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第三十六話 成長


 小鳥が囀る朝。春から初夏に季節が移り変わり、太陽の日が暖かく感じ始める今日この頃。


 高級住宅街であるが故か窓から差し込む陽当たりは完璧で、その暖かさによって目を覚ました少女がいた。


「ふぁぁ……はふぅ。あつ」


 目覚めたのはヴァールテクスの特別病床から無事に退院することが出来たエミルだった。


 起き上がったエミルは自室のベッドの上で大きな欠伸と両腕で伸びをしながら身体をほぐし、寝癖のついた白髪をぎこちなく手櫛で整えながら、いつもの魔法を起動し手を使わずにカーテンを引く。


 そして全身に行き渡る人には存在しないはずの血管とは違う器官に魔力を流す。


 それは普通の人に比べて脆弱な生身を補うための調整。さらにそこから盲目を補うための五感も強化。それを全てコンマ数秒の内に済ます。


 放出魔法と蓄積魔法の発動。どちらも魔法を熟達した者にしか出来ない芸当を、エミルは寝起きの緩慢な動きの最中にあっさりとやってのける。


『うん。今日も問題なし』


 自身と全く同じ声が頭の中に突然響く。しかし、エミルはそれに平然と言葉を返す。


『うー。おはよぅ、お姉ちゃん』

『おはよう。エミル』


 声の主は身体の内に秘めるエミルが姉と慕う、ユミルのものだった。


 朝の挨拶を交わしエミルはベッドの上からするりと白いおみ足を下ろして、裸足のままぺたぺたとクローゼットへ向かう。


 その道中で寝巻きを適当に脱ぎ散らかし、下着姿となった状態でクローゼットを開き、エミルは中を物色し始める。


『今日はどれにするー?』


 クローゼットの中には目の見えないエミル達のお世話をしていた、和の国の三人娘が揃えた衣服が入っていた。


 エミルは衣服を手で触り、確かめながらユミルの意見を聞く。


『どれも一緒だよ』

『えぇー、違うよ。これとか、こことか違うよ?』

『うん。でも大体同じ』


 衣服は下着も含めて、同色の同系統のもので殆ど構成されているをユミルは知ってる。しかしそのどれもが全く同じ衣服を何枚も揃えるだけの味気ないものではなく、ちゃんとどの組み合わせでもお洒落になるように配慮されたものであるのを、ユミルは知らない。


 その配慮は基本どれを着ても大差はないと思っている姉のユミルと、手触りの感触だけで決める妹のエミル達に大変役立っていた。


『じゃあ、これでいいや』


 どれでも良いと言うユミルの意見にエミルは手触りで良かった服と下着を手に取り、脱ぎ散らかした寝巻きを重力魔法で持っていくのも忘れず、部屋から出る。


 エミルが向かうのは一階の浴室だ。


『ひとっ風呂。ひとっ風呂』

『止まって。服を着て』

『……ジークなら大丈夫だよ?』

『メリダさんから言われたでしょ』

『うーん。分かった……あ』


 あられもない姿で階段を降りようとしているエミルを引き留め、ユミルは注意をする。


 しかし注意を受けたエミルはユミルの言葉でメリダから特別病床で苦言を呈されていたことを思い出すが、肝心な内容に今一理解が及んでいなかった。


 そのためエミルは、ユミルの注意を適当な理由で受け流そうとする。けれどユミルからはっきりと言われてしまったために、仕方ないと言われた通りに服を着ようとしたが、その途中でふとある事に気付く。


