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第三十一話 決着

遅くなりました。続きです。

 迷子の幼子が親を見つけた時のように、今にも泣きそうな顔を笑顔に変えてやってきたエミルは、砂埃を上げながらジークの目の前で止まる。


 額から伸びる二本の物々しい黒角。背中には翼の骨格のような何か。そして仙骨の辺りから生える爬虫類の尾を思わせる骨格。


 その全てが瘴気で構成されているのと、身体の傷を塞ぐ瘴気が鱗のように見えるのも相まって、今のエミルは魔物と人の間のように見えた。


「ジーク! エミルは、どうしたらいいの!?」


 戸惑いに不安。それが手に取るように分かってしまう第一声と表情。いきなり表に出てきてしまったことがエミルの不本意だということが、ありありと伝わってくる。


「(どうしたらいい、か)」


 エミルの第一声は大方予想通りであったが、エミルの質問はジークの頭を悩ませるには十分なものがあった。


 エミルをすぐにでも担当医のメリダへの元に連れて帰りたい。それが失態を犯したジークの一番の願望である。


 何せエミルには先程の受けた攻撃がまるでなかったかのような活力があり、魔力も瘴気も十分にあるように見えるが、少し前に蠍の攻撃によって致命傷を負い血の海に沈んでいた。


 それは決してジークの見間違いなどでは無く、エミルの服を染める乾き切っていない赤が事実だと証明している。


 それにジークは知っている。今のエミルの状態は生命の危機に瀕した際に、その命を繋ぐためにユミルが切り札を使用した結果なのだと。


「まずは落ち着け。ほら」


 そう言ってジークはお互いに落ち着くためにその頬にそっと片手を添える。


 それはエミル達に刷り込まれた心を落ち着けるリラックス法の一つだった。


「はぅ……うぅん」


 戸惑い、不安がっていたエミルは頬に添えられた、拭っても傷だらけで砂と土で汚れている、お世話にも触り心地は良いとは言えないジークの手を躊躇いなく確かめるように、何度も何度もすりすりと頬ずりする。


 普段の滑らかな柔肌とは違う。ジークの手と同じく荒々しい感触。


「(帰ったら肌の手入れもしないとな)」


「ぎゅっ、もして」

「おう」


 どうやらエミルは頬に朱を差すほどの頬ずりでも足りなかったらしい。要望通りに、抱き寄せようにジークは正面からぎゅっと優しく抱き締める。


 エミルもジークにされるがままに腕を伸ばしジークの腰辺りを掴むと、今度は全身でジークの存在を確かめるようにぴったりと密着する。


 そうすると必然的にジークの胸元に頭がくるエミルは、顔を横に向けて耳をそっと当てその心音までも確かめだした。


 ドクン、ドクンとジークの鼓動と体温。それに匂いを堪能した後のエミルは、もうやりたい放題だった。


「んーん。ん」

「はいはい」


 つま先立ちで頭を主張すればジークは優しく頭を撫でくれる。


「ううん」

「ぐりぐりするのはやめてくれ。角が」

「いや」


 何となく胸に頭をぐりぐりと押し当ててみると、若干苦しそうにするジークに口角を上げてと、側から見ればイチャついてるようにしか見えない行為が暫く続いた。


「(エミルが制御を出来ていれば、悩む必要なんてないんだがな)」


 エミルが完全に落ち着くのを待ちながら、ジークはその間もぐるぐると頭の中で考えを巡らせていた。


 連れて帰りたいという気持ちとは裏腹に、今のエミルを連れて帰るのは余りにも危険だと言う事を、ジークは理解している。


 ただこの場合ジークの考える危険はエミルが危険なのではなくエミルの周りが、である。


 何故ならあらゆる調整を担っていたユミルは今、他の全てを置いて生命維持にだけに意識を向けている。そのため今まで制御されていたもの、ここで問題なのはエミルの意思にユミルが介入出来ないことだった。


「(連れて帰るにしても、瘴気をダダ漏れさせているエミルを誰にも見られずに連れて帰るのは不可能。魔物に対して敏感になっている人々が、今のエミルを見たら間違いなく人外だと誤認するだろうし、万が一エミルに敵対することになったら、正直切り抜ける手段が少ない。護る手札も抑えれる手札も、心許なさすぎる。クソ、もっと人脈を広げるべきだった)」


 小心者のエミルはギリギリまで反撃はしないと断言出来るが、倫理や道徳を弁えていても自身の命を守るためだったら、エミルは容赦なくその力を解放するだろう。


 抑制されていない全力。幻視する程の魔力と本能が警鐘を鳴らす程の瘴気から繰り出される反撃が、どれほどの威力を秘めているのか。


 ジークは想像もしたくなかった。


「(あああ、今のエミルがいつまで持つのかも分かんねぇし、どうすれば良いんだよ)」


 エミルの成長までを考慮していなかったジークは、冷静になって考える時間が経てば経つ程に混迷を極めていた。


 しかし、そんなジークを置いてけぼりに状況は一転する。


 逃げたと思っていた蠍が戻って来たのである。しかも状況の変化はそれだけでは終わらなかった。


「――ッ、エミル?」


 蠍を視界に捉えた瞬間、ジークはエミルを連れて逃走しようとした。だが肝心のエミルはジークの手を取る訳でも取り乱す訳でも無く、そっとジークから身体を離し、蠍と二度対峙するかの様にくるりと踵を返す。


 そして困惑するジークには一瞥もくれずに、いつの間にか手にしていた一振りの()()()()()()を片手に蠍のもとへゆったりと向かう。


 雰囲気が違う、とかでは済まない。


 姿は変わっていないのに、濃密な魔力も瘴気も感じ取れず、しかし纏う空気は更に重く厳かに。白銀に輝く刀には神聖さえ感じられた。


 エミルでもユミルでもない、全く別の第三者が現れたような強烈な違和感。


 それは蠍も感じとっているのか、一歩、一歩、ただ歩いて近づいてくるエミルに、今まで見せた事ない臨戦体制をとって見せていた。


 歪曲した鋏の下刃を鋏角で自ら切り落とし、残った上刃を刃と化し、形を保っている片方の鋏を盾のように。


 まるで一介の騎士のような構え。その姿はただの魔物とは一線を画す、知性を感じさせた。


 そうしてお互いが間合いに入った。


 膠着はほんの僅か、雌雄は瞬きの間で決する。


 勝利したのはエミルだった。


 ジークには一太刀、その様にしか認識できなかった。エミルの振るう刀が蠍の悉くを打ち破り、斃れる蠍を呆然と眺めることしかできなかった。


「何が何なんだ……」


 不規則な事の連続で思考を停止したくなるジークだが、一先ず目下の脅威が無くなった事に安堵する。


「(分からない事だらけだが、当初の目的は果たされた、か)」


 既存の問題と新たに増えた問題から目を背ければ大団円といったところだが、当然そんな事は出来ない。結局諸々の問題に今から頭を悩ませるのには変わらないのだと、深く息を吐いた後、気持ちを切り替えていたところでジークはエミルのとある行動に気付く。


「何してるんだ?」


 ジークはつい疑問の言葉を漏らす。


 何故ならジークの視線の先では重々しい雰囲気を消したエミルが黙々と斃れた蠍に刃を通し、身体がその体液で濡れるのも厭わず、何か作業していたからだった。


 それは側から見れば、討伐した蠍から素材となり得そうな物を物色している様に見えるが、エミルに等級の高い討魔者が持っているような知識がない事を知っているジークは、その行動に疑問を抱く。


「(今は一体、誰なんだ?)」


 誰が何の目的でやっているのか。


 エミルなのかユミルなのか、はたまた別の誰かなのかは、もうジークには判断が付かない。もはや直接本人に誰何することしかジークは知る術がなかった。


 しかし、結果としてジークはこの時誰が表に出ていたのか分からなかった。


 誰何する前にエミルは蠍から取り出した何かを口に含むと、そのままパタリと意識を手放してしまったが故に。


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