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02.成人式の夜

 一か月の猶予なんてあっという間に過ぎた。


「成人おめでとー!」


 ようやく始動する竜討伐隊に姉貴は上機嫌だ。成人したのならお祝いに奢るから!と大衆酒場(バル)に引っ張り込まれた。

 あたしにとって食事とは、修行として放り込まれた軍隊での材料から調味料まで自給自足で調達する雑なものか、自宅で食べる美味しいけれどマナーがややこしくて少しもくつろげない格式ばったものかの二択だった。こういった市街(まちなか)の店で食べた経験はほとんどない。

 姉貴は席につくなり麦酒(エール)がなみなみと継がれたジョッキを割れんばかりの勢いでガツンとぶつけてきた。かなりの麦酒がテーブルに飛び散ったので水差しの下に敷かれた布巾(ダスター)で拭った。


「あんたって意外とマメよね」

「誰のせいだと」

「んー、あたしのせいかな?」


 姉貴はフフッと笑った。今の麦酒がこぼれた状況のことだけじゃなく、あたしの人生全般について評されたような気がする! 少しは反省の色を出してくれたっていいのよ!


 酒場に入るのは初めてなので、ついきょろきょろとあたりを見渡してしまう。 

 客の多さに比して店員はそう多くはない。会食では食卓についている人よりも給仕の数のほうが多いことはざらにあるけど、この店は最低限のこと以外は自分でやりなさいというスタイルのようだ。

 その店内はほぼ立ち飲み席だ。小さなテーブルに客同士が肩がぶつかりそうなほど寄り集まって、誰もが上機嫌に大声をあげている。あたしたちがいるのも、ここ。

 店の三方にある壁に沿うようにボックス席が配置されて立ち飲み席を囲っている。そちらはソファなんかもあってゆったり過ごしているグループもいる。広めのボックス席にはローブを着た学者みたいなグループがメニューになさそうな御馳走を並べて会合を開いていたり、別のボックス席では身なりのいい紳士が人目を避けるように商談をしていた。


「開店直後ならいいけど閉店間際にはボックス席のあたりには近付かないようにね」

「なんで?」

獄門講(ローグ)がやばい取引していたりするし、そうじゃなくても酔った勢いで盛るやつも多いしね。一人で飲むならカウンターがおすすめ。ややこしいのはどこにでもいるけどバーテンに助けを求められるし」

「姉貴もカウンター派ってわけ?」

「あたしは一人で飲むくらいなら家で飲むわ」

「ああ、そう」


 通なアドバイスなのか半可通が適当言ってるのかまるでわからないので話半分にして聞こう。

 うちには居心地のいいいくつかの雰囲気の違ったダイニングルームがあってメイドやシェフと兼任とはいえソムリエもいる。ダイニング、というけど賓客を招いて会食も開かれる場所なので、いつでも自由に使えるというわけではないけれど。

 単にお酒の味を楽しみたいだけなら家でだって十分なんだけど、姉貴はこの雑然とした空気が好きだと言ってよく飲み歩いている。

 確かに陽気な場所で、いるだけで理由もなく楽しい気持ちになる。


 ぐいっとジョッキを呷る。発泡酒はあまり飲んだことはないけど今までだって食前酒ぐらいなら嗜んでいたし、普通に美味しい。後味も軽くて、いくらでも飲めそうだ。


「お。いい飲みっぷりだね。おかわりいる?」

「うん」


 姉貴が手を挙げて給仕に空のジョッキを渡してオーダーをいれる。


「レベッカ? ないない、あれはないわー。確かに見た目だけは最高だけどさ、中身はアレだろ? キツイって」


 ふいに背後のテーブルからあたしの名が聞こえてきた。背後のテーブルじゃなきゃ歓談のざわめきに呑まれそうな程度の音量で、しかし近距離すぎて聞き間違いようのない明瞭さで。

