第十一話 港での一日
遅くなりました。続きです。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
「おーい。起きろー。もうそろそろ港に着くぞー」
「うーん……」
「何だ、エミルはまだ起きないのか?」
「朝が早かったから仕方ないですよ。起きなかったら私が抱っこして降ります」
断続的に鳴り響く重低音は魔導列車の移動音であり、バルド達はその魔導列車の重要人物専用車両で到着予定の港に降りる準備を進めていた。
「――そうか。任せた」
「今、思考を放棄したわね」
「スズより私の方が適任じゃない?」
「とりあえず俺は一度、他の車両にいる奴らの様子を見てくるから、暫く頼んだぞ」
「了解です」
和の国の首都、日月から日が出る前に出発し、魔導列車に揺られること早十二時間。バルド達一行は中間地点である港にようやく到着する所だった。
「到着後は休憩も兼ねて観光と食事、でしたか?」
同じ車両に乗っていたジークは他の車両に向かったバルドを尻目に、手荷物を整理しながら同じ作業をしているカナン達にこれからの予定を再確認する。
「だね。君やエミルちゃんを含め、留学生君達には無理はさせられないからね。今日は港町で一泊してから、明日の法の国行きの魔導船に乗ってもらう予定だよ」
「なるほど。了解です」
和の国から同じく法の国へ留学する者はジークやエミルを除いて、三十四名。彼等は違う車両だが同じ魔導列車に乗っていた。
「節度を守るなら、自由に観光して来て良いわよ。港は治安も良いし、ジーク君は他の子等と違って問題を起こしそうにないもの」
「エミルちゃんは私達がしっかり見守ってますから、安心して下さい」
カナン達はこの三年間でジークの実力や性格をある程度把握していた。故に、他の留学生達には許可されていない単独行動が許されていた。
(寧ろそっちの方が心配なんだよな)
未だに一人ベッドで眠りこけている誰かさんを見て、ジークは不安に思う。
法の国、その首都ヴァールテクスに存在する世界有数の学園イージスアート。そこに入学を許されたのは人口が一千万を優に超える大国である和の国で、たったの三十六名だ。
その中でもエミルは特別に特別だ。それこそ各国が真剣に話し合って争奪戦を始めるぐらいに。
けれど、他国を一人で渡り歩いて来たジークと違ってエミル達は言わば箱入り娘。知識があっても外に出た経験が殆ど無ければ、事情を全く知らない他人と触れ合う機会などもまた皆無なのだ。相手が駆け引きに長けた者で無くても、エミルを騙すのは容易だろう。
ただそうなった場合問題になるのはエミルの姉のユミルだ。エミル至上主義のユミルはエミルに仇なす者には容赦が無い。相手が誰であってもエミルに仇なすものは物理的に潰そうと行動する。
昔と比べて多少の分別がつくようになったが、ジークは未だにユミルが行動に移す明確なラインが分かっていない。和の国にいた頃からそれとなく探ってはいたが、エミルと違って感情が読みづらいユミルの機微を察することがジークにはまだ出来ていない。
「いえ。俺もエミル達と一緒に行動します」
「あら。うふふ、流石はエミルちゃんの騎士様ね」
「二人が仲良しで私は嬉しいです」
「ジーク君とエミルちゃんはお似合いだよね」
「何とでも言って下さい」
「ちぇ。揶揄い甲斐が無いなぁ」
(今のうちに、何がやばいのか把握しておかないとな)
今は過保護なカナン達三人と養父のバルドがいるために、問題が表面化していないだけで、他にも隠れた問題があるのではとジークは考えていた。
「はぁ」
一向に起きる気配の無いエミルの頬を軽く弄びながら、自分が一体どれだけこいつに振り回されるのだろうかと少し想像する。
(きっとこの三年間も退屈しないだろうな)
ジークはそう予感した。
◇
「ごはん、ごはん。食べ放題!」
『お刺身、塩焼き、干物、スープ、海鮮丼』
様々な手続きを終わらせて港町へと繰り出したエミルのテンションは何時にも増して高かった。それに珍しくユミルのテンションも高かった。
「うふふ、楽しそうですね」
「本当にエミルちゃんはブレないわね」
「食に貪欲なエミルちゃん。可愛い」
エミルと手を繋いで歩くスズと、それを囲うように近くを歩いているカナン達は、相も変わらず目尻を下げエミルの世話をしていた。
「おぉぉ。やべえな」
「誰か声かけろよ」
「バカ、あれが見えないのかよ」
おっとり美人に、クール美人。そして快活美人と純白な無垢の美少女。それぞれ性質の違った美しい女性達の一団は、そこを歩く者達(特に男性)の視線を釘付けにしていた。
「あいつ等、普通に楽しんでるだろ」
「まぁ、職務放棄していないだけマシと思いましょう」
「当たり前だ……それよりお前は混ざらなくて良いのか?」
「冗談言わないで下さいよ」
四人を後ろから少し離れて見守るバルドとジークの二人は、護衛としての仕事をしているようでしていないカナン達に苦笑しながら、周囲の警戒をする。
本来ならちゃんと仕事をしろと小言の一つでも言いたいところだが、エミルの環境の変化によるストレスを危惧していただけに、エミルが楽しそうにしているのをできるだけ邪魔したくないバルドは、敢えて何も言わなかった。
