悪の華道を潰しましょう
時間軸としては、悪の華道を行きましょう(1話目)と悪の華道を追いましょう(2話目)の間になりますが、単品でもお読み頂けます!
「旦那様、見てください。野生の兎が居ますよ。ふふ、可愛らしいわ」
都会育ちのセレスティーヌは物珍しさからか馬車の窓から見える森を指差し興奮気味に隣の宰相へ喋りかける。
普段は年齢よりも落ち着いた様子を見せる彼女だが、夫婦二人での外出にテンションが上がっているらしく実に楽しげだ。
そんな無邪気な妻の様子が可愛くて仕方のない宰相は目元をデレデレに下げる。
「うむ、実に生きのいい兎だ。あれは良い毛皮になる」
女性相手の受け答えとしては最低な返しだが、セレスティーヌは気分を害した様子もなく美しく微笑む。
「狩り甲斐のある獲物だな」
愛おしい幼妻の手前そんな事を口走るが、勿論セレスティーヌ曰く魅惑のワガママボディの持ち主である宰相にはそんな芸当出来るはずもない。
せいぜい供の者に狩らせた獲物をさも自分で狩ったようにして持ち帰るのが精一杯だ。
そんな見栄っ張りな所も可愛らしいとセレスティーヌは更に微笑む。
「そうですね。丁度冬に向けてあんな色の襟巻きが欲しかったところです」
「そうかそうか。では帰ったらあらゆる動物の毛皮を用意させよう。襟巻きとコート、靴下にマント。冬には屋敷中に毛皮の絨毯を敷き詰めるのも良いな。セレスの為なら世界中の毛皮を全て集めよう」
「まぁ旦那様ったら」
世界中のモフモフ達からすれば悪の権化による地獄の悪巧みのような会話を穏やかにしているうちに馬車はとある建物へと停まる。
「さぁ着いた、孤児院だよ」
「孤児院?」
「前領主がここの孤児院にはとても良く目をかけていてな。引き継いだ私も一応顔を出しておこうかと思っての」
建物の奥から慌てた様子で初老の男が小走りでやってくる。
「これは、このような辺境の田舎へようこそおいで下さいました」
「うむ、簡素な前触れだけの突然の訪問失礼する」
「わ、わたくし、ここの孤児院の院長を務める者でございます」
頭を下げる男は白髪混じりで人は良さそうだがどこか気弱そうにオドオドしている。
「管理は別の者に任せることになると思うが、新しくこの領土を所有することとなった。隣の美の女神は私の妻だ」
「もう、旦那様ったら。恥ずかしいわ」
セレスティーヌの美貌に暫し身惚れて固まる院長に宰相は自慢げに鼻を鳴らす。
「突然の領主交代に戸惑うことも多かろうが、今まで通り支援していく方針だ。気を揉まずに運営を続けるが良い」
今回の旅の目的は先日失脚した貴族の領地をそのまま受け継ぐことになったのでその見回りという体だが、実はただの宰相職を休む言い訳で単純に妻と小旅行をしたいだけだったりする。
思い立ったが吉日でセレスティーヌと連れ立って旅に出たが、一応視察も形だけしておこうと数刻前に孤児院に訪問の手紙を出したばかりであった。
「ありがたきお言葉でございます。どうぞ子供たちにもご挨拶の機会をお与え下さいませ」
「む……うむ」
「私の愛する子供たち、出ておいで。新しい領主様だ。ご挨拶しなさい」
優しげな声で院長が呼ぶと、遠くの方から様子を伺っていた子供達が大量に現れた。
「「「こんにちは領主様!」」」
大体成人前の子供から乳幼児まで様々な年齢の子がわらわらと二人を囲う。
「まぁ可愛らしい」
「う、うむ」
先程の兎の時と同じ感想を述べるセレスティーヌとは対照的に、普段大勢の政敵を前にも動じる事なく不遜に振る舞う宰相なのに今はどこか腰が引けている。
子供というものに免疫がなさ過ぎてどうすればいいのか分からず戸惑っているのだ。
そんな宰相の新たな一面にセレスティーヌは密かにギャップ萌えをした。
