夕焼けの照らす思い出を
「捕まって!!」
一際大きな荒波にさらわれないよう、僕は懸命に彼女の細い腕を捕まえた。
周りに大人はおらず、懸命に彼女を岩場に戻そうと力を入れる。
力の限りに引き寄せると少しずつ波に抗って、岩場へと彼女の身体は近づいてくる。
そして、
どうにか僕は彼女を岩場に乗せる。
「ありがとう。奏多くん!!!」
足場に戻れて安心したからか彼女は僕に泣きながら抱きついてくる。
「良かった。〇〇ちゃん」
僕の目に映る彼女の涙は、夕焼けに反射して宝石みたいだったことを覚えている。
春の日差しが対面に差し込んでいる。
サッカーコートほどの広さを誇る体育館に座る四人は、つい眩しさに目を細めてしまう。
それでも、僕たちの目は正面にいる二人に向けられていた。
「青い空、白い砂浜、見渡す限りの山々に囲まれた最南小中学校へようこそ!」
「私達は、お二人がこの分校へ来てくれることを凄く楽しみにしていました。来てくれて本当にありがとう」
二人の転校生と校長先生が舞台に上がっている。
恰幅の良さを美徳と唄う僕達の校長先生は、歓迎の挨拶を転校生を横目にそのだみついた大声で挨拶をしている。
「それでは、お二人さん。それぞれ自己紹介をお願いします」
校長先生が隣の女子にマイクを渡す。
はたから見るとその身長差から、熊が美少女を脅しているようにも見えてしまう。
見た目の年は、自分と同じ十四、五歳。
制服を綺麗に着こなしていて、清流のような黒髪は、落ち着いた印象を与える。
少し垂れた目が優しげな笑みを浮かべて、こちらを見ている。
「福島県から転校してきました。高橋穂葉です。よろしくお願いします」
落ち着いた声で自己紹介を行う。
「宜しくね!」
校長先生が応えると同時に拍手が起きる。
少し照れた表情で、はにかみながら高橋さんは隣にいる女の子にマイクを渡す。
春先でまだ暑いとは言えない気温だけれど半袖半ズボンの溌剌とした表情をした女の子が一歩前に出る。
「ええっと、福島東幼稚園からきました。尾野波芽衣です!」
頭をペコリとし、小さな体から元気な挨拶。パッチリとした目はリスみたいに動いている。
久しぶりの新入生で皆に可愛がられそうだ。
エヘヘと笑みを零し緊張を隠すようにこちらを向いている。
芽衣ちゃんが校長先生へマイクを持った右手を精一杯伸ばして渡す。
マイクを受け取る時、おじいちゃんが孫に見せるような顔の緩みが校長先生は隠せない。
「はい、ありがとうございます。二人は元の場所座って良いよ」
穂葉さんが俺の後ろに、芽衣ちゃんは、小学生組の列の一番後ろに戻る。
「はい、じゃあ予定は全部終わりかな。これから生徒も六人に増えて楽しくなっていくと思います。皆仲良くして下さい。これで始業式を終わります」
「「「ありがとうございました」」」
「奏多、教室同じだから高橋さんに場所教えてあげてね」
体育館を出たところで校長先生に声をかけられた為、穂葉さんと一緒に教室へ向かう。
この学校は二十年前までは何百人と生徒がいたらしい。その名残で敷地だけは広く初めての人は迷ってしまうかもしれない。
今や全校生徒六名の我が校では、間違いなく無駄な広さなのだけれども。
横に並んで廊下を歩いていると、高橋さんが話しかけてきた。
「お名前聞いていいですか?」
聞きやすい落ち着いた口調で耳に心地よい声。
「白町奏多です。今年中学二年になります。高橋さん一つ上ですよね。敬語じゃなくても良いですよ」
少し顔を下げて横にいる高橋さんの目線に合わせる。
長いまつ毛と開かれた目、桃色の唇が絹のような肌に映えて写る。
「いえ、敬語がくせになっちゃっているので。気にしないで下さい」
彼女は、照れた表情で首をふる。
「じゃあそのままで。中学生は自分と高橋さんだけだから一年間宜しく頼みます」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
微笑みながらこちらをまっすぐに見つめていた。
古く寂れた校舎の廊下に、暖かな光が差し込んだようだった。
この光は、春の日差しのおかげだろうか?
