逃げるな
今度こそ自分は死ぬんだと、アダンは理解した。
万策つきた。もう打つ手は無い。ぼやけた視界の中、自分の指先から蟻たちに食われていくのが分かった。痛みも恐怖もなかった。ただ、アカリとコーラカルの身に起こる悲劇だけが気掛かりだった。
「――――!」
ぼんやりと閉じていくアダンの意識は、急激に全身を襲った光と熱に引き戻された。かすむ視界を持ち上げると、小さな背中がそこに見えた。
「アカリ……」
「うわああああああ!」
アカリは両の手から火柱を立てながら悲鳴にも似た叫びをあげた。小さな腕の何十倍もの大きさの炎はアカリ自身の体ごと蜂たちを焼き落としていく。火柱は蜂を飲み込むたびに大きくなり、その色を青く、白く、そして黒く変えていった。
「燃えろ! 燃えろおおおおおお!!」
裏返り、悲痛な悲鳴となった叫びともに炎はアカリと蜂の全身を覆いつくした。数秒後に炎は消え去ると、墨と化した蜂たちを前に、アカリだけが立っていた。その小さな体の皮膚のほとんどが赤く焼け、両の手は神経まで焼け皮膚の下の青白い肉を晒していた。
「アカリ……」
アダンが声を出すと、彼女は糸の切れた人形のように地面に倒れた。アダンはなんとか起き上がり、彼女に息があることを確かめた。アダンは彼女のそばに落ちていた小さな銃を拾うと、焼け焦げた蜂たちの方を向いた。
「……ッ!」
炭化した蜂達の中から人影が起き上がった。子供のような小さな人型の蟲――蜂の本体だ。炎の中、とっさに他の蜂たちで自身を守ったのだろう。だが、完全には防ぎきれなかったようで、体の所々は焼け焦げ、煙が上がっている。
蜂は近づいてくるアダンに気がつくと、体を震わせ薄く透き通った羽のような物を背中から生やした。襲い掛かってくる、身構えたアダンだったが、蜂はアダンに背を向け、よろよろと空へ浮き上がった。逃げようとしている。
その瞬間、アダンの胸の内にどす黒い炎が宿った。あれだけの人を殺しておきながら逃げるつもりか、絶対に逃がさない、ここで殺してやる。胸の内に沸き起こる黒い衝動のままにその足を動かした。蜂が振り向き、その子供のような顔が怯えているように見え、アダンは銃を構えて叫んだ。
「逃げるんじゃねえ!」
アダンは引き金をひき、銃弾が蜂の羽を貫く。蜂はわずかに顔をゆがめたが、浮力までは失っていないようだった。ふらつき、時折地面に落ちそうになりながらも上空へと浮かび上がっていく。アダンは咆哮し、銃を何度も放つが、彼の身体も限界だった。上手く狙いが定まらず、鉢の逃亡を阻止することができない。
「くそ! ふざけるな! 降りてこい!」
当然アダンの叫びは聞き入れられることは無く、蜂は既にアダンの銃の射程範囲外まで上昇していた。子供のように小さな蜂は上空からアダンを見下ろし、ほっと安堵したような顔になった。アダンに背を向け、一秒でも早く彼から離れようと羽を動かした。
次の瞬間、蜂の胸が撃ち抜かれた。
蜂は目を見開き、自身の胸に手をやった。
どろどろと黒く濁った体液があふれ出る。
蜂は目を見開いたまま、地面へと墜落した。
撃ったのはアダンでは無い。
アダンは呆然と、弾の飛んできた方を――崩壊した街を見ていた。
「……エフィ、なのか――?」