「そ、そうだ。子供達への贈り物を用意してある。悪いがセレス、子供達に配ってはくれぬか?」
「ええ。勿論」
「ワシは院長と二人で今後の詳細を話すとしよう。院長、部屋に案内してくれ」
「かしこまりました」
院長に案内させ子供達から逃げるように去っていく宰相を微笑ましく見守り、子供達に向き直る。
「元気な挨拶をありがとう。私はセレスティーヌ。仲良くしてちょうだい」
サラサラの髪に艶々な肌。見たこともないような豪華なドレスを身に纏った美しい女性に、先程は院長の手前どうにか元気に挨拶出来た子供達も対面した今は圧倒されている。
そんな子供たちの前に宰相が用意させていたプレゼントが従者達により黙々と積まれていく。
「さぁみんな受け取りなさい、沢山あるようだから喧嘩しちゃダメよ」
プレゼントの山を見てそわそわしていた子供たちがワッと声を上げる。
プレゼントの中身はカラフルな飴にドライフルーツとナッツたっぷりの焼き菓子、王都で流行りの人形にカッコいい勇者の模造刀。
夢のような光景に子供達は大喜びだ。
一通り開封してみんなで喜びあった後、子供たちの興味は優しい微笑みを浮かべて自分達を見守っているセレスティーヌに移る。
「素敵なプレゼントありがとうございます。あの、その、もしかしてお姫様ですか?」
十歳にも満たない少女が勇気を出した様子でセレスティーヌに喋りかける。
ふわふわした栗毛とそばかすの散る頬は健康そうで可愛らしい。
「おしめしゃま!」
その少女の手にはまだ足取りも覚束ない幼児の手が握られており、その子もまたセレスティーヌに興味津々といった様子で声をあげる。
孤児院ではこうして上の子が下の子の面倒を見るのは当たり前なのだ。
「ふふ、どうかしら。なぜそう思ったの?」
「だってだってキラキラなんですもの! 絵本のお姫様にそっくり! ドレスもとっても素敵!」
「しめしゃま!」
少女と幼児を中心に子供達が目を輝かせてセレスティーヌに纏わり付く。
セレスティーヌの方も可愛らしい子供達に懐かれれば悪い気はせず、大きな木の根本に座り子供達とお喋りを始める。
その様子をこの孤児院の最年長の少年イーサンが面白くなさそうに睨み付けている。
みんなの兄貴分であるイーサンのそんな様子に気付いた一人の少年。
一番イーサンに懐いているその少年は彼に近付き喋りかける。
「イーサン、お姫様の所にいかないの? 頬っぺたが落ちるほど美味いお菓子もあるよ? オレ、あんな美味いもの初めて食べた。イーサンも一緒に食べようぜ」
少年はイーサンの目つきがより一層鋭くなるのに気付くことなく、明るく楽しげだった表情をふと何かに思いを馳せるようにぼんやりと夢見心地なものにしながら呟く。
「それにお姫様とっても優しくて綺麗なんだ……なんか甘くて良い匂いもするし、あの白いすべすべの手で頭を撫でられると胸がドキドキする。ねぇイーサン。貴族の女ってみんなあんな夢みたいに綺麗なのかなぁ」
「チッ、お前騙されてるぞ」
もう我慢ならないとばかりに子供達とわいわい楽しげなセレスティーヌの元へ足を向けるイーサン。
「他の奴らも聞け。いいか、この女はお姫様でもなんでもない。ただの傲慢な貴族の女だ! みんな目を覚ませ!」
突然現れたかと思えばこちらを指差し何やら怒っている少年に驚くセレスティーヌ。
成人前のようだが骨格はしっかりしており背も随分と高いようで、木の根本に腰掛けるセレスティーヌを見下ろす彼からははっきりとした敵意を感じた。
よく焼けた浅黒い肌とスッキリと通った鼻筋、キリリとした眉からは彼の気の強さが窺える。
一番最初に喋りかけてきた少女が心配そうにセレスティーヌのドレスの端を握る。
