3 ベラ・グリーントパーズⅡ
「なに、それ……な、なんで!?」
「ごめん、ベラ。……でも両親が、突然婚約相手を決めてきて……」
頭を下げるハワードに、ベラは「そんなっ」と叫んだ。
「私を捨てて、その相手と結婚するっていうの?!」
「両親の言う相手を蔑ろになんて出来ないよ。本当は君と一緒に居たかった。でも無理なんだ。分かってくれ、ベラ」
「ひどい……っ」
両手で顔を覆って泣くベラの肩を抱いて、ハワードは必死に慰めていた。慰めてくれた所で、ハワードは親を説得するだとか、ベラと結婚するとか、そういう事は言ってくれない。
「相手は、相手は誰なの……」
「会った事はないんだけど……サンセットサファイア家という、サファイアの血族の娘だそうだ。名前は……アンだったかな」
アン・サンセットサファイア。その女がいなくなれば、ハワードはベラと結婚してくれるはずだ。だからベラは探した。アン・サンセットサファイアという令嬢を。
サファイアの血族は三大侯爵家の一つであるサファイア侯爵家を祖とする貴族たちであり、三大侯爵家の中でも特に分家などの数が多い派閥だ。
ハワードのピンクサファイア子爵家もサファイア侯爵家から分かれて出来た一族だし、ハワードを奪ったという女のサンセットサファイア家も、やはりサファイア侯爵家から分かれた家だろう。
やや苦労したが、サンセットサファイアという家の令嬢なら知っているという生徒に出会った。
「その女の名前はアン?」
「確か……ああ、確かそうだよ。友人らしい生徒からアンと呼ばれていたはずだ」
「どんな見た目!?」
「赤っぽい髪の令嬢だよ。――ああほら、あそこを歩いてる」
そう言って、生徒は窓の外を指さした。そこには渡り廊下を、茶髪の生徒と仲良さげに歩く深紅の髪の女がいた。令嬢だというのに肩ぐらいの高さで髪を切り揃えている、変な女だった。
「どうもありがとう!」
「ああ」
相手の顔を見た瞬間走り出したベラは、背後で生徒が「…………あれ? 似てるけど、あれは別の人だな」と呟いた事には、気が付かなかった。
大急ぎで渡り廊下に急いでいったベラだったが、先ほど見つけたアンはいなかった。
次に見つけたら必ず文句を言ってやる。そして婚約を止めろと言う。そうベラは決意した。
ベラの望んだ機会はそれから数日で訪れた。
貴族学院には様々な場所に、ゆったりと時間をすごせるようにイスやテーブル、ベンチなどが用意されている。そんなベンチの一つに腰かけて、アン・サンセットサファイアは何をするでもなくぼんやりと空を見上げていた。
ぼーっと阿呆面をさらす女に、怒りがわく。あんな女が、ハワードと結婚するなんて、許せない。だってあの女にベラが負けたという事ではないか!
「ちょっと!」
声をかけると、アンはゆったりとした動きでベラを見た。
「何か」
ベラに対して、全く興味のなさそうな目だった。その目を見た瞬間、理由は様々あったが、ベラの心は怒り一色になった。
頬を打ってやれば、更に阿呆っぽい顔をする。ハワードから離れろと言ってやり、立ち去った。これであの女はハワードには別に想い合う相手がいると気が付いて、身を引くだろう。
――だが少したってもハワードはベラに会ってくれず、婚約は続いているらしいと知った。
許せなかった。だからベラはもう一度、アンが一人でいる所を探して、どうして別れていないのだと文句を言ったら、謝罪を要求してきた。その上、ベラが誰かすら知らないと言ったのだ。つまりハワードとベラの事を話してすらいないという事だ。
ハワードに相談するレベルもないような話題として扱われている――ベラの脳内は再び怒りに支配された。
「お金があるからって……人を自由に操れると思わない事ね! 貴女みたいな守銭奴には必ず精霊様が天罰をくだすのよ!」
自分の事を上から見下ろしている。それが許せなかった。
あれから、数日。
これで大人しくハワードとサンセットサファイアの女が別れないのならば、もっと本格的に脅してやらなくては。そう思っていたベラの耳に、ある会話が入ってくる。
「そういえばアンが言っていたけれど、今日の昼食休み、婚約者と二人で、談話室でデートするんだって!」
視線を向ければ、ベラと同じく一年だろう茶髪の男女が、お喋りをしていた。
「へえ。そういえばこの前、変な女に絡まれてたけど、大丈夫だったのか?」
「そうそう! その謝罪に婚約者様が今度美味しい店にも連れてってくれるんだって言ってたわよ」
「貴方たちっ!」
ぱちくりと、男女はベラを見る。
「何か?」
「その談話室の場所はどこ!?」
「え、ええ? えぇっと、確か東棟の二階の、奥から三番目の談話室って言ってたかな?」
「そう。教えてくださりどうも!!」
(あれだけ言ったのに、ハワード様とすごそうなんて、許せないっ!)
そんな風に考えて歩いていくベラは、この会話の話題が、アンとハワードだと信じ切っていた。
アンという名前は出ているが、相手である婚約者がハワードなんて言っていないというのに。
また、全く知らない相手である男女が、あまりにあっさりとベラに談話室の事を伝えた事も、おかしいとは思わなかったようだった。
立ち去っていくベラの背中を見送った男女の双子は、顔を見合わせてニヤリと笑った。