好き避けとメソテースと
好き避け、それは好きな人を避けてしまうこと。
その根底には羞恥心があるのだろうが、された側は男女問わず、自分に気がないのではと思ってしまう、結果として相手を遠ざけることになりやすい行為だ。
しかし、僕は、ある出来事をきっかけとして、その行為の可能性を発見することになる。
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ある日のこと、友達が僕の幼馴染の彼女と別れた。アニメやラノベなど趣味も同じで、いつも楽しそうだったのになぜ?と思った。彼女によると、原因は単純だった。純真ではなかったが。弁当に必須のあれらしい。だが、実は彼に聞いてみたところ、その理由ではなくもっと根源的理由を答えてくれた。
曰く、
「俺たちは、知りすぎてしまったんだ…」
…彼は厨二病を患っており意味深で意味浅な発言が目立つのだが、そのことはこの際置いておこう。要は『お互いのことを深く知りすぎて、距離が近くなりすぎた』ということらしい。
彼はそれから何故か
「俺たちが出会ったのは、オーロラに包まれ、雪がしんしんと降り注ぐ、そんな夜、、、、、、の7月7日、午後7時7分7.77秒だった…」
と正確で稀有でロマンチック?、そんな素晴らしい成り初めを語り出したのだが、どうやら出会って間もない頃はお互い「好き避け」をしていたとのこと。
それから、徐々にお互いの気持ちにも気づき意気投合していくうちに、「好き避け」の形跡すら感じないような仲睦まじい状態になったのだという。自分でいうか?普通。
彼は僕に、親切にも、別れたことで得た教訓を教えてくれた。マザーテレサとは似ても似つかないが、そんな慈悲に溢れた表情とともに。
「汝、メソテースを愛しなさい。何事においても中庸を重んじるのです。そして、こう唱え、祈るのです。『スキサケメソテースト、スキサケメソテースト…』さすれば、全てが上手くいくでしょう。そうして得た幸せの少しをお金で返すのです」
…最後のがなければ、ドクトリン(教義)みたいな感じで少しカッコいい、わけない。アリストテレスの受け売りな気もするし。最後のもそうだが、いいかげんの厨二っぽさに少し青い筋が。そのことをおくびにも出さないように努めつつ、一万円札とともに笑みを向けてみたところ、
「おおっと、不治の病が今治ったぞ。だから、その一万円札と笑みをしまってください、お願いします」
と宥めるような手振りと表情で意味のわからないことを言ってくる。そして、真面目な顔になって
「好き避けは、ある意味でその対象との時間をより特別なものにする行為だと思うんよ。同じようにさ、付き合い始めたあとも距離を適度にとれば上手くいったのかなぁ」
「…まぁ、そもそも原因となるような不埒なものを必要としない純真無垢な人やそれを悟らせない抜け目ない人ならこうはならなかったんだけどね」
「ナゼワカッター…あーーーーーー」
それから彼は、しばらく項垂れていた。予想以上に響いたようだったので、お詫びに後日2人の中を取り持つ役を買って出たとだけ。
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もしかしたら、好き避けはより対象を特別視しようとさせる人間の一種の本能なのかもしれない。そして、その本能は、男女の中を末永く温かに保つ役割を担うのではないか。
このような可能性に気づいたはいいものの、ふと気づく。あれ?僕には直接役立てられなくない?
そ、そうだ、人ではなく、例えばラノベなどとの距離を適度に取り、より楽しいものへとしてみよう。それがいい。それしかない…そして、いつか来るそのときを信じて…スキサケメソテースト、スキサケメソテースト…