第十話 準備
祝ブクマ100。ありがとうございます。
遅くなりました、続きです。
三年と言う月日は長いようで短く、あれよあれよ言う間に時は流れ、気付けばエミルの十四歳の誕生日を迎えていた。
「……本当に行かなきゃだめ?」
バルドに呼び出されたエミルは対面する型で椅子に座って改めて留学の件を聞かされていた。
「ダメだな。こればっかりは俺でもどうしようも無い」
「えぇ~」
「もう決まった事だ。だからこれを機に外の世界と人付き合いを学んで来い。きっとエミル達の良い経験になるはずだ」
「別にエミルには必要ないし」
留学の話は以前からバルドやハザックから説明を受けてはいたが、エミルは未だに口を尖らせ不満を漏らす。
エミルは留学なんぞにこれっぽっちも興味は無かった。
「言っておくがカナン達に泣き付いても、徒労に終わるだけだからな。潔く諦めて、留学の準備を始めておいた方が賢明だぞ」
「パパ嫌い」
「ゔっ」
バルドに先んじて逃げ道を塞がれたエミルは椅子からパッと立ち上がると、バルドには良く効くとハザックに教えられていた言葉を放ち、盲目とは思えない足取りで逃げるように部屋から退出した。
そうして部屋から飛び出たエミルはそのまま自室まで続く廊下を、片手に持った杖を使いながら迷い無く歩き始める。
『はぁ。パパの言ってた準備って何をすれば良いのかなぁ。お姉ちゃんは何か分かる?』
エミルは廊下を歩きながら自身の中にいる姉に先程の意見を求める。エミルはなんだかんだ不満を言いつつも、結局留学する事については受け入れていた。
『うーん。留学先まではバルドさん達が引率すると言ってたから、私達がこれと言って準備する物は特に無いと思う。強いて言うなら私達が準備するのは心構えぐらい。だけど、これはもう既に終えている』
『ふむふむ』
『だから私達があと出来る事と言ったら、アイテムボックスの整理ぐらいじゃない?』
『ふむふむ……アイテムボックスの整理をすれば良いんだね!』
『……今、適当に聞いてたでしょ』
『えへ』
可愛く舌を出しておどけて見せるエミルに対して、ユミルは冷ややかな眼差しを送る。
言葉で理解しなくともユミルと意思を通じ合う事が出来るエミルは、ユミルが言葉を口にする前に何をすれば良いか伝わっていた。
『……エミルが言い出した事でしょ?』
ユミルもエミルと同じで何も言わなくても意思疎通することが出来る。なので二人の間では言葉を交わす必要性はあまり無い。何せ心の中で思った事を相手が自動的に汲み取ってくれるのだから。
それなのにユミルは二つの意味をのせた文句を言葉にする。それは当然だ。先に話題を振ったのはエミルであり、伝わるからと言って会話をしないなんて味気ない事を嫌ったのもまたエミルの方だったのだから。
『ごめんなさい』
言葉と心から文句を言われた当の本人は素直に自身の非を認め、贖罪もといご機嫌を取る為に食堂に寄ってユミルの好物を貰ってから自室へ戻る事にした。
自室に着いたエミルは早速ユミルの好物の一つであるイカの干物を献上し、機嫌が良くなったのを確認してから部屋の真ん中に鎮座しているベッドの上に勢い良く飛び乗った。
『ふぅ。じゃあ、お姉ちゃん。よろしくね』
ぼふっと音を立ててエミルが三人並んで寝てもまだ余裕な大きなベッドにダイブしたエミルは、そのままベッドの中央までコロコロと転がって移動すると、エミルは仰向けに寝転んだ状態で身体の力を抜きユミルにお願いをする。
『分かった』
エミルの願いを汲み取ったユミルは頷くと、それを叶えるために行動に移す。するとエミルの意思とは関係なしに身体が勝手に動き、身体の中で何かが蠢き始めたのをエミルは微かに感じとる。
ベッドの上に身体を起こし女の子座りの姿勢になった、ユミルは何かを始めようとしていた。
『わくわく』
エミルは勝手に身体の内側で行われているそれに本来感じるだろう不快感などは一切無く、寧ろ高揚感に包まれていた。
何せこれからエミルは今からユミルの起こす奇跡を体感するのだ。ワクワクしない方がおかしい。
『アイテムボックス、オープン』
