あと少し
「コーラカルさん、足元気を付けて」
コーラカルはマイが差し出した手を取った。
ファレーナが蟲を排除してくれたおかげで、鶯たちを乗せた船は無事に対岸にたどり着くことができた。音もなく消えたコーラカルは、誰にもそのことに気が付かれないまま、当たり前のように彼らと共に地面へと足を降ろした。
「ここはどの辺りだ」
「待ちたまえ……ふむ、いいぞ」
アダンとエフィは地図と周辺の建造物を見合わせ、行きに通った聖堂街まで歩いて三日程度の場所だという事を確認した。あと少しで住処に帰れると、鶯たちはほんの僅かに安堵の色を浮かべた。エフィは仲間たちを激励するように声を張り上げた。
「アダンとマイは周囲を警戒してくれ、オーは荷物を運んで、アカリとリュシオル、コーラカル君は荷物を見張ってもらう。あと少しで帰れるぞ、がんばろう!」
エフィの指示に従い、船から荷を降ろして出発準備を整えた。道中、小規模の戦いはあったものの犠牲が出ることはなく、順調に進むことができた。だが、鶯たちの顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。
何度か火を焚き休息したが、食事を作る気力もなく単調な味の干し肉と固いパンを齧った。グリレが居ればもっとマシな、もっと美味しい『食事』がとれたのだろう。
身なりに気を配る者も居なくなり、外套はところどころほつれたままになり、湯を使って体を拭く事すら面倒でやらなくなった。ファレーナが居ればすぐに衣服は縫い合わされ、清潔感を意識して湯を沸かし、汚れと疲れを拭うことができたのだろう。
なにより、底抜けに明るいシガールの声が無いことが、疲労にやられた鶯たちに重くのしかかった。彼が死んでしばらく経った今になって、彼の頼もしさが嫌というほど実感できた。シガールが居た時には考えもしなかった後ろ向きな考えが、頭を何度も支配するのを、鶯たちは実感した。
それでも鶯たちはそれぞれ気持ちを引き立て、エフィの指示に従い、子供であるアカリや戦闘力のないコーラカルを気遣いながら、なんとか聖堂街まで戻って来ることができた。
しかし、またしても問題が立ち上がった。聖堂街に到着するや否やリュシオルの体調が悪くなったのだ。石造りの教会へ入り込んで安全を確認し、火を起こして温かい飲み物を用意するが、リュシオルは激しく咳込みほとんど飲むことができなかった。
「リュシオル様、大丈夫ですか」
「ちょっと、キツいけど……だいじょ、ぶだ……!」
リュシオルは信者が座る木製の長いすに寝かせされていた。コーラカルは彼の傍に跪き、その手を握っていた。
「どうしよう……」
「オーちゃんの荷車に乗ってもらう?」
「いや、動かすのは危険かもしれない……何名かで戻り、きちんとした医療の知識をもっている者を呼んでこよう」
「大丈夫だって……ぐッ…!」
リュシオルは起き上がろうとしてまた激しく咳込み、マイが慌てて寝かせた。リュシオルは少し抵抗するそぶりを見せたが、女性じみた顔を歪ませもう一度激しく咳込むと、大人しく横になった。マイはリュシオルの痛ましい姿を見下ろすと、口を開いた。
「私が残るよ」
「マイお姉ちゃん……」
「一人じゃ危険なのではないか」
「元貴族のエフィさんがいないとお医者さんなんて来てくれないよ。それに医療品がたくさん必要ならオーくんは必要だし、それだったらアカリちゃんも一緒に行かないとでしょ」
「だったら俺も」
「あんたは皆を守って、エフィさんは大勢の蟲の対処は苦手だし、オー君も大勢の蟲相手には立ち回れないでしょ。それに、コーラカルさんも早く安全なところに行かなくちゃ」
「マイ様、私は……」
「ここには虫除けの草もたくさんあるし、それに……大丈夫だから、皆早く行ってきて」
これは決定事項だ、とでも言いたげなマイの声色に、鶯たちは黙った。普段ならば説得を続けていただろうが、憔悴しきっていた彼らにその気力は無く、聖堂街から本拠地までなら一日で着ける距離という事もあり、結局マイが残ることで決着した。
マイの言う通り聖堂街には虫除けの草が十分にあった。それらを地面や壁からちぎり集めて火の近くに置き、いつでも火に放り込めるようにした。
「それじゃあ気を付けてね」
「そっちもな」
アダンはマイに短くそう言うと、本拠地に向けて歩き始めた。途中で振り向くと、マイは手を振ることもなくこちらを見つめていた。もう二度とマイに会えないような予感が、ぞわりとアダンの背筋を這いあがった。
アダンはぶんぶんと頭を振ると、前へと進む足を速めた。




