第四話 そして
続きです。
バルドが救助した彼女が隔離病棟に移動されてから一ヶ月が過ぎた頃、彼女は目覚めた。考え得る中で最も最悪な形で。
「その話は本当なんだな」
「あぁ、本当さ。僕もガラス越しにこの目で目撃したけど、彼女は間違いなく瘴気を操っていたよ」
数日間の仕事から帰って来たバルドは酒を持参してやって来たハザックとリビングで会話していた。
そしてハザックの口から彼女がいきなり職員を殺そうとしたと報告を聞かされて、バルドは頭を抱えてしまった。俺がいない内に状況が悪化してると。
「その職員は死んでいないよな?」
当初から彼女の処遇は厳しいものだったのに、これでもし大事になっていたら更に厳格にされてしまうとバルドは内心焦る。
何せ彼女は現在、ギリギリで人類であると認めて貰っていたのだ。それなのにいきなり人外証明と殺人となれば、擁護は出来ない。
「バルドが想像したような事態にはなっていないから、安心しなよ。僕が事前に対策をとっておいたからね。職員には大事無いよ。まぁ、用意した第三級の結界にヒビが入った程度さ」
「マジか」
「マジだよ」
いくら結界が対人用で通常より脆かったとしても、死に瀕して寝たきりだった少女が目覚めていきなり出来ることじゃない。ましてや第三級の結界にヒビを入れるほど力を持っていたなんて笑えない冗談だ。
「はぁぁぁ......とんだじゃじゃ馬娘じゃねえか。早く誰かが手綱を握ってやらないと」
「そうだね。これ以上何かを起こす前に彼女を制御しておかないと、下手をしたら国に害であると見做されて、処分されてしまう可能性が出てくるよ」
「ぐっ、それだけは回避したいな。幸い今回の彼女の行動はまだ情状酌量の余地が多分にある。職員も結局怪我をしていないし、いきなり処分にはならないと思うが、何かしらの条件がつくだろうな」
「せめて彼女に僕らの言葉が伝われば、話は早いのだけどね」
「外側の住人、か」
和の国を含む殆どの国が多少の訛りはあれど共通語を使っている中で、バルドは言語が一切通じない人類に出会った事が無かった。ハザックから報告された時にその概念を思い出したぐらいだ。
「とりあえず、これを君に渡しておくよ」
酒精の強い酒を一気に呷るバルドにハザックは封筒を渡す。
「これは?」
「委嘱状。上は国騎士一番隊をご指名さ」
「俺達は何でも屋じゃないんだが......」
そう言いつつもハザックがこのタイミングで渡す委嘱状に彼女が関係しているとバルドは当たりを付けて封を開けて目を通すと、予想通りの事が書かれていた。
「口元がニヤけてるよ」
「うるせぇ」
「あはは。何はともあれ、しばらくよろしく」
「あぁ」
ハザックが目の前突き出したグラスにバルドは自分のグラスをコツンとぶつけ、お互い会話をやめて酒とツマミで英気を養うことにした。
◇
『朝だよ。起きて』
暗闇の中、今日も俺を呼ぶ声で目を覚ます。嫌々ながら手触りと眠り心地の良い場所に横たわっていた身体を起こして、聞き慣れた声のする方に顔を向ける。
『おはよう。エミルちゃん』
「......」
またこいつか。
ここ最近ずっと同じ知的生命体が話しかけてくるようになっていた。しかも前の奴等とは違って今回は明確に俺に話しかけている。
『身体に違和感はあるかい?』
「......」
初めは念願のコミュニケーションだと意気込んで俺も適当な言葉を返して反応を示していたが、いつからか俺が意思疎通を試みようとする度にあの子が不機嫌になるので、今では無言を貫くことにしている。
あの子の抱える恐怖と寂しさ、それに微かな嫉妬を無視するほど俺はこの知的生命体に魅力を感じていない。あくまでも俺はあの子方が優先順位が高かった。
それにこいつと出会ってから少なくない時間が経ったが、未だに知的生命体と言葉が通じ合った事はないし、何を考えているのかも分かっていない。
『それじゃ、朝の検査をするね。【解析】』
「......ッ」
『はい、今日も異常なし。じゃあ、これを飲んでね』
「......うぐ」
『全部飲めて偉い。これは頑張ったご褒美だよ』
「あま......」
これでも一応あの子の為に無反応を貫いているつもりだけど、あれもこれも全てが新鮮に感じてしまって、ペタペタと身体を触られている感触や味覚で感じる苦味や甘味に抗えていない。どうしても反応してしまう。
それは何故かと言ったら、あの子が普通に反応しているからと言う他ない。これには他人はダメで自分は良いのかとつい文句を言いたくなるが、言ったところで気まずそうに目を逸らすのが落ちだろう。
『うん、今日も問題なしだね。さあ、待ちに待ったエミルちゃんの朝食だよ』
