第十八話 入学式
続きです。
法の国に降り積もった雪も溶け出した頃、首都ヴァールテクスに住む学生達は新たな転換期を迎えようとしていた。
「本当にそれで行くのか?」
「何か問題ある?」
「いや……まぁ」
「ん?」
「その……いや、何でもない」
カナン達やバルドが帰国して本当の意味での二人の共同生活が始まった今日日。イージスアート学園の入学式に出席するための準備を済ませてからジークの様子がおかしかった。
「カナンさん達は、問題無いって言ってたけど」
「確かに問題は無いが……」
ユミルに対して割と歯に衣着せぬジークがこうして言い淀むのは珍しい事で、ユミルは首を傾げる。
ジークの向けられる視線からペタペタと自身の身体を触り原因を調べてみるけれど、洋服の乱れは特に感じられないし入学式にそぐわない格好をしている訳でも無いはず。唯一心当たりがあるとしたら今着ている礼服が和の国の物である事ぐらいだろうか。
「一応理由は説明したはずだけど?」
本来入学式に参加するにあたり正装や礼装を着用するのがこの国でも普通で、常識であった。和の国では着物がそれに当たる服装であったが法の国では女性はドレス、男性はスーツがそれに当たる。
ある種の隔離された世界からこの留学を通して初めて人間社会に出ているユミルにとってこの常識を遵守することは、バルドから教えられた処世術の中で一番大切とされているものだ。
だからユミルもこの国に合わせてドレスを着ようとしたが、ここで一つ問題が発生した。
市販のドレスだとユミルの身体に刻まれた全ての傷痕を隠すのが難しかったのだ。
「それは……そうだが」
「じゃあ、なに?」
今回は着物で入学式に出席することを、ユミルはジークに事前に相談し伝えていた。だからジークがここまで微妙な反応をするとは露ほども思っていなかっただけに、ユミルは少し困惑しながらジークに今一度聞く。
「その……なんだ。似合いすぎている」
「ん?」
「こんな言い方はあれだが、そっちの方がよりユミルに似合ってる、と俺は思う」
そう答えたジークは、目の前にいる美少女を見てそう思わずにはいられなかった。
目を瞑っているユミルの凛とした表情は美しく綺麗で、自分で洗うのが面倒くさいからと短くした黒髪からちらりと見え隠れする耳には、カナン達が帰国前にユミルに贈った法の国の特産品である魔工石を使った装身具がつけられており、それが礼服と相まって何とも言えない色気を醸し出して、ユミルの幼さを昇華させ大人びた色気を出していた。
そんなユミルにドキドキと自身の落ち着かない鼓動を誤魔化すように早口で、ジークは今感じたありのままの感想を伝えた。
「よかった」
それを聞いたユミルはジークの反応が悪いものじゃないと知って一安心した。
『ジークもお姉ちゃんにめろめろ?』
『めろめろ』
『エミルもお姉ちゃんにめろめろだよ!』
「ユミルの黒髪は、着物に映えるな」
『はえるー』
「ありがとう」
「耳のそれ、カナンさん達に貰ったやつだろ。似合ってる」
『にあってるー』
「うん。ありがとう」
ジークとエミルにこれでもかと褒められたユミルはもうドレスなんかいいやと買うのをやめて、今後も何かある時は着物を着て行こうと心に決めた。
「……行くか」
「うん」
普段見慣れていたはずのユミルに不覚にもドキリとさせられたジークは誤魔化しついでにと、髪に触れ紫苑色にひかる耳飾りや着物をべた褒めしてユミルの反応を試してみたが、頬を染めるような期待する恥じらいの一つも無く、いつもの無表情とも呼べるユミルで逆に落ち着いたジークは、いつもの通りにユミルと手を繋いで入学式の会場まで向かうのだった。
「げっ……なんでお前がここにいる」
時間に余裕を持って到着したジーク達は一休憩しようと会場内に設置された休憩室へと足を運んだところ、思わぬ偶然に出会う。ただ出会うと言っても、それはゲームで言うところのエンカウントに近いものだったが。
「出会って早々に失礼な奴ね。げっ、とはなによ」
「いや、順当な反応だろ」
「シンプルにムカつくわね。私達はお手伝いとして、偶々ここにいただけよ」
大勢の学生達で賑わう中で奇跡的にもユミル達が出会ったのは、前に家まで押しかけてきた事のあるマリティモとファルスだった。
「ふむ、着物か。貴殿によく似合っている」
「どうもです」
「あら、確かにファルスの言う通り、ユミルちゃんにとても似合っているわ」
「どもです」
マリティモやファルスに声をかけられたユミルは、簡易な受け答えをしてから、すすっと二人の視線から逃れるようにジークの影に隠れる。
ユミルはまだ他人と呼べる二人とどう接するのか、考えあぐねていた。
「あら、照れているのかしら」
「どこをどう見て言ってる? 普通に警戒されているだけだろ」
「はぁ? ジーク、アンタ節穴なの? どう見ても――」
寡黙なファルスに比べてマリティモは多弁で、以前家に押しかけてきた時もそうだったが、ジークと気安い会話が繰り広げられる。
『なんかエミル達と違う』
そんな二人の様子を後ろから観察していたユミルは、エミルと全く同じ感想を抱いた。
(何か違う……何が違う?)
マリティモと違うのは当たり前のことなんだろうけど、何が違うのかユミルには分からない。分からないけれど、何か違うのだけは分かる。
このなんだろうか、えもいわれぬ気持ちは。
「やっと何処かに行ったな。これで落ち着ける」
ジークに声をかけられ気付けば、マリティモ達は何処かに行ってしまっていた。
ほらと飲み物と軽食を持ってきたジークに勧められるまま、ユミルは椅子に座る。
「アイツら、主にマリが苦手だったら、無視して構わないぞ。無理をして、ユミルから関わる必要は無いからな」
「分かった」
「……ちなみにだが、アイツらの事をどう思った?」
「ジークと仲良さそう」
「俺が聞いたのはそう言う事じゃないが……まぁいいか」
『御集まりの皆様。只今より、入学式を始めさせて頂きますので、お席にお戻り下さい』
それから少しの間ジークと他愛の無い普段通りの会話で時間を潰していると、会場にアナウンスが響き渡る。
「トイレとかは平気か?」
「平気」
「じゃ、行くか」
「うい」
ジークからすっと差し出される手を握って立ち上がり、優しく手を引かれ会場を共に歩く。
そうして繋がれた右手を見つめ、ユミルはふと思う。
(ジークと私達の関係って、何になるのだろう)
恋人? 兄妹? 友達? 家族?
思い浮かぶ関係性は、どれも一度は有象無象に言われた事のあるものだ。
「ねぇ。ジーク」
「なんだ?」
「私達の関係って、なに?」
そのどれもが当てはまりそうで、何か違う。でもまた何が違うかユミルには分からない。
(分からないのは、嫌だ)
「さぁな。俺も分からん」
「ふぅん……ジークも分からない」
「俺にだって、分からないことぐらいある」
「そっか」
「そうだよ……今笑ったか?」
沢山してきた会話の中の、あまり気にも留めないだろう気兼ねない会話。その会話の何気ない一言が、私達を安心させてくれるのだとユミルは初めて気付いた。