まだ春先。季節違いの熱を僕の顔は感じていた。
固定式の黒板や蛍光灯の電球がまだまだ現役な僕らの教室に入ると、校長先生が既に教室に入っていた。
校長先生は人手不足から僕たちの担任も兼任していてよくこの教室で授業もしてくれる。
肩にかけたタオルで汗を拭きながら教室の外にある椅子や机を指し、
「お疲れのところ悪いんだが、今自分が外に出してる机や椅子を体育館に持ってってくれないか?」
「体育館で何かあるんですか」
「ああ、歓迎会があるんだよ」
どかっ、とふくよかな身体を治めるように椅子に座りながら答える。
「歓迎会? ですか」
こてん、と小動物のように首を傾げる。
その仕草一つに人を惹きつける魅力を感じる。
「ああ、毎回他所から人が引っ越して来た時は地域ぐるみで歓迎会をするんだよ。その準備をこれからやるんだ」
「学校で地域ぐるみの歓迎会なんて初めてです。」
少し高めの楽しみを込めた声で応えた彼女は、軽い足取りで椅子を運び始める。
僕は机どうしをパズルのように重ね合わせて一回の移動に三つの机を僕は運んでいく。
ふと気づくと、
「凄い、白町君は力持ちなんですね」
憧れの人を見る目で高橋さんがこちらを見ていた。
頬がぽっと赤くなる。
自分としてはそこまで凄いことではないのだけれど、美人な女の子に褒められると嬉しいのは男の子ならきっと分かって貰えると思う。
照れくささから僕は彼女から目を晒してしまう。
「頼りになります」
そんな暖かな言葉を伝えてくれる。
僕は次から机を四つ重ねて運んでいた。
「あの時も君は……」
高橋さんの小さな声は、春風に溶けて僕には聞こえなかった。
体育館に着くと小学校の四人がお喋りしながら準備を進めていた。
オードブルの用意は男子が、飾り付けは女子が取り組んでいる。
僕と高橋さんは、教室から運んできた机や椅子を一列ずつ並べていく。
体育館の広さも畑一つ作れるのではないかというくらい広い。
ちなみに学校の敷地内に体育館以上に大きな畑が二つあり野菜を育てている。
そろそろおやつの時間になる頃には準備が全て終わった。
とは言っても先生と生徒合わせて八人だ。
一日ががりの大掛かりな準備だ。
今は校長先生の奢りで皆でフルーツジュースを片手に円になって座っている。
歓迎会が始まるまでのひと時。
ささやかなご褒美を味わっていた。
円の隅で一人座っている僕に二人分の足音が聞こえてくる。
制服姿な美人さんに、今日の澄んだ空のような半袖水色のシャツを着た女の子だ。
スカートを汚さないように静かに座る高橋さん飲む隣に、女の子もひょっこりと腰を下ろす。
女の子は高橋さんを間に僕を覗き込むと元気な声で、
「ねぇねぇ、穂葉お姉ちゃん、お兄ちゃんに私のこと紹介して!」
と高橋さんの方も向き直した。
あはは、と苦笑いした高橋さんは、
「えっと始業式にも聞いたと思うんだけど、この娘は伊野波芽衣ちゃん。私とは福島にいた時からお家が近くてたまに遊んでたりして仲良かったの」
高橋さんと芽衣ちゃんは体を入れ替えて、
「芽衣です。お兄ちゃんは名前なんて言うの?」
こちらに顔を寄せながら芽衣ちゃんは聞いてくる。
「白町奏多っていいます。よろしくね」
「へぇー、奏多お兄ちゃんって呼んでいい?」
芽衣ちゃんの目線に合わせるように少し下を向いて、
「ああ、良いよ。僕も芽衣ちゃんって呼んで良いかな?」
「うん! いいよー」
向日葵のような笑顔が咲いていた。
この後は、高橋さんと芽衣ちゃんと村の楽しいことや大変なことをお喋りをして楽しんだ。
歓迎会の始まる四時の三十分前。
村の人たちが少しずつ体育館に見え始めた。
地域の過疎が進んできている為、参加している人達はおじいちゃん、おばあちゃんが必然的に多くなる。
子どもが増えることは地域の人達にとっても喜ばしいことなので、地域総出で歓迎会を開いて皆で祝う。
生徒たちは、来てくれた村の人たちを出迎える。
僕と高橋さんは受付の役割をこなしていた。
「すごい、たくさんの人が来るんだね」
隣で高橋さんが驚きを隠せないようにつぶやく。
僕らは体育館に入ってきた人に挨拶をしながら一口千円で会費を受け取っていく。
広い広いと思っていた体育館が少しだけ狭く感じるほどに人が集まってきた。
お偉いさんの挨拶もそこそこに、オードブルをつまみながら好き好きにお喋りをしている。
村長さんや、区長さんらはビール片手に顔を赤くしている。
グレープジュースを片手に僕は体育館の中をぶらぶらと回る。
転校生二人の周りには、近所のおばちゃん達が集まり円になってお話しをしている。
二人の近くには、礼服姿の見慣れない人達も見えた。
転校生達のご家族だろうか?
