第2話「コード名:エンチャント」
学生寮の前は校舎。名は聖グリモワール大学付属第一高校という。
最大の特徴は基礎課程修了後、「授業」が無いこと。教師が気まぐれに開く講義に参加するもよし、図書館で学びを深めるもよし、練習用のダンジョンでレベルを上げるもよし。何をするのも自由。ただし、一定期間内に指定の対象を討伐できなければ留年か退学だ。
俺は旧校舎の一角、小さな講義室へ向かう。まるで片田舎の寂れた学校だ。
渋いドアを強引に引いて中へ入ると、生徒は誰一人としておらず、先生だけが教卓に着いていた。
「おー、今日も懲りずに来たか。歓迎はしないが、ゆっくりしていけ」
この人はプリシア先生。本講義の担当講師である。
毎度の事ながら、やる気があるのか無いのか。教卓に頬杖をついて、ぶっきらぼうに言ってくれた。
「おはようございます、プリシア先生。今日もよろしくお願いします」
「ん、挨拶は良し。だが大切なのは結果だ。ストイックに行けよ、少年」
なるほど、言っていることは格好いい。問題は本の扱いか。何冊も重ねてその上に座り、無理に教卓へ頬杖をつくのである。
今年28歳の先生はとても小柄だ。自称150cmらしい。背丈に加えて、可愛らしいピンク色のショートヘアーがより一層幼く――いや、若作りに拍車をかけてしまっている。
――ある意味、ストイックか?
おっと、つい本音が。だが心の中で収まったから良し。聞こえてしまったら最後、へそを曲げて休校にされるだけなら儲け物、二度と開講しないと言われる可能性すらある。この講義は不人気で、どうにか頼み込んで開いて貰っているのだ。注意しないと。
「今日は一体何を?」
「喜べ、少年。先日のテスト結果から、お前は支援魔法の基礎を習得し終える一歩手前に立ったと言えるぞ」
支援魔法の基礎とは回復魔法。具体的には傷を癒すヒールのことだ。
「一歩手前というのは?」
「ヒールなんて、とよく言われるのは知っているな?」
「はい。優れたアイテムが多数ありますから」
支援魔法の講座が寂れているのは、安価なポーションで解決できるためだ。
安価とはいくらか?
なんと駄菓子ほどの金額だ。ケチる理由もない。
お陰で魔法士たちは攻撃や防御の修練に時間を割けるようになって、総合的に見て成績が向上したと聞いている。
これは余談だが、ポーションが安価になった当時は革命的だったそうだ。それはいい。問題は技術革新の裏では必ず朽ちる者もいるということ。これまで支援魔法を主として扱っていた者の大部分が、転職か、はたまた引退してしまったという。
それから10年。
今や純粋な支援魔法士は絶滅したとさえ言われる中、先生は支援魔法士を貫いてきた。時代の流れに負けず、周りから色々言われてもめげず、ずっと、ずっとだ。
「あれは錬金術師たちの執念の成果だ。とやかく言うのはお門違い。むしろ、高みを目指すという観点からすれば称賛せねばならない」
しかもこんな事まで言うのだ。嫌味は一切感じられない。心からそう思っているであろう口調で。
だからこそ俺は先生を尊敬する。その教えを一言一句たりとも聞き逃したくない。
「はい、肝に銘じておきます」
「だが……少年、引き返すなら今だぞ?」
先生がしみじみとした声で問いかけてくる。いきなりどうしたというのか。
「はっきり言おう。支援魔法は今後、間違いなく廃れていく。図書館でさえ支援魔法に関する文献を片付け始めている」
「はい、それは……実感しています」
教わるだけじゃ駄目。本気で学びたいからと、何度も図書館に足を運んでいるが……支援魔法に関する文献は本当に見付けられない。図書館の職員ですら把握していない場合がほとんどだ。
「ヒールは極めて単純だ。単純が故にすぐ頭打ちになったと誤解されやすい。色々と発展させる余地があるのに目を向けられず、そんな暇があるなら攻撃魔法のひとつでも磨いた方がマシと言われるのが現状だ」
そう、ヒールは容易に習得できてしまう簡単な魔法だ。使うだけなら、学生の俺でさえ1時間とかからなかった。きちんと魔法を学んだ人ならもっと短時間で習得できてしまうだろう。
「本音を言うとな……」
先生は遠くを見つめた。その表情はとても寂し気で、悲し気で。まるでここにいない誰かを見ているような気がした。
