勘違い
百足がこちらにやって来る。
地面はいよいよ激しく揺れ始め、百足の身体もはっきりと見えてくる。醜悪な見た目だった蜻蛉とは違う、茶色く鈍く輝くだけの巨大な塊。死、というものを形にしたら、恐らくこういう色になるのではないかと言う。それがこちらに向けて迫ってくる。
だが、アダンたちにはそれを恐怖する余裕はなかった。ただ愚直に武器を構えて迎え撃つ。それだけしか頭に無かった。あと百数メートル、数十メートル、十数メートル。あと――。
「今だやれ、オー!!」
巨人は雄たけびを上げ、巨大な刀剣を百足の頭部に振り下ろした。オーの渾身の一撃は百足の頭部を捉え、その頭を真っ二つに引き冴いた。百足は頭部を両断され、そのまま倒れ伏す――かと思われた。だが、アダンも巨人も、腕から伝わる感触に違和感を覚えた。目の前で百足の頭部は確かに割れた。だが、手ごたえが無さ過ぎる。
「オ……」
「まさ、か……」
アダンたちは勘違いをしていたのだ。目の前に迫る蟲は百足ではなかった。何千、何万の蟲が寄り集まり百足の形を成していただけなのだ。頭が割れたのではなくとっさにかわしただけなのだ。
この蟲は百足ではなく――蟻だったのだ。
(……ッ!)
アダンとオーは手にした刀剣を盾代わりにして、蟻の激流に耐えた。打ち付けられる蟻たちが、二人の皮を裂き、肉を食いちぎっていく。ひとつひとつの傷はほんの僅かなものでも、それが何十、何百と集まれば無事ではすまない。幸いなのは精密な動きはできないということだろう。蟻たちは勢いのまま、通り過ぎ様にアダンたちに攻撃を加えるのみで、一度で深い傷は与えられないようだった。だが、薄く広く全身が傷つけられ、アダンもオーも全身が血に塗れていた。
朦朧とする意識の中、アダンは通り過ぎた蟻に目を向けた。
そこで、目が合った。
相手に目があるかは分からなかったが、確かに互いの存在を認知した感覚がアダンにはあった。黒い蟻の流れの中に、子供ほどの大きさの存在が、激流の最後尾に、確かに居るのがアダンには分かった。
蟻の攻撃が止み、アダンとオーは倒れ込んだ。オーが庇ってくれたため、アダンの傷は致命的ではなかったが、巨人は腕からも足からも、異形の青い血を噴き出させ、黒と黄色が混じりあったような骨までも露出していた。アダンは立ち上がり、横たわる巨人に駆け寄った。
「オー! ……すまん!」
「オーちゃあああん!」
倒壊した建物の瓦礫の中からアカリが飛び出し、オーに駆け寄った。コーラカルも続けて瓦礫の中から現れた。
「嫌だよオーちゃん! 死んじゃだめぇ!」
「アカリ……」
「もう嫌! 嫌だよぉ! 皆死んじゃう……死んじゃうよお!」
オーに縋り付き泣き叫ぶアカリの肩越しに、蟻たちが反転してきているのが見えた。ぞわぞわと集まり、もう百足の形すら整えずにこちらに向かってきている。
「聞いてくれアカリ」
「いや、いやあ……!」
「聞けアカリ! オーに命令するんだ!」
「な、なんて……?」
「……もう一度だけ、オーには盾になってもらいたい」
「……なにいってるの! 嫌!」
「奴らの本体を見つけた。大体の位置も分かる。俺はもう蟲の体液をほとんど使い切った。俺一人じゃ奴を殺す前に死ぬ!」
「でも、でも……!」
「頼む、それしかないんだ!」
アカリは瞳に涙を溜めてオーを見ていたが、蟻たちが迫る地鳴りが聞こえ始めると、意を決したように巨人に声をかけ、アダンのいわれた通りにするよう頼んだ。オーは青い血を滴らせながら起き上がり、落ち窪んだ頭を縦に振った。
「今回は自分の身を守ることだけ考えてくれ」
アダンが言うと、オーは低く唸って答えた。それから心配そうに見上げるアカリに気がつくと、暗く光る瞳を歪ませて笑い、アカリの頭を太く大きな指で撫でた。アカリは自分の髪に青い血がついたことに気がつき、瞳から涙を零れさせた。
「いい笑顔だ、オー」
アダンの言葉にオーはもう一度笑い、握っていた巨大な体液の剣を地面に突き立てた。その剣を押さえつけて固定すると、巨人は自身の体と剣の間にアダンたちを入れて守った。アカリは小さな銃を手に持ち、コーラカルはそんなアカリを抱きしめ守っていた。アダンは剣とオーの間で、背負っていたシガールの碧石の刀を握りしめた。
(借りるぞ、シガール……!)
地鳴りが近づき、再び黒い激流がアダンたちを襲った。おびただしい量の蟻たちが駆け抜け、オーの肉を食いちぎっていく。先ほどに比べ蟻たちは速度を落とし、確実に攻撃を加えようとしているのがわかった。巨人の背後、数メートルのところで隊列を組みなおし、再び攻撃を加えようとしているのが見える。この一回で仕留めるしかない。もう後は無い。
「ぐ……!」
歪な大剣とオーの体だけでは蟻の攻撃を防ぎきることなどできず、アダンたちも蟻の攻撃を受けた。蟻たちの轟音、アカリの悲鳴。まき散らされる青い血、オーの守りを潜り抜けて自身の体に食いつかれる痛み、それらすべてに意識を向けず、アダンはシガールの刀を握りしめ、蟻の本体を探すことに集中した。
そして見つけた。
蟻たちの流れの最後尾、人型の蟻がいた。
蟻の波に乗るように動く、その小さな体をアダンの目は捉えた。
その影が頭上に来る瞬間、アダンはオーの体を駆け上がった。異変に気が付いた蟻たちが、アダンへ攻撃を集中させようと動いたが、アダンは手甲に残された碧石の粉末を散布し、蟻の動きを鈍らせた。
蟻達の守りも攻撃も、今は無い。蟻の親玉、その人影がアダンの目の前に無防備に晒されている。アダンは叫び、手にしたシガールの剣を振るった。
「うおおおお――!」
蟻とよく似た生物がいる。
蟻はその生物から枝分かれした生き物。
目の前の生物は百足でも、蟻でもなかった。
その生き物の名は――。
アダンの腹部に巨大な棘が突き立てられた。蟲の本体である人影の背後から突き出された棘は、アダンの腹部に刺さったまま二本に分かれ、間から槍のような毒針が突き出した。毒針はアダンの腹部に突き刺さり、突き抜けた。
そう、その目の前の生き物の名は――蜂。
アダンは血反吐を噴き出し、地面にうつぶせに落ちた。