 なんの話なのかと耳をそばだてる。


「あー、わかる。あれを抱くぐらいならまだお前のが抱けるわ」

「お前に抱かれるぐらいなら俺がお前を抱くわ」

「なんだと」

「お? やるんか? だいたいお前は何かっちゃすぐ抱くの何のってな俺のことなんだと思ってんの。侮辱だよ侮辱。気付け」

「あれ? 怒った? 怒った顔も可愛いね」

「気色悪いこと言うな。死ね」


 ……。

 背後を窺うと知った顔だった。ちょっとキレ気味なほう、ジョエルは馬上槍大会で何度か競ったことがある相手だ。負けたことはない。余裕たっぷりにジョエルをからかっているのは、グスタフ麾下(きか)の近衛兵のアイザックだ。何度か手合わせしたとある。負けたことはない。当の肴が背後にいることに気付かないから弱いんだよ、とイラッとする。

 だいたいあたしの中身がアレって何。彼らがあたしの中身の何を知っているというのか。


「フラれてやんの」

「うっざ」


 姉貴がニヤニヤして新しいジョッキを渡してきたので、それも一気に呷って空にした。


「もう一杯ぐらいいけそうだね。あ、おかわりくれる?」


 通りがかった給仕がすぐに大量にかかえたジョッキの中からひとつを姉貴に差し出した。姉貴はその場ですぐ支払って受け取った。


「いやまぁ、レベッカはまだ可愛げがあるけどさ、正直すっげー可愛いんだけどさ、フィオナがな。俺あいつだけは無理。熊にしか見えない。レベッカ見てるとチラつくんだよな、馬上槍の悪魔」

「あー、確かに上からズバンって一撃の繰り出し方が似てるな……あれほど楽しげに戦うやつはいないな。見てるだけで怖気(おぞけ)がするぜ。おれもう条件反射であの系統の顔見ると萎えるっていうか……」

「それな。声がもう無理。あの高笑い夢でまで見たことある……」

「あれな」


 受け取ったばかりのジョッキはあたしに渡されることはなく、ジョエルとアイザックが頭からかぶることになった。

 いやうん。姉貴はあたしでも無理。顔がいいとかそういう問題じゃない。無理。

 そうか。あたしって姉貴と同じカテゴリなのか。え、どういうこと? いきなり他人に麦酒を浴びせかける姉貴みたいな傍若無人な真似なんて一度もしたことないのに、なぜに。


「なにしてくれとるんじゃコラァ。誰じゃオラァ」


 ものすごい勢いでジョエルが背後を振り返って姉貴の胸倉をつかみ上げる。姉貴は極上の笑顔を浮かべた。


「さっきから随分あたしの話で盛り上がってくれてるようだから、一杯おごり」

「フィオナ、様……ごちそうさまです。お気遣いなく」


 ジョエルはそそくさと手を放したがもう遅い。姉貴はがしっとジョエルの肩に手を回してテーブルを移動する。笑顔だ。こわい。


「遠慮しなくていいから。で、あたしの声がなんだって?」

「夢にまで見るほど……その、いい声だねって……な! な!!」

「……表現は下世話でしたが、フィオナ様の雄々しさ凛々しさには我々のくだらぬ劣情など綺麗に浄化されるということは隊長を始めとする我々の共通見解でして」

「そう! 俺が言いたかったのもそういう……」

「へえ? 熊とか悪魔って雄々しいとか凛々しいって意味なんだ? 興味深いからもっと聞かせて? グスタフも同じ見解なの?」

「……」


 姉貴が楽しそうに二人に絡んでいくのを見送る。うわぁ。上司(グスタフ)よりさらに上のややこしいのに絡まれるなんて、哀れだ。しかし自業自得だから自分でなんとかしてくれ。


 姉貴が席から離れた途端、数人から声を掛けられた。だいたいは馬上槍大会や剣術槍術の訓練で一緒になったことがある顔見知りの軍関係の小父様たちだった。礼儀正しく挨拶したり近況報告を交わしたり成人のお祝いに一杯奢ってもらったり――ジョエルとアイザックみたいな失礼なこともなくゴキゲンに過ごした。


「ねぇ、こっちで飲まない?」


 なぜかボックス席に座っている綺麗なお姉さんたちにまで声を掛けられたけど愛想笑いして手を振り返すだけにした。

 なぜって、派手な服装と化粧の女性のグループなんて、噂でしか知らない娼婦(ヴァンプ)みたいだったから。男のスケベ心を食い物にする夜の蝶。酒場にいるのはそんな女たちばかりだって姉貴から聞いたことがある。そんなご婦人方があたしに何の用があるというのか。

 んん? というかそういうことならあたしも酒場にいるのはあまりよくないんじゃないの? あとで姉貴に確認したほうがいいかな。さっきボックス席で盛るやつもいるって姉貴も言っていたということは確認するまでもない?