「支援魔法を習得したいと言う奴はこれまでもいたんだ。でも1人残らず脱落していったよ。無理もない。支援魔法は文献がほぼ残っていない。やるなら独学だ。当然、成長速度は遅くなる。卒業試験に間に合わなかったり、劣等感に苦しんだりと、色々とあったものだ」
「……なるほど」
成長が遅い。
言葉にしてみるとはっきり分かる。俺もまたそう感じていた。焦っていた。だからミノタウロスの夢を見て、挫けそうになって。
「お前は数年振りの生徒だったよ。嬉しかった半面、お前で最後かもしれないとも思った。だからこれまでで一番厳しく教え込んだつもりだ。脱落したらそれでいい……と考えてな」
「でも、俺は基礎習得の一歩手前まで来たんですよね?」
「……ふ、そうだな。あぁ、本当にそうだよ」
先生は静かに笑い出す。
悔しかったんだろう。自分の信じた支援魔法が廃れていくのが。
思い返すと、先生は確かに厳しかった。この1か月、ヒールとは何か。その成り立ちから術式の構成、魔力運用、魔法陣の生成まで、一切の妥協無く叩き込んでくれた。それはもはや支援魔法というよりも、魔法そのもの勉強でもあった。このレベルで学ぶ生徒なんて俺の他にはいないだろう。
「何を言っているんだろうな、私は。まさか生徒に弱みを見せる日が来るとは思わなかったぞ」
「でも、先生の気持ちは痛いほど伝わりました」
「ふん……言ってくれるじゃないか」
先生の目に力が戻った。ニヤリと口角を吊り上げる。
「気が変わった。ここまで来たんだ。何があっても上へ行くぞ。今さら逃げようとは思うまい?」
「はい、勿論です!」
「良い返事だ。失望させてくれるなよ?」
ピッ、と1枚の紙切れを放られる。これは「コード」だ。
魔法は、魔法式を魔法陣へ入力することで使用できる。
魔法式は数式に似ている。特有の文字や数字を並べることで形成されており、その構成は以下のようになる。
まず基本となる起動式を選択する。由緒ある家柄なら独自の、俺は一般的なマーリン式を採用している。
次に「コード」を挿入する。これが魔法を魔法にする最も大切な部分で、具体的な作用を決める。ヒールなら傷を塞ぎ、火属性魔法なら焼き尽くすといった具合だ。
そして対象の決定。ヒールなら味方を、攻撃魔法なら敵を選択する。
それから必要な魔力量を決定し、最後に魔法陣への入力で締めて完成だ。
「そいつが何を意味するか読み取れるか? いや、読み取ってみせろ」
「わかりました」
系統は支援。対象は自身、もしくは他者。限定されていない。ここまでは簡単に解読できる。問題は具体的に何ができるのか。
作用の仕方から推察するにヒールとは全くの別物だ。回復魔法特有の、体内から湧き出して染み渡るようなタイプじゃない。そう、言ってしまえば上から押し潰すイメージ。攻撃魔法に似ている。
いや、待て。少し違う。「降りかかる」という点では類似しているけど、これは覆うような形。宿す、とでも言えばいいのだろうか。
メタ的な思考をすれば、これは支援魔法だ。攻撃的な干渉とは考えにくい。そうなるとステータスアップのような補助魔法か。
「……まだ、先がある」
理解した、と結論付けるのはこの謎に触れてからにしよう。
先ほど、魔法式は数式に似ていると言った。数式は可能な限り短い方が美しいとされる。魔法式も同様で、短ければ短い程に優秀とされる。余剰な文字列、余分なスペースなどは極力排除すべきだ。
その点からコードを見ると、謎の「自由度」が変数によって確保されている。目的が無いのなら無駄な領域。まぁ、支援魔法は廃れているから、誰も最適化していない可能性もゼロではないのだが。いや、先生の事だ。何かしら意味があるはず。
――落ち着け。
廃れているとか、先生がどうとか、こいつには全く関係ない。コードにだけ、その本質にだけ目を向けろ。この自由度は残っているのではなく、わざわざ確保されていると考えろ。
「先生、ノートを開いてもいいですか?」
「あぁ、好きにしろ」
何かヒントがあるかもしれない。日々、図書館に通って気になる本を読み漁り、参考になりそうな知識をまとめているから。
ページをめくっていき――あった、これだ。
内容はステータスアップ。自由度を確保しておけば支援するポイントを分配できるのだという。例えば攻撃に5、防御に5と基本値を設定しておいて、相手の強力な攻撃に合わせて攻撃を0、防御を10と再分配できるらしい。
この自由度はそれなのか――?
