて……」
「知らない? 知り合いではなかったのですか? 恋愛の縺れのようだと報告を受けていますが……」
「いえ。確かに相手はそのような事を言っていたのですが……その、恥ずかしながら特に婚約者もおりませんし、えぇと、相手が口にしていた名前の知り合いもいないのです」
アンジェリアの言葉に、医師は困ったような顔をした。アンジェリアも同じような顔をしている。
本当に、なんで急に初対面の人間から頬を打たれたのかさっぱり分からず、アンジェリアは困っていた。
とりあえずと医師に暫く休むよう促されて、アンジェリアは医務室で暫し時間をすごした。
なんだか気持ちが落ちてしまって、授業に出る気力もない。そんな風に体を横にしていると、突然個室のドアが開かれる。
「アンジェリアッ! 無事ですの!?」
一瞬驚いたものの、すぐに聞こえてきた従姉妹の声に、体に入っていた力を抜く。
個室に勢いよく入ってくる同い年の従姉妹のアンドレア・サンセットサファイアだ。アンドレアのいつも綺麗に纏めて編み上げられている深いオレンジの髪が乱れている。それだけアンドレアが急いで駆け付けてくれたという事だろう。
「アンドレア……私は無事よ」
「なんて事……どこの誰が貴女の頬をぶったというの?」
「分からないの。突然やってきて、サンセットサファイア家のアンかどうか尋ねられて、肯定したら頬を打たれて」
「髪色は何?」
「えぇと、確か……薄めの緑だったわ」
「緑。エメラルドの血族かしら」
「ドレア! 緑だからってエメラルドとは限らないでしょう。サファイアの血族の中には青も白も緑も紫も、私たちみたいな赤や橙だっているのよ」
「分かっているわ。ただ緑と言われて最初に思い出すのはエメラルドの血族なのは間違いないじゃない」
アンジェリアは呆れたように首を振った。気持ちは分かるが、他の血族――特に三大侯爵家の血族と争いを起こすのはよくない。かの令嬢が本当にエメラルドの血族であれば仕方がないが、はっきりしていない段階であまり聞かれたら拙いような事を口にするのは避けた方が良いというのに……。
「ともかく。出来る限り一緒に行動しましょう。もし近くにその相手がいたならば、すぐに私に言いなさい。それから、私と一緒にいられない時は他の人と一緒に行動しなさい。一人にはならない事。分かったわね」
まるで年上の姉のような物言いだったが、この従姉妹がアンジェリアの姉振るのはいつもの事なので、突っ込むのは止めた。
◆アンジェリア・ドレスラー=サンセットサファイア男爵令嬢
貴族学院一年。深紅の髪を肩ぐらいの長さで切りそろえている。
◆アンドレア・サンセットサファイア子爵令嬢
貴族学院一年。深いオレンジの長髪をいつも綺麗に編み上げている。