 改めて店内を見渡すと、案の定、客の大半が男ばかりだ。特に立ち飲み席では体格のいい男しかいない。帯剣してるのが武官で丸腰なのは市民だろうけど。わずかにいる女性はみな男性を同伴していた。

 ボックス席には綺麗なお姉さんたちと、ローブの集団と、怪しい紳士たちがいて、ちょっと空気が違って不健康な感じだ。姉貴に言われるまでもなく、あちら側にはいかないようにしよう。

 ふとローブを着た誰かと視線が合って、すぐに逸らされた。ローブはみんな灰色だしフードを目深にかぶっていたりするので誰が誰だか判然としない。一瞬、特定できそうな気がしたのに気配は灰色の集団の中で溶けて消える。


「あんた、アルゴス公の婚約者なんだって?」


 目を細めてローブ集団を見つめていたら、ふいに話しかけられたので、そちらを向く。

 ひょろりと背が高く、ごく一般的なコットンシャツにボトムをぶかぶかに着た痩せた男がいた。

 さっぱり清潔そうな身なりだが、使われている素材から貴族でないことは明らかだ。農民でも町人でも軍人でも非番にするような恰好で正体が掴めない。

 男はテーブルに自分の飲み物を置いて気軽に話しかけてきた。


「……婚約者もなにも、婚約に至る前にこちらから破棄したんですが」

「そう? 向こうは未だあんたを婚約者扱いしてるみたいだけど」

「へー。びっくり」

「事実ではない?」

「身に覚えはありませんが」

「なるほど」

「ところで、あなたは……?」

「おっと失礼。俺はブラッドだ。流しの技術者だ。よろしく」


 ブラッドは胸ポケットから一枚のカードを抜き取って差し出した。手品のように優雅な手さばきだ。

 カードにはブラッドの名前と寺院IDだけが書いてある。よくあるような住所や所属は記されていない。あやしい。

 寺院IDがあれば各地の寺院に言伝(ことづて)を残したり寺院同士を結ぶ定期便を利用した物資輸送が利用できるから支障はないんだけれど、住所がないということは素性を隠しているのと同義だ。理由ありの破落戸(ごろつき)だって自白しているようなものだ。


「あちらこちらを移動するから、こちらのほうが都合が良くてね。依頼があればどこでも参上するよ」


 怪しみながら眺めていたらブラッドは苦笑しながら住所がない理由を説明した。思ったことがすべて表情に出てるのかな、あたし。


「技術者って何の?」

「これ」


 ブラッドは人差し指の第一関節と第二関節をくいっと鉤状に曲げる。


「スリ?」

「しないとは言わないけど、そっちじゃないな」


 胡乱げに見るとブラッドは苦笑いする。


「鍵師。鍵を作ったり開けたりする人」

「ドアとか門とか?」

「そういうのもやるけど、専門は箱かな。金庫とか仕掛け箱とか」

「へー」


 鍵付きの箱があれば鍵を探すよりも壊して開けるあたしとは一生縁がなさそうな技術だ。棒読みのような返事をすると察したのかお姉さんにもよろしく、と言い残してブラッドはテーブルを離れた。


「レベッカに紹介したい人がいるんだけど」


 ブラッドと入れ替わるようにタイミングよく姉貴がテーブルに戻ってきた。もしかしたらブラッドのやつ、姉貴を避けてテーブルを離れたのかもしれないけれど。


「ブラッドって人、知ってる?」

「知らない」

「鍵師だって。名刺もらった。姉貴によろしくって」


 カードを渡すと姉貴は一瞥もせずにテーブルの上に置いた。これは持って帰る気ゼロだ。あたしも使うことはないだろうし、仕方ないね。


「そんなことよりさ、今度の竜退治に誘おうと思ってるコがいたの。ちょっと挨拶してくるから、あんたもおいで」

「なんで私まで」

「あんたもメンバーだからね」


 姉貴はあたしの手首を掴むとずんずんとボックス席に向かって歩き出した。いやそっちには近付くなって言ってなかったっけ?! なんて思いながら歩くと、軽い眩暈を感じた。


 あれ?

 もしかしてこれは、飲み過ぎたかも――

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