人混みの中に入ってまでは話しかける勇気もなく、人の集まりから離れた舞台袖の隅に腰を下ろす。
「奏多は、穂葉ちゃんと話さないのか?」
ビールを片手に上機嫌な様子で校長先生が近づいてきた。
僕は、二人の周りのおばちゃん達を見て目を細め小さな声で
「まぁ今は良いかなと、学校始まったらいつでも話せますから」
「ははは、まぁそうだな。」
と校長先生は答えが分かっていたようで、笑いながら返す。
そろそろかな、と校長先生は立ち上がる。
「奏多、そろそろメインディッシュの準備だ。一緒に来てくれ。」
「おっ、あれですね」
自慢気にサムズアップし
「ああ、一昨日狩ったあいつだ。」
大きくうなずいた。
料理上手なおばあちゃんのは家から校長先生が借りた鍋は、一回で今日の参加者全員の量は賄える大きさだ。
男四人がかりで学校の家庭科室から体育館へ運んでいく。
体育館に入ると大勢の人が鍋の中を見て頬を緩めている。
体育館の入り口に中身の汁を溢さないよう鍋を置く。
美味しそうな出汁の香りがただよう。
入り口では、おばちゃん達の質問責めから逃げ出した二人が鍋を見にきていた。
「ほわーっ、すごい!すごい!」
芽衣ちゃんが鍋を見ながら手を叩く。
「あのお肉ってなんですか?」
高橋さんが鍋の中にある肉の塊を見ながら聞いてきた。
「イノシシだよ」
「「イノシシ!!」」
高橋さんと芽衣ちゃんの声が一オクターブ高くなり、顔を僕に近づける。
僕は、二人との距離に照れて少し顔を離し、
「しかもあのイノシシ校長先生が捕まえてきたんだよ」
少し自分が褒められたような優越感を感じつつ校長先生を更に褒める。
「校長先生がですか。すごいですね」
驚きを隠しきれない表情で高橋さんは校長先生を称える。
「ほわーっ」
芽衣ちゃんは、鍋の匂いにつられて花が咲くような笑顔を見せ、鍋の中身を見つめている。
「早く食べたいです。どうしたら食べれますか」
高橋さんも目を輝かせよだれを垂らさんとばかりに、鍋から目を離さない。
すると、校長先生がお玉を持ってやってきた。
「今日は、歓迎会のためにイノシシを村のおじいちゃん方と一緒に捕まえてきました。皆さん一緒に召し上がって下さい」
体育館にいる皆に聞こえる大きな声で言うと、参加者の人が列を作り始める。
「この列に並ぶんですね。並びましょう。白町くん」
高橋さんは縄跳びを飛ぶような軽い足取りで列の一番後ろに入った。
その後ろに芽衣ちゃんがちょこちょこと小走りで並ぶ。
僕も二人の後ろに並んで待つ。
校長先生や、おばちゃん達が汁物を素早く紙のお椀に注いでいく。
僕らの番になった時、校長先生はサービスだぞとお肉を多めに入れてくれた。
「やった、ありがとう! 校長先生」
太陽のような笑顔でお礼を言う芽衣ちゃん。
校長先生の顔は緩んだ表情を隠せない。
イノシシ汁を両手に持ってアチアチ言いながら空いている席を探す。
日差しが入る窓の近くに、四人がけの四角い机が空いていた。
正面に高橋さんが、その隣に芽衣ちゃんがニコニコしながら座る。
「さぁ、頂きましょう」
割り箸を割りながら満面の笑みを浮かべる高橋さん。
「ふーふー、熱そうです。」
箸で挟んだお肉に息を吹き、熱を覚まそうとする芽衣ちゃん。
二人を見ながら僕もイノシシ肉を食べ始める。
イノシシ肉は、拳ほどの大きさで汁をたくさん吸って滴り落ちている。
お肉を口に入れると肉汁が口の中に広がる。
更に汁の味が染み込んでくる。
少し硬めのお肉だけれど噛めば噛むほどお肉本来の味が流れてくる。
汁もお肉や、人参、大根の味が染み込んでおり、飲んだ心と身体を温めてくれる。
「ふーっ」
思わず息が溢れる。
約半年前の学園祭ぶりに飲むイノシシ汁は、やっぱり美味しい。
校長先生もイノシシは、年に数回しか捕まえて来ないため貴重なご馳走だ。
目の前の二人も食べることに集中して静かに味わっている。
「美味しかったー」
汁まで全て飲み干した芽衣ちゃんはご満足だ。
「味が染み込んでいて美味しかったです。」
高橋さんも食べ終え、僕や芽衣ちゃんの分もゴミを片付けている。
「ありがとう」
「いえいえ、お気になさらず」
笑みを崩さずに、手際良く高橋さんは片付けを終える。
ふと、舞台を見ると校長先生がマイクを片手に立っている。
「さてさて、皆さんいい感じに盛り上がってきたでしょうか?」