じっと見て、考えて、違う気がした。自由度がやや広い。数値を設定するだけなら、今の俺ですらもっと短いコードに仕上げられる。
他に何を?
数値じゃない。数値よりも大きな情報――
――あ
この魔法はまさか。
「まさか……エンチャントですか?」
「あぁ、正解だ」
エンチャント。
被術者に対して属性を付与し、攻撃、防御両面から支援する魔法。本で名前と実際の効果は知っていたが、これがそうなのか。
「物にして見せろ。支援の本質を掴む第一歩にもなる」
「支援の……本質……?」
「もう多少は触れただろう? 今、この時間でも」
そうか。
今、俺はエンチャントだと理解するまでの間にステータスアップのコードすら使えるようになったと言える。確かに、もっと理解を深めていけばまた発見があって、更なる高みへ上れるだろう。
「教えて貰おうなどと甘えるな? お前の選んだのは茨の道だ。手本なんて無い。いつの日か、自分自身で新たな魔法を開発する時が来る。予行演習と思え」
「わかりました。必ず俺の力にしてみせます!」
「いい返事だ。期限は1週間とするが、試作品が完成したらいつでも見せに来い」
「はい、よろしくお願いします!」
エンチャントか。こいつがあれば属性面でミノタウロスにも有利に立てる。もっとネイの支援ができる。
「少年、ストイックさを忘れるな?」
顔に出ていたのだろうか。いけない。欲望が先行しては柔軟な理解を妨げてしまう。1か月もかかったヒールで痛いほど味わったじゃないか。今だってそうだ。メタ思考で支援魔法の講義だから、と考えてみたり、ステータスアップの個所しか見なかったりした。この気付きは、そういった思考の偏りを意識して減らせたから得られたもの。何かがズレていたら迷走しただろう。
「気を付けます」
ミノタウロスの件は一旦保留だ。奴の打倒は確かに大事だけど、最優先なのはネイのサポート。今後の戦いも見据えて、柔軟な理解をしなくては。
「あぁ、それでいい。ところで少年。飴を持っていないか?」
出た。安い授業料の要求だ。
昨日の内にブレザーのポケットに忍ばせてある。イチゴミルク味のやつを。
差し出すと、先生は外見相応の笑顔を浮かべた。
「おぉ、いつも悪いな。これで面倒な会議も乗り切れる」
「あれ、今日はもう終わりですか?」
いつもなら支援魔法士とは何なのか――という講義が始まるところ。どれもこれも本では知れない体験談ばかりで、とても楽しみにしていたんだけどな。
「ゼノビアの奴が第13階層を突破しただろ? お陰で招集だよ、まったく」
「あぁ、特別選抜教導ですか」
それは言うなればエリート学生向けの指導だ。学校の特徴である「自由」に反する内容だが、国からの強い要望故に仕方なく実施されているのだとか。
「そうだよ。ゼノビアの奴は根が真面目だからな」
「まぁ、あの先輩ですから」
もっとも、具体的な内容までは指定されないらしい。生徒の要望に極めて良く合わせる為だそうだ。そのため会議は、本人が不要とすれば雑談会。逆に必要とすれば、希望に沿えるよう熱心な指導計画を練る場になると聞いている。
「そういう訳だ。じゃあな、達者でやれ」
「はい。ありがとうございました」
時計を見ると、まだお昼には早過ぎた。どう過ごしたものか。ネイはロードワーク中だろうから、図書館にでも――
教室を出た直後の事だった。
「あぁ、ここだったんだね、シン君」
話題のその人、ゼノビア先輩に出会ったのは。