その少女のもう片方の手に繋がれた幼児もまだ幼いというのに、ピリつく空気を感じて紅葉の手をギュッと握りしめる。
「どうせこの慰問だって領主だった男爵みたいにノブレスなんちゃらとかいうただのパフォーマンスだ。恵まれないオレ達を見て優越感に浸りたいだけなんだよ!」
少年の言葉に他の子供達がグッと息を詰まらせ、気まずそうに下を向く。
確かに貴族の義務として教会や孤児院への寄付と訪問というものは存在する。
噛み付いてくる仔犬のようにうるさいイーサンの相手をするべく仕方なく立ち上がるセレスティーヌ。
イーサンはそれに身構え負けないとばかりに一歩更に前に出る。
「あなた達が恵まれているかいないかは置いておいて、私はそんなものを見ても優越になどちっとも浸れないわ」
セレスティーヌにとっての人間関係は大まかに分けると、自分と宰相、あとはそれ以外の下々という認識しか持たない。
それが孤児であろうが貴族であろうが容姿も財力も劣る人間は皆平等に見下すべき下々なのだ。
下々の者を見て何故一々優越に浸らなければならないのか心底分からなかった。
そう、イーサンが思うよりもずっとずっと遥か斜め上にセレスティーヌは傲慢だった。
「嘘だね。口では綺麗事なんていくらでも言えらぁ」
傲慢ここに極まれりという人間なので、二人の話が噛み合うことなくセレスティーヌはキョトンと首を傾げる。
「そんな天使みたいな純粋ぶった顔しても無駄だ! お前ら貴族の浅ましさには騙されないんだからな!」
整った顔立ちのセレスティーヌがキョトンとした表情をすれば、それはそれは麗しいキョトン顔になる。
まさか天使のキョトン顔が自分達夫婦以外を全員下々の者と見下しているだろうとは思いもせず、イーサンはセレスティーヌの美貌に取り込まれぬよう頭を振る。
「みんなも思い出せ。領主の男爵の娘がこんな風に慰問に来た時のことを」
イーサンのこの言葉に他の子供達の顔は更に悲しげなモノになってしまう。
「あの女、オレ達を可哀想だと涙を流し憐んで色々と物をくれたよ。アンタと同じようにさ」
「親切な方ね」
恐らく宰相が用意したものとは比べ物にならないほどの安物だろうと内心謗ったが、悟られぬようにこやかに無難な返しをする。
「オレ達も最初はそう思ったさ。純粋な好意だってな。だがあの女、ある時ここに居るテトの事を蹴り飛ばしたんだぜ。身体が吹っ飛ぶほど強くな」
テト、と言って指差したのはセレスティーヌの隣。
一番最初に少女と共に声をかけてくれた幼児だ。
まだおしめも脱げていないモコモコお尻のこの子を強く蹴り飛ばすなど、どんな野蛮人なのだとセレスティーヌは言葉が出ない。
「その理由がヨダレで汚れた手でドレスを触ろうとしたからだ。運良く怪我は軽くで済んだが痛みに泣くテトにあの女は汚いと罵倒までした。貴族の本性なんて所詮そんなもんだ。どんなに耳触りのいい言葉を並べようが、結局は心のどこかでオレ達を馬鹿にしているんだよ」
周りの子供達もその時の出来事を思い出したのか鎮痛な面持ちで俯く。
セレスティーヌのドレスの裾を掴んだままだった少女もそっとそれを離すが、その様子に気付いたセレスティーヌは無言のままその子の腕を引き寄せる。
「え……ちょ、ええ!?」
セレスティーヌは少女と、彼女の手を握っていたテトと呼ばれる幼児とを二人まとめて胸にギュッと抱き締めてしまった。
セレスティーヌの胸は柔らかくふわふわで甘い夢のような心地だ。
これに焦ったのは少女であった。
「あ、あの、お姫様! 私さっきまで草むしりをしていたので汚れてます! それにテトもまたトイレ失敗しちゃっておしめ汚れてるかもしれなくて、臭いとかついちゃうかもだし、あの、その」