そしてソワソワしているエミルとは裏腹に、落ち着いてユミルがそう口にすると身体の何かが明確に蠢いたのをエミルは感じる。そうして次の瞬間、少しの倦怠感と共にバサバサとベッドの上に何かが落ちる音が聞こえて来る。
『終わり。先ずは洋服から行こう』
『はーい』
ユミルが終わりを告げると断続的に聞こえていた音も止む。
エミルはユミルの起こした奇跡の余韻に浸りながらも、ベッドの上に散乱している洋服を手にし、ちまちまと一つ一つ丁寧に広げる作業を始める。
『はぁ。やっぱり、お姉ちゃんは凄いね』
エミルは作業をしながらしみじみと思う。自分のお姉ちゃんは凄いのだと。
先程ユミルが行ったのは、『魔法』と呼ばれる自身の魔力を燃料に様々な事象を発生させる奇跡の御業だ。
そしてアイテムボックスとはその数ある内の中の一つで、自身の魔力量に応じた広さを持つ収納庫から物を出し入れする魔法だ。手に触れた物を自身の魔力で染めることで亜空間に収納し、任意で自身から半径1メートル以内の場所に取り出すことが出来る。
この魔法は魔力を扱う者にとって比較的難易度低い技だ。でも魔力を認識することが出来ても扱う事の出来ないエミルにとっては凄いとしか言えない魔法だった。
『急にどうしたの?』
『もぅ、急じゃないよ。何時も思ってることだよ』
エミルは今もこうして自由に身体を動かせれているのが、ユミルが血反吐を吐く思いで魔法を習得してくれたおかげなのだとよく理解している。三年間。誰よりも近くからその努力を見てきた。
『そう』
『うん。だからエミルはね、皆んなに自慢したいと思ったの』
手元の真っ白に塗りつぶされたワンピースを見つめながら、エミルは今まで誤魔化してきた本音をユミルに語る。
『……まさかそれが本当の理由?』
『えへへ。エミルのお姉ちゃんは凄いんだぞって、もっと皆んなに知って欲しいと思ったの。でも、お姉ちゃんはそんなの望んでいないのかなって考えたら、中々言い出せなくて……』
ユミルはエミルが何故あれだけ嫌がっていた留学を受け入れたのか、本当の理由を知らなかった。それは小賢しくも本心を偽る遊びを覚えたエミルが、今までユミルに適当な理由を伝えていたせいであった。
『私はエミルが望むものを望む。だからエミルはーー誰?』
「だれ?」
ユミルの言葉が突然鳴り響いたドアノックの音によって遮られると、エミルとユミルは即座に会話を止めて来訪者に誰何する。これはバルドから徹底して身に付けさせられた処世術の一つだ。
「ジークだ。留学の件でエミル達に話があるんだが、入ってもいいか?」
「……分かった」
(タイミングわる)(もぉぉ、ジークの馬鹿)
二人して間の悪いジークに悪態を吐きながらも、エミルは律儀に入室の許可を出す。ユミルの言葉は中途半端だったが、ユミルにはしっかりと伝わっていた。
「失礼する、っと。うぉ、暗いな。灯りぐらいつけろ……よ」
躊躇いがちにドアを開き部屋に入るジークはエミルの部屋の暗さに驚き、物憂げに備え付けてある魔道具で明かりをつける。そうして明るくなった部屋でベッドの上に座るエミルとあるものを視界に捉えて、ジークは固まった。
「ん? どうしたの?」
「い、いや。ちょっと用事を思い出してな。出直してくるわ」
『あ』
いきなり踵を返して出て行こうとするジークにエミルは疑問符を浮かべる。それに反して何かに気付いたユミルは魔法を使って部屋のドアを強制的に閉め、エミルの片腕を動かし出て行こうとするジークに向かって新たに取り出した物を容赦なく投擲する。
「ちょ、これは不可抗力だろ!!」
『問答無用』
「んんん?」
十六畳もない部屋の中で必死に避け回るジークと、投擲を止めないユミル。そして首をかしげてこの状況が今一理解出来ていないエミル。
一言で表すとカオスだった。
◇
「不可抗力だとしても、先ずは謝罪をするのが礼儀」
「すいません」
「れでぃの肌着を見ておいて、逃亡を図るのは下衆のすること」
「……すいません」
『ねぇ、げすってどういう意味?』
『それは後で教える』
よく分かっていないエミルと入れ替わったユミルは、床にジークを正座させ説教していた。そして同時進行でエミルにも何でこんな事になったのかを説明する。