いぇーい、楽しいぞーっ、と舞台袖のお酒を飲んでいる人達が盛り上がりを見せる。
「ここで残念ながらそろそろお時間でして……」
一呼吸校長先生は置くと
「公民館での二次会を開きます!」
その一報に待ってましたと呑んだくれの男共から歓声が挙がる。
「参加する人達は公民館への移動をお願いします」
校長先生の声でぞろぞろと大勢の人が移動を始める。
僕は高橋さんの方を振り向き、
「公民館行く?」
もう少し一緒に居たいという期待を込めて聞くと
彼女は少し離れた両親であろう人たちの様子を確認し
「お母さん達も行くみたいなので、行こうかな」
とこちらに目を向けた。
嬉しさを隠しながら
「じゃあ公民館まで案内するよ」
気持ちが足取りを軽くして、僕は彼女の少し前を歩いていく。
夕暮れと呼ぶには少し遅い時間帯。
一番星がはっきりと見えている。
体育館の裏から通り、公民館へと続く細い砂利道の海沿いを僕たちは歩いている。
大通りは酔っ払いの人達でいっぱいの為、この細道を選んだ。
芽衣ちゃんは、疲れてしまったと母親と一緒に帰った為、僕と高橋さんの二人きりだ。
少しの下心を込めて、この道を選んだもののいざ二人きりになると話が出来ない。
さざ波の音だけが聞こえる。
彼女の顔は海を向いており、表情を窺うことは難しい。
「懐かしい」
波の音と一緒に、彼女の声が聞こえる。
「懐かしい? 高橋さんって前にこの海来たことあるの?」
「うん、一度だけ」
「へぇ、遊びにですか?」
「うん、凄く良い思い出……」
「そっか」
少し出てきた月の光が僕たちを照らす。
明かりの灯を見つけると共に、盛り上がっている声が聞こえてきた。
公民館へと近づいている。
裏道だけあって少しずつ足場が悪くなる。
急な下りになっている道を彼女を先頭になってゆっくりと降りていく。
足下が暗い。
「あっ」
高橋さんが足を踏み外して体が地面に倒れそうになる。
「捕まって!!」
とっさに右手で彼女の細い腕を捕まえる。
「あ、ありがとう、奏多くん」
下を向いたまま、高橋さんは座り込んだ。
「大丈夫? 高橋さん」
僕が腰を下ろすと
「うん、大丈夫。助かりました」
そう言った時の高橋さんの表情は、暗くてよく見えなかった。
この後二人とも黙り込んだまま、公民館へと足を進めた。
二次会の間、僕は高橋さんと喋ることが出来なかった。
僕の顔を見ると彼女は目を逸らして僕から離れているように感じたのは気のせいだろうか?
二次会の片付けも終えると、高橋さんが公民館の入り口の円柱に腰掛けて休んでいた。
僕は勇気をかけて高橋さんに近づくと
「歓迎会楽しかったですか?」
彼女は一瞬驚いた表情を見せる。
すぐに落ち着いた声で、
「はい、楽しかったです。」
遮るものは何もなく、真っ暗な夜空に瞬く星を彼女は見上げながら静かに答える。
僕も空へ目を向けて
「良かった。これからもこの村を楽しんでもらえたら嬉しいです。」
「はい、楽しみにしてます。」
夜の寒さが今だけなぜか暖かい。
高橋さんがくちゅん、と可愛らしい咳をした。
「そろそろ帰りましょうか」
僕が高橋さんのお家へ一緒に送る。
高橋さんのお家に着くと
玄関に大きな写真が立ててあった。
夕焼けに照らされた四、五歳くらいの男の子と、ショートカットの泣いている女の子が手を繋いでいる。
「えっ、ちょっとお母さん。写真!」
高橋さんが慌てて身体を入れて隠す。
顔を赤くしながら部屋の奥へ写真を移動している。
「白町くん、ごめんなさい。外で待っていて貰えますか。」
「う、うん」
焦った様な声に押されて外に出る。
少しの間僕は玄関の外で立っていた。
「ごめんなさい。白町くん」
まだ顔の赤い高橋さんが玄関から出てきた。
赤くなった顔も可愛らしさは変わらない。
「大丈夫? 高橋さん」
二、三回深呼吸をし、
顔色が戻ってくると僕の目をしっかり見て
「大丈夫です。ありがとうございます」
「良かった」
なんとなく見つめられるのが恥ずかしく、目を逸らしてしまう。
少し離れた距離のまま、
「じゃあまた明日」
と僕が手を振ると、
「はい、また明日」
と高橋さんも応えてくれた。
僕が家に向かって踏み出した時、
「あの時の写真、ずっと飾っているだなんて、恥ずかしくて言えません。」
そんな空耳が聞こえた気がした。
高橋さんと仲良くなれたらいいなぁ