帰還
アダンたちは本拠地に戻って来た。
疲労がたまっていたせいもあり、想定よりも移動に時間がかかった。厚く雲がかかっているため陽がどこにあるかは視認できなかったが、気温が落ちてきているのでもうすぐ夜が来るだろう。
「今から柵内に入るのは無理だろう。仕方がない、明日の朝一番で医者を呼ぼう」
「え……それじゃあリュシオルお兄ちゃんが……」
「無理言って連れてきても夜に移動することになる。それは危険だ」
「ああ、アダン君の言う通りだ」
「で、でも急がないと……!」
「アカリ様、まずは休みましょう」
コーラカルが膝を折り、目線を合わせてそう言うと、アカリは引き下がった。
「今日は懐かしの我が家で休むとしよう」
エフィに促され、アダンたちは久しぶりに本拠地へと入った。
そこには出発する前そのままの家があった。机や床にうっすらと埃が積もってはいるが、特に破損した個所などは見受けられなかった。
だが、酒瓶片手に調子はずれに歌うシガールはもういない。キッチンで鶯たちを満足させる料理をしてくれるグリレはもういない。窓際で鶯たちの繕い物に笑顔で向かってくれるファレーナはもういない。
彼らの笑顔は、もう二度と見られない。
「……」
アダンは失った仲間たちのことをこれ以上考えずにすむよう、掃除に取り掛かった。エフィもアカリもアダンと同じように黙って就寝の準備を進めていた。コーラカルは「お借りします」と小さく言ってキッチンに消え、少しして温めたミルクを持って戻って来た。鶯たちは礼を言って受け取った。それが今日の夕食となった。
「……」
アカリは5本の指に火を灯し、その炎を様々な色に変えていたが、その顔は虚ろで普段の活発さは微塵もなかった。コーラカルが静かに近づくと、アカリは彼女の顔をぼんやりと見上げた。
「綺麗ですね」
「ありがとう……」
「お疲れの様です、お休みになられたほうが」
「うん……」
アカリは指の炎を消すと、コーラカルの膝へ頭をあずけ、すぐに寝息を立て始めた。気絶するように寝てしまったアカリに、その場に居た全員が息を漏らす。小さな少女が憔悴しきっているのを見るのは、アダンもエフィも辛かった。
「アカリ様、辛そうです」
「……その通りだね」
「しばらくこいつの笑顔を見てない」
「はは、君はそればっかだな」
「柵内に預かってもらうのはどうだ」
「オーくんも一緒にかい?」
エフィの言葉にアダンとコーラカルは巨人を見上げた。巨人は疲れ切った小さな少女を心配そうに見下ろしていた。
「柵内にオー君を受け入れるような心の広い人間はいない。きっとオー君が受け入れられなければ、アカリ君も柵内に入ることを了承しないだろう」
「そうだな……」
「アカリ様とオー様は……とりわけオー様はどういうお方なのですか」
「アカリ君はね、天才なんだ……歪んだ、黒い才能だがね」
「黒い才能……」
コーラカルの言葉に、エフィが話し始めた。
アカリは生まれてすぐ親に捨てられた。その日暮らしの今の世で、望まれずに生まれた子供の処遇としてはありふれたものであった。通常であればそのままのたれ死ぬか蟲の餌になるだけだが、アカリは蟲たちに見つかる前に奇跡的に孤児院を営む一団に拾われた。
「良き人はどの時代にもいるものですね」
「そう、良い人だった。表向きはね……孤児院と名乗っていたがその実、魔方陣だ悪魔だ生贄だ……そんな時代錯誤な呪術師の集まりだったんだ」
「呪術、ですか」
「蟲への対抗策として研究を続けていたらしいが、その内容がね……」
その孤児院が行っていた呪術というものは蟲に対抗できる存在を召喚しようというものだった。表向き孤児院を名乗っていたのは生贄や憑代に使う子供を集めるためであった。体や臓器を生贄と称して並べたり、供物として子供を生きたまま火にかけるなど、鬼畜の所業であった。
「とても正気とは言えない連中だったわけだ」
「まったくだな、そんな呪術じゃ笑顔につながらない」
「……君も正気とは言い難いがね」
「それで、そのような場所でアカリ様は何を?」
「ああ、さっきも言ったがアカリ君は天才だったんだ……呪術のね」
子供たちを集める理由に、同士を増やすという目的もあった。才能が有れば仲間に入れ、従順に調教して手足として使ったりもしていた。
アカリには呪術書を読み、理解する能力があった。呪術師たちよりもはるかに高度な内容を理解し、それを実践することができた。呪術書を読ませたその日に、呪術の火を自身を宿し、自在に操ることができた。呪術師たちもアカリを重要視し、さらに深く呪術を教え込んでいった。