いくら親しい間柄であるジークだとは言え、異性に肌着を見られたのだ。ここで何も言わずに見逃すのはジークには良いが、ユミルの情操教育には悪いとユミルは思い、ついでにエミルには良識を持って欲しいとジーク(成人男性)の欲望が如何にアレなのかを淡々と説明していく。
『ジークは良い人だけど男。男には簡単に肌着は見られてはいけない。分かった?』
『分かった』
『良し』
ユミルの言う男女の機微とやらをよく理解出来ていないエミルだったが、ユミルの言う事に間違いは無いので素直に聞き入れる。
本当はここでエミルが羞恥心も覚えくれればユミルにとっては二重丸だったのだが、生憎とエミルにはそう言った感情はまだ芽生えてはくれなかった。
「この件はこれで手打ちにする」
ジークを口実にエミルが良識をまた一つ身につけてくれたことにユミルは満足し、この話を終わらせる。
「お、おう。エミルとの話は終わったか?」
「うん」
「はぁ……なんだか疲れたわ」
エミルの良識のためだからと言って、男の情欲を淡々と語り、都度同意を求められるジークは色々な意味で疲弊していた。
(下着を見ただけでとんだ酷い目にあった)
ジークは藪蛇になりそうなので口に出さないが、内心で色気の無い子供下着を見た罰としてこの仕打ちは釣り合ってないと思った。
実際には大事な話を中断させた罰も含まれているのだが、ジークには知る由もないことだった。
「それで、話って何?」
「あぁ、その事なんだがエミル達は陸と海、どっちを通ってイージスアート学園まで行きたい?」
「陸と海?」
『うみ?』
ジークの言う意味がエミル達には分からなかった。
「和の国から法の国までは、陸と海の両方から行けるんだ。陸路は魔導列車で、海路は魔導船。この二つの中でエミル達はどちらが良いか、意見を聞きに来たんだ」
まぁ意見と言っても師匠等はきっとエミル達の選んだ方で道筋をつけるだろうなと、加えてジークは言う。
『海と陸ね』
『お姉ちゃんはどっちが良いと思う? 私は陸。うみはよくわかんない』
『そう……でも海だときっと海鮮食べ放題だよ?』
海はよく知らないから陸が良いとエミルは言うが、大抵の事をエミル優先で考えるユミルは、今回反対の海を選びたかった。その理由は単純でユミルの好物は海産物が多いのだ。
船を使うなら港に向かうのはほぼ決まっているようなものなので、港町で新鮮なお魚を食べたいとユミルは思った。
『食べ放題!?』
『うん。食べ放題』
ジークはそんなことを一言も言ってないのだが、ユミルは甘言を弄してエミルをその気にさせる。
『じゃあ、エミルも海にする』
『うん。それが良い。決まり』
ユミルの言う事を少しも疑わないエミルはあっさり騙され、ユミルは上手くいったとほくそ笑む。
「決まった。海にする」
「了解。師匠には俺から報告しておくから、ユミル達はさっきの続きでもしといてくれ……どうした?」
「……」
これで要件は終わったと部屋から立ち去ろうとするジークの背に、ユミルは無言で抱きついた。ジークの存在を全身で確かめるかのようにピッタリと。
当のジークはユミルの突然の行動に焦ること無く、腰に回されている細い腕を振り解かずにそっと優しく触れ、ユミルの様子を窺った。
「あたたかい」
「今さっき運動したばかりだからな」
「汗臭い」
「じゃあ、離れろよ」
「嫌」
まるで恋人同士のやり取りにしか思えないが、ユミル達とジークはそう言った関係では無い。ならばどうしてユミルがジークに抱きついたのか。
答えはユミル達がリラックスと安心するためだ。
自分がちゃんと存在して、他人をちゃんと感じられる。目の見えないユミル達にとってこの確認はとても重要だった。
「仕方ないな」
ジークはユミル達の境遇を師匠から聞いている。そして実際に自身の目と身を持ってして確認している。ユミル達がどのような存在なのかを。
だからジークはこの行為の意味も理解している。
(散々男が云々言っておいて、これは卑怯だろ)
それから暫くジークは悶々としながらユミル達が満足するまで付き合うのだった。