今楽にしてやる
アダンの体は蟲の体液にまみれていた。
リュシオルだった蟲との戦闘が始まって、どれくらいの時間が経過しただろうか。アダンの頭上から、前後左右から、地中から、彼の命を刈り取ろうと無数の蟲たち襲い掛かる。飛びかかる無数の蟲を斬り捨て、素手で叩き潰し、胴を両断し、手足や首をもぎ取る。
「ハァ…ぁ……」
人から離れたアダンの体も、無尽蔵に力があるわけではない。空を覆う厚い雲の向こうに、陽の光が感じられ始めてなお、蟲たちの攻勢は収まらない。戦い始めてから一度も蟲の攻撃を受けてこなかったアダンだが、徐々に蟲たちの牙が、爪が、鎌が、鋏が、針が、彼の体にかすり始める。
「……ぐぅっ!」
アダンの肩に鎌が突き刺さった。だが、彼はわずか呻いただけで、すぐさまその鎌を切り落とし、返す刀で鎌の持ち主の首をはねた。首を失った蟲を押しつぶし、転がり迫る蟲の甲殻に拳を突き出し、その堅牢な甲殻を砕き、貫き、臓物を引きずり出す。甲殻に打ち付けられた拳骨からは血が噴き出たが、ほんの数秒でその血は止まる。蟲たちの攻勢がわずかに緩まると、アダンは宙に浮かぶかつての仲間を見上げた。
「待ってろ、今楽にしてやる……!」
アダンは蟲の体液で濡れた顔で、下手な笑みを浮かべた。だがその笑みは痛みですぐに崩れた。新たに現れた蟲たちがアダンに襲い掛かったのだ。アダンの動きは明らかに鈍くなっていた。数十の蟲に囲まれて対処できる体力は残されていない。
アダンはついに膝をつき、その隙に彼の体に無数の針や牙が食い込んだ。食らいつく蟲たちを振り払い、数匹を斬りつけるが、蟲たちの勢いは止まらず、アダンに覆いかぶさり己の得物を突き刺す。アダンは全身に力を込めて抵抗するが、立ち上がることはできなかった。
「ぐ……あ……」
もう終わりだ、助けに来る仲間はもういない。マイとコーラカルはどこにいったのだろうか。ああ、それよりもリュシオルだ。彼に謝りたい。自分があの時、もっと何か策を講じていれば、あんな醜い姿にはならなっただろうに。焼いてやればよかったのか、首をはねればよかったのか。ああ、本当にすまない。蟲になったリュシオルはこれからどうなってしまうのだろうか。玩具にされるとコーラカルは言っていた。それはきっとリュシオルにとって耐えがたい苦痛だろう。
自身の死に瀕してなお、アダンは頭上に浮かぶ仲間を想った。これから死ぬ自分のことなど、もはやどうでもよかった。
「う……!」
アダンは自身の血と、蟲たちの体液で汚れた顔を無理やりに上げ、変わり果てたリュシオルに視線を向けた。喉の奥からごぽりと湧き出る自身の血に乗せて、アダンは小さく「すまない」と呟いた。もはや体に痛みは感じない。アダンは顔を地面に埋め、死を待った。
「……?」
だが、その時は訪れなかった。体に痛みを感じなくなったのではなく、蟲たちが攻撃を止めたと気づくのに少し時間がかかった。自身の周りに居る蟲たちは困惑したように頭を振り、よたよたと足や羽を動かしている。
状況がつかめないアダンの前に、リュシオルだった蟲が降り立った。体のところどころが膨れ、その先端が不気味に発光している。思わず目を背けたくなるような醜悪な姿。それでもなお、醜く膨れた顔の一部からは、彼本来の美しい少年の顔は見て取れた。蟲はアダンを見下ろし、その整った口元を動かした。
「……ア、ダン」
「……!」