可哀想な程の焦りぶりを気にする事なく抱き締め続けるセレスティーヌ。
イーサン含めて周りの子供達は彼女の突飛な行動に唖然とする。
漸く解放された少女は顔を茹で蛸のように染め、テトは余程セレスティーヌの胸が心地良かったのかそのまま一人でそこを独占してヒシと離れようとしなくなった。
そんなテトの背中をあやすように優しく叩き少女に微笑む。
「いいこと。汚れたのなら新しい服に着替えればいいの。私にはまだまだ袖を通していない服が嫌と言うほどあるのだから丁度いいわ」
そう言ってセレスティーヌは悪戯っぽく口端を上げる。
「汚れ如きでとやかく言う貧乏貴族と一緒にしないでちょうだい。そこらの小金持ちとは格が違うのよ」
胸を張りながら言い放った格とやらはよく分からないが、兎に角自分達が受け入れられたと理解した子供達は再びセレスティーヌの元にワッと集まる。
楽しげに彼女を囲う和やかな光景に、面白くないのはイーサンである。
「そうやって弱者から巻き上げて贅沢している癖に偉そうにするな傲慢貴族が」
完全な挑発だが、その言葉が耳に届いたセレスティーヌはピタリと止まる。
ずっとしがみついていたテトを他の子に預け、イーサンへと目を向ける。
「あなた名前は?」
「イーサンだ」
「イーサン、ね。そうね、私が傲慢貴族ならあなたはワガママイーサン、いちゃもんイーサン、駄々っ子イーサン、こんなところかしら?」
「ああ!?」
「見たところあなたが一番この院で大きいのにあなたが一番聞き分けのない子供のようだわ」
「なんだとっ」
セレスティーヌはイーサンを挑発するように言葉を重ねる。
「他の子は分かっているのよ。私に取り入るのが一番最良だということを。勿論大人のように意識して擦り寄るわけではなく、無意識に私に求めているの。それなのにあなたときたら、くだらないプライドでこの孤児院全体のチャンスを潰そうとしているのを理解しているの?」
「うるさいうるさいっ! 傲慢貴族なんか信じられるか!」
激しく首を振り否定を表すイーサンに呆れを含む溜息を吐く。
図星を指されたイーサンは俯いてしまう。
「その傲慢な貴族に施しを与えられ生きているのに、それに文句を言うだけのイーサンの方こそ傲慢ではなくて?」
イーサンは地面に目を向けたまま歯を食いしばる。
「弱い者が搾取されるのはこの世の常理。それに不満を抱えることしか出来ない者がいくら吠えようが誰の耳にも届かないわ」
意地悪く鼻で笑うセレスティーヌ。
その姿は先程までの子供たちと戯れる優しいものではなく、まさに弱者を虐げる悪役そのもの。
宰相から贈られたそれ一つで庶民の家が何軒も建つ程の値打ちのある豪華な扇を取り出すと、それで俯くイーサンの顎を掬う。
「悔しければ施された分を私に何倍にもして突き返してみなさい。あなたが大人になるまで待っててあげるから」
「は?」
思ってもみない言葉に大きく瞬きをするイーサン。
困惑気味にセレスティーヌを見つめ返す。
「いいことイーサン。金持ちの方こそケチなものよ。金持ちは無駄金は一切使わないの。この孤児院に私達が施すのは貴方達の未来に先行投資しているだけ。あなたも投資元はきちんと敬いなさい」
上品とはかけ離れたニヒルな笑み。
だがそれはおっとりしたお姫様のような優しい微笑みよりも美しく感じた。
純粋な善意の塊のような人間など存在しない。
人間誰しも悪の感情は持ち合わせているもので、だがそれがあるからこそグッと魅力が増すのだ。
それを今日つくづく感じ取ったイーサンであった。
「くれぐれも先行投資する私達に損をさせないでちょうだい。お金を無駄にするのは大嫌いなの」