『見られなければ、いいんだよね?』

『ちょ――』


 悪戯笑顔でエミルは気付いた事を実行する。


 ユミルが何か言う前に素早く索敵の魔法の範囲を広げ、エミルがいる二階から階段を伝い徐々に一階へ。そして一階のキッチンで作業をしているジークを捉えた。


『今がチャンス』


 エミルはジークに勘付かれる前に猫のように軽やかに階段を降り、そのまま浴室まで駆け出す。


 身体強化の微調整に妖精の歩み、加えて重力魔法で衣服を浮かしたままで。


 同時に使える魔法を惜しまず使い、あっという間に浴室前の洗面脱衣室にたどり着いたエミルは、満足気な表情で部屋の鍵をかけた。


『……エミル?』

『あはは! 魔法が使えるのは楽しいね!』

『ジーク、こっちを見てた』

『え……本当に?』

『うん。あれだけの魔法を一遍に使ったら、ジークは絶対気付く。反省して』


 魔法を行使する事に夢中になっていたエミルは、ジークがこちらの様子を一瞥し、また何かやっていると胡乱な目で見られていた事に気付いてなかった。


 間違いなくエミル達が入浴を終えてリビングに出てくれば、開口一番にジークからの小言が待っている事だろう。


『うぅ。ごめんなさい』

『これは、罰だから』


 ユミルがそう言い合えると、白髪だったエミルの髪色は頭髪からみるみるうちに艶やかな黒色へと変わり、あっという間に腰まであった髪が黒に染まる。


『あっ。それはずるいよぉ』

『朝風呂は私がもらう』

『お姉ちゃんのいじわる。ずる。おうぼうだー』

『なんとでも言え』


 無駄に語彙力が増えたエミルの文句を意に介することなく、ユミルは下着に手をかける。


 そして着替えを棚に置き、設置してある洗濯籠に身に纏っていた下着と浮かせていた寝巻き入れ、生まれたままの姿になったユミルは、浴室と扉を開け中に入る。


 慣れた手つきで備え付けてある最新の魔道具を操作し、丁度良い温度に調整した後、当然の様に湯浴みを始めた。


「(暖かい)」


 降りかかる水の温かさを感じる。


 手に垂らした洗浄料を泡立て、香る匂い。その手が自分の身体に触れる、感触。


 魔物の心臓を喰らう前は入れ替わるのもそうだが、ユミルが今感じているモノはエミルを通して間接的に感じていたモノだった。


 だが、今は違う。


 感じる全てが知ってるようで知らない感覚であり、ユミルはそれに酔いしれる。


「あぁ。この感覚も癖になる」


 自身の身体を洗っている間に湯まで張っていたユミルは、ちゃぷんと肩まで湯に浸りながら全身を伸ばし、蕩けた顔で独り言つ。


「(でも一番は癖になるのは……)」


 心地良さで思い出すのは、特別病床でのジークとの逢瀬。その一幕。


 今までエミルが安心するからと行っていた、スキンシップの衝撃だった。


「(あれは魔性。メリダさんが注意するのも頷ける)」


 何も不足していないのに、ジークと触れ合いだけに感じる不思議な充足感。それはもっと、もっと、と無意識に強請ってしまう程に甘美的だった。


 ユミルはエミルが気に入っている理由を我が身で体験した。


 故にユミルはメリダの『ジークの情欲を焚き付けるようなスキンシップと行動を慎むように』という苦言をあっさり聞き入れた。


 正直、ユミルは怖かった。


 これ以上の経験をジークとしてしまった未来に、自分達がどうなってしまうのか分からなかったから。


 けれど――


「(怖いけど、その先を知らないまま終わるのも、嫌だ)」


 争奪戦が行われている以上、数年後には行為の有無に関わらず、ユミル達とジークとの関係が不変で終わる確率は限りなくゼロに近い。何かしらの変化が訪れるはずだ。


 ならばジークとの言葉に言い表わすことが出来ない関係が、変わるきっかけになるかも知れないものを、みすみす自分から逃す理由もない。


「(頑張ってみる)」


 今はまだその勇気はないけれど、その時が来た時にいつでも行動出来るように、ジークの好みを把握しておこうと密かにユミルは決めた。


「ジーク」


 ユミルは浴室から出るとしっかりと服を着てジークの元に向かい、敢えて乾かしていない髪と共にドライヤーを差し出すのだった。


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