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苦痛の帰路


 アダンは街からアカリたちの元へと戻って来ていた。


 普段ならばそれほど時間もかからず帰ることのできる道だったが、満身創痍のアダンが戻ってくる頃には、陽は既に高く昇り、これから傾いていこうとしていた。厚く広がった雲が陽の光を遮り、アダンたちにはそのことが分からなかった。


「アカリ……今、治療してやる……」


 アダンは比較的綺麗な布を引き裂くと、オリーブの油をそれに浸み込ませた。十分に浸み込ませると軽く絞り、アカリの患部に巻きつけた。


「ぁ…ぅう……!」

「染みるか? ……染みるよな、すまない……」


 医療品の中に火傷の治療に使えそうなものは無かった。気休めにもならない応急処置だったが、これしかアダンにはできなかった。腕の肉の奥深くまで焼けている彼女にできる処置などアダンは知るはずもなかった。アダンは唇を噛み、アカリの頭を撫でた。


「すまない……」

「アダン様、これからどうなさるおつもりですか」

「……」

「……絶望、してしまわれましたか」


 アダンはゆっくりと顔を上げ、そしてはっとした。

 人形のようにきれいな顔が、悲し気にゆがめられていたのだ。


「そんな顔、できたんだな」

「顔……表情が出ていましたか」


 アダンがそう言うとコーラカルの表情は、いつもの人形のような無機質なものに戻ってしまった。


「私にも、感情が戻って来たようです」

「戻って来た……?」

「僅かですが、思い出しました。私はある方に、私の感情をお渡ししてしまった……それが誰なのか……ああ、貴方たちによく似たお方でした……強く、優しく……」


 コーラカルは夢でも見ているかのように、うつろに言葉を紡いでいた。アダンは黙って言葉の続きを待っていたが、彼女はそれきり口を開くことは無く、ただ心配そうな瞳をアダンたちに向けている。


「そんな顔するな」

「どのような、顔でしょう」

「心配するような、そんな顔だ……そんな顔は嫌いだ。お前の……みんなの笑った顔が見たい、俺はそれだけで……」


 アダンは掌で顔を撫で、ゆっくりと息を吐きながら立ち上がった。


「マイたちのところへ戻ろう。リュシオルも治療しないとな」


 アダンはそう言って立ち上がり、ふらつく足取りで巨人の近くまで歩み寄り、「いけるか、オー?」と話しかけた。巨人が唸り声を上げて立ち上がると、あたりに青い血の飛沫が散った。彼の傷をふさげるほどの清潔な布はどこにもなかった。それでも巨人は歩き始め、アカリを守るように前に立ってゆっくりと進み始めた。アカリはコーラカルの腕の中で、痛みに呻きながら、浅く短い呼吸をしている。


 アダンたちは死の匂いを漂わせながら、出発した。


 希望などなかった。

 ただ、絶望を拒絶するために、アダンたちは歩を進めた。


 マイたちの待つ聖堂街へ向けてしばらく歩いていると、蟲の気配がした。アダンはアカリの小さな拳銃を手に辺りを警戒した。蟲の体液は残っておらず、背中に背負ったルカーノの刀は大きすぎて疲弊しきった今のアダンでは振るえない。彼の手に握られた小さな銃だけが頼りだ。

 アダンは奇妙な感覚にとらわれていた。自身の周りにいくつもの目が宙に浮いたまま、四方を観察しているような感覚だった。まるで、自分と感覚を共有した蜂の大群が周りを飛び回っているような、そんな感覚だ。

 アダンは一瞥することもなく茂みに向けて銃を構え、引き金をひいた。放たれた碧石の弾丸は茂みに潜んでいた蟲の急所を捉え、蟲は身じろぎ一つできないまま倒れ伏した。二発、三発と茂みや木の上に向けて飛んでいく弾は、的確に蟲を貫き、その命を抜き取っていく。

 ほんの数秒のうちに、アダンの周りにはいくつもの蟲の死体が転がっていた。アダンは死体から体液を集め、次の戦いに備えた。


「お見事です」

「……行くぞ」


 研ぎ澄まされている人外の感覚とは裏腹に、アダンの体はぼろぼろだった。声を出すだけで喉が切り裂かれるように痛んだ。一歩進むだけで全身が崩れ落ちていくような痛みを感じた。腹部から骨をどろどろに溶かしていくような痛みと熱を感じた。足の傷口から神経を引っ掻き回されるような痛みが上ってきていた。それなのになぜか、体は動くのだ。

 エフィの死体を前に、コーラカルの眼差しを受けて、奮い立たせてきた精神も摩耗し、今すぐにでも叫びだし、発狂したかった。だが、後ろを歩くコーラカルと、その腕に抱えられたアカリという守るべき存在が、アダンの正気を無慈悲につなぎとめていた。前を進む、残酷なまでに頼もしい巨人の背を頼りに、歯を食いしばりながら歩を進めていくしかない。

 一歩進むごとに体が崩れていくようだった。皮や肉や骨までも崩れ落ち、その内側から狂ったおぞましいものが出てくるような恐怖があった。


「アダン様、今日はもう休みましょう」


 気が付くとあたりは暗くなり始めていた。アダンは返事もせずにその場に膝をついた。視線の脇に、コーラカルの姿が見える。アカリを降ろし、焚火を起こし、最後の蟲除けの草を焚いている。

 膝をついた姿勢のまま、少し視線を動かせば、巨人のオーが倒れているのが目に入った。砂煙を上げ、うつぶせのまま動かない。コーラカルが駆け寄り、何事か声をかけると反応はあった。だが立ち上がることはできないようだった。

 コーラカルがこちらを向いた。


「アダン様、どうぞお休みください……」


 美しく清涼なコーラカルの言葉に、アダンはそのまま前のめりに倒れ込んだ。全身を襲う不気味な痛みの中、コーラカルが自分を仰向けに寝かせてくれるのが分かった。


 痛みに包まれたまま、アダンは深い眠りへと落ちていった。


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