セレスティーヌの言葉にイーサンは真っ直ぐ彼女を見据え宣言する。
「大人になったらすぐ金なんて突き返してやらぁ! 金持ち貴族のアンタが欲しがるもの、なんでも与えられるくらい稼いでみせるから待ってろよ!」
威勢の良いイーサンのその言葉に嬉しそうに声を上げて笑うセレスティーヌ。
そしてイーサンの硬めの黒髪にそっと白い手を這わす。
「ええ、楽しみにしているわ」
全てを見透かし優しく受け止めてくれる聖母のような麗しさ。
しかしその微笑みにはやはりヒールとしての癖のようなものが見える。
そんなセレスティーヌに見惚たイーサンは、悪いお姫様の魅力にいつの間にやら取り憑かれていた。
子供達が楽しげにピカピカの泥団子を愛おしい妻セレスティーヌに自慢している様子を院長室の窓から眺める宰相。
こじんまりとした院長室に置かれた来客用の椅子に座り孤児院で一番良い来客用カップで出された茶を啜る。
「いやぁ、本当にお美しい奥方ですね」
宰相の向かいに座る院長も窓の外の光景を見ながら感嘆する。
「あのように若くお美しい奥方を娶られるとは、貴方様はかなり高位のお貴族様かと存じます」
この地の領主である男爵が失脚したのさえこの間の話で、その領土を宰相が所有することになったのは本当につい最近の事なのだ。
なので院長は目の前の男の正体がこの国の宰相であるとは知らない。
ただとにかく金を持っているだろうことは雰囲気や服装で簡単に予測がついた。
「しかし領主であった男爵様が罪を犯していたとは驚きました。この孤児院にも良くして下さる立派な方でしたのに。どのような罪だったのか貴方様は知っていらっしゃいますか?」
人の良さが滲み出た憂い顔で院長が尋ねる。
「うむ、贈賄と反逆罪、その他諸々多方面で黒い奴であった」
「とてもそのような方には見えませんでしたが……残念ですね。しかし貴方様のようなご立派な方が跡を引き継いで頂けるのですから、我が院は安泰です」
院長のヨイショに当然とばかりに頷く宰相。
話に区切りがつくと、宰相は手に持っていたカップをソーサーの上にそっと置く。
「さて院長や。麗しい我が妻を見て分かる通り、ワシは若い娘が大好物だ。だが商売女には飽きてのぉ。何も知らない純真無垢な少女が欲しいのだ。以前噂で聞いたのだが、男爵はそういう商売もしていたらしい。もしやその商売はここを基点にしているのではないか?」
宰相の突然の申し出に鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした院長。
だが院長もカップを置いた瞬間、顔付きが先程の人の良さそうなものからニタニタといやらしく歪んだモノに変化した。
「いやぁ、男爵様が捕まって今度どうすれば良いのか悩んでおりましたが、理解のある方が引き継いで下さるようで本当に安心しました」
「ほう、ではやはり?」
「ええ、男爵様にもこの商売をご理解してご支援頂いておりました」
大人の男二人が額を突き合わせニヤリと笑う様はまさに不道徳極まりない醜悪な光景である。
「残念ながら出荷したばかりで今年はまだ未成熟な子供しかおりません。しかしあと三年ほど待って頂ければ今いる女児が丁度いい年頃になります。それとも少年でよろしければすぐに上ものをご用意が出来ますよ」
得意げにペラペラと語り始める院長。
それを聞いた宰相は悪どい笑みを浮かべ、次の瞬間には数多くの衛兵が雪崩れ込んできた。
突然の出来事に驚き動けないでいた院長をそのまま捕縛。
「な、なぜ?」
明らかに悪役の中の悪役といった見た目の宰相に裏切られた驚きに縄をかけられたまま唖然と呟く院長。
そんな様子に宰相はフンと冷たく鼻息を吐く。
