素晴らしき人間の正義と、愚かな魔王
「魔」という言葉から受ける印象は、悪の要素が強いらしい。
例えば悪魔。
意味は、人にわざわいをもたらし、悪に誘い込むもの、だ。説明の段階で悪という言葉が入っているのだから、これ以上云うことはないだろう。
次は、断末魔なんてどうだろう。
意味は、死ぬ間際の苦痛、だ。これは単純に悪と云っても、しっくりこない。しかし断末魔。その光景を想像すれば、どうだろう。断末魔をあげる者とあげさせる者。後者を見た時、その理由が粛清か、愉快か、憎悪か、いずれにせよ、しっくりくる悪が見えるのではないだろうか。
やはり「魔」とは悪と云って差し支えないのだろう。
この世界には「魔族」と「人間」、ふたつの種族が、いや、正確にはもっと多くの種族がいるが、大雑把に、或いは勢力を鑑みると、ふたつの種族がいると云っていい。
もちろん、我々「魔族」が悪であり、「人間」が正義だ。理由も当然、「「魔」族」だからである。そもそも、その呼称は「人間」が定めたものだが、呼称とは定着で、定着とは認知だ。大多数の者が認知して、初めて呼称は定着する。そこには多数決の要素も多い。つまり、数で勝る「人間」は、あらゆるものを定着させることが出来るわけだ。何も好き好んで、自らを「魔族」などとは云わない。
「魔族」が悪で、「人間」が正義。
しょせん、多数決である。
ふたつの種族の争いは、いつから始まったものなのか、また、その理由は、もはや誰も知らないのかもしれない。ただ眼前に、互いにとっての悪が現れるから、戦うのである。
力の魔族。対して知性と数の人間。
しかし、前述の通り、数とは、ある種の力だ。
私のような魔王は人間並みの知性を持ち合わせているが、あくまで特例であり、逆をいえば、人間は皆、私と同じレベルの知性を持ち合わせている。
劣勢は必然だ。
私が魔王となって以来、種族の繁栄のため、国の防衛のため、散々と対人間に努めてきた。始めは話し合いの道も考えた。
が、今はもう、その選択は無い。
ただただ争いを繰り返し、劣勢に次ぐ劣勢。
滅びの未来も、すぐそこに見えている。
何が魔王。
愚王だ。
それでも、争いやめることは出来なかった。
何故か。
……。
目の前にいる、勇者の、勇ましい姿のせいである。
つい先日、幹部のデーモンが人間の襲撃にあい、殺された。死して尚、逆さ吊りにされ、何本もの剣で腹部を貫かれたらしい。人間から見た彼の容姿は、それはもう、反吐が出るそうで、存在自体が悪なのか、正義の残虐に歓声があがったそうだ。
当然、それを聞いた時に湧いた想いは怒りであるが、私が愚王であり続ける理由と云うには、少し違う。我々魔族も、人間に対して殺しをやっているのだ。因果応報でもある。
これもまた、つい先日、幹部のサキュバスが人間の襲撃にあい、監禁された。彼女の容姿は人間にとって都合がいいらしく、今や何をされているのか……、いや、恐らく、彼ら人間の性の捌け口とされていることは容易に想像出来るのだが、何が正義かと、やはり怒りの感情を覚えるだけである。
何もかも、争いが生んだ犠牲である。
私は人間に対して「理由無き敵意」は無い。
争いをやめれば、解決するのである。
分かっている。
……。
しかし、この、勇者の、顔である。
我ら人間の正義を、全ての人間の恨みを背負ってここに立つ、と言わんばかりの、勇ましき、凛々しき、顔である。
我々は、ただ、その、人間にとっての、醜悪な容姿によって迫害され、持って生まれる力に恐怖抱かれ、駆逐されてきたのである。
反撃すれば、いよいよ完全なる悪の完成である。
正義の攻撃は、いよいよ勢いを増すのである。
私たちが間違っていたのであろうか。
反撃が間違い……。
淘汰される側は、じっと堪えていればよかったのだろうか。
我々は醜悪な身として、人間が築く栄華の影で、終わり無き、駆逐とまではいかない程度の迫害を、受け続ければよかったのだろうか。
何が、正義か。
何が、人間か。
……この、顔である。
凛々しき眉毛。構えた一本筋の長剣。これが最後の戦いだ、とパーティを鼓舞しあう視線のコンタクト。
素晴らしき正義である。
多数決によって決められた、それは素晴らしい、正義である。
その正義が、私を愚王とする、ただひとつの理由である。
最後の戦場は、我らが城の中。
吹き抜けの空から、月光が正義を照らしている。
空を見上げると、やはり三日月が見えたのだが、少しだけ雲がかかっていた。
夜空は、ただの暗黒。
月があるから、雲の存在が分かるのだな。
「覚悟しろ! 魔王!」
あぁ、慈悲深き正義が向かってくる。
魔王らしく、最後まで、抵抗してやろう。
いや、その、正義を疑わない顔に、抵抗させられるのだ。
「かかってこい……。貴様を倒して、この世界を…………悪で、支配してやる……」