「ちゃうしょく」
その単語とカチャリ何かが置かれる音、そして鼻孔をくすぐる匂いに否応にも反応してしまう。もはや条件反射のようなモノだ。口に涎がたまるのも俺の意思は関係していない。あの子と俺の両方が無意識に反応しているのだ。
『そうだね、朝食だね。今日はパンに野菜の入ったスープ。そしてデザートのゼリーだよ。ほら、あーん』
「あー、んぐ」
『よく噛んで食べてね』
合図の声が聞こえ大きく口を開けると口元にご飯が運ばれてくる。俺はその一口サイズにされたモノをこぼさないように慎重に口に仕舞い、味を確かめるように噛み締めてから、また口を開く。
この時、俺とあの子は一心同体。
すなわち”おいしい。もっとちょうだい” だ。
この時ばかりはあの子も不機嫌にならないし、逆に上機嫌で何が美味しかったなどと会話が弾むので、ちょうしょくに感謝している。
『それじゃあ、機能回復訓練をはじめようか』
ちょうしょくを終えると次に始まるのは運動だ。運動とは言っても自力で起き上がる練習や物を握って落とさない練習。それに手足の関節を曲げたり伸ばしたりする簡単な動作を行なっているだけだ。
ちなみにこれは俺が自主的にやっているのでは無く、知的生命体が用意した課題のようなもので、やらないとちゅうしょくが貰えないのだ。
あの子も流石にご飯を貰えない方が俺が反応するよりも嫌だったらしく、運動中は真面目に取り組んでいる。
ただあの子の口から知的生命体に対しての愚痴が溢れて来た時は、思わず笑ってしまった。
『おっと、そろそろ昼食の時間だね』
「ちゅうしょく」
『今日はエミルちゃんの好きなお肉の日だよ』
「おにく」
おにく、それは偉大な食べ物様である。
◇
エミルを抱きかかえながらハザックがやって来たのは、病院内にある職員食堂だった。
「特別メニューと日替わり定食一つで」
「はいよ、席に運んでやるから少し待ってな」
「悪いね」
「気にすんなって。あんたはその子の面倒を見てやれよ」
「ありがとう」
カウンターで見慣れない厳つい店員に注文し、閑散とした食堂で四人用のテーブルを選び椅子を引いて腰を下ろし、エミルを優しく自分の膝の上に座らせてからハザックは一息つく。
ハザックはエミルが他人を攻撃する素振りを見せていないことに安堵していた。
「いい子だね」
「......」
ハザックの見下ろす位置あるエミルの頭を優しく撫で、手櫛でその真っ白な髪をすいていく。特に抵抗を見せることなくされるがままに座っているのを見ると、ハザックには十歳ぐらいの大人しい人族の女の子にしか思えなかった。
エミルと名付けてから接し始めて早数週間、ハザックは未だにエミルの性質を見極められずにいた。
「ほら、注文の品だ」
エミルを撫でながらテーブルで時間を潰していると、料理が出来上がったようで店員が注文した昼食をハザックのいるテーブルに置く。
「ちゅうしょく」
料理の匂いに気づいたのか、それとも食器の音で察したのか、はたまたその両方なのか、されるがままだったエミルはペシペシとハザックの太腿を叩き、早く食べさせろと催促を始める。
「食いしん坊さんだね、エミルちゃんは。ほら、あーん」
「あむ。んー」
他の物事に対しての反応が極端に薄いのに、食事になるとエミルは年相応の反応を見せる。口元に運んだお肉を上手に咥え、幸せそうにもぐもぐと口を動かす姿は実に可愛げがあるが、ハザックの顔は破顔しない。
「お肉は好きかい?」
「おにく、すき」
ハザックの問いかけにエミルはたどたどしい口調だが、間を開けずにきちんと返事をする。エミルの年相応の反応から一転して、返事からは年相応以上の高い知性が垣間見え、ハザックはエミルの口元に食事を運ぶ手を止めずに一人頭を悩ませる。
エミルに共通語が通じないのは最初の対面で立証済み。そしてエミルが盲目であるのもハザック自身が解析の魔法によって確認している。それなのにエミルはハザックの問いかけに迷う事なく返事をした。
これにはハザックも内心で驚愕した。
未知の言葉を理解して操るまでに時間がかかってしまう事を、ハザックは納得している。何せ大の大人ですら困難な課題である。
それなのにエミルはハザックが教えるまでもなく、言葉を理解し始めていた。 エミルとの会話を始めてからまだ数週間しか経っていないのに。
盲目なのも考慮して本格的な言語の習得は見送ると報告した矢先にこれだよと、ハザックはエミルにバレないようにこっそりと溜息を吐く。
これはバルドも苦労させられるなと、養子縁組の書類で忙殺されてる親友に対してハザックは心の中で合掌した。