「ここの領主、いや領主であった男爵には溺愛する一人娘が居たのは知っておるな? 実はその娘には夫婦で世話になったのだ」
そう、その娘とは以前セレスティーヌから婚約者であった王子を奪い、更に宰相と結婚後も夫婦二人を失脚させようと暗躍した結果返り討ちにされた男爵令嬢である。
島送りにした彼女が逃亡し実家を頼る可能性を潰すため、男爵家自体を破滅させたのだった。
元々少し探るだけでかなりの膿が出てきたので失脚させる事自体は実に簡単な仕事であった。
その悪事を探る過程でこの孤児院での人身売買の話を掴んだので、セレスティーヌとの遠方デートのついでに潰しておこうとふらりと立ち寄ったのだった。
「これより証拠品の押収に移ろうと思います。売られていった子供達の行方の手がかりも探し出します」
衛兵の一人が引き締まった声で宰相に報告する。
「うむ。セレスティーヌに気付かれぬよう裏口から出入りするように」
折角のデートについでとは言え仕事をしていたと知られればワガママな妻はむくれてしまうかもしれない。
ぷっくり頬を膨らませて拗ねるセレスティーヌを想像してデレッとする宰相。
「はっ、かしこまりました宰相様!」
ハキハキした衛兵の返事に院長が反応した。
「宰相!? な、何故宰相がこんな罪ごときで……たかが俺の犯罪を一つ潰したところで世の中は良くなるとでも思っているのか! これだから頭がおめでたい貴族はっ!」
悔しさから宰相に向かい叫ぶ院長。
それを冷たく見下ろす宰相。
「世の中を良くしようなどと考えたことはない」
宰相としてそれはどうなのかという言葉を堂々と吐き捨てる。
「確かにこんな片田舎の犯罪など本来ワシが直接手を下すことはないがな。ワシの行動全てはセレスティーヌとの未来の為にあるのだ。セレスに害をなす者、それに手を貸した者にはそれ相応の報復をする」
「お、俺はアンタの嫁を害した覚えなんかないぞ!」
「男爵の資金源は主にここだからのぉ。恨むなら娘に甘かった男爵を恨むんじゃなガハハハハ」
「んん! んんんん!」
口枷をされてこれ以上の言葉を喋れなくされた院長。
まぁ言葉を発せたとしても太鼓腹を揺らして高らかな笑い声をあげる宰相には聞こえなかっただろうが。
本当にどちらが悪役が分からないと心の中で思いながら、衛兵達は黙々と仕事をこなしていく。
一方、泥団子製作を楽しく眺めていたセレスティーヌ。
泥も磨けばここまで光ることに感動していた。
泥団子製作の第一人者としてこの孤児院で敬われているらしいイーサン。
布で泥団子を磨く様を感心しながら見つめるセレスティーヌに耳を赤くする。
「ねぇお姫様……私もお姫様みたいに綺麗になりたい。どうやったらなれるかなぁ?」
泥団子を作りながらセレスティーヌに一番懐いた少女が恥ずかしそうに尋ねる。
「無理無理。お前なんかがお姫様になれるわけないじゃん」
ヤンチャそうな男の子が揶揄うように声を上げる。
「あら、そんなことないわ。女の子はね、誰でもお姫様になれるものよ。あなただけの王子様を見つけることが出来ればね」
男の子を窘め少女に優しく微笑むセレスティーヌ。
「王子様?」
「そう、王子様」
「じゃあお姫様には王子様がいるの?」
黙々と泥団子を作りながら耳だけ大きくするイーサン。
「ええ、それはそれは素敵な王子様がいるの」
「「「ええーー」」」」
子供達から驚きの声が上がりイーサンの泥団子にヒビが入る。
「どんな人?」
「とっても素敵な人よ。私の欲しいものは全て買ってくれるし」
「ふんっ結局女って金が全てだよな」
少しませた男の子がそんな声を上げる。
「あらお金だけじゃないわ。夢見る女の子は理想が高いのよ。ルックスや頭も大切なんだから」