「うまくいけば、アカリはそのまま指導者になっていただろうね。もっとも、その孤児院の悪行は焼け跡から資料を見つけた我々鶯しか知らないけどね」
以前から呪術師たちのうわさを聞いていたシガールたちが、ちょうど調査に行った時だった。実態調査として向かった孤児院はすでに焼失しており、焼け跡からは焼け焦げた呪術師と子供たちの遺体、いくつかの後ろ暗い実験が記述された書物。そして巨人とアカリが見つかった。
巨人はアカリを守るように抱え込んでいた。二人を助け出し、アカリに事情を聴いても何も知らず、巨人には言葉も通じなかった。シガール達はアカリを保護しようとしたが、アカリは巨人から離れようとせず、巨人もまたアカリを離さなかった。得体のしれない化け物を柵内の人間が受け入れるはずもなく、それ以降アカリとオーは鶯として生きていくこととなった。
「何があったのでしょうか」
「さあ、アカリ君が覚えていないからさっぱりだね」
「あまり聞きたいとも思えん。到底笑顔になるような内容じゃないだろうからな」
「まったく、君はぶれないねえ。さ、もう寝たまえ。見張りは私がしておくから」
エフィがそう言うとアダンはそれに従った。アダンも相当疲れが溜まっていたことと、安心できる家に戻って来たこともあり、横になってすぐに意識を手放し、寝息を立て始めた。
「コーラカル君も、無理しないで休みたまえ。アカリ君には枕を……」
「いえ、私は大丈夫です」
「いいから、明日は早いんだぞ」
「エフィ様……ご無理をされています」
コーラカルの言葉に一瞬動きを止めたエフィだったが、すぐにいつもの歌劇じみた口調で「何を言っているんだい」と言うと、逃げるように木枠だけの窓際へ移動した。コーラカルはアカリを起こしてしまわないように自身の膝と枕を入れ替え、エフィに歩み寄った。
「君も案外頑固だね」
「エフィ様、辛そうです」
エフィは小さく息を吸い込み、窓の外を眺めていた目をコーラカルに向けた。コーラカルは言葉を発さず、そのガラス玉のように美しい瞳で、ただじっとエフィを見つめていた。その瞳の色に誘われるように、エフィは口を動かした。
「辛い、か……そう見えるかい」
「……はい」
「…………駄目なんだよ」
エフィは掌で顔を覆うと、堰を切ったように震える声を吐き出した。
「私じゃ駄目なんだよ、皆は励ましてくれるし頼りにしてくれているのも分かってる。でも、私には無理だ。できるかもしれない、いや私には無理だ……頭の中でその二つがずっと浮かんでは消えるの繰り返しなんだ。シガールが敵わない蟲をあと三体倒すなんて……そんなのは無理だ、だがその事を知っていながら細々と生きて……そもそも君の言う事が信じられると……ああ、なんで死んだんだシガール、君が居なきゃ鶯は駄目なんだよ……! 私が死ねばよかったんだ。キミが生きていればグリレ君もファレーナ君も死ななかったかもしれない。ああ、私には何も決められないんだ、無理なんだ。私はそういう人間なんだ。ずっと、昔から、ずっと……なんで死んでしまったんだ……!」
まとまりのない言葉を吐き出したエフィは、そのままうつむきうなだれてしまった。コーラカルはうつむいたエフィの頬にそっと手を添えた。暖かいのか冷たいのか、柔らかいのか硬いのか、分からない彼女の手に、エフィは顔を上げた。
「大丈夫です。貴女は強くお優しい人です……」
「……そうでもないさ」
「エフィ様のように強いお方にすべてを諦めさせ、狂を発させることがあの者の狙いです」
「『神』のことかい?」
「はい、そうなればあの者の道具になるだけです。永く、永く……」
「道具、か……それだけは絶対に嫌だね」
そう言って深く息を吐くエフィの顔は、僅かだが笑みが浮かんでいた。
「少し、気が休まりましたか」
「胸の内を話すというのは存外気が晴れるものだね」
「エフィ様もお休みください。見張りは私が」
「だが……」
「何かあれば起こしますので」
「そうかい……少しでも変な音がしたら起こしてくれ。もう仲間は失いたくないんだ」
コーラカルが小さく頷くとエフィは寝床に戻り、目を閉じた。何時でも起きれるようにと浅い眠りにつくつもりだったが、いつの間にかエフィは寝入っていた。
コーラカルは窓からそっと空を見上げ、静かに見つめた。月明かりも通さない厚く黒い雲の向こう、その先の『神』を見据えるかのように、静かに、まっすぐに空を見つめていた。




