小話5:小さな勇気
冬の寒さが、いっそう厳しさを増してきた。
新しく買ったもこもこの部屋着やスリッパ、冬前まではルー君が膝に乗る時しか使わなかった厚手の膝掛けも、フル活用している。
もっと魔法を上手く使えたなら、自分用のあったかマフラーとか毛布とか作れるのになぁと、ちょっと残念な気持ちを抱いていた私だけれど、そんなものが比較にならないくらい素晴らしい存在に、ある日唐突に気付いてしまったのだ。
「あったかいねぇ、ルー君」
「ホゥ」
そう。ふわふわ柔らか、一度抱きしめると手放せなくなる魅惑の羽毛を纏ったルー君だ。
そういえば去年の冬、まだルー君の正体を知らなかった私は、思い切って購入した止まり木をルー君が使ってくれただけで喜んでいた。それが今や、お膝に乗ったルー君を後ろから抱きしめている。
あの頃から、色々あったなぁ。
シニアンさんに片思いしているだけだった一年前と、想いが通じて寄り添っている今。時の流れって、本当に不思議だ。いつになく変化の激しかった一年を振り返りつつ、目の前の小さな頭に頬を擦り寄せる。
あー、幸せ。
肌触りのよい羽が気持ちよくて、当たり前のように腕の中にある温もりが嬉しくて、うっとりしてしまった。
逃げずにそのままでいてくれるルー君に甘えて、やんわり抱きしめたまま今日あったことを話す。そうしてしばらく至福の時間を味わっていると、ぽかぽかして徐々に眠たくなってきた。
ちょっとだけ体を離して、ふわぁとあくびをする。と、前を向いていたはずの小さな頭がくるっと回転して、まんまるな目が現れた。
「ルー君はすっごい首が回るね」
何度見ても、クルクル滑らかな首の動きは面白い。
何気なく口にした言葉に、ルー君は得意そうに胸元の羽を膨らませた。次いで体も伸びるよとばかりに、にゅっと私の方へと顔を近づける。
そしてその上嘴の丸みが、私の唇にちょんと触れた。
「ふふ」
シニアンさんの姿でキスされるとすごくドキドキして何も手につかなくなってしまうけれど、ルー君の姿でされるとドキドキよりも「なんてかわいい!」という喜びが大きかった。
「あー、かわいいっ」
気付けば思ったことがそのまま口から出ていて、なぜかルー君にじーっと見つめられてしまった。私がルー君をかわいいと褒めるのは珍しいことではないのに、どうしたんだろう。疑問に思っているとルー君が身じろぎをしたので、飛び立ちやすいように体を離した。
ちらっと時計を見ると、そろそろルー君の帰宅時間だ。
「帰る時間?」
「ホゥ」
そうだよとばかりに鳴いたルー君が、ふわっと飛び立って、止まり木へと移った。これまでぬくぬくだった膝やお腹周りがスッと寒くなって、少し寂しくなる。
「じゃあまた明日、ね」
そう声をかけると、ルー君の目がきらきら輝いた。
明日は2人ともお休みなので、ルー君……シニアンさんの家にお邪魔する予定なのだ。ルー君の表情から、シニアンさんも明日を楽しみにしてくれているんだなぁと察して、感じていた寂しさが薄れていく。
窓を大きく開けると、冷たい風が部屋へと入ってきた。
「おやすみ、ルー君」
「ホホゥ」
挨拶を返してくれたルー君が、サッと夜空へ飛び立つ。窓を開けたまま見送ると後日心配のお叱りを受けてしまうので、素早く閉めて窓越しにルー君の風のような帰宅を見送った。
「さて、と」
今日は早めに寝て、明日は早起きしてミートパイを作って、シニアンさんの家に持って行こう。お肉好きの彼は、きっと喜んでくれるはず。うん、楽しみ。
そんな感じで。翌日ルー君の視線の意味を思い知らされるなんて知る由もない私は、楽しい計画に胸を躍らせつつ、幸せな眠りについたのだった。
「ミナさん手作りのミートパイ、すごく美味しいです。酸味のあるサラダのドレッシングとよく合いますね」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
次の日。
こんがり焼きあがったミートパイと、手作りドレッシング付きサラダを昼食にと持参した私は、目論見通り喜んで食べてくれたシニアンさんの様子に上機嫌だった。苦労して作って、運んできた甲斐があるというものである。
シニアンさんが用意してくれていたデザートもありがたくいただいて、お腹はいっぱい。2人で後片付けをしている時間は、穏やかな幸せを感じた。
けれど、いつものようにソファに座ってお話しするタイミングで、そのほのぼの気分はあっさり吹き飛ばされていった。
「あの、シニアンさん。この体勢は……?」
いつものように隣に座るのではなく、なぜかシニアンさんの足の間に座らされている私。
後ろから覆い被さるように優しく抱きしめられて、ドキドキと困惑が交互にやってくる。さりげなく逃げようとしても、見かけ以上に力強い腕はびくともしないし、むしろ腕の力が強まって、シニアンさんに余計密着することになってしまった。
そして追い打ちをかけるように、彼は私の頭にスリっと頬を寄せる。
「こうしていると、確かにとても温かいですね」
その仕草と言葉にひえぇっと悲鳴をあげそうになって……はたと気がつく。これってもしかしなくても、昨日の私がルー君にしていたこと、では?
それに気がつくと、ものすごく居た堪れない気持ちになってきた。
「ねぇ、ミナさん。抱きしめられる方は、もっと温かく感じませんか?」
うわぁすみませんすみませんそうです確かにむしろ人型でされるとあったかいどころかドキドキと羞恥で暑いくらいです!
心の中で叫びながら、昨日の自分を振り返る。本当に、いくらルー君の羽が魅力的だったからとはいえ、なんて恥ずかしいことをしていたんだろう。もしかしてルー君も、今の私と同じ気持ちだったのかな。
こうして耳元で話されると、シニアンさんの落ち着いたいい声が直に耳に響いて、すっごくそわそわするし。ああもう、あの体勢のまま長話した私のバカバカっ。
「と、とても、あたたかい、です」
でもルー君が受け止めてくれたのだから、私もこの試練に耐えてみせる。せめて今日だけは、この体勢でシニアンさんのお話を聞こうではないか!
よく分からない覚悟を決めた私だけど、ぎゅと体にまわっていたシニアンさんの腕は、あっさりと緩んだ。
解放されて、ほっとしたような拍子抜けしたような気持ちで何気なく振り返ると、シニアンさんの顔は思った以上に近くにあり、また心臓がうるさく騒ぎ始める。
これまさか、ルー君がしてくれたみたいに、キスしろってこと、だったり?
いやいや、無理すぎるーっ!
ああ……、でもでも。
恥ずかしいからって、甘えてばかりでいいのかな。恋人として、相手を思いやれてるって、言えるかな。
口移しのお菓子を拒んだ時、とぼとぼ歩いていたルー君の姿が、浮かんで、消えて。思わず目の前にある静かな瞳を、じっと見つめていた。
いつも私に合わせてくれるシニアンさん。
優しい彼は、こうして遠回しに要求を伝えてくれている。逃げることもできるように、言葉にはしないままに。
バクバクしている心臓の音が、全身に響いている気がする。耳のいいシニアンさんには、私のこの緊張も、聞こえてしまっているのかな。
そんなことを考えながら、思い切って体を伸ばす。
そして初めて、私からシニアンさんの唇に触れた。
ほんの一瞬だけれど、すごく大きな一歩を踏み出せた気がして、達成感と幸福感が胸に込み上げる。同時に、シニアンさんにぎゅーっと抱きしめられた。
「ミナさんっ」
喜びがぎゅっと濃縮されたような呟きに、勇気を出してよかったと嬉しくなる。ああああ、でもでもぉっ。
「シ、シニアンさん折れる折れるっ」
「うわあっ、すみません!」
獣人であるシニアンさんに強く抱きしめられると、やわなヒトの私には受け止めきれないのだ。
大慌てでパッと腕を離したシニアンさんの動きと一緒に、甘酸っぱい緊張感も飛んでいき……顔を見合わせた私達は、どちらからともなく笑い出してしまった。なんだか締まらない感じが、私達らしい。
でも、普段は十分注意して私に接してくれているシニアンさんが、こうして加減を忘れるほど喜んでくれたのであれば、頑張ってよかったと心から思う。
「ミナさん」
やがて笑いをおさめたシニアンさんが、穏やかな声で私の名を呼んだ。
「私も愛してますよ」
それは、初めてのキスの後にも言われた言葉。あの時は受け止めきれなくて逃げ出した私だけど、今は嬉しくて、幸せで、その気持ちを伝えたくなった。
「私も、あ、愛してます」
口にすると、途端に照れ臭くてたまらなくなる。
でも今度は力加減を間違えなかったシニアンさんに優しく抱き寄せられれば、胸の中は陽だまりのような幸せだけで満たされた。
小さな勇気を出した冬の日。
それは2人の関係が少しだけ変わった、特別な日になった。