「お姫様の王子様もカッコいいの?」
「もちろん! 冴え渡りきらめく頭に私の我が儘を全て受け止めてくれる太っ腹、それに芳しい体臭。ちょっと悪っぽいところも女心をくすぐるわ」
セレスティーヌの惚気話に少女達は興奮し、少年達は口を尖らせる。
イーサンも当然面白くない。
今は金はないし何の力も持たないが、ルックスだけなら悪くないのではないかと自負しているので、いつか自分もセレスティーヌの言うその完璧な王子様と並べるのではないかとぼんやりと考える。
「お待たせセレスティーヌや、帰ろうか」
そこへ事を終えた宰相が迎えに来た。
「ほらみんな、アレが私の王子様よ」
「「「え……」」」
愕然とする少年少女。
セレスティーヌが指差す方向には王子様ではなくオッサンしか居ないのだから当然だ。
どこをどう見ても王子様の片鱗など存在しない。
連れ立って現れた時はセレスティーヌの父親だと思っていた人物を王子様だと紹介されて子供達は混乱した。
「あ、王子様じゃなくてオジサマか……」
一人の子供が閃いたとばかりに呟くと他の子供も納得した。
「ああ、オジサマか」
「なんだオジサマかよ」
「良かったぁオジサマだわ」
急にオジサマを連呼し始めた子供達にセレスティーヌは首を傾げ、一連のことから全てを察した宰相はその場に膝をついて落ち込んだ。
テトがセレスティーヌの胸に張り付き離れないという騒動もあったが、無事子供達と別れの挨拶を済ませ夫婦で馬車に乗り込む。
馬車の窓から子供達に向かい手を振るセレスティーヌに、イーサンが意を決したように口を開いた。
「俺、いつかアンタの王子様より立派になるから。誰よりも金を稼いでアンタの元に行く」
子供達は勘違いしたままだったが、イーサンだけは宰相がセレスティーヌの本物の王子様であることを見抜いていた。
セレスティーヌが宰相を見る目が他とは全く違い甘く恋する乙女のそれだったからだ。
「ええ、待ってるわ」
先行投資の話をしたのでそのことだと思ったセレスティーヌは楽しげに頷く。
その返事にやる気を漲らせる少年を残し、馬車は出発した。
その後、院長が交代しまともになった孤児院を無事卒業した少年は、王都の商家の門戸を叩き商人に弟子入りする。
そして宰相家お抱えの大商人へと成長するのだが、それはまた別のお話。
馬車の中、行きと変わらず二人並んでイチャイチャするセレスティーヌと宰相。
「ところで旦那様、悪は成敗出来ましたか?」
「気付いていたのか?」
セレスティーヌには気づかれずに済ませたと思っていた宰相は驚く。
「ええ。子供達は痩けてはおりませんでしたが肌や髪は荒んでいました。幼い子さえ重労働をさせられているボロボロの手をしておりましたし、何より年長者に女の子が一人も居りませんでしたもの。とてもまともに運営された孤児院でないことは分かりますわ」
「ううむ、ご名答だ」
セレスティーヌの察しの良さに唸る宰相。
「そ、その……怒ったかい?」
「怒る? なぜ?」
「だって野暮だろう。デート中に仕事など」
「ふふふ、いいえ。仕事をこなす旦那様は凛々しくて素敵よ」
「セレスティーヌッ」
息をするようにイチャつく二人に外で馬を操る御者は慣れたもので最早何も感じていない。
「それで、悪はきちんと成敗出来たのですよね?」
「それは勿論だ。仕事でしくじったことはないよ」
「それは良かったわ。だって私達夫婦以外の悪なんて目障りですもの。栄える悪は私たちだけで十分ですわ」
そう言って笑う夫婦を乗せて豪華な馬車は進む。
他の悪を蹴散らせながら、悪の華道を真っ直ぐに。
end
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