「流石にちょっかいをかける者はいないか」
「自ら竜の尾を踏みに行くような馬鹿はいないですよ」
一見するとバルドもカナン達も全員軽装で護衛をしている様には見えないが、身体の見える位置に全員国騎士である証の太陽の紋章が入った盾の徽章を身に着けている。
この盾の徽章は全国共通で国騎士にしか許されていないシンボルマークであり、俗世を断った者でない限り知らない者はいない代物だ。
故にいくら港町で外国人が多く行き交っていたとしても、人々はエミル達を遠巻きに眺めるだけで、直接声をかけるなどの蛮勇を起こす者はいなかった。
国騎士の徽章はそれほどに強力だった。
「それよりも、そろそろ和の国から参加している者を、聞いても良いですか?」
目の前のほのぼのとした雰囲気とは一転して、ジークは真剣な雰囲気を漂わせながらバルドに問う。
その内容はエミル争奪戦に関してだった。
「その件について俺達が言及する事は、何一つ無い。知りたければ自分で知り得る事だ」
「……忖度も無しですか」
「決まりだからな」
「そうですか……それならしょうがないです」
バルドはジークの問いに対して、紋切り型の受け答えをする。その何度目になるか分からない同じ答えを聞いて、ジークは二つの確証を得る。
一つは和の国の留学生の中にエミルを知り、勧誘する者が潜んでいること。そしてもう一つは自身もまたエミルと似たような立場なのだということを。
何故ならジークはエミル争奪戦の明確な決まりを知らない。否、知らされていない。
それは決してジークが争奪戦に参加出来ないからでは無い。そうでなければ争奪戦を引っ掻き回す要因にしかなり得ないジークを、何の縛りも無しに野放しにするはずがないだろう。
どれだけジークの能力を高く買っていたとしても、エミルと一緒に過ごす時点で、少なくともバルドからある程度の情報は共有されて然るべきだ。
けれどそれが為されないという事はつまり、そう言う事なのだとジークは推測する。
(まぁ、なるようになるか)
自身の預かり知らぬところで話が進んでいたのに、ジークは割とあっさりしていた。
それはジークには故郷と呼べる帰るべき場所が既に無く、ある目的を指標にしてふらふらと他国を渡り歩きながら、その日暮らしの生活をしてきた討魔者だからだ。そんな根無し草に今更躊躇う理由など、疾うに無かった。
それに目的も大半を達成していたジークはその日暮らしより安定した就職先を探すのも悪くないと、本心でそう思えた。
「おい、ジーク。呼ばれてるぞ」
「ん。あ、はい」
ジークが法の国での行動方針を改めて画策していると、突然バルドに脇腹を小突かれる。そして我に返ったジークはこちらを困った顔で手招きしているスズと、帽子で分かりづらいが黒髪になっているエミルを隠すようにしているカナン達に、はたと気付く。
(何かあったか?)
急ぎ足でベンチに腰を下ろすカナン達の下にジーク達は向かった。
「何かありましたか?」
ジークはバルドで無くて自分が呼ばれたと言う事は十中八九エミルの機嫌取りか何かだろうなと予測しながら、スズに呼ばれた理由を聞く。
「それがですね――」
スズの話の内容をまとめると、エミルの勘違いを悪意無く正した結果、エミルの機嫌が悪くなった。だから助けて欲しいと。こう言う事らしい。
(食べ放題じゃ無かったって、またしょうもない理由だな)
「恐らく勘違いの原因は、ユミルがエミルに適当な事を吹き込んだことでしょうね」
「そうなのですか?」
「でなきゃユミルはこんな顔しませんよ」
ユミルでは無い誰がエミルに嘘を吐いていたら、今頃そいつに矛を向けているところだろう。
だが現在のユミルは機微に疎いジークでもきっとエミルに弁明している最中なのだと予測出来るほどに、どこか申し訳なさそうにベンチに座っていた。
「ユミル」
バルド達に絶賛反抗期中のユミルにジークは声をかける。
「……ジーク。これで足りれる?」
少しの間があったが声の主がジークだと分かると、ユミルは主語を言わずにアイテムボックスから硬貨を数枚取り出してジークに尋ねる。
「あー、うん。余裕で足りると思うぞ。何を食うつもりか知らないけど……と言うかこれ――」
ユミルから渡された硬貨に若干頬を引き攣りそうになりながら、ジークは答える。
それもそのはずユミルがポンと渡した硬貨は、和の国で換算すると約三十万円分もあったからだ。そしてそのお金にジークは見覚えがあった。
「お刺身にかいしぇんどん。あと味噌汁。干物も捨てがたい。早く行こう」
ジークが言葉を言い切る前にエミルは立ち上がり、我が意を得たりと言わんばかりジークの手を引いて歩き出す。
「ちょ、まだ話は終わってない」
「食べながら聞く」
「分かった、分かったから少し落ち着け」
さっきまでの殊勝な態度は何だったのかと言いたくなる程に、急に積極的になったユミルをカナン達は慌てて追う。
(その金は法の国での生活資金なんだけどなぁ)
隣で歩くユミルの帽子を時折直しながら、ジークは数万程度で収まりますようにと